第9話 混浴

 

 チャポン、と水滴が水面に落ちる。

 ムシムシした湯気が漂う浴室には、異様な緊張感が漂っていた。

 一つの湯船に二人の男女。それも年頃の高校生。なおかつクラスメイト。格好はスクール水着。


「「 あっ! 」」


 柔らかな肌が触れ合っては、ビクンとお互いが離れる。

 気まずい。とても気まずい。

 どうしてこんな奇妙な状況に陥ったんだ、と羅刹らせつは回想する。


 きっかけは、襲われていた桃仙ももせを鬼から助け出したことだ。制服はボロボロに破れ、今夜は一人で居たくないと望んだ彼女に安全な場所として自分の家に誘った。

 あのまま家に一人で居させるのは彼女の精神が危ない。友達の家に泊まらせようにもほぼ裸の状態だ。消去法として一人で暮らしている自分の家。

 羅刹としても目の届くところにいてくれた方が安心だ、という判断だった。

 これはギリギリ普通で合理的な行動だろう。


 落ちていた荷物を全て拾い、彼女をお姫様抱っこして自分の家へと運んだ。

 これも普通の行動だ。桃仙は腰を抜かして歩けなかったのだから。


 取り敢えず、真っ先に彼女に促したのは入浴だ。お風呂は身も心も癒してくれる。土などの汚れも落とせる。怖い体験をした彼女には安らぎが必要だった。

 ここまでも正常。


 次から少しずつ狂っていった。


 桃仙は一人での入浴を拒否した。一人は怖いからと言う。浴室のドアの前から常に話しかけようか、という案も即座に却下された。

 これは羅刹が桃仙に言った言葉が大いに関係している。鬼には特殊能力を持つ者もいる。影や鏡、水面を通して自らの世界に引きずり込むと述べたのは彼だ。

 浴室に存在するのは鏡と水面だ。桃仙が恐怖するのも無理はない。


 そして、彼女は提案した。『一緒に入ろ?』と。


 これにはすかさず羅刹が拒否。年頃の女子が男の前で裸になってはいけない、入浴などもってのほかだ、と。

 桃仙としては、裸を見られてもいいから羅刹にそばにいて欲しかった。目を閉じることさえ恐怖を感じるのだ。裸くらい安いもの。

 もうほとんど見られたし。それに、羅刹にならいいかなって……。


 そこで桃仙は思い出す。未使用の水着の存在を。


 じゃあ裸じゃなければいいよね、と無理やり押し切り、最終的に上目遣いの懇願女の武器を使用した結果、年頃の同級生の男女がスクール水着を着て一緒に入浴する、という奇妙な状況が出来上がったのだ。


 チャポン、と水面に波紋が広がる。

 ふぅ、と桃仙の口から色っぽい吐息が漏れ、強張っていた身体から少しだけ力が抜ける。


「……ありがとね」


 突然の感謝の言葉。一瞬何の感謝か羅刹は考えたが、すぐに助けたことへの感謝だと気づく。それは自分にはふさわしくない、危険にさらしたのは不甲斐ない自分のせいだ、と思ったが、隣からの無言の圧力を受けて素直に受け入れることにする。


「どういたしまして」


 それが正解だったのだろう。

 ホッとした彼女の身体から更に力が抜けた。そして、ポツリポツリと呟く。


「……私、心のどこかでは信じていなかったの。阿曽媛あそひめ君が言ったことを……お、鬼の存在を……」

「思い出さなくていい。それに、突然ファンタジーなことを言われて信じられないのは普通のことだ。それが普通だ。逆の立場だったら俺でも疑う」

「でも……でも!」


 鬼は実在する。鬼は確かに存在する。

 カタカタと小刻みに震える彼女の前にそっと手が差し伸べられた。羅刹の手だ。

 そっぽを向いている彼の紳士さを感じながら、ありがたくその手を握る桃仙。温かくて、大きくて、ごつごつしてて、力強い手。

 心の中に温かさが広がって震えが治まる。彼に触れていると、恥ずかしいけど何故か安心する。


「ねえ、時間はたっぷりあるよ。阿曽媛君が知っていること、全部教えて?」

「無理して聞かなくても……」


 羅刹は桃仙の綺麗な瞳の奥を見つめる。鬼のことを教えるということは、先ほどの恐怖を思い出す可能性が高い。一番の危惧はPTSD、心的外傷後ストレス障害。無理に克服しようとして思い出すのは危険な行動だ。

 心配げな羅刹に桃仙は少し笑みを浮かべる。


「私は大丈夫。その……手を握ってるから」

「少しでも違和感を感じたらすぐに言ってくれ」

「うん。でも、先に謝っとく。ごめんね。怖くなって抱きついちゃうかもしれない」

「それは役得だな」


 冗談めかして笑った羅刹は、桃仙の違和感を見逃さないようにじっと見つめながら、静かに説明を始める。


「この世界には鬼と呼ばれる異形の化け物が存在している。ほとんどの人間には鬼は見えないし感じない。心霊現象が起きたり、心霊写真が写ったりするけど、その半数は鬼が原因だ」

