第21話 新たな来訪者




 ゴブリン捕獲の報道から数日。


 シヴァはその報道のあった日から情報収集に躍起になっていた。



 テレビやネットの情報は全て警察から発表されるものなので肝心な部分は隠されて報道されている。それ故に必要な情報を自分から取りにいかなければならないのであるが、これが思うようには進んではいないのである。


 群れのゴブリンの中から特に隠密に動けるゴブリンを斥候として抽出し、それぞれに情報収集に当たらせたまでは良かった。だが、警察の方もおいそれと情報を取らせはしなかったのだ。


 それ故、時間を追う毎にシヴァの苛立ちは増していった。



 この数日間はそうした状況が続き、何も変わらない状態が続いていた。


 しかし事態は思わぬところから動き出す――



「シヴァ…、偵察が帰ってきた…」


 ソファに座り難しい顔をしているシヴァにムトがそう語り掛ける。


「……その顔だと収穫は無さそうだな」


 それに溜息混じりに応えるシヴァ。


「かなり警戒されてる…。建物の中に入れない…」


「ふん…。いっそのこと、このまま正面突破でもするか?」


 シヴァはそう言いながらソファの背もたれに深く体を預けた。



 ゴブリンを捕獲した警察署の場所はもうすでに把握をしている。しかし、その警察署の警備が思いのほか厳重なのである。


 ゴブリン一匹といえどもその中に侵入する事は容易ではなく、シヴァたちはその厳重な警備の前に手をこまねいている状態のままだった。


 せめて警察署内のどこに留置されているのかが分かれば作戦の立てようもあるのだが、その情報は未だシヴァの下にはやってこない。



「あー、どうするかねぇ…っと」


 シヴァは溜息を吐きながら、テーブルの上のから揚げへと手を伸ばす。そしてその唐揚げをぺろりと口にほおばると、ゆっくりと味わうように嚥下した。



 その口の中に残る肉の脂や旨味の余韻に浸りながら、シヴァは天井を仰ぎ見る。


 あれこれと思考を巡らすシヴァであるが、しかし何か良い案を思いつくわけでもなく、また大きな溜息を一つ吐いた後さらにもう一つの唐揚げへと手を伸ばすのだった。



 シヴァはこの世界にやって来た日に食べた唐揚げを甚く気に入っていた。食料調達の際には必ず唐揚げを持ち帰るようにゴブリン達に言うほどである。


 最近では唐揚げの材料を調達させて、最初に捕獲した人間であるポチに唐揚げを調理させる事もしている。しかしポチは調理師でも何でも無いのでコンビニの唐揚げの方が味は遥かに上物だったりするのだが、それでもシヴァはポチに唐揚げを作らせる事をやめはしなかった。


 この、ゴブリンの群れに馴染んできたポチではあるが、近ごろ新しく仲間が加わった。先日シヴァがとある人間の事務所に押し入って攫ってきた人間たちである。そのうち何人かは殺して食料とし、優秀そうな3人を残しポチの仲間とした。


 ちなみに、この人間たちはポチ1号からポチ4号と名付けられ、毎日ゴブリン達の雑用に従事している。



「今日のは…良い出来…」


 ムトは唐揚げを一つ口に運ぶと、咀嚼しながら感想を述べた。


「ムト…。まったく、呑気に食ってる場合じゃないぞ」


 シヴァはムトの姿に嘆息しつつ、もう一つの唐揚げへと手を伸ばす。



 そして静まり返る室内。



 二人とも暫くは黙って唐揚げを食べていたが、そのうちムトがぽつりと口を開いた。


「正面突破…したらどうなる…?」


「んー。十中八九、罠を仕掛けられてるだろな」


「罠…?」


「ああ。報道は最初の日以来、鳴りを潜めるように新しい情報を伝えなくなっただろ? ゴブリンを別の場所に移動させるなんて話も出てこない。これはどう見ても俺たちを誘ってやがるとしか思えんからな」


