精霊の森編

第18話 影の森

 その後のニクセリーヌの滞在期間は、とても短かった。

 どうやらアートス王の権力は彼の傲慢な態度により弱まっていたらしく、レミアさんの女王殺しの罪が冤罪だとわかった途端、 ほかの臣下たちは手のひらを返すように彼女の側についたという。

 父王の悪事を見抜き自らの立場を投げ打ってまで真実を証明しようとしたジェフロワは、本来ならば父の罪を共に償わなければならないのだが、 国家のために肉親に立ち向かったニクセリーヌ史上最も勇敢な男として再び王族に迎えられたらしい。

 あたしたち四人は晴れてニクセリーヌの女王となることが決まったレミアの計らいで、二晩の寝所と旅荷物の補給をしてもらい、再びテーラに向かう旅へと出発したのだった。


 あたしはレミアとジェフロワの会話を思い出していた。

「それにしても、父があの日……私を殺そうと楽しそうに話していたあの日……。父は誰と話していたのだろうか」

「彼の臣下には一人もそのような話を口頭でしたという記憶はないらしいものね……」

「なんにせよ、不安が残る。旅の方達、迷惑をかけて悪かった。私たちの国は私たちでどうにかする。君達も十分に注意して旅を続けてくれ」

 そして最後に彼はこう付け足した。

「あと……ティリス。あの時は無理強いをして悪かった。君の主君への忠誠心は本物だ。胸を張っていい」

 最後の言葉は協力に頑なだったティリスへの気遣い、しかしその前の会話は一体なんなのだろうか。

 不吉な予感が、頭をよぎる。

 ねぇ、とあたしは共に歩く三人に声をかけた。

「ジェフがたまたま王様の話を聞いちゃった夜ってさ、王様は誰と喋ってたんだろ」

 それを聞いてガクが首をかしげる。

「彼の臣下じゃないのか?」

 そうじゃないみたいなの、と告げるあたしにティリスも眉をひそめた。

「城関係の者ではないということ?」

「うーん、わかんないや。でも少し気になってさ」

 そう言ったあたしにチッタが返した。

「そう細かいこと気にすんなよユイナ! みんな助かったんだし幸せだろ!」

 そう楽天的な意見を述べる彼にあたしたち三人は顔を見合わせ、少し不穏な空気に怯えながらも再び歩を進め始めたのだった。




 ニクセリーヌを通過したことにより、ついにペペ山脈の迂回を達成した私たちであったが、陸路の厳しい東のペペ砂漠を避けるため、再び山脈の周りを南下していた。

 ここまでの道のりはディクライットから出発して約十週間。

 かなりの時間が経ってしまったが、現地での食料調達や野宿にも慣れてきた頃である。

 ガクがとても料理が上手だということはあまり良い食料が得られない旅道ではとても励みになっていた。

 夜皆が寝てしまうと魔物に襲われる危険があるため、見張りを二人一組でつけることにしていたが、ティリスが毎夜施す魔除けの魔法陣によってその必要はあまりないようだった。

 夜は歩みをすすめることができないため明け方早くに野宿場所から出発して今はお昼時、ちょうどお腹がすき始める頃である。

 旅慣れていないあたしを気遣ってか三人はあたしをスイフトに乗せてくれるが、スイフトの疲労が気になるため、ここ何日かはなるべく歩くようにしているのだった。

 山脈の周りは水脈が多いのか、緑がとても豊かなようで、踏みしめる草も優しく吹く風が少し心地いい音を醸し、困難な旅も幾分か素敵なものと感じられるのだった。

 と、その時、チッタがおいなんだあれ? と指をさした。


 疑問符を浮かべながら彼の指差した方向を見ると、そこには今までの森とは明らかに違う色をした木々が欄列していた。

「ひどい。木が全て枯れているわ。でも何故あの場所だけ……」

 呟いたティリスにチッタが木も病気になるのかなーと返す。それは……とティリスが再び口を開こうとした時、ガクが言葉を発した。

「なぁ、あそこに行ってみてもいいか」

 え? っと同時に言ったあたしとティリスは顔を見合わせる。

「なんで? あそこなんかやな感じするぜー?」

 野生の本能か否か、少し嫌そうな顔をしながらチッタが言葉を返す。

「行かなきゃいけないような気がするんだ。頼む、付き合ってくれないか?」

 理由を言わずとも真剣な表情を見せる彼に、私たちは首を縦に振らないわけにはいかなかった。

 彼の美しい琥珀色の瞳がまた少し、陰っているように見えた。


 数十分歩くと、先ほどの枯れた森の端についた。

 近くで見ると樹々の状態はさらに悪いことがよくわかる。

 チッタが構わず森の中に入ろうとすると、スイフトが嘶きその足を止めた。彼はどうやら森の中に入りたくないらしく、ガクの頭の上で寝ていたヴィティアも同様に少し唸り声をあげながら目を覚ました。