「残りの半数は? 幽霊?」

「いや、自作自演。もしくは他人の悪戯」

「なるほど。そう言えば、この町って怪奇現象が多いことでオカルト界では有名だよね?」

「そう。この辺りは鬼の住みやすい場所なんだ。だから鬼が多くて怪奇現象が多い」


 桃仙はまだ大丈夫そうだ。羅刹は続ける。


「鬼を視認するには先天的な才能『見鬼けんきの才』が必要だ。鬼を見ると書いて見鬼」

「陰陽師が主人公の小説とかに出てくる言葉だね」

「そう。陰陽師は鬼退治の専門家たちだ。実際にいるぞ。まあ大抵は『鬼狩り』って呼ばれてるけど」

「阿曽媛君もその鬼狩りなの?」


 羅刹は首を横に振った。


「俺は違うよ」

「そうなんだ……」

「俺にもいろいろと事情があってね……。世界には鬼がいる。それもたくさんの種類の鬼が。具体的に言うなら昔話に出てくる赤鬼、青鬼とか? ファンタジーに詳しいのなら酒吞童子、茨木童子ってのも聞いたことがあるんじゃないか?」

「私知ってる!」


 テンションが上がり、桃仙の身体が飛び跳ねる。チャポンとお湯が音を立てた。


「酒吞童子! 源頼光に退治された最強の鬼! 茨木童子は隻腕の鬼だったよね? ゲームアプリでよく登場するんだよね」

「ちなみに、酒吞童子は過去に退治されたけど、茨木童子はまだいるらしいぞ。生きている有名な鬼も多いって聞いた」

「嘘っ!?」

「俺も会ったことないけどな」


 へぇー、と少し興味津々な桃仙。どんな姿をしているんだろう、と想像してみる。イケメンかな。もしかしたら女の人かも。鬼なら和服は外せないよね、と。

 その瞬間、先ほど鬼に襲われた光景がフラッシュバックする。心臓がバクバクと脈動し、思わずギュッと羅刹の腕を抱きしめた。

 大丈夫だと自分に言い聞かせる。こうして精神安定剤あそひめくんを握りしめてるから。

 心配そうに覗き込む紅い瞳に射抜かれ、温かな感情が湧き上がって恐怖が溶けていくのを感じた。心臓音がバクバクからトクントクンに変わる。

 この感情はなんと言い表せばいいのだろう?


「大丈夫か?」

「うん、平気。その……私を襲った鬼も強い鬼だったの?」


 破壊力のある光景に、羅刹は心の中で盛大に動揺する。

 可愛い顔が息が吹きかけられるほどの至近距離で見上げおり、腕には隠れ巨乳が押し付けられ、指は絡ませ合って握り、その手は肉付きの良い太ももに挟まれて彼女の股の近くにある。

 いくら美人姉妹に育てられた羅刹でも、こんな状況では流石に理性が削れる。

 必死に煩悩を頭から追い出す。


「そこまで強くはないかな。少し強い程度の普通の子鬼だ。それも赤鬼。肌が赤かっただろう? 例えるならゲームのゴブリンだな」

「ゴブリンか……そう思ったら少しホッとしたかも」


 異形の化け物という未知の存在やそれに襲われるという経験に恐怖していたのだ。桃仙の中のイメージが、ゴブリンというゲームに登場する定番な雑魚キャラクターに置き換わったことで、彼女の中の恐怖が少し減った。

 人間は知らなかったものを知ると恐怖を感じなくなるのだ。

 まあでも、怖いものはどうやっても怖いのだが。


「奴らは禁忌を犯していた。過去に人を喰っていたんだ。人を喰らうと鬼は強くなる。だから一般的な子鬼に比べて強かった。でも、人を喰らうことは鬼の規律ルールで禁じられている」

「へぇー。鬼って人を食べちゃダメなんだねぇ。昔話では人を食べる話が多いのに」

「だからそういう鬼は結局退治されるんだけどな」

「それもそっか」


 桃仙は妙に納得。悪いことをしたら罰せられる。これは人間も同じだ。


「じゃあ、私って何なの? 阿曽媛君は私を超能力者とか異能者って言ってたけど。確か『鬼嫁』だっけ? 私、恐妻家じゃないんですけどぉ~!」


 心に余裕ができ始めたので、私って怖そうなイメージなのかな、と冗談を言ってみる。狼狽えて慌てて否定する羅刹の様子が少し可愛かったのは桃仙だけの秘密。


「そ、そうは言ってない! 鬼の花嫁、略して『鬼嫁』だ。もしくは鬼の巫女で『鬼巫女』だな。鬼の力を増幅する力を持った人間の女性をこう呼ぶ」


 数百年に一人の確率でどこかに生まれる鬼の力を引き上げる異能を持った女性が鬼嫁だ。発生は完全に不規則で予測不可能。これが男性の場合だったら『鬼婿』、もしくは『鬼御子』と呼ばれる。


