第11話 嘘つき

 

「きゃぁぁあああああああああ!」


 羅刹らせつが暮らす家に甲高い女性の悲鳴が響き渡る。否、悲鳴というよりは黄色い歓声だ。

 歓声の主はもちろん桃仙ももせ


 お風呂上りの彼女に用意されていたのは、旅館で準備されているような浴衣だった。羅刹の姉が家に来たときに使用する室内着らしい。和服好きの桃仙は家で浴衣が着れることにウキウキ。

 他にも上品な着物が並べられていたが、どれも高級そうなので触るのは遠慮した。今度じっくりと見せてもらいたい。


 下着は鬼に破かれてしまったので、羅刹の姉の物を拝借している。サイズの問題でブラは諦めた。というか、Hカップのブラなんて初めて見た。


 ショーツは何故か過激な紐パンばかり。勝負下着を数着持っている桃仙だが、絶対に手を出せないくらいの過激さだ。ほぼ紐。

 和服と下着は下着のラインが浮き出て相性が悪いとは知っていたが、まさか紐パンとは。

 仕方なく穿いたけれど落ち着かない。


 水泳の授業には必ず持っていく体育服がここで役に立った。今日はスカートの下に短パンを穿いていなかったため上下無事だ。過激な紐パンとノーブラの上から体育服を着て、その上に浴衣。これで完璧。


 まるで修学旅行みたい、と着替え終わった桃仙が部屋を出て、同じく着替えた羅刹とバッタリ遭遇。

 その瞬間上がったのが冒頭の悲鳴のような歓声だ。


「ど、どうした?」


 突然目の前で大声をあげられて羅刹は固まる。

 一体どうしたのだろう? どこかに黒光りする昆虫でも出たのだろうか?

 しかし、桃仙の視線は壁ではなく羅刹に釘付けだった。お風呂上りとは関係なく頬が紅潮している。


「作務衣!」


 羅刹が着ている服をビシッと指さして自信満々に一言告げる。

 彼女の言葉通り、羅刹が身に纏っていたのは紺色の作務衣だ。彼の体格や落ち着いた雰囲気、彫りが深い顔立ちに作務衣はとても似合っている。


「そ、それが?」

「素敵! とても似合ってるよ! 流石わかってる! いやー阿曽媛あそひめ君には絶対似合うと常々思っていたんだよ! 実に眼福です!」

「あ、あぁうん。ありがと」


 テンションが爆上がりした桃仙に羅刹は少し引き気味。そう言えば、彼女は和服好きと言っていたな、と思い出す。

 桃仙はどこからともなく愛用のスマートフォンを取り出した。


「写真を撮ってもよろしい?」

「ど、どぞ」

「よっしゃー! ありがとぉー!」


 ふんすー、と鼻息は荒く、目は血走っている。許可が出るなりパシャパシャとあらゆる角度で作務衣姿の羅刹を撮りまくる。

 恐怖で落ち込むよりはこうやって笑顔で元気にいてくれた方が羅刹としても助かる。だが、少し興奮しすぎではないか。興奮で倒れそうで怖い。今にも鼻血が噴き出そう。


「ご飯は簡単なもので悪いんだけど、チャーハンとスープでいいか?」

「うおぉー! その角度素敵! いいよぉー! 最高だよぉー!」

「うん。聞いてない! あとで和食がよかったとか文句は受け付けないからなー」


 うおぉー、と奇声を上げながら撮影に夢中になっているクラスのマドンナをいないものとして扱う。こんなの無視だ無視。相手をしていたら夕食が遅くなる。

 羅刹は夕食作りのためにキッチンへ向かう。その途中で手に取ったのは白い服。


「割烹着……だと!?」


 桃仙は愕然とした。エプロンではない。割烹着。

 現代では時代遅れだが、どこか懐かしい割烹着を着慣れた様子で身に纏う男子高校生。レアだ。激レアだ。しかもこれはコスプレではない。日常の光景だ。

 日々の妄想が叶った瞬間だった。


「うっ!? は、鼻血が出そう……でも、この瞬間を逃すわけにはいかぬ!」


 和服好き、というよりは和服フェチにはたまらない状況。より一層激しくカメラのシャッターを切る。被写体が良いから映える映える。逸材だ。

 あらゆる角度からあらゆる瞬間の和服料理男子を一枚でも多く写真に収めるのだ!


