第18話 襲撃

 

「くっそぉ! 寝顔見たかったぁー!」


 血の涙を流しながら、頼丸が叫び声をあげる。人が行き交う公衆の面前で悔しげに叫ぶ頼丸ははっきり言って迷惑だ。通行人の数名がキッと睨んだが、すぐに興味を失って歩き去る。

 怒りと怨嗟と嫉妬の眼差しで隣を歩く親友に話しかける。その声は、地獄から響いてくるようなとてもとても低い声だった。


「なあ、一回斬り殺していいか?」

「やめろ。死ぬから」

「ちくしょー! なんでお前ばっかり良い目に遭ってんだぁー! 俺にもちょっとくらい分けてくれよぉー!」


 男の嫉妬は面倒くさい。嫌そうに顔をしかめた羅刹らせつは、うるさい親友から距離を取る。

 今日一日、羅刹は保健室で授業をサボり、眠る桃仙ももせに付き添っていた。ついでに紅葉くれはにも。ベッドで気持ちよさそうに寝る美少女二人の寝顔をずっと観察していたのだ。

 そのことに、頼丸は怒りを覚える。せめて、寝顔はどうだったのか詳しく聞かないと一人だけ良い思いをした親友を許せそうにない。


「……詳しく聞かせろ」

「拒否する」

「何故だぁー!?」

「うるさい。迷惑だ」

「知るか! 呪ってやる! もげろ! 爆発しろぉー!」


 振り回される荷物を羅刹は必死で避ける。教科書が入っているため、当たったら大変なことになる。打撲は確実だ。

 それに、頼丸は鬼狩りの一族だ。本当に呪いを知っている可能性がとても高い。


「わかった! 少しだけ話すから!」

「おう!」


 途端に大人しくなって静かになる頼丸。早く早く、と無言で羅刹を急かす。


「まあ、可愛かったな。寝ると幼く感じる」

「それでそれで?」

「いや、それだけ」

「もうちょっとないのかよ! なんかこう、睫毛が長かったとか、頬を突いてみたとか、唇の感触とか、寝言がどうだったとか!」


 そう言われても、手をガッチリと握られていたから触れなかった。寝言も何もなく、桃仙はただひたすら眠っていたのだ。死んでいるのかと何度か呼吸を確認したほど。


「可愛いというなら、鬼無里きなささんのほうが可愛かったぞ」

「あっ、そっちは全然興味ないんで」


 真顔で話を拒否する頼丸。恋愛対象どころか異性として見ていない気がする。

 寝ている時の紅葉は、普段のクールさとはかけ離れて、ただただ可愛かった。むにゃむにゃと口を動かし、寝返りを打って、はふぅー、と可愛らしく息を吐く。猫のように身体を丸め、枕にグシグシと顔を擦る。

