第8話 眠り姫のお願いこと

 

「ゆ、夢川さん?」

「はい、夢川です」


 青空をバックに、白音がぺこりとお辞儀する。

 びよんとバネが弾けるように、叶多は慌てて身を起こした。


「いつも読んでますよね、それ」


 なぜここに、と叶多が問いを投げかける前に、白音が『世界一のクイズ Vol.12』を見て言った。

 その表情は、積み木でお城を作る幼子を眺めるような、柔らかなもの。


「……なんでここに?」

「あ、すみません」


 白音が膝を折り曲げ、スカートを撫でつけながら正座した。

 その姿は、由緒正しき和の家出身かと思うような気品を纏っている。


「いや、下コンクリート、硬いでしょ」

「ありがとうございます、でも大丈夫です。私、黒崎さんに頼みがあって来たんですから」


 頼みをするときに正座とはまた古風な。


 とはいえ、非常にタイミングがいい。

 ちょうど、叶多も白音への用事を抱えていたところだったから……って、待て待て。 


「頼みって?」


 訊くと、白音は目線を叶多から逸らした。


「えっ、と……」

 

 ぽりぽりと、頬を掻く。

 その頬はほんのり朱色に染まっている。

 小さな体躯が、もじもじと気恥ずかしそうに揺れていた。


 なんだ、その挙動は。

 シャーペン忘れたんで貸してくださいとか、さっきの授業のノートを写させてくださいとか。

 明らかに、そんなレベルの頼みごとではなさそうな前振り。

 

 一体なにを要求されるんだろうと、叶多はただ息を飲み込んで次の言葉を待つのみ。


「あ、あのっ」


 ぎゅうっと、胸の前で小さな拳が握られる。

 雲にも負けない美しい銀髪が秋風になびいた途端、


「私と……添い寝フレンドになってくれませんか!?」


 おおよそ、今の叶多には理解できない言葉が解き放たれた。


 ……。

 …………。

 ………………たっぷり、10秒くらいは反応できなかったと思う。


「……はい?」

「あ、ごめんなさい!」


 ばっと、白音が頭を下げる。


「わけわかんないですよね。突然、こんなこと言われても」


 それは肯定するしかないのだが。


「えっと……まず、質問していい?」

「あ、どうぞどうぞ」

「添い寝、フレンド? なにそれ?」

「えっと、端的に言うと、その……一緒に添い寝するだけのお友達です」

「……ああ、なるほど」


 いや、なるほどじゃねえわい。


「巷では結構、流行ってるらしいですよ」

「はあ……」


 いや、流行ってるとかそういう問題ではなく。


「なんで?」

「えっと、ですね……」


 また、間があった。

 双方無言のまま時間が過ぎる。

 じんわりと、叶多の背中に冷や汗が浮かんできたあたりで白音が口を開く。


「最近、人肌……恋しくて……」


 ぽつり、ぽつりと、一言一句を選ぶように言葉が紡がれる。


「その……夜、誰か一緒にいてくれたらなー、なんて……思って、たり……」


 後半にかけて、白音の声は消え入りそうなほど小さくなっていった。


 赤は頬だけでなく顔全体に染み渡っていて、今にもぷしゅーと湯気が立ち上ってきそう。

 膝の上でぷるぷると震える両拳。

 嘘がバレた子供のように瞼をぱちぱち。


 こんな眠り姫、見たことがない……いや、今脳のリソースを割くべきはそこじゃない。


 整理しよう。


 つまり白音は、最近心細いと。

 だから、夜、一緒に寝てくれる人がいてほしいと。

 ゆえに、添い寝フレンドになってくれないかという提案をした。


 纏めるとこんな感じか。

 ふむふむ、なるほど。


 いや、だからなるほどじゃ以下略。


「あの、さ」

 

 びくっと、白音の肩が跳ねる。


 それ、俺である必要がある?

 そんな問いを投げかける前に、白音がばっと頭を下げた。

 

「ごめんなさい!!」


 空間を両断するような声に、今度は叶多が気圧(けお)される。


「いきなりで混乱させちゃいましたよねごめんなさい……ほんとなに言ってるんですかね私……ごめんなさい、本当にごめんなさい、さっきのは忘れてくださいー!!」

「あ、ちょっ」


 呼び止める間もなく白音は立ち上がり、逃げるように走り去ってしまった。

 ばっさばっさと揺れる銀髪を見送るしか、叶多には出来なかった。


「…………」


 先日の夜の件に引き続き、また夢でも見ていたのだろうか。

 今度は白昼夢か?

 そうとしか思えない。


 が、そこで「そっかぁ夢だったかぁ〜」と無かったことにする空想的思考の持ち合わせは叶多にはない。


 添い寝フレンドになってほしい。

 そんな提案の理由が、単に寂しいから? 

 

 んなわけ。

 絶対、なにか他に理由がある。


 腕を組むと同時に、叶多の脳に稲妻が走った。

 蘇る、先日のお泊まりの記憶。


 ──私、もしかして寝てました!?


 看病中の寝落ちから覚醒して、なぜか嬉しそうだった白音。


 ──あ、あれはっ、なんでもないです! えーとえっと、そ、そう! 好きなんです、色が! だから集めてるんです!

 

 机の上のエナジードリンクの空缶たちを叶多に発見された際、誤魔化すように放たれた言葉。


 ──わあ、もう1時っ、本当にぐっすり寝ましたねー。


 一晩明けて、昼まで眠りこけた白音のこれまた嬉しそうな表情。


 ……そして今日の授業中、居眠りする白音の、どこか辛そうな表情。


 上記の要素全てが、なんらかの因果関係で繋がっている。


 そんな気がした。

 気がしてならなかった。

 そしてちょっと考えれば、答えに案外すんなり辿り着けそうな予感があった。


 知的好奇心がくすぐられ、考えようとして……止めた。

 考えて、答えに辿り着いたところでどうする?


 どうもしない。


 そもそも白音は本来、言葉を交わすことすら叶わない存在。

 校内の誰もが知る、優秀で、心優しくて、圧倒的な美貌を持つ少女だ。

 

 自分とは立場もスペックも断崖絶壁級の差がある。


 浮いた話は耳にしたことがないが、交友関係も広くファンも多い。

 だからこそ、下手に関わろうものなら絶対に面倒なことになるという確信があった。


 叶多が望むのは静かで平穏な日常。

 変化を望まない、ずっとこのままで良い。

 その信条が根本にあるからこそ、下手に深掘りするのはやめよう、そう結論を出した。


 ……あ、でも、先日の借りは返さないと。

 それを踏まえると、声をかけるハードル爆上がりしてるくね?

 

 気づいて、大きな大きな溜め息をつく。

 まあ、少し時間を置いてから考えれば良いか。

 

 昼休み終了5分前のチャイムが鳴り響く。


 立ち上がり、空に向かって両腕を伸ばす。

 全身に血流が行き渡り、緊張で凝り固まっていた身体が解れる心地よさを感じる。


 対照的に、心の奥底には引っかかりがあった。


 下手に深掘りするのはやめよう。

 そう処理したのに、でも、気になるという、引っかかり。


 ──その引っかかりは、今日のうちに解消されることになる。



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