第16話 鬼無里家

 

「おぉぉおおおおおお! いいよぉ~! この『ザ・和』って感じがとてもいいよぉ~!」


 周囲からのドン引きした視線を諸共せず、一人、柊姫ひいらき桃仙ももせは奇声をあげながら武家屋敷に飾られている甲冑や着物の写真を撮る。

 屋敷に住んでいる鬼無里きなさ紅葉くれはによると、どちらも数百年前に使用された歴史的価値の高い実物らしい。

 立て掛けられた日本刀や薙刀や、壁の掛け軸が映り込むように画角を調整する。

 ここは鬼狩りの一族である旧家の鬼無里家の屋敷である。


「柊姫さん、中にズボンを穿いているとはいえ、スカートには気を付けた方が良いと思います」


 突然始まった奇行に圧倒されていた紅葉がやっと現実世界に復活し、肉付きの良い素足を露出しながら写真を撮るクラスメイトに注意をする。年頃の乙女なのだから気を付けて欲しい。

 そんな桃仙は畳に寝転がり、ローアングルから写真を撮影していた。身体を安定させるために足を大きく広げている。


「ちょっと待って…………よしっ! これでオーケー!」


 良い写真が撮れたのだろう。撮影した写真を確認し、ふへへ、と乙女が出すのは憚られるいやらしい笑い声を漏らす。涎が垂れそうだ。

 クラスメイトの奇行にもう見ていられず、紅葉はそっと目を逸らした。


「おっと、涎が」


 クラスのマドンナと呼ばれる美少女が涎を拭う。現役女子高生にあるまじき姿だ。これはもうただの中年のエロ親父である。

 そこに、和服を着た女性がやって来た。旅館の女将のような女性だ。

 スチャッとカメラを構える桃仙を手で遮る紅葉。


朱天しゅら様、柊姫様、湯あみの準備が整いました」

「感謝します」


 一礼すると、その女性は奥に下がった。


「湯あみ……お風呂だそうです。どうします? 一人で入りますか?」

「一緒に入りたいです! お泊り会みたいだし!」

「そうですか。わかりました。ではご一緒に」

「うん。一つ聞きたいんだけど、どうして鬼無里さんはシュラ様って呼ばれているの?」

「それはお風呂に移動しながらお話しましょうか」


 時代劇に出てきそうな磨き上げられた板張りの廊下。

 迷子になりそうなほど大きな屋敷を案内しながら、紅葉が話し始める。


「朱色の天と書いて『朱天しゅら』と読みます。まあ、そのままの意味ですね。綺麗な朱色の夕暮れの空の時、私は生まれたのです。だから朱天しゅら

「ほほう!」

「家では様々な呼び方で呼ばれます。朱天しゅら様、朱天しゅら姫様、姫様、お嬢様、お嬢、などなど。名前の紅葉くれはは逆に呼ばれませんね」


 ほへぇー、と桃仙は驚く。やっぱり旧家のお嬢様なんだなぁ、と改めて実感する。


「それに紅葉くれはというのは呼びにくい理由がありますし」


 何故、と桃仙が思った時、紅葉は立ち止まった。どうやらお風呂に到着したらしい。

 時代劇に出てきそうな屋敷にも驚いたが、男女別に分かれたお風呂に更に驚く。ここは温泉旅館だろうか?

