第5話 紛失

 

 異様な沈黙が流れる。

 愛の告白かと思いきや、『鬼嫁』というまさかの罵倒。

 言葉を理解する一瞬の間の後、周囲の女子が一気に殺気立った。

 告白前の熱い興奮が漂う緊張感が一気に急降下。緊張感は緊張感でも、絶対零度の冷たい殺意の緊張感で空間が軋む。

 睨む女子は視界に入っていないようで、羅刹らせつ桃仙ももせの肩を掴んだまま、至近距離で彼女の瞳を見つめ続ける。


「もう一度聞く。君は鬼嫁か?」


 二度も言わなくていいのに。

 でも、桃仙は何となくわかった。羅刹は恐妻家という意味の鬼嫁とは別の意味を聞きたいのだと。こんなにも真剣な表情なのだ。彼は真面目な顔で悪口を言う人間じゃないと思う。たぶん、違うはず。

 しかし、周囲の女子たちは違った。


「ちょっと阿曽媛あそひめ君! 女の子にそれはないと思うよ!」

「桃仙っちんが鬼嫁?」

「ないない! こんな可愛らしい生き物が?」

「鬼嫁じゃなくて夫に尽くす良妻賢母タイプでしょ!」

「もしかして、プロポーズ前の確認だったり? 桃仙ちゃんが恐妻家かどうか? それにしても言い方ってもんがあるでしょ!」


 次々に女子たちが桃仙を守るために援護射撃。群れとなった女子は強い。

 やっと羅刹は桃仙から視線を外し、周囲の女子たちを見渡した。紅い瞳に宿る強い輝き。あまりに鋭い眼光に女子たちは怯む。


「大事な話をしているんだ。《少し黙っていてくれ》」


 人差し指と中指をくっつけて立てた羅刹は、自分の口の前で横に一閃する。それは、口にチャック、という動作に似ていた。

 その瞬間、騒いでいた女子が一斉に静まった。パクパクと口を開けるが声が出てこない。まるで声が封じられたかのように。

 不思議な現象に疑問を覚える前に、桃仙は再び紅い瞳で射抜かれた。


「その様子だと聞き覚えは無いようだな。じゃあ、花嫁は?」

「え、えーっと、普通の意味なら?」

「なら巫女。巫女はどうだ? 鬼巫女」

「それって神社の? それがどうかしたの? 巫女さんって神様に仕えるんじゃなかったっけ? 鬼にも仕えるの?」


 鬼嫁も花嫁も巫女も、一般的な言葉の意味しか知らない。羅刹が言いたいのは何かの隠語なのだろうが、知らないものは知らない。悪口や罵倒の意味じゃないことを願う。

 嘘をついている様子もない桃仙の表情。羅刹は愕然とした。


「嘘……だろ? 本当に何も知らないのか?」

「う、うん。阿曽媛あそひめ君は何が言いたいのかな?」


 説明しようと羅刹が口を開く前に、プールサイドに教師陣がやって来た。この騒ぎに紛れて授業開始のチャイムが鳴ったらしい。


「授業始めます! って、どうしたんだこれは?」


 桃仙の肩を掴んでいる真剣な羅刹。それを取り囲む殺気立った女子たち。それを遠くから眺める嫉妬に狂った男子たち。プールサイドは混沌カオスな状況だった。今現れた教師が状況を理解できないのも無理はない。


「そこ! 授業を始めるからいい加減に……」

「《俺たちのことは気にしないでください》」


 再度、羅刹は人差し指と中指を立てて、体育教師に向かって追い払うような仕草をした。すると、また起きる不思議現象。


「そうか。わかった。ほら並びなさい! 授業を始めます!」


 教師はあっさりと問い詰めるのを止め、生徒たちに整列を促す。女子や男子たちもそれに従い、何事もなかったかのように授業が始まった―――羅刹と桃仙を無視して。


「えっ? えぇっ!? なにこれ!?」

「そんなことはどうでもいい」


 この状況に桃仙は頭がついて行かない。混乱する彼女の肩を羅刹は強めに揺さぶる。


「君には見鬼けんきさいがあるだろう?」

「け、けんき?」

「鬼……他の人には見えない異形が見えるはずだ」

「異形? 鬼? 私、そんなの見たことないよ」

「なんだって……?」


 今度混乱したのは羅刹のほうだった。

 プールサイドに上がってきた桃仙を見た瞬間羅刹が驚いたのは、彼女から猛烈な力を感じたからだ。それは鬼の花嫁、通称『鬼嫁』、もしくは鬼の巫女である『鬼巫女』と呼ばれる人間の力だった。

