一瑠

増田朋美

一瑠

一瑠

冬の初めの、しぐれるという言葉がぴったりの天気である。まさしく、冬だなあと感じさせられる陽気であった。こんな冬らしい天気が続いてくれれば良いのであるが、そういう時に限って、何か事件が起きてしまうのが、日常生活というものである。

その日、杉ちゃんとジョチさんは、二人で大川の土手を散歩していると、近くで大勢の人が集まっているのが見えた。一体何が在ったんだろうかと、二人は近くを歩いていた人に聞いてみると、

「子供二人が、土手の上で死んでいると通報があったそうなんです。」

という答えが返ってきたので、またびっくり。確かに、警察官らしき人が、白い布を被せた担架をもって歩いていくのが見えたので、まんざら間違いでもないらしい。

「物騒な世の中だなあ。子供二人がやられちゃうなんてさ。」

「まあ確かに、身近な所に犯罪がある時代ではありますけれども。」

ジョチさんと杉ちゃんは、顔を見合わせた。

その時は、事件の現場を見ただけで、それ以上は関わることはないと思われていたのであるが。

それから、数日後の事であった。小久保さんの法律事務所に、一人の男性がやってきた。名前を佐藤千秋といった。なんでも、殺人を犯した妻の弁護をしてくれる人を探しているのだが、国選弁護人とも相性が合わないので、御願いしたいということである。国選弁護人になった弁護士さんとも話をさせているが、ちっとも反応してくれないので、ほかの人であれば、反応してくれると思い、小久保さんにお願いしたいというのだった。

「わかりました。えーと、奥様のお名前は、佐藤瑠理香さんでよろしかったでしょうか。」

小久保さんが聞くと、佐藤千秋は、

「はい。日本ではそうなっておりますが、出生名は永一瑠と名乗っていました。日本国籍を取得させることが結婚の第一条件でしたので、その際に、改名させたんです。」

と、説明した。ということはつまり、外国の女性ということが分かった。

「事件のことは、報道で知りました。あの、富士市の大川の土手で、上村典夫君と、弟の継夫君の兄弟が殺害されたという事件ですね。富士市内で、有能な弁護士を探すということはできなかったのでしょうか?」

小久保さんは一応そう聞いてみた。

「ええ、そうなんですが、あの、杉三さんという方が先生にぜひやってもらえというものですから。」

千秋は、申し訳なさそうにいった。

「そうですか。わかりました。杉ちゃんには感謝しなければなりませんね。時々こうして、依頼人を連れてきてくれることが在りましてね。わかりました、どれだけお力になれるかわかりませんが、奥様の弁護をお引き受けすることにいたしましょう。」

「ありがとうございます!先生がお力になってくれるのであれば、瑠理香も喜ぶと思います!」

小久保さんがそういうと、千秋さんは頭を下げて、嬉しそうに言った。

「ほんなら、やってくれるのかな。」

二人のやり取りを、事務室で聞いていた杉ちゃんは、事務員のおばさんにそういうことを言った。

「大丈夫よ。小久保先生は、ああいう風に言われたら、絶対やれずにはいられない性分だから。」

事務員のおばさんは、杉ちゃんにくすりと笑った。

「そうだねえ。まあ、小久保さんには、向くんじゃないの。こういう事件。絶対ね、こういう事件は必ず何かからくりがあるんだよ。其れが、カギというかそういうものじゃないの?」

「まあねえ。先生がうまくやってくれるか、私たちは、見守っていきましょうね。」

二人がそんなことを言い合っていると、ちょっと、佐藤さんのところへ行ってきます、という小久保さんの声がした。

「よし、引き受けてくれることにしたのか。」

と、杉ちゃんは小久保さんに言った。

「それでは、行ってきます。帰りは、遅くなるかもしれませんが、ご了承くださいませ。」

「僕も行く!」

杉ちゃんはでかい声で、小久保さんと一緒に、佐藤瑠理香、別名永一瑠さんのいる、留置場へむかった。千秋は仕事があるからとそれ以上は関わらなかった。

「えーと、こちらです。」

警察官の案内で、杉ちゃんと小久保さんは、佐藤瑠理香のいる面会室へ向かった。

「佐藤瑠理香、面会だ。」

警察官に言われて、瑠理香は顔をあげた。丸い大きな目に、高い鼻、かなりの美女だ。何だかとても、子供二人をめった刺しにするような、犯人では思えないくらいの美女である。

「えーと、佐藤瑠理香さんですね。わたくし、弁護士の小久保と申します。あなたの弁護を担当することになりました。まず初めに、事件のことについてお伺いしたいのですが。」