 二人は『女』と描かれた暖簾をくぐると、広い脱衣スペースと着替えを入れる籠が収められた沢山の棚。


「もうここは家じゃなくて温泉旅館だよ……」

「良く気づきましたね。本物の温泉ですよ」

「嘘でしょ!?」


 桃仙は驚愕する。紅葉は至って真面目な顔で、冗談を言っている様子はない。本当に温泉らしい。

 確かに、漂う空気には水道水のお湯にはない温泉の独特の香りがする。

 着替えは用意してあるようだ。至れり尽くせり。この家に住んでいると堕落してしまいそうだ。

 二人はスルスルと服を脱ぐ。少しだけ気恥ずかしさを感じつつも下着に手をかける。

 その時、桃仙は気付いた。


「えっ? サラシ?」


 視線の先には、服を脱いだ紅葉の姿がある。長身スレンダーのモデル体型な紅葉の上半身に巻かれた白い布。それはブラではなく古風なサラシだった。

 可愛さは無いものの、細身の体を締め上げるサラシはどこかエロい。剥き出しのお腹が可愛い。

 不意打ちの和風に桃仙は打ちのめされた。


「写真……撮りたい」

「ダメですよ。流石にこれは恥ずかしいです」

「ちょっとだけ! ちょっとだけだから! 私一人で楽しむだけだから!」

「全然信用できない言葉ですね」


 クスクス笑って、紅葉はサラシに手をかける。手慣れた手つきで布を緩めた。

 その瞬間―――サラシが弾け飛ぶ。


「ふぅー。楽になりました。きついけど巻いていたほうが動きやすいんですよね」


 サラシでギチギチに締め付けられていたものが緩む。スレンダーを装っていたその大質量な二つの双丘が今、解放された。

 女性の象徴がプルルンと弾む。


「バイン……バインって音がしたよぉ……!」


 大きさは桃仙と同じくらいか少し大きいくらいだろう。でも、彼女のほうが長身なので身体のバランスが良く見える。

 一日中押さえつけられていたにもかかわらず、形は崩れず、張りや柔らかさは損なわれていない。美しき巨乳。

 親友の彩世あやせが触りたくなる気持ちも納得だ。揉みしだきたい。


「身体が冷えますよ?」

「ああ、うん。そだね」


 桃仙の中のエロ親父心は先に制止されてしまった。今は我慢し、下着をぬぎぬぎする。

 タオルを持って浴室へ。

 そこは木の香りが充満する立派な檜風呂が広がっていた。


「…………」

「どうしましたか?」

「い、いや、驚いただけ。なにこれ、お金持ち過ぎない?」

「そうでしょうか?」


 絶対にそうだよ、と桃仙は引き攣った笑みを浮かべる。このお風呂だけで一体いくらの維持費がかかっているのだろうか。想像もしたくない。

 かけ湯をして、身体を洗うために椅子に座る。


「あ、洗いっこしない?」


 目を見開き、手をワキワキさせながら桃仙は紅葉に近づいた。心なしか鼻息も荒い。


「……ええ、いいですよ」

「やった!」

「変なことはしないでくださいね。叩きますよ」

「変なことってなんだろうなぁー?」


 すっ呆けた桃仙はボディソープを泡立たせて、傷一つない綺麗な紅葉の身体を優しく洗い始めた。


「で、何カップ?」

「……揉みながら聞くのは止めません? ボディソープでヌルヌルしてるのですが」

「ヤバい! 新しい扉が開きそう!」

「全力で閉めて鍵をかけてください!」

「わかってるよぉ~。それで?」

「……Eです」

「おぉー! きょぬーではありませんか!?」


 興奮してモミモミと泡でヌルヌルした手で紅葉の巨乳を揉みしだく。紅葉は身を捩りながら抵抗しつつ目をパチクリさせる。


「きょ、きょぬー?」


 桃仙の言い方が珍しかったらしい。

 ちなみに、これは彩世が桃仙の胸を揉みしだく際によく使う言葉がうっかり出てしまっただけであった。


「見たところ、柊姫さんも私と変わらないと思いますよ」

「私はEに限りなく近いDくらいだからね。鬼無里さんのほうが大きい! いやー実に揉みごたえがある!」

「そろそろいい加減にしてください」


 ペチリ、とセクハラする手を叩き落とした。ごめ~ん、と舌を出して謝った桃仙は普通に洗い始める。

 今度は桃仙の身体を紅葉が洗う。反撃として胸を執拗に洗ったのは言うまでもない。

 美少女二人が仲良く身体を洗い、洗顔や髪まで手入れを施し、やっとお湯に浸かって温まる。広い湯船だが、ピッタリと肩をくっつけて入る二人。


「ほへぇー。いい湯だねぇ」

「そうですね。お風呂が一番落ち着く時間です」


 普段は真面目でクールな紅葉が、浴槽にもたれかかってへにゃりと脱力している。気が抜けて大人びた綺麗さが引っ込み、年相応の可愛さが表に出てきて幼く感じる。

 濡れた長い髪をお湯に触れないようにまとめている。露出した火照った肩や首筋が色っぽい。

 同性の桃仙でも危険を感じる可愛さだ。


「と、閉じろ! 新たな扉!」


 真っ先に思い浮かんだ羅刹らせつの水着姿を思い出して事なきを得る。

 そこで彼の鍛え上げられた盛り上がる筋肉や割れた腹筋を思い出してしまって、別の扉が開きかけたのは別のお話。


「ねぇー?」

「なんですか?」

「紅葉ちゃんって呼んでもいい?」

「ええ、いいですよ」

「やたっ! 私のことも下の名前でいいからね!」

「では、桃仙さんと呼ばせていただきます」


 紅葉ちゃん紅葉ちゃん、とご機嫌に何度も口ずさむ。いつもクールで孤高に感じていた紅葉と親しくなることができて桃仙は嬉しく感じていた。


「さっき、家の人が紅葉ちゃんの名前を呼びにくい理由があるとか言ってなかった?」

「ええ、言いましたね。実は、鬼無里家の開祖様は同じ漢字で『モミジ』と読む名前の御方なんです」


 そう言って、紅葉は鬼無里家の歴史を語り始める。


「平安時代中期、今から約1000年前、たいらの維茂これもち様が鬼無里……現在の長野県ですね、そこに出没した美しき鬼『紅葉もみじ』を討伐したのが始まりです」

「鬼……?」

「ええ、鬼です。伝説では退治したことになっていますが、たいらの維茂これもち様は紅葉もみじ様を倒さず、美しかった彼女と交わりました。そして、紅葉様はお二人のお子を出産しました」

「まさか!?」

「はい。人間と鬼のハーフの二人の子。人間の血が濃い方が『平』、鬼の血が濃い方が『鬼無里』と姓を名乗り、代々鬼狩りを務めています。表立って動き、他家とのやり取りや事務方面で鬼狩りのサポートをするのが『平家』、鬼と直接戦うのが『鬼無里家』です。一応、鬼無里家は平家の分家と名乗っています」

「ということは……」

「私も鬼の血を引いているということです」


 あっけらかんと述べられた突然の衝撃の事実に、桃仙は固まら……ない!

