第10話 そこに潜むもの

 あたしたちはアシッドから徒歩で小一時間歩いたところにある洞窟の前まで来ていた。

「ここだ」

 そういって立ち止まったガクの目の前にぽっかり空いた洞窟への道は、まるですべての光を飲み込むように黒く、とても恐ろしいもののように感じた。

「うふぇ~! ここ、なんか変なにおいがするぅ~、魔法かなあ~?」

 勢いよく洞窟を覗いてクンクンと匂いを嗅いでいたチッタが顔をしかめる。

「そう? 何の匂いもしないけれど」

 素直な感想を述べ首を傾げたティリスに否定されたと思ったのか、むっとしたチッタをなだめるようにガクが口を開いた。

「この洞窟、中は鍾乳洞なんだけど。……行こうか」

 その言葉に半ば引きずられるようにしながら、あたしたちは暗い洞窟の中に足を踏み入れたのだった。


 洞窟の中は案の定、真っ暗だった。

 ティリスが用意していた二本の松明をそれぞれ彼女と背の高いガクが持ち、人一人しか通れないような狭い道をティリス、チッタ、あたし、ガクの順で進んでいく。

 道も悪く、転ばないようにゆっくりと歩くのが精一杯で、ぬかるんだ地面が踏みしめるたび嫌な音を立てる。

「あの……こんな危ない場所に本当に村長さんの娘さんはいるのですか?」

 洞窟に入ってから続いていた重苦しい沈黙を破るように、ティリスが声を上げた。

「わからない」

 と、ガクの声が聞こえた。

「……わからない?」

 顔が見えなくとも声の調子で彼女が怪訝な表情をしているのが分かる。

「ああ。勘、というかなんというか……そんな感じなんだよ」

「そんな、もし間違っていたら……」

「大丈夫、たぶんあってる」

 そのあいまいな態度に深いため息をついたティリスが立ち止まり、あっと声を上げた。

「行き止まりだわ」

 彼女が立ち止まったそこは少し開けた場所で、あたしたち四人が横に並んでもまだすこし余裕がありそうなものだった。

「おかしいな、この先、続いてるはずなのに」

 ガクはそういったが道らしきものはどこにも見つからないようで、暗く冷たい洞窟の中で、あたしたちは途方に暮れていた。


「道まちがえたんじゃねーのー?」

 そういいながらチッタはふんふんと、再びその場の匂いを嗅ぎ始める。

「あんまり動くと怪我するわ」

 ティリスが言った瞬間、まるで示し合わせたかのようにチッタが足元にあった石に躓き勢いよく近くにあった岩に激突したようで、派手な音が辺りに響き渡る。

 そして、それとは別に嫌な音がした。

 突然上がった轟音と悲鳴とともに、少し暗闇に慣れてきていた私たちの視界からチッタとティリスの姿が消え失せた。

 お互いの顔を見合わせたガクとあたしは一瞬何が起こったのかわからず、少しの後にハッとして二人が消えた場所に駆け寄った。

 どうやらチッタのぶつかった岩に何か仕掛けがしてあったらしく、それまで平坦だった場所に大きな穴が開いており、二人はどうやらそこから下へと落ちたようだった。


 ふと見ると、私たちが壁だと思っていた場所にも道のようなものが開けていた。

「おい、大丈夫か?」

 ガクが穴に向かって声をかけると、ティリスの声が聞こえた。

「何とか大丈夫です」

「これからどうしよう」

 あたしが不安を訴えると彼女の落ち着いた声が返る。

「道があるみたいだから私たちはこちらを探してみるわ。そっちは?」

「俺たちも道のようなものを見つけたからこっちに進んでみる。もしお互い行き止まりだったらここまで戻ってくることにしよう」

 わかりましたといったティリスの声は何故か楽しそうなチッタのふざけた声と混じり、だんだんと遠ざかって行った。

 かなり奥まで続いているようだ。

「さてと。俺たちも行こうか」

「う、うん……」

 まごつくあたしにどうした? と彼は問う。

「ここから出られなくなったらどうしよう……」

 そう弱気な言葉を漏らしたあたしに彼は困った表情を見せる。

 一緒に行くと言ったのはあたしなのだ。

「とりあえず、先に進もう。たぶんこの先はあの二人の道とつながってる」

「う……うん」

 不安が残る洞窟内を、そうせざるを得ない理由とともにあたしたちは再び歩き始めたのだった。




 少し歩を進めると行き止まりのような場所に突き当たり、壁の少し手前で松明を持っていたガクが立ち止まった。

「どうしたの? また行き止まり?」

 あたしの問いにいや、と彼は首を振った。

「水路だ」

 そういった彼が壁の下の方を照らすと、湖のようなものが露わになる。

 どうやら壁のように見えたのは低く下がった天井だったらしく、湖は水の透明度が高いのか、鍾乳洞特有の尖った岩の形がうっすらとその姿を覗かせていた。

 少し奥に再び陸が続いているのが見えた。

 でもここを通るには……。

「……潜るか」

「潜るのっ?」

 半ば叫ぶように言ったあたしに彼は不思議そうな顔をした。

「も、もし溺れたら……」

「大丈夫だよ、俺がひっぱる」