「はい、、、。」

佐藤瑠理香は、茫然としたような顔で、小久保さんたちを見つめる。

「それでは伺いますが、あなたは、報道でもされていますが、12月3日の朝、グループ登園をしていた、幼稚園児の上村典夫君と、弟の継夫君を、包丁で刺して殺害し、遺体を大川の土手に放置した。これで間違いありませんか?」

と、小久保さんが言うと、佐藤瑠理香ははいとだけ言った。

「そうですか、では、そのような凶行をされたのは、何か理由がおありでしょうか?」

小久保さんがそういったが、佐藤瑠理香は、何も言わなかった。

「おい、日本語はちゃんと通じているんだろうな?」

と杉ちゃんが小久保さんに聞くと、

「はい、日本に来て、10年近くたっていますから、大体のことはわかります。」

と佐藤瑠理香は答えた。

「では、事件のことについて、もう一回話してもらえないでしょうか。まず、幼稚園で、不審者が出たため、子どもたちは個別に登園することはせず、近隣の大人が車で迎えに行くという登園形式になっていた。これは認めますね?」

小久保さんは、千秋から聞いたことや、警察から渡された資料を見ながら言った。しかし、彼女は何も答えない。きれいな人なので、質問する側も困ってしまうほどだ。

「おい、何か答えを出してくれよ。でないと、裁判でも余計に不利になっちまうぜ。」

と、杉ちゃんも心配そうな顔をしてそういったが、彼女は何も言わないのだった。面会時間が終わりになってしまったため、杉ちゃんと小久保さんは、また来ますと言って、その日は退席するしかなかった。

「困りますね。あのように、放心状態では。」

と、廊下を歩きながら小久保さんはつぶやく。

「まったくです。」

一緒に来た警察官も困った顔でいった。

「彼女は、取調官が事件のことを聞いても、一言も口をききませんでした。弁護士の先生だったら、また違うかなあと思いましたけれども、それでもダメでしたね。時々、こういうこまった人が、送られてくるので、私たちも頭を悩ませています。」

「警察と弁護士がおんなじことで困るなんて、めったにないんじゃないの。そういうことは、めずらしいねえ。」

と、杉ちゃんは、カラカラとわらったが、小久保さんは、何か考えるしぐさをして、

「そうですね。言葉がわからないということでしたら、通訳をつけましょうか。其れとも、精神鑑定が必要になるかもしれない。」

といった。

「僕は精神鑑定なんて必要ないと思うけど?ただ、彼女の困っていることをこっちがつかめばそれでいいのでは?」

杉ちゃんが口笛を吹きながら、そういうことを言った。でも、それをするのが本当に難しいという事は、小久保さんもほかの人もそれを知っていた。小久保さんはそうですかとだけ言った。

その日の夕方の事である。

製鉄所では、いつも通り何人かの利用者が、学校や塾の勉強したり、仕事を持ち込んで仕事したりしていた。其れが製鉄所の日常であるのだが、なぜかその日、水穂さんは薬で眠らないで目を覚ましていた。様子を見に来たジョチさんが、四畳半に行くと、水穂さんは、ああ理事長さんと言って、よろよろと布団の上に起き上がった。

「ああ、無理しないで結構ですよ。大変だったら、寝たままでかまいません。具合はいかがですか?」

と、ジョチさんが言うと、水穂さんは、変わりありませんとだけ言った。

「そうですか。できれば、もう少し良くなろうという気持ちをもってもらえたらいいのですが。」

ジョチさんは、水穂さんのそばに座った。げっそりやせ細った水穂さんが、二、三度せき込んだため、横になりますかと聞くと、いえ、大丈夫です、とだけ水穂さんは答えた。

「ヤッホー!寒くなってきたねえ。全く、こういう冬らしい季節が続いてくれればいいにねえ。冬なのに、暖かかった、今までの日々が間違っていたんだ。やっぱり冬はこうじゃなきゃな。もうすぐクリスマスだよ。そしてお正月だ。全く一年ってのは、本当に早いなあ。」

と、間延びした声がして、杉ちゃんがやってきた。こんにちはとも、失礼しますとも何も言わないで、すぐに用件を言う杉ちゃんに、ジョチさんは少しあきれたが、それを口にはしなかった。

「どうしたんですか。今日は、小久保さんと一緒に、例の女性に会いに行くんじゃなかったんですか?」

とジョチさんが言うと、杉ちゃんは、

「ああ、あってきたよ。なんでも、二つ名前のある女だ。どっちがどっちなのか、わかんなくなっちゃった。確かに、美人ではあるけどさ、もう放心状態で、何も口を利かないよ。小久保さんは、通訳をつけようっていってたけど、あれ、わざとじゃないかなと僕は思うんだよね。なんか、演技しているというか。女優みたいに、きれいな女性だったけどな。」

