第4話 鬼嫁

 

「お、おい! 来たぞ!」


 男子たちがゴクリと喉を鳴らして瞬きもせずにある方向を凝視する。その方向とはプールの入り口だった。恥ずかしそうにしながら、一人二人と水着姿の女子が現れ、次々にプールサイドへやって来た。

 おぉ、と感嘆の声が思わず漏れる。

 色気のないスクール水着ではあるが、身体のラインがはっきりとわかる女子の姿は、思春期男子高校生には眩しく映るのだ。

 鼻を伸ばした男子たちは、女子の冷たい視線に気づかない。何故なら、彼女たちの顔ではなく身体のほうを見ているから。


「露骨に見すぎだろ。見るならもう少しバレないように見なくちゃな」

「だなー」


 そんな男子たちから少し離れた場所に羅刹と頼丸の二人は居た。

 頼丸は部活動に入ってはいないが、家の事情で武道を嗜んでいるという。なので、運動部の生徒並みに筋肉があった。しかし、その隣の羅刹には及ばない。

 盛り上がる腕や肩、足の筋肉。凹んだお尻。綺麗に八つに割れた腹筋。

 普段は制服で隠されている鋼のような肉体が露わになっていた。

 彫りが深い顔立ちと綺麗に浮き上がる筋肉が相まって、その姿はまるでギリシャ彫刻のよう。

 女子たちはチラチラと二人に視線を向けている。

 その時、男子たちから野太い歓声が上がった。


「鬼無里さんか」

「あの貧乳鬼女のどこがいいんだか」

「本当に鬼無里さんにだけ口悪いよな」

「俺、アイツ苦手」

「本当は好きとか?」

「冗談でも止めろ」


 苦虫を嚙み潰したような頼丸の顔。好きでも何でもないらしい。

 確かに、紅葉くれはは男子たちが興奮するのも納得の美しさだった。スラッとした長身スレンダーなモデル体型。クールで大人っぽい。

 紅葉は男子の下心丸出しの視線を気にも留めず、颯爽と女子たちの輪に加わった。


「どうだ、羅刹?」

「何がだ?」

「いやいや、女子の水着姿だぞ。何かこう、グッと来るものがないか?」

「別に。スクール水着だぞ」

「マニアックだろ! まあ、旧式のスクミズじゃなくて短パンだけどさ。水着姿の女子を見たら枯れてる羅刹も潤うんじゃないかと思ったんだが……そうでもなかったか」


 期待した反応がなくてガックリと頼丸は肩を落とす。

 姉さんたちに比べたらなぁ、と羅刹は口の中で呟いた。

 生まれた時から美しい姉と生活していた羅刹は美的感覚がぶっ壊れている。基準が高すぎるのだ。姉と比べればクラスの女子など天と地ほどの差がある。

 五分前の予鈴が鳴った。そして、男子たちの間にどよめきが走る。


「おっ、マドンナがやって来たぞ!」

「そう……か……」


 友達の女子にガードされながらやって来たクラスのマドンナ柊姫ひいらき桃仙ももせ。女性らしい丸みを帯びた身体だが、無駄な部分は一切なくバランスが良い。

 視線を感じて恥ずかしそうに頬を赤らめる桃仙の可愛さに男子たちが胸を撃ち抜かれた。ノックアウト。


「おーい! 生きてるかー?」


 ここにも固まっている男子が一名いた。頼丸が羅刹の顔の前で手を振って反応を確認する。

 何故なら、水着姿の桃仙を一目見た瞬間、羅刹の眼がこれでもかと見開かれ、あんぐりと口も開かれたからだ。


「嘘……だろ!?」

「嘘じゃないんだなぁ、これが。言ったろ? 柊姫は意外と胸があるって」

「違う……そうじゃない!」

「じゃあなんだ? まあでも、やっと俺の期待通りの反応をしてくれたな、羅刹。ひょっとして一目惚れしたか?」


 ニヤニヤと揶揄ってくる頼丸を無視して、羅刹はどこか真剣な表情で桃仙を凝視している。

 丁度男子たちが女子たちの話をしている時、女子たちも男子たちの話をしていた。

 もちろん、会話の内容は少し離れたところに座っているクラスのイケメン二人。羅刹と頼丸だ。


「ヤバくない、アレ」

「ヤバい。ヤバすぎる」

「何あの筋肉。超格好いいんですけど!」

「ミケランジェロ作、ダヴィデ像? いや、羅刹こっちのほうがもっと筋肉あるか。全裸じゃないし」

「あの鋼のような肉体に組み敷かれて、紅くて鋭い眼差しに射抜かれたい!」

「でゅふふ……私は二人のカップリングを提案したいですな!」

「うん、それもあり!」


 女子は女子で男子の身体に興味津々だった。若干腐のオーラも感じるが、興味津々であることには変わりない。

 そこに、桃仙と彩世がやって来た。


「おっそーい」

「ごめんごめん。彩世ちゃんがちょっと……って、みんな私を見捨てたよね!?」

「「「 な、何のことー? 」」」


 薄情な女子たちが一斉に明後日の方向を向いた。

 はぁ、とため息をつく桃仙。ちなみに、遅れた原因の彩世は警戒心を露わにして桃仙の身体を護衛中だ。


「何の話をしてたのー?」