「でゅふっ……でゅふふ……!」


 乙女が出してはいけない笑い声を漏らしている。口から垂れるのはねっとりとした唾液。

 着ている浴衣を翻し、着崩れるのも気にしない。胸元がはだけ、裾から美脚が覗く。しかし、中に体育服を着ていたため、あられもない姿を羅刹に見られることは無かった。顔はまあ……手遅れである。


 ノーブラの胸が物理的にも精神的にも弾む。


 一つだけ悔やむとしたら撮影媒体がスマートフォンだということだ。もっと良い画質の写真が撮れる高性能のスマホやカメラを使用したかった。反省点である。次回は改善しよう。


 慣れた様子で料理をする羅刹は、テキパキとあっという間に夕食を作り終えた。それと同時に桃仙の欲求も沈静化して賢者モードへと移行。


「ふぅ……ごちそうさま……お腹いっぱいだよぉ……」

「今から夕食なんだが?」


 満足げな桃仙を席に着かせ、やっと夕食の時間だ。

 いただきます、とパクリと一口。簡単な料理なのに驚くほどの美味しさだった。

 身体が危機に陥った反動からか極度のストレスからか、食事が止まらない。一口一口が身体に染み渡っていく。なんか泣きそう。

 今まで体重を気にして暴飲暴食は控えていたけれど、今日くらいは大丈夫だよね、とお腹いっぱい食べる。結局、おかわりしてしまった。

 食後、満腹で動けない桃仙は膨れたお腹をナデナデ。体重のことは考えない。怖いから。ある意味鬼よりも恐ろしい。


「美味しかったぁ……私、生きてる……!」


 死に直面したからか、生を強く実感する。


「そりゃ作った甲斐があったな。お粗末様」


 皿洗いを終えた羅刹が手を拭きながらやって来た。

 満足げな桃仙の表情に気づいて、ふっと頬を緩ませる。


「歯を磨きな。眠そうだぞ」

「……ふぇっ?」


 自分では気づいていなかったが彼女の瞼は半分閉じていた。うつらうつら舟を漕いでいる。

 お風呂に入り、夕食を食べて満腹になったことで、やっと緊張が解けたようだ。アドレナリンの放出の反動で、今夜は深く深く眠るだろう。

 んっ、と両手を伸ばした。立ち上がらせろ、ということらしい。

 仕方なく手を貸すと、桃仙はそのまま身体を寄せる。

 安心しきった彼女の表情を見て、まあいいか、と好きにさせることにする。

 歯ブラシを咥えて立ったまま寝そうになる桃仙を介抱し、寝室へと連れて行く。

 もう考える余裕もないのか、もぞもぞとクラスメイトの男子のベッドに潜り込む桃仙。


「電気……消しちゃダメ」

「わかってるよ」

「手……握ってて」

「はいはい」

「私が寝たら、変なことする?」

「しません」

「一人は怖い……」

「傍にいるから」

「朝までずっと?」

「ああ」

「…………嘘つき」


 ベッドに横たわった桃仙が、じっとりとしたジト目で羅刹を睨んでいる。


「偽物」

「…………」


 はぁ、と羅刹がため息をついた。だが、そのため息は羅刹の口ではなく、どこか遠くから聞こえたものだった。

 声の質が明らかに変わる。例えるならスピーカーからの声だ。


『どうしてわかった? これが偽物だと』

「う~ん……何となく?」

『……くくく。何となくで俺の影法師を見抜くか』


 驚きと若干の呆れた笑い声。まさか一般人の桃仙に見抜かれるとは思っていなかった。

 影法師の羅刹の手を握り、ムスッと睨む。ご立腹。


「嘘つき君はどこにいるの?」

『屋根の上だ。安心しろ。この家には絶対に近づかせない』

「むぅ~!」


 彼が守ってくれているのはわかっている。わかってはいるのだが、心がモヤモヤする。