 この力を持つ異能者は、鬼を認識できる見鬼の才の持ち主である。

 直前の昼休みまでは変化なかった。ということは、移動中や更衣室で何かが起きたのだろう。


「まさか、封印か? 力を封じていたのか?」


 羅刹は一つの結論にたどり着いた。

 今まで同じクラスで過ごしてきたが、彼女からそんな力を感じたことはなかった。しかし、この力は生まれつきのものである。後天的に宿る力ではない。

 他者からの認識と誤魔化し、見鬼の才があるはずなのに本人は異形の鬼を見たことが無いと言う。ならば、彼女の力が封印されていたとしか考えようがない。

 相当強力な封印だ。何故なら、生まれつき宿った才能を封じるのだから。

 そして、新たな問題が浮き上がる。

 封印は本人に掛けられたものなのか。それとも、封印を宿す道具を外しただけなのか。

 後者なら良いが、前者なら羅刹にはどうしようもない。


柊姫ひいらきさん。何か外さなかったか? 常に身につけていた何かを」


 この状況や話の内容、摩訶不思議な現象など、いろいろと疑問はあるが、羅刹の問いかけに一つだけ心当たりがある。


「ペンダント。おばあちゃんに貰ったペンダントを外した」

「どこで!?」

「こ、更衣室。女子更衣室で着替えた時に」

「行くぞ!」


 すかさず、羅刹は桃仙の手を掴むと歩き始める。桃仙もついつい引きずられるように歩いて、


「行くってどこに行くの!?」

「女子更衣室だ」

「授業は!?」

「授業? あぁ!」


 指摘されて授業のことを思い出した羅刹。桃仙はホッとしたのも束の間、爽やかな風が駆け抜けた。

 風の発生源はもちろん羅刹。指をパチンと鳴らすと同時に優しい風が吹き荒れ、生徒や教師の間を駆け抜けるとプール一体を包み込んだのだ。

 満足げに頷くと、羅刹は桃仙の手を引いて再び歩き始める。


「これで良し」

「良しって何が!?」

「幻術をかけておいた。これで出席扱いになる」

「幻術って何なのっ!?」


 もう頭がついて行かない。令和の時代に幻術とか言うファンタジーなことを言われても困る。でも、女子が一斉に黙ったことといい、教師が何事もなかったかのように授業を始めたことといい、あながち否定できない。

 実際、こうして抜け出そうとしても誰一人止めないのだから。

 誰にも注意されずあっさりと抜け出した二人は女子更衣室の前に着いた。


「ここで待ってて!」

「中には入らないが、ドアは開けておいてくれ」

「中を見るつもりなの!? そ、それはダメだよ!」

「死にたいのか?」

「し、死ぬ……?」


 羅刹の鋭い眼光に睨まれて桃仙の背筋が凍り付いた。

 自分の生き死にがかかっているほど大袈裟なことなのか、と状況を理解していない桃仙にも羅刹の真剣さは伝わってくる。彼は自分の身を案じているのだ。


「死にたくなければ俺の目の届く場所に居ろ。せめて封印のペンダントをつけるまでは」

「わ、わかった。大事なことなんだね」


 ゴクリ、と緊張感を漂わせ女子更衣室のドアを開ける。中を見せたくはないが仕方がない。制服がぐちゃぐちゃに放り込まれたロッカーや下着が一番上にあるロッカーもあるが、ちゃんとしていない女子が悪いということで。

 自分はちゃんと隠していて良かった、と桃仙は安堵しながらペンダントを隠している自分の服の下を探る。


「あ、あれっ?」

「どうした?」

「あっ、うん。ちょっと待ってね」


 入り口から覗いている羅刹に返事をしながらもう一度服の下を探る。今度は触覚だけじゃなく、視覚も利用して。

 しかし、隠してあったはずのペンダントはどこにもなかった。

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