「ふむ…なるほど……」


 ムトは顎に手を当て考え込む。



「……お前、ほんとに分かってるのか?」


「ふっ…」


「ふっ、じゃないんだよ。ふっ、じゃ…」


 シヴァはやれやれと嘆息するのだが、次にムトが言った事に目を丸くする。


「こういう時は…、奇襲すればいい…」


「お、おう、そうだな…。こいつ…、たまにまともな事言うな……」


「ふっ…」


 ムトは鼻を鳴らし、勝ち誇ったような表情を浮かべた。



「まあでも、事はそんなに都合よくはいかないんだよな…」


「……?」


「この世界はあちこちに監視カメラがあるから街中を移動するだけでも一苦労だろ? 偵察するくらいなら監視カメラの目を掻い潜れるが、警察に奇襲をかけるとなるとな……」


 もちろん警察署内には武器も取り揃えられている。警察の待ち構えるところに飛び込んで銃の一斉掃射でも食らえば、いくらシヴァといえど一溜まりも無い。或いはそうならなかったとしても、迂闊に飛び込むのはミイラ取りがミイラとなりかねない。


 しかし、警察署内に侵入出来ないのだしたら奇襲をするのも悪くない。


 シヴァもそう考えていたのだった。


「んー。何とかして警察の目を逸らせればな……」


「……目を逸らす?」


「ああ。例えばだ……、警察署の近くでムトが人間を殺しまくるんだ。そうするとお前を捕まえる為にわらわらと警察が出てくるだろ? んで、警察署内が手薄になってる隙に潜り込むって作戦よ。どうだ?」