「小説やアニメではさ、強い力を持った巫女が敵に食べられると力が増すって設定があるだろ? それと全く同じなんだ」

「現実にまでファンタジー設定を反映しなくていいのに……」

「食べてパワーアップだけじゃないんだ。生まれた子供も強くなる。だから鬼の花嫁、鬼嫁って名称も付けられたらしい。三大鬼神の二柱、酒吞童子と大嶽丸おおたけまるは鬼嫁から生まれた鬼だと言われている」

「設定が多いよ。設定過多だよぉ~。詰め込みすぎだよぉ~。だから強姦される可能性があるのね。もう嫌ぁ~!」


 あまりにデメリットばかりな自分の力に思わず嘆く。不憫だ。良いところは一つもない。

 鬼と鬼嫁の間に生まれた子供は半人半鬼となりそうだが、実際は違う。鬼嫁の力で伴侶の鬼の血の力が増幅されるのだ。鬼の力が勝り、人間の血は打ち消され、子供は純粋な鬼として生まれてくる。それも強大な力を持った鬼として。

 疲労感を漂わせる桃仙に、羅刹は申し訳なさそうに追い打ちをかける。


「実はまだあるんだ」

「まだあるのっ!?」

「鬼からは鬼嫁である柊姫ひいらきさんをとても見つけやすいんだ。そうだな、鬼の食欲と性欲を昂らせる濃厚で刺激的で蠱惑的なフェロモンを半径百メートルほど常時まき散らしている状態だ」

「なにその18禁小説に出てくるような力は!? 全然羨ましくないし要らないんだけど!」


 クラスのマドンナも意外とそういう小説を知っているんだ、と羅刹は少し驚きとともに納得。

 女性にだって性欲はあるのだ。18禁小説を読んだことがあっても不思議ではない。彼女は18歳未満だが。


「そして最後に」

「はいはい。なんですかぁ?」


 桃仙はもう諦めモード。


「鬼からは柊姫さんの身体が眩しく輝いて見える。そうだな、街灯もない田舎の夜を想像してみて。真っ暗な中、夜空に輝く星がごく普通の人間だ」

「ふむふむ。キラキラして綺麗そうだね。となると、私は満月くらいかな?」

「柊姫さんは車のフロントライトの輝きだ。それもハイビームの」

「眩し過ぎるっ!? なにそれ! 超目立つじゃん! ここにいますよーってアピールしまくりじゃん!」

「俺が焦った理由もわかってくれたかな?」

「大変よくわかりました。改めて、阿曽媛君、ありがとう。私を心配してくれて。私を助けてくれて。おかげで私は生きています」


 今まで鬼に見つからなかったのは祖母がくれた封印のペンダントのおかげだろう。ということは、祖母は桃仙の力を見抜いていたということでもある。もしかしたら、鬼の存在を知っていたのかもしれない。見鬼の才があったのかもしれない。


 そこまで考えて、桃仙の身体に寒気が走った。


 学校からスーパーまで一人で移動したが、少し間違えれば襲われていた。スーパーからの帰り道で、尚且つあのタイミングだったからこそ助かったのだ。ちょっとでも早く襲われていたら、ちょっとでも羅刹が来るのが遅かったら、桃仙は今ここにいないだろう。

 助けてくれた羅刹には感謝しかない。


「阿曽媛君は幻術や影を操る力を使っていたよね? 私と同じ異能者なの?」


 同じだったらいいなぁ、と何となく安易な気持ちで聞いてみた問いかけだったのだが、ピシリと羅刹の顔が凍り付いたのを見て、桃仙は慌てて弁解する。


「言いたくないなら言わなくていいんだよ! 家庭の事情もあると思うし! 私の家だっていろいろあるから!」

「……いや、言ってもいいんだけど。柊姫さん、君の覚悟が必要だ」


 な、何だろう、と気になると同時に躊躇ってしまう。

 小説やアニメだと、このパターンは自分の身分を打ち明ける暴露話が多い。もしかしたら彼は皇室の関係者かもしれない。存在を抹消された皇子だったり、と妄想が膨らむ。

 ゴクリ、と緊張で喉を鳴らした桃仙は覚悟を決めると、話を促すように羅刹の眼を見て頷いた。


「柊姫さん、ごめん。俺は……」


 あれだけ力強かった紅い瞳が弱々しい。羅刹は悲しげに打ち明ける


「俺は―――鬼だ」







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この作品は今話で今年最後の投稿になります。

今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いします。

読者の皆様、良いお年を!


次回は1月1日 12:00 に投稿予定です。

次回のタイトル

『第10話 長くて、太くて、大きくて、硬くて、熱くて、脈動して、反り立っている立派なモノ』


お楽しみに!

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