第19話 眠り姫と朝の一幕と、噂話

 あっという間に一週間が過ぎた。


「黒崎さん、おはようございます!」


 朝、下駄箱で上履きに履き替えていると、白音が話しかけてきた。


「……あ、うん、おはよう」


 一瞬躊躇して、挨拶を返す。

 白音は相も変わらず溌剌(はつらつ)とした笑顔で……いや、よく見るとその表情に元気はなかった。

 

 最後に添い寝した、言い換えると白音が夜に睡眠をとったのはちょうど一週間前。

 その間に蓄積した疲労によるものだろう。


 白音がきょろきょろと周りを見回す。

 周りに誰もいないことを確認したあと、そそそっと、白音が近くに寄ってきてちょいちょいと手招きする。


 耳を貸してくださいのジェスチャーに従って、膝を曲げる。


「……今日、よろしくお願いしますね」


 左耳にかかる吐息。囁かれるように言われて、両肩がぞわぞわっと震える。

 叶多の返答を待たず、白音はにぱっと花咲くような笑顔を浮かべた後、


「ではっ」

 

 びしっと額に手を当てて、ぴゅーっと教室の方へ駆けて行った。

 彼女にとっては今からおやすみの時間だというのに、一体どこにそんなエネルギーがあるのだろう。


 やけに情報量が多い一幕だったなと、叶多は耳に手を添えて小さく息をついた。

 


 ◇◇◇


 

 今日も、変わり映えのない1日を送るはずだった。

 しかし、1時間目の休み時間から妙な感覚を覚えた。

 

 誰かに見られているというか、ひそひそとコソコソ話をされているというか。

 休み時間を重ねるごとにその感覚を強く感じるようになり、昼休みにそれは確信へと変わった。


「かなっち、姫となんかあったの?」


 昼休みが始まって、弁当と『世界一のクイズvol.12』を手に屋上へ足を運ぼうとした時、クラスメイトの……えーと、誰だっけ。

 一般生徒Aが話しかけてきた。

 『かなっち』などという3年来の友人みたいな呼び方をされたが、彼と話したことはないし名前も知らない。


「なんかって、なに?」

「噂になってんぜ。朝、姫と話してたって」


 ……なるほど、そういうことか。

 どうやら、朝の一幕を誰かに見られていたらしい。

 

 白音はただ純粋にクラスメイトに挨拶をした、くらいの感覚だったのだろう。

 その対象が一般層の生徒なら訝しがられないだろうが、叶多は空気と同化しているレベルの、いわば居ても居なくても誰も気に留めない存在。

 そんな叶多に、学年一番人気を誇る美少女、白音が話しかけた。


 その事実だけを切り取ってみると、いかにもゴシップ好きな高校生たちが噂を膨らませそうなネタである。


 ……くだらねー。

 特に気にしないことにした。


 中学時代、盛大に侮蔑と好奇の視線に晒され続けた経験のある叶多にとって、この程度はボヤ騒ぎにもならない。

 この程度なら、すぐに噂は霧のように自然消滅する。


 人の噂も75日。

 いや、叶多においては75時間程度の話題性しかないだろう。

 空気のような存在というのは、この辺が便利である。


 プラスで妙なことをしなければ大丈夫だ、と結論づける。


 とはいえ、目の前の彼は何かしら答えを求めているようなので、少し考えてから返答する。


「社会の窓が開いてたのを、夢川さんが教えてくれたんだ。彼女の素晴らしい気遣いに、俺は感謝しているよ」

「ぷはっ、なんだそりゃ」


 彼はお腹を襲えて愉快そうに笑った。


「なかなか面白いこと言うね、かなっち」

「冗談だ」

「まあギャグだろうね」

「普通に、挨拶してくれただけだよ」

「なーんだ、ただの挨拶か。まあ優しいしな、姫」


 それは全面同意である。


「答えてくれてありがとな、かなっち」

「さっきからなんなの、その、かなっちって」

「知らねーの? あだ名だよ」

「言葉の概念は知ってるよ。なぜそれを、一言も話したことのないクラスメイトに使えるのかがわからない」

「真面目か! 別にいーじゃん、一言も話したことのないクラスメイトだからこそ、距離感縮めて行こうぜ」

「……まあ、別に呼び名には拘らんけど」

「よっしゃ、じゃあ俺とランチしよう!」

「なにがどう繋がって『じゃあ』になるの」

「真面目か! 単純に一緒に飯食って親交を深めたいだけだよ」

「なるほど」


 わからん。

 人との関わり方に乏しい叶多にとって、この距離の詰め方は軽く恐怖ですらある。


「あいにく、今日は一人で食べたい気分なんだ」

「およ、そうか、じゃあまた今度だな」


 そのタイミングで、思い出す。

 確か彼は、特定のグループには所属せずいろんな生徒に話しかけては仲良くしている、いわば『コミュ力お化け』というやつだ。

 日毎に昼食を摂るメンツも変わって、皆からも気軽に話しかけられまくる……うん、やっぱりコミュ力お化けとしかいいようない。


 ……名前は思い出せないけど。

 とりあえず、仮の名前として『ランチくん』とでも名付けておこうか。


「また誘うわー」


 そう言い残して、ランチくんは別のグループに去って行った。


 フランクに話しかけ、相手の反応が後ろ向きだったらさっと身を引く、ただし次回への繋ぎはちゃんと残しておく。

 そんな距離の詰め方が、彼の友達が多い所以なのだろうか。

 知らんけど。


 昼休み後には、午前にあった『誰かの視線が刺さっている感』や『自分のことについて噂されている感』が徐々に薄まっていった。

 どうやら噂は75時間どころか、7.5時間も持たなかったようだ。

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