といった。水穂さんが、またせき込んだので、ジョチさんは、近くにあった毛布を水穂さんの体にかけてやったが、水穂さんは、

「その、女の人って、どういうひとですか?」

と聞いてきた。

「ああ、そうか、テレビも何も見てないんだね。あのね、この前、富士川の土手で、幼稚園児二人が殺されているのが見つかった。今日警察の人たちが言ってたけどさ、なんでも、二人とも、包丁で

めった刺しだ。こういう殺し方が、女でもできるのかなと思った。」

杉ちゃんがそう答えると、ジョチさんが、

「いま、報道番組でも話題になってますよ。杉ちゃんは口に出して言えないんだと思いますが、なんでも、二人の子供さんたちは、体の20か所近く刺されていたそうです。多分明確な殺意があったんでしょうね。元々、海外から来た女性ですから、何か妄想を抱いてしまっても仕方ないと思います。」

と、説明した。

「そうですか。そんなむごい事件が平気で起きているんですか。」

水穂さんは少し考え込む。

「まあ、僕たちが気にしても意味はないかもしれないけどさ。それにしても、恐ろしい事件だな、幼稚園児二人が、そんな風にして、殺害されちまうなんてな。あの、佐藤瑠理香という女は、見た目はきれいな人かもしれないけど、人間ではなくて、鬼みたいな女だよ。」

と、杉ちゃんがそういうと、水穂さんが、

「佐藤瑠理香?」

と聞いてきた。

「なんですか?もしかして、お知り合いだったんですか?」

とジョチさんが聞くと、

「もしかして、永一瑠さんのことですか?確か彼女、佐藤というひとと結婚して、改名させられたと話していましたから。」

水穂さんは言った。それをいうと、杉ちゃんもジョチさんもびっくりする。思わず杉ちゃんが、

「水穂さんあの鬼女とつながりがあったのか?」

と聞くと、

「はい、一度だけあったことが在るんです。確かにその時、自分の名前を一瑠と名乗り、そのあとで、瑠理香と言いなおしましたから、よく覚えています。と言っても、僕が、彼女に会ったのは、僕が演奏活動していた時で、もう五年くらい前の事ですけど。」

と、水穂さんは答える。

「あの、詳しくお話していただけないでしょうか?」

とジョチさんが言うと、

「彼女は、演奏会のあと、僕の楽屋に飛び込んできて、こういったんです。娘にピアノを教えてやってくれないかと。その時はまだ、日本語もちゃんと覚えていなかったようで、発音も不明瞭でした。その時、確か、娘さんが一緒にいたんですが、まだ言葉も碌に話せず、やっと首が座るような状態でしたので、四歳くらいからにしてくれないかと、僕は断りました。」

と、水穂さんは答えた。

「まあ確かに、そんな無理な年齢の子どもを連れてこられても、レッスンはできないよな。そんなことも知らないでお前さんのところに来るなんて、鬼女の反面、バカ女と言えるかもしれない。今もいるよね。見栄っ張りで、自分の自慢にしたくてさ、子供に無理なお稽古事をさせる馬鹿な親。」

と、杉ちゃんが言うと、

「いや、そのような態度ではありませんでした。むしろ、ものすごい必死で、必ず娘さんに何かさせなければというか、逼迫したような態度でした。もしかしたら、今の言葉で言えば、育児ノイローゼというか、そういう気持ちだったのかもしれない。」

水穂さんは、そう思いだしたように言った。

「何かしなければいけない、ですか。杉ちゃんのいうことも、水穂さんのいうことも、正しいのかもしれませんよ。彼女には、二つの名前があるんですから。冷房と暖房を併用できるエアコンと同じことかもしれません。でも人間であれば、スイッチ一つで切り替えるということはできませんから、永一瑠という人間と、佐藤瑠理香という人間が同居していたのではないでしょうか。今回、あの兄弟をめった刺しにしたのだって、その切り替えがうまくできなかったために、彼女はそうしてしまったんだと思います。」

と、ジョチさんが、杉ちゃんに言った。

「報道でもされていましたが、被害にあったあの二人の少年、かなりの裕福な家庭だったそうですね。彼らの鞄の中から、今はやりの子ども用のスマートフォンが出てきたそうで、そういうものを持っているということから、其れがよくわかりました。」