 目覚めて目があった瞬間枕を投げつけられたが、それでもお釣りがくるほど可愛かったと羅刹は思う。ギャップに萌えた。


「あの鬼女きじょを可愛いと思うなんて目が悪いのか? それとも、脳が悪いのか?」

「だから何でそんなに当たりが強いんだよ」

「いやでも、一つだけ鬼女が羨ましい」

「ほう。珍しいな」

「あのマドンナの桃仙ちゃんと一緒に暮らせる! 着替えも一緒で、お風呂も一緒で、布団の中まで一緒に居られるんだぞ!」


 羨ましいぃ、と人目をはばからず頼丸は血の涙を流す。心底悔しそうだ。

 お前はいつでもブレないな、と羅刹は呆れを通り越して感心してしまう。折角のイケメンが台無しだ。そういうところがなかったらモテるだろうに。


「っ!?」


 うがぁー、と往来に座り込んだ頼丸が、突然、弾かれたように立ち上がる。うっ、と小さく呻き声を漏らし、腕を押さえながら、今歩いてきた方角とは逆の空を睨む。


「どうした?」

「今、紅葉と桃仙ちゃんを監視していた式神の反応が消えた」


 式神と接続が切れたことにより、頼丸に反動が襲ってきたのだ。電撃を浴びたように腕が痙攣しているのはそのせいだ。

 紅い瞳を鋭くさせた羅刹が、頼丸の肩を掴む。


「反応が消えた場所はどこだ!?」

「案内する」


 二人は地面を蹴りつけ、空中へと舞い上がる。



 ▼▼▼



 頼丸の式神の反応が消える少し前、桃仙は紅葉と一緒に下校していた。

 一日中眠っていたことにより、睡眠不足は少し解消された。万全には程遠いが、頭はスッキリしている。体の怠さは寝過ぎたせいだ。

 寝顔を見られたとプンプン怒る紅葉をなだめていた時、突然、紅葉は桃仙の手を掴んで立ち止まった。


「ふぇっ? ど、どしたの?」

「シッ!」


 黙れ、と冷たく睨まれて、桃仙は咄嗟に自分の口を塞ぐ。

 周囲の気配を探る紅葉と周囲を護衛していた鬼無里家の鬼狩り。

 風はない。無風状態。六月という梅雨時期。空はどんよりと曇り、湿った生温かい空気が淀んでいる。

 ゴクリ、と桃仙が喉を鳴らした。その瞬間、猛烈な妖気が立ち昇る。


「……囲まれていますね」


 どこからともなく出現した鬼たち。キャハハ、と笑い、手を叩き、足を踏み鳴らし、握った武器を地面に打ち付ける。

 大きい鬼から小さい鬼。総勢は百を超える大群だ。鬼が群れを成し行軍する。それすなわち―――


「百鬼夜行」


 鬼狩りの間に緊張が走る。鬼から漂う鬼気と言うべき力は、並大抵のものではない。全力で戦っても生き残れるかどうか。


「これほど強力な鬼たちが出てくるとは……」


 紅葉はスラリと自らの妖刀を抜き去り、桃仙を背中に庇って鬼たちを睨む。

 遠くで悲鳴が上がった。通行人たちが怯えて逃げ惑う。それはまるで鬼の姿が視認できているかのよう。


「えっ? なんで普通の人に鬼が見えているの?」

「鬼たちが一ヶ所に集まっているせいです。妖気、鬼気、魔力……言い方は何でもいいですが、鬼が発する力が集積しているんです」


 所謂魔力溜まりというやつだろうか、とラノベ脳の桃仙はそう解釈する。

 ここに留まっているのは分が悪い。戦ったとしても周囲には無関係の一般人が多いのだ。彼らに被害を出すわけにはいかない。鬼が人を捕らえ、盾とする可能性も喰う可能性もある。それだけは防がねば。

 よく確認すると、鬼の包囲も完璧ではない。警戒が薄い場所がある。更に、知能が低いのか、仲間割れが起き始めている。その混乱に乗じてこの場を脱出する。


「桃仙さん、手を。走って逃げます」

「う、うん。わかった」


 少し怯えたものの、覚悟を決める桃仙。このままだと死ぬか犯されるのだ。ならば、死ぬ気で走った方が良い。


「家へ連絡は?」


 紅葉は護衛の鬼狩りに問いかける。


「応援を要請したところです。すぐに駆け付けるでしょう」

「緊急用の式神を放ちなさい。余所の家がどうのこうの言っている場合ではありません。周囲の鬼狩りを呼びなさい!」

「は、はい!」


 鬼有里おにゆり町の全鬼狩りに緊急事態を知らせる式神を打ち上げる。しかし、上空で赤い光を放つ前に、その式神は撃ち落された。

 拳大の石を投げ当てた大柄な鬼がニタニタと笑う。


「ちっ! 皆さん、良いですか? 三、二、で行きますよ」


 その場にいる全員が頷く。


「三!」


 大柄な鬼が石を投擲する。鬼の力で投げられた剛速球はプロ野球選手の球を超えて、空気を切り裂きながら桃仙ではなく、鬼狩りの紅葉を狙う。

 避けると他の人に当たる。ならば、と紅葉は妖刀を石に掠らせ、そのまま力に逆らうことなく軌道だけを僅かに逸らす。まさに神業。絶技。軌道が逸れた石は鬼の群れの中に飛んで行った。