 我儘。本当に自分の我儘。今夜だけは目が届く場所に居て欲しかった。朝起きるまで手を繋いでいて欲しかった。

 守ってくれるのは嬉しいが、そうじゃない。乙女心は実に複雑だ。


『言ってなかったが、俺は影鬼かげおに。夜は俺の独壇場だ』

「そういうことじゃなくてぇ~! うぅ~!」

『ほらほら。目を閉じて。身体は疲労で重いだろ?』

「……怖い」

『何か楽しいことを想像すればいい』

「楽しいこと……阿曽媛君を着せ替え人形に! フヒッ!」


 ゾクリ、と屋根の上の羅刹に寒気が走ったとかいないとか。

 あれもいいなぁこれもいいなぁ、と目を閉じて妄想を楽しんでいた桃仙は、次第に独り言がまばらになっていき、最終的に途切れた。スゥースゥー、と規則正しい寝息を立て始める。

 影法師を通して眠りに落ちるのを確認した羅刹は、屋根の上で夜空を眺める。眠らない街明かりで輝く星が見えづらい。


「まったく、無防備な寝顔をして……」


 クラスのマドンナの貴重な寝顔。普段より幼く感じた。可愛らしいと思う。クラスの男子が知ったら羅刹は尋問されて殺されるかもしれない。黙っていよう。

 大きく息を吐いて目を瞑る。

 再び開いた時、彼の紅い瞳は冷たい殺意で爛々と輝いていた。

 四方八方から感じる視線。桃仙を狙う大小様々な気配。こちらの隙を伺い、様子を探る蠢く影。漂ってくる粘つく欲望。

 数は軽く30を超えるだろう。


「……来るなら来い」


 眠る少女を起こさないように、殺気の乗った威圧を周囲に広げていく。

 まだ襲ってこないのは、施された結界と、縄張りを主張する彼の血の臭いと、放たれる壮絶な威圧感のおかげ。しかし、いつかは痺れを切らして襲ってくるだろう。

 彼女には嘘つき呼ばわりされたけれど、これだけは守る。


「彼女は渡さない!」


 闇が一層色を濃くする。



 ▼▼▼



 朝も夜も訪れることのない永遠の黄昏の世界に一つの雄叫びが轟いた。


『ダァァァアアアアアアアア!』


 背丈が5メートルもある巨大な鬼の雄叫びだ。衝撃波が吹き荒れ、手下の子鬼たちが吹き飛んでいく。

 薄汚れた腰布のみを穿いた巨体。盛り上がった腕や肩、足の筋肉。腹部だけがぷっくりと突き出ているが、強靭な肌に覆われている栄養を蓄えた腹だ。

 この鬼は過去に何人もの人間を喰らっていた。


『手下どもはどこなのダァァアアアアアアアアア!』


 人間を攫いに行った手下の鬼たちが一向に帰ってこない。

 腹が減って腹が減って怒りが収まらない。他の手下の鬼に八つ当たりをぶつける。

 そこへ、黒いローブを纏ってフードで顔を隠した見るからに怪しい何者かがふらりとやって来た。


「おうおう。荒れてんなぁ」

『誰なのダァアアアアアアア!』

「オレだよオレ」


 巨大な鬼が鎮まり、屈んで訪問者に顔を近づけた。


鬼童丸きどうまる……なのダ?』

「おう。鬼童丸だぜ。今日はお前に情報を教えに来た。お前の帰ってこない手下に関することだ」

『……聞くのダ。早く教えるのダ!』

「結論から言うと、手下たちは死んだ。お前のためにある餌を手に入れようとしてな」

『ある餌とは何なのダ?』


 鬼童丸と名乗った訪問者は、顔を隠したフードの中でニヤリと口を吊り上げる。


「―――鬼嫁、もしくは鬼巫女って知ってるか?」


 情報を聞いた巨大な鬼は、そのを欲望でギラつかせた。

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