「いやだ。絶対やらない」


 シヴァの言う事を拒否するよに、ムトは顔を背けた。



「何だよ、数人やって逃げるだけだぞ?」


「いやだ。だったら…シヴァがやれ」


「お前、俺の眷属だろ。ちょっとは言う事聞けよ、まったく…」


 相変わらず眷属らしからぬムトに嘆息するシヴァ。


 とはいうものの、シヴァはムトとのこの遣り取りを嫌っているわけではない。むしろ腹蔵なく何でも話す事を心地よく感じてもいた。



 そんなムトとの会話であるが、これといって良い案がまとまる事も無く、無駄に時間だけが過ぎようとしていた。


 そんな時である。



「あ、あの、シヴァ様…」


 一人の男がシヴァたちのいる部屋へと入ってきた。


「あ? なんだポチ1号か。どうした? まあ入って話せ」


「はい…」


 その男とはポチ1号。シヴァたちゴブリンを襲いに来て返り討ちに遭い、最初の下僕となった人間である。



「おい1号。今日の唐揚げはなかなかだったぞ、褒めてやる」


 シヴァはそう言いながら唐揚げを一つ摘まみ、ぺろりと一飲みした。


「は、はぁ、ありがとうございます。それよりも大変な事が……」


「なんだ? 何かあったのか?」


「ええと、それが何と言っていいのか……」


 何やら口籠るポチ1号。その態度にシヴァは苛立ち声を荒げる。


「おい、はっきり言え! 何があった!?」


「ああ…えと…、テレビを見てもらえますか? 大変な事が起こってるようで……」


「テレビ…?」


「はい、多分見てもらったほうが早いです」



 何やら神妙な面持ちのポチ1号、その表情からは確かに普通ではない事態が起こったのだろうと窺う事ができた。


 それを感じ取ったシヴァは「わかった」と一言発し、ムトと共にテレビのある部屋へと向かうことにした。






 その部屋に入った瞬間にそれは目に飛び込んできた。


 点けっぱなしになっていたテレビの画面。そこに映り込んでいたものに、シヴァたちゴブリンは驚愕させられたのである。



『突如現れた謎の生物に警察も近づく事が出来ない模様――』



 慌ただしく状況を伝える声がテレビから聞こえてくる。その声の様子からは、この世界の人間にはそれが何であるかはすぐには分からない様子であった。


 しかし。


 シヴァたちには、それが何者であるかを一目で見て取れたのだった。



「こ、こいつは……」


 全身に毛が多く3mを超えるかと思われる巨大な体躯。片手に持った大きな戦斧を軽々と振り回す強靭な肉体。


 そしてさらに際立って目に付く特徴がもう一つ。


 人間のようなその肉体の上部、そこにまるで牛のような見た目をした頭が乗っかっているのだ。その異様ともいえる形貌は見るものに恐怖を与え、その足を竦ませる。


 それはまさに化け物というに相応しい姿だった。



 その化け物の正体というのは――



「ミノタウロス……」



 牛頭人身の魔物、ミノタウロス。


 主に迷宮などに生息し、シヴァたちの世界でも滅多にお目に掛かる事の無い魔物。強靭な肉体の上に知能もあり、人間がこの魔物を狩る際には多人数による部隊を組んでこれに当たる場合が多い。


 そんなミノタウロスであるが、もちろんこの世界にそんな魔物は神話の世界にしか存在しない。現実にはいるはずのない生物である。しかし、その魔物が今そのテレビの向こうに映し出されているのである。


 これにはシヴァたちも驚きを隠せないでいた。



「どういうことだ…? 何故ミノタウロスがこっちの世界に……」


 シヴァは誰に言うとも無くそう呟いた。


(あいつの仕業か…? いや、そんな筈は……)



『まるで牛のような頭の謎の生物ですが、目撃者の情報によりますと急にあの場に現れたとのことで、それ故に混乱が一層大きく――』



 そのテレビから聞こえてくる声にシヴァたちは確信する。


「シヴァ…、こいつも…?」


「ああ、こいつも転移してきたんだろう。俺たちと同じように……」


 シヴァとムトは、そう言いながらテレビ画面に映るミノタウロスの姿に固唾を呑んだ。



「ミノタウロスって……、本当にいるんですね……」


 ここでポチ1号が独り言のようにそう言った。


「知ってるのか、ポチ?」


「い、いえっ。そんなに詳しくは無いんですが、言われてみればと思いまして…」


「そうじゃなくて、何で知ってるのかって訊いてんだ」


 意図したものとは違う返答だったので、シヴァの声には少し苛立ちが混ざった。


「え、ええと、ファンタジー小説とかゲームでは定番のモンスターでして…。すいません、これ以上の事は何も知らないです」


「ふん、なるほどな…。こっちの神話が元になってるんだったか?」


「はい、確かそうです。ギリシアだか北欧だとか、その辺りだったと思います」


「ふーん、そういや俺たちゴブリンの事もこの世界の伝承にあるんだったな……。こっちの神話と俺たちのいた世界の奇妙な合致か…、一度調べてみるのも面白いかもしれないな……」



 シヴァたちのいた世界とこの世界の神話の世界。この二つの世界の相似性にシヴァは少し興味を掻き立てられていた。


 しかしいくら考えても、あまりの情報量の少なさに仮説すらまともに建てられなかった。そもそもシヴァには自分達のいた世界の人間の物語に関する知識が乏しく、比べる材料が少なすぎるのである。


 現状で分かる事といえば、魔物という存在が奇妙に一致しているという事くらいだった。



 シヴァがやれやれと溜息を一つ付いていると、ムトがシヴァに問いかける。


「シヴァ…、こいつ…どうする?」


「ん? ああ、そうだな…。こんなやつがいると……ん?」


 ここでシヴァは先程の話を思い出した。


「ひょっとして……。おい、1号。こいつがいる場所はどこだ? ここから近いのか?」


「ええと、近くは無いですが……。あ、ほら、例の警察署の近くですよ」


「仲間が捕まってる所か?」


「はい、そうです」


 それを聞いたシヴァの口角が不敵に上がる。



「おいムト。どうやらツキは俺たちの方にあるようだな」


「……?」


「見ろ、ミノタウロスが暴れてるおかげでかなりの数の警察がここに集まってる。という事はそのぶん警察署内は手薄になってるはずだろ?」


「おお…、さっき言ってたやつ……」



「ああ、お誂え向きってやつだな。よし、そうと決まれば――」



 これを好機と見たシヴァはそう言いながら踵を返す。



 そして――



「何匹か集めろ! 今すぐに向かうぞ!」



 そう叫び、まるで風が吹き抜けるようにその部屋を後にするのだった。






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