 ずいっと目を輝かせながら紅葉に詰め寄った。顔が近い。


「角! 角出せるの!?」

「つ、角ですか? そこまで鬼の血は濃くありませんよ。多少力が強いくらいです」

「なぁ~んだ。触らせてほしかったのに」


 残念、とガックリと肩を落とす桃仙。急上昇したテンションが一気に急降下した。


「そんなに触りたかったのですか?」

「うん! 阿曽媛あそひめ君は触らせてくれたの! 長くて、太くて、大きくて、硬くて、熱くて、ビクビク脈動して、反り立っていて、すごく立派だったなぁ。何とも言えないコリコリさが癖になりそうなの! また今度お願いして触らせてもらおっと!」

「……それは角の話ですよね?」

「そだよ?」


 桃仙はキョトンと首をかしげる。うっとりと陶酔した表情も、誤解を招く表現も、彼女は何一つ狙っていないし気付いていない。全て素だ。

 どうやら、紅葉は別の何かを連想したらしい。その想い浮かべた『何か』とは、彼女だけの秘密である。


「桃仙さんは変わっていますね」

「そうかなぁー? 普通だよ普通」


 和服に興奮する桃仙。鬼に殺されかけたにもかかわらず、鬼の角に興味を抱く桃仙。更には鬼嫁。

 普通という言葉の意味を考える紅葉。普通って何だろう?

 後で辞書を引くつもりである。


「話を戻しましょう。鬼無里家開祖の紅葉もみじ様と私、紅葉くれは。読み方は違うけれど漢字は同じなので名を呼ぶのが憚られる、という理由で家の者からは下の名前を呼ばれません」

「じゃあ、なんでそんな名前を付けたのかな?」

「開祖様が名付けたそうですよ。自分によく似ているから紅葉くれはと。実際、私は開祖様と瓜二つです。双子の姉妹みたいに。朱天というのも開祖様が言い始めたことらしいです」

「生きてるの!? 開祖様って1000年以上前の人でしょ!?」

「鬼ですから」

「……なるほど!」


 鬼という一言で全て納得してしまう。鬼の存在を知って数日なのに、違和感を感じないくらいどっぷり染まってしまった自分に桃仙は軽く絶望する。


「鬼狩りの主要な家は半分以上鬼の血が流れています」

「えっ!? そうなの!?」

「はい。規律ルールを破った鬼を討伐する鬼の組織、それが鬼狩りの始まりです。元々鬼が鬼を狩る自治組織だったのです」


 それがいつしか鬼の血を引く人間が役目を引き継ぎ、自分たちで人間を守るようになった。現代まで受け継がれているのが『鬼狩り六家』だ。

 鬼無里家のように開祖がいて、正しい歴史と古き教えを伝え続けている家はいいが、他家には歪曲した教えを受け継いでいる家もある。鬼は絶対悪、全て滅ぼせと考える過激派はどの時代にもいる。


「だいたいこんなところでしょうか?」


 鬼無里家とついでに鬼狩りの歴史をざっと説明し終わった。今までの歴史を詳しく話すと一日では終わらない。客人に対するざっくりとした説明ならこれくらいでいいだろう。


「何か質問はありますか?」

「はいはい! 紅葉ちゃんに好きな人はいますか?」

「脈絡! 話の脈絡がなさ過ぎです! 好きな人はいません!」

「あっ、律儀に答えてくれるんだ。真面目だねぇ。でも、お泊り会の定番の話題でしょ! 恋バナ!」

「話題転換が急すぎるんですよ……そういう桃仙さんはいらっしゃるのですか?」


 いないよ、と答えようとして、桃仙の頭にぽわ~んと羅刹の顔が思い浮かんだ。無意識に顔が赤くなる。これはお風呂でのぼせたせいではない。


「桃仙さん?」

「はっ!? い、いないよ! うん、いない! いない……はず!」

「何故自信なさげなんですか。もしや……?」

「いないから! 違うから! 吊り橋効果だからぁ!」

「それ、認めていませんか?」

「うがぁー! 違うよぉー!」


 誤魔化すために桃仙は紅葉に飛び掛かった。不意を突かれた紅葉は桃仙と一緒にお湯の中に沈む。

 その後、裸の美少女二人によるお湯かけ合戦が勃発した。

 楽しげな笑い声と悲鳴、そしてお湯を被って咳き込む音が浴室に響き渡る。



 しかし、どんなに楽しくはしゃいでも、刻まれた恐怖を忘れることはできない。


 ―――笑顔が強張り、手が震える。

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