 それでも……という私に彼は続けた。

「ここで待つ?」

 あたしを気遣ったのだろう彼の言葉で決心がつく。

 潜るのは嫌だけど、一人でこんなところで待っているのはもっと嫌だ。

「あ、あたしも行くっ」

「分かった。……じゃあ行こうか」

 松明は消えないように水面ぎりぎりでガクが持っていくことになったので、ひとまずあたしが預かることになった。


 ガクが水の中に入った音が聞こえた。

 炎に照らされて彼の姿が見える。

「大丈夫、特に魔物とかもいないみたい、少し冷たいけど泳げるよ」

 ガクの水の中に入った半身は真っ黒な水に吸い込まれたように見えなくなっていた。

 彼に松明を渡したあたしは、思ったよりも暗い水の深さに立ちすくむ。

「ユイナちゃん? 大丈夫?」

 怖いなんて言えない。ガクの声かけであたしは水に身を投じた。

 ……冷たい。足がつかないので、必死に立ち泳ぎをする。

 最後に泳いだのなんていつだ、小学生の頃のプール授業だったか、あたしは泳ぐのが苦手だった。

 そんなあたしの事情は知らず、ガクは悠々と先に進んでいく。

「よし、じゃあいくよ」

 低くなって顔は出せなさそうな箇所に差し掛かると、彼が松明をかばいながら潜る。

 続けてあたしも大きく息を吸い、潜った。

 息苦しい中目を開けると、ぼやけた薄暗い水の色が見え、鍾乳洞の尖った岩をゆっくりと避けて進んで行く。

 息が続かない……! と思った瞬間、勢いよく水が動き、強く腕を引っ張られた。

 一気に水面から顔を出し、たくさんの空気を一気に吸い込み、噎せる。

「大丈夫?」

 陸に引き上げてくれたガクの濡れた髪を伝った水が一定の間隔で地面に落ちる。

 投げて飛び込んだのか、松明は地面に転がっていた。

「だ、大丈夫……」

 きっと癖なのだろう。息を整え立ち上がったあたしによく頑張ったよ、と彼は頭を撫でてくれた。


 再び歩き始めたあたしたちは少し変な空気を感じ取っていた。

「空気が悪いな」

「なんか、変だよね。さっきよりもなんだか暑いし……水に浸かったはずなのに」

 そう返したあたしに彼は一つ頷いた。

「多分あともう少しで開けると思うんだけど」

 そう言って一本道を曲がった先には大きなリスのような動物がいた。

「ピッチャーだ」

 そう呼ばれた動物はどうやら寝ているようで、とてもどいてくれるような気配はない。

「どうしよう……これじゃあ通れないよね……」

「大丈夫」

「え?」

 なぜか自信ありげな彼がその動物に近づき、何かを言った。

 すると驚くべきことにその動物は目を開け、何やら一言鳴くとその場からいなくなったのだ。

「すごい! 動物と喋れるの?」

「村には動物が多いからね、慣れてるんだよ」

 半ば興奮したあたしの問いにそう笑った彼の言葉には、それ以上の詮索に対する否定が混ざっているようだった。


 じゃあ進もうかと先ほど塞がっていた道を通り抜けたとき、何かとぶつかった。

「いってぇ!」

 そう言って尻餅をついたのはチッタだった。

「チッタ! 無事だったんだ! よかった!」

「当たり前だろー! 見て見てユイナー! 下でこいつ捕まえたんだぜー!」

 そう言って起き上がりもせずに彼が大きく突き上げたその手には鮮やかな青い色の蛇が絡まっていた。

 私が悲鳴を上げるよりも早く後ろから別の悲鳴が聞こえた。

「えっ?」

 驚き振り向いた先にいた悲鳴の主はガクだった。

「ご、ごめん……蛇は苦手なんだ……」

 動物に慣れていると言っていた彼にしては珍しいような発言にあたしは驚く。

「このまま連れて行ってもしょうがないわ。逃がしましょう?」

 たしなめたティリスにちぇっと悪態をついた彼が蛇を逃がし、彼女が皆に質問を投げかけた。

「これからどうしましょうか」

「とにかく進んでみよう」

 答えたガクに続き、あたしたちはまた歩を進めた。




 少し歩くと、私たち四人が一列にならなくとも余裕がある大きく広けた場所に出た。

 しかし二本の松明で照らす明かりのみではどのくらい広いのかはまだ見当もつかず、なんだか今までよりも暑さが増したような気がする。

 もやもやとした空気が何か嫌な感じを醸し出していた。

「なんか変な匂いがするー」

 チッタがそう言って顔をしかめ、その瞬間、まるでそれに呼応するかのように地響きが起きた。

 何かの咆哮のような音が洞窟内の空気を震わせる。

 動物……?

「何かいるわっ! 気をつけてっ」

 ティリスが焦って飛び退いた場所に、巨大な鉤爪が振り下ろされ、その影響で砂煙が舞い起こり一瞬視界が遮られる。

 何かの魔法か、洞窟内が一気に明るくなり、その攻撃の主が姿を現す。

 鷹の頭に獅子の足を持ったその獣はあたしたちを睨み付けるかのように、その大きな首をもたげたのであった。

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