「二!」

「わわっ!?」


 鬼狩りたちは一斉に駆けだした。煙幕や閃光弾を使用し、進む先の鬼を斬り伏せて道を無理やり作る。

 一人桃仙だけ出遅れたが、紅葉が手を引っ張ったため、何とかついて行くことが出来た。

 鬼たちは混乱している。喧嘩も始まっているようだ。その隙に、包囲網の穴を駆け抜けた。


「足を動かしてください、桃仙さん!」

「わ、わかってるよぉ~! どうしていきなり走り出したのぉ~!?」

「私は『三、二』で行くと言いましたよね!?」

「そういうことぉ~!? そこは零で行く流れだと思うよ!?」

「ある程度知能を有する鬼もいるんです! 先に説明しておくべきでしたね」


 先回りしていた鬼の一団が目の前の道を塞いでいる。紅葉は桃仙の手を掴んで横の道に飛び込む。

 今は足を止めて無駄な戦闘をしている場合ではない。少しでも動き回りつつ、鬼無里家の応援と合流したいところだ。


「こっちです!」


 また回り込まれている。しかし、鬼にそこまで知能はないのか、完全に封鎖されていない。鬼が少ない道を無理やり押し通る。

 時折屋根の上から飛び降りてくる鬼を斬り捨てる。妖刀血吸いがドクドクと血を吸って妖しく脈動。血の臭いが濃くなり、切れ味を鋭くする。


『キキキッ!』

「邪魔です!」

『キキャ!?』


 片手で一刀両断。鬼は黒い霞となって消えた。


「さあ、こっちです!」

「はぁ……はぁ……わかって、る……!」


 普通の女子高生の桃仙は息を荒げ、限界に近い。全力疾走など体育の授業でも滅多にしない。ましてや長距離走だ。酸素不足。体力不足。

 肺が痛い。お腹が痛い。頭が痛い。足が痛い。身体が鉛のように重い。

 それでも桃仙は走り続ける。


「死にたく……ないよぉぉおおおおおおおおお!」

「その意気です」


 限界を超えた火事場の馬鹿力。死ぬことへの恐怖が桃仙の身体を動かす。

 見た目など気にしない。誰も気にする余裕はない。髪を振り乱し、汗を垂らして必死に逃げる。


「右に行きます!」


 紅葉が声をあげた瞬間、鬼たちが一斉に右を警戒する。なので、左に曲がる。

 右に曲がる気満々だった桃仙は、紅葉に左に引っ張られた。


「右って言ったじゃぁぁあああああん!」

「すいません。こういう場合は逆へ行くことになっています」

「私、聞いてないよぉぉおおおおおお!」

「今言いましたから」

「早く言ってよぉぉぉおおおおおお!」

「では、次は左に曲がります」

「うん! ……って、本当に左? 逆に行くから右? えっ、どっち?」


 混乱する桃仙を紅葉は手を引いて走る。

 しばらく走ると、鬼たちの包囲網を突破したのか、前方から鬼の姿が消えた。安心しつつ、背後から追ってきているであろう鬼たちから逃げるため、足は止めない。


「た、助かった……の?」


 鬼の気配はない。気が緩んだ瞬間、景色が遠ざかった。

 一歩前まで普通の街並みだったはずなのに、ある境に踏み入れた瞬間、景色が背後へと遠ざかり、周囲が暗闇に包まれる。そして、前方から琥珀色の景色が襲い掛かってきた。

 瞬きの一瞬。それだけで周囲の景色が様変わりする。

 黄昏の寂れた農村。田園風景と山。令和の現代には珍しい古の光景が広がっていた。

 ここは変わることのない永遠の夕暮れの世界。


「ここは……? さっきまで明るかったよね?」


 キョロキョロと辺りを見渡すが、どこも見覚えのない景色だ。草も地面も古びた建物も木も山も空も不気味なオレンジ色に染まっている。

 鬼狩りたちが桃仙を取り囲み、全方位を警戒している。警戒レベルを明らかに跳ね上げている。


「罠でしたか。見事に誘い込まれました」


 景色が揺れ、どこからともなく大量の鬼たちが出現する。全員がニタニタといやらしい笑みを浮かべている。不愉快な甲高い笑い声が耳障りだ。


「紅葉ちゃん? ここはどこ?」


 現実逃避をするために聞いてみる。でも、桃仙はすぐに聞かなければよかったと後悔した。


「ここは鬼界きかい。鬼の棲む世界です」


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偽人闇鬼の為人 ブリル・バーナード @Crohn

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