「あれよ、あれ!」

「二大イケメン!」

「えーっと、源君と阿曽媛君?」


 男子が桃仙と紅葉を二大美少女と呼ぶように、女子は頼丸と羅刹を二大イケメンと呼んでいた。

 こちらを見ているイケメン二人。気恥ずかしいが、他の男子のような嫌な気持ちは感じられない。これがイケメンの特権か。


「ねえ、どっちがタイプ? 私は羅刹派!」

「私は断っ然、頼丸派!」


 続々と二つの派閥に別れる女子。人数で言うと半々。若干羅刹派が多いだろう。


「鬼無里さんはー?」


 女子の一人が紅葉に話を振った。

 呆然と桃仙を見つめていた紅葉がハッと我に返る。女子の視線が自分に集まっていて軽く焦る。


「え、えっと、ごめんなさい。ボーっとしてました。何の話でしょうか?」

「二大イケメンの話! 鬼無里さんは選ぶとしたらどっちがいい? やっぱり幼馴染の源君?」

「頼丸の馬鹿は絶対にないので、消去法で羅刹派です。それよりも、柊姫さん! 貴女は……」

「あっ、私も桃仙っちんに聞いたかったんだよねー! ズバリ! ぶっちゃけどっちがタイプ?」


 今度は桃仙に視線が集まった。聞いたことが無いマドンナの男性のタイプに全員興味津々。

 あわあわと慌てて、親友に助けを求める。しかし、


「ちなみに私は頼丸派。でも、本当は桃仙派」

「彩世ちゃん!?」


 まさかの裏切りに桃仙の声が裏返る。

 親友が答えたのなら自分も答えなければいけない雰囲気になる。追い詰められた。逃げ出そうにも、すでに包囲網が敷かれている。

 なお、追い詰めた本人は狼狽える親友を愛でているのだが、その話は置いておこう。

 授業開始まで粘るか、とも考えたが、後々のことを考えると今白状していたほうが楽だろう。

 そう判断して諦めた桃仙は、モジモジしながら消え入りそうな声で打ち明けた。


「……羅刹派」


 きゃー、と盛り上がる女子たち。

 何故二択うちの一択を選んだだけなのに、こうも好きと告白したような盛り上がり方になるのだろう、と桃仙は思う。


「鬼無里さんも桃仙ちゃんも羅刹派!?」

「二大美少女が二人とも!?」

「これは奪い合いね! きゃー!」

「しゅっらっば! しゅっらっば! 昼ドラみたいなドロドロした修羅場が見れるのねー!」

「いや、だから!」


 盛り上がる女子たちを制止しようとした時、女子の一人が声をあげた。


「嘘! 阿曽媛君がこっちに来る!」


 辺りがシーンと静まり返り、桃仙は人だかりの隙間から半裸の羅刹が物怖じせずにやって来るのが見えた。今までに見たことが無いほど真剣な表情で真っ直ぐやって来る。それも自分のほうへ。

 人垣が割れ、堂々と桃仙の方へとやって来る羅刹。その綺麗な紅い瞳が桃仙を逃さない。

 近くで見ると、彼の筋肉がよくわかる。凄いとしか言いようがない。

 トクン、と心臓が跳ねるのを感じた。突如猛烈に緊張し、身体が変に熱くなる。


「ど、どういうこと? 桃仙?」

「私が聞きたいよ、彩世ちゃん!」


 背後にいる彩世とコソコソと話し合う。


「もしかして、コッソリ付き合ってたり?」

「ないない!」

「じゃあ、告白?」

「今から!? こんな大勢の前で!?」


 羅刹が桃仙の前で立ち止まった。トクントクンと心臓が激しく脈打つ。

 今までに何度も告白を受けたことはあるが、ここまで緊張したことはない。一体自分はどうしたのだろう?

 心の支えで唯一の味方だと思っていた親友は、頑張れ、と耳元で囁き、軽やかにお尻を撫でると二歩ほど下がった。

 この裏切者ぉー、後で覚えとけー、と一瞬だけ睨んだ。親友のニヤニヤ顔とサムズアップのコンボに苛立ちを覚える。


「―――柊姫さん」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 突然名前を呼ばれて、飛び上がりながら返事をした。桃仙は自分が間抜けな返事をしたことも気づいていない。背後の親友の笑い声が聞こえないほど余裕がなかった。

 熱い。顔が猛烈に熱い。目を離したいのに離せない。

 自分の目が、身体が、心が、魂が、存在そのものが、羅刹の紅い瞳に射抜かれてしまっている。

 そんな彼が真剣な表情で両肩を掴んできた。

 あぁ……男の人の手ってこんなにも力強くてゴツゴツしてるんだ、と的外れな考えをしつつ少し驚き。そして、続く彼の言葉を待つ。

 羅刹の唇が開いた。桃仙は覚悟を決める。


「君は―――鬼嫁なのか?」

「…………はい?」


 いきなりの予想外の罵倒に桃仙の熱が一気に冷め、目の前にいる羅刹をぶん殴ろうかと思った。

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