「スイフト達にはここで待っていてもらったほうがよさそうね。何かを感じているみたいだわ」

「ああ。……ヴィティア、スイフトのことを守っていてくれるか?」

 話しかけたガクの言葉を理解してか否かヴィティアはみゃ! と一声鳴き、スイフトの頭の上に飛び移った。

 ティリスがスイフトの手綱を近くにあったまだ生きている木にしっかりとくくりつけると、あたし達は再び枯れた森の中へ足を踏み入れたのだった。




 森の中は不吉な雰囲気が漂っていた。

 あたしたち四人が歩く足音だけが不気味に森の中にこだまする。不意にチッタが立ち止まった。

 どうしたの? と私が声をかけると、彼が口を開く。

「なにかいる……」

 彼が煙に包まれたかと思うと、金色の狼の姿に変身した。

 その〈なにか〉を警戒しているらしい。

「気をつけて、チッタが言った通り、森に入った時からずっと、何かにつけられてる……」

「何かって、何?」

 ティリスが口を開こうとした刹那、彼女のすぐ隣を〈何か〉がとても素早く通り過ぎた。一瞬しかみえなかったせいか、それは真っ黒で影のような形をしているようだった。ティリスの長い髪がその衝撃で宙に舞い、蒼から紫に変わった髪先の色がよく見えた。

 今度は〈それ〉がガクの隣を通り過ぎた。

 その正体に気づいたらしいティリスが叫んだ。

「まずいわ、シュラッグシャッテンよ!」

「なにそれ!」

 言葉を返した私にガクが答える。

「影だ! 走るぞ!」

 ガクの言葉に返事をしたチッタが勢いよく駆け出し、私たちもそれを追うように走り出した。文字通り影と呼ばれたそれはあたしたちをまだ追っているらしく、ざわざわとその音が迫ってくるのがわかる。少しでも速度を落としたらきっと取り込まれてしまうだろう。

「どうしよう! にげられないよ!」

 息を切らしながらそういったあたしにガクが俺に考えがある! と言った。

「お前たちは前を向いて走れ! ここは俺がなんとかする!」

 反論しようとしたティリスにガクがいいから!と返し、あたしたちはそれに従う。

 前だけ見てろよ! と再びガクの声が聞こえたその時、後方からとてつもなく明るい光が発せられ、見ていなくてもわかるそのあまりの眩しさに皆一斉に立ち止まり、振り返った。

 そこにいたのは収まった光の中、ガクただ一人で、追ってきていたはずのシュラッグシャッテンは忽然と消えていた。

「何したの! すげー! 魔法? かっこいー!」

 はしゃいで喜ぶチッタにガクがそんな感じだよと言ってごまかしたが、いつもは美しい彼の瞳が一瞬、緋色に見えたように思った。

 気のせいかな?

 そんなことを考えているとガクが再び口を開いた。

「先を急ごう。どうやらシュラッグシャッテン以外にも魔物が潜んでいるらしい」

 遠くから聞こえた獣の唸り声が、不安を掻き立てるように枯れた森に吸い込まれていった。




 少し歩くと森の奥の方には開けた場所があるように見えてきた。と、その時人間姿で歩いていたチッタが何かにつまずいて転ぶ。

「うわ! なんだよお!」

 そういって立ち上がろうとした彼は自分がつまずいたものを見て再び叫び声をあげた。

「チッタ、どうしたの」

 そういってそちらを見やったあたしも思わず叫び声を上げてしまった。大量の動物の死骸。

 中にはまだ息のあるものもあるようだが何十、何百だろうか、ウサギやリス、スペディなどが無残にも倒れていた。

「酷い。……どうして、こんな」

 胸を痛めたように目を伏せるティリスにチッタがさすがに変だよね、と返す。

「スイフトは置いてきて正解だったみたいだわ。大丈夫かしら」

 と、ティリスが言ったその時、ガクがおかしいよ……と呟いたのが聞こえた。

「そうだね、こんなの……」

「違う、違うんだ。この森は本当はこんなんじゃ……」

 私の言葉を遮ったガクは頭痛でも覚えたのか、頭を抑えながらどこかフラつきながら歩き出し、異様な緊迫感を醸し出していた。

「ガク、大丈夫? 具合がよくないみたいだけれど……」

 ティリスの声掛けも聞こえていないのか、彼はゆっくりと先に進んでいく。様子がおかしい彼を心配しながらもあたしたちは仕方なくついていくことにしたのだった。

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