「なるほど。ジョチさんのいうことが本当なら、其れも決め手になるよな。其れで、水穂さんが言ったことが本当になるのなら、鬼女でありながら、かなりの劣等感を持った女ということになるな。」

杉ちゃんは、そういうことを言って、大きなため息をついた。

「ええ、きっとそうだったと思います。彼女は、それに対して、その二人を殺してしまうしかなかったわけだ。なあ、今の話、小久保さんにはなしても良いかなあ?」

と、杉ちゃんが間延びした声でいうと、水穂さんは、

「いえそれは一寸。」

と言った。

「でもね、水穂さん、あなたの言いたいことはよくわかりますけど、でも、彼女のしたことは、やってはいけないことだ。だから、ちゃんと法で裁いてもらわなきゃ。彼女の気持ちをわかってやれる事も重要ではありますけど、今回はそういうわけにはいきません。そのために小久保さんたちがいるんです。今回は、水穂さんも、もっと気を強く持たないと。」

ジョチさんが一寸強気な口調でそういうことを言うが、水穂さんはそうですか、と一言だけ言っただけであった。

「じゃあ、小久保さんに、話しておくよ。もちろんお前さんの事もな。」

杉ちゃんがそういうと、水穂さんは、はい、と小さく頷いた。

それからその数日後。杉ちゃんと小久保さんは、再び留置場を訪れた。又面会室にいって、佐藤瑠理香と話しをしようと試みたが、彼女は一言も答えようとしなかった。

「黙っていれば、なんでもできると思っているのかもしれませんが、それはいけませんよ。事件のことを、ちゃんと話してもらわないと。」

小久保さんが一寸きつい口調でいうと、

「お前さんさ、なんで、水穂さんの演奏会のあと、楽屋に飛び込んでピアノを習わせようとしたんだよ。」

と、杉ちゃんがいきなりそういうので、小久保さんもびっくりする。これにびっくりしたのは、小久保さんだけではない。硝子板越しに、椅子に座っている、佐藤瑠理香も驚いているのだ。

「ほう、今の言葉に反応したってことは、日本語はちゃんと通じているな。もう一回聞くが、水穂さんのところにいって、まだ首も座らない赤ちゃんに、ピアノを習わせようとしたのは何でだ?」

佐藤瑠理香は、一生懸命答えをつくろうとしているようだった。

「それは、もしかしてお前さんが佐藤瑠理香じゃなくて、永一瑠だったからと違うか?日本人に負けたくないっていうか、日本人があまりにも金持ち過ぎて、負けたくないっていう思いがあったんじゃないの?」

杉ちゃんに言われて、目の前の女性は、ああ、と思わず声をあげる。女性の目に涙が光っている。今いる人は、永一瑠なのか、それとも佐藤瑠理香なのかは不詳だが、やはり、ひとりの人間に、永一瑠と佐藤瑠理香が同居しているというのには間違いなかった。

「それで、最新のゲームや漫画などを持っていた、あの上村典夫君と継夫君の兄弟に嫉妬して、二人を殺害したということですか?」

小久保さんが、メモ用紙を開きながら言った。女性は、小さな声で、はいと頷いた。

「そうか。でも、そういう気持ちがあったとしてもさ、他人の命まで奪うのはいけないことだぜ。多分、お前さんの持っている劣等感をわかってくれる奴はいっぱいいるよ。日本は、華やかに暮らしているやつらばかりじゃないからね。皆、華やかに見せかけて、問題が露見しないように、一生懸命包帯しながら生きてるさ。日本人ってのはそういうもんよ。表の顔ではニコニコしているけど、裏ではジメジメしている奴ばっかだよ。お前さんも、そういう気持ちを素直に著せたらよかったのにね。」

小久保さんは、杉ちゃんを連れてきてよかったなと一言小さくつぶやいた。

「お前さんの間違いと言えば多分そこだ。悩んでいるやつは日本にも大勢いるって事を見抜けなかった。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「でも、日本人は。」

と言いかけて止める彼女に、

「いや、最後まで言っちまえ。」

と杉ちゃんが言う。

「皆、弱いところを見せないで、必死で張り合っているだけのように見える。そして絶えず、見せたらおしまい的な態度をとっている。」

「そうですか。そこに気が付いたんですから、あなたは佐藤瑠理香として生きていくことができますよ。これからは、佐藤瑠理香として、一生懸命罪を償ってください。」

彼女がそういうと小久保さんは彼女を励ました。

「それが日本というものです。日本社会がそうなっている事を学べたら、合格です。」

彼女は涙をこぼして泣いた。





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一瑠 増田朋美 @masubuchi4996

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