第25話 謎が多い




 朝イチでミッセル商会へ行き、金魚を出してから伯爵家へ戻るのが日課となっているのだが、いつものように商会へ赴くと展示室の中から話し声が聞こえた。

 ミッセル氏が従業員と話しているのかと思いきや、展示室からぱっと飛び出してきた子供が私を見て声を上げた。


「あー、アカリアじゃねぇか!」

「え?クルト、なんでここに……?」


 飛びついてきたクルトを受け止めて、私は疑問符を浮かべた。


「やあ、お嬢様。おはようございます」

「あ、ミッセルさん。おはようございます」


 店の方からやってきたミッセルさんがニヤニヤしながら展示室の入り口から声をかけた。


「おい、仕事をサボって口説いてんじゃないだろうな」


 すると、中から焦った表情の男性が顔を出した。

 どこかで見覚えがある。でも、思い出す前に男性の後ろから出てきた女性を目にして、私は目を丸くした。


「え?エリサさん?」


 思わず驚いてしまったが、クルトがいるのだから母親であるエリサさんがいない訳がない。

 でも、どうして二人がここに?


「御領地まで行ったり来たりするのも面倒でねぇ。いっそ、エリサをうちで雇っちまえ、と思いましてね」


 ミッセル氏が悪戯っぽく笑ってみせた。


「ていうか、この野郎が空気玉を仕入れに行ってるのかエリサに会いに行ってるのかわからない有様で、腑抜けちまいやがって……」

「そんな!ジルバさんは腑抜けてなんかいないです!いつも立派で頼りがいがあって……」


 渋面を浮かべるミッセル氏に、エリサさんが抗議する。

 あ、そうだ。この男性はミッセル氏がエリサさんの所に連れて行った「強化」の持ち主だ。

 ふーん。どうやらエリサさんも満更ではなさそうだ。

 私は腰にひっついているクルトの頭を撫でた。ふくれっ面でジルバさんを睨みつけているものの、邪魔する気はないらしい。


「なぁ、金魚って、病気を治す力があるのか?」


 クルトが私を見上げて尋ねてきた。


「へ?」

「母さんの病気が治ったんだ!」


 クルトは目をきらきらさせて私を見るが、もちろん、金魚にそんな力はない。

 否定しようとしたが、エリサさんもクルトと同じ表情で「そうなんです」と言い出した。


「お嬢様に金魚をいただいてから、少しだけ咳が収まった気がしていたのですが、ここで働かせていただくようになってからは全然咳が出ないんです」


 確かに、エリサさんの声には以前にはない張りがある。

 しかし、金魚に癒しの力がある訳ではなく、単に収入を得られるようになって栄養のあるものを食べられるようになったから基礎体力が上がったのではないだろうか。

 それと、貧民窟は森からも川からも離れた砂地に押しやられた場所で当然ながら埃っぽいし、空気は乾燥している。

 エリサさんの咳の原因が乾燥や埃だったのなら、金魚に癒されたのではなく、金魚=水の入った容れ物を部屋に置いたことで湿度が上がったのではないだろうか。

 この展示室は水槽に囲まれているから、乾燥とは無縁だ。エリサさんの咳が出なくなったのは空気の潤った場所にいるおかげかもしれない。


 エリサさんは体調もよくなりミッセル商会の従業員となって王都に住むところを世話してもらったそうで、クルトも簡単な仕事を手伝っているそうだ。良かった。これでクルトはもう盗みなんか働かないだろう。


「お嬢様も王都に住みませんか?お望みならば私がすべて手配しますよ」

「そうだよ!アカリアも王都に住めよ!そしたらオレと毎日会えるだろ!」

「おいこら、貴様ら……平民風情が気安く俺のアカリアに触れるんじゃない!」


 ミッセル氏に肩を抱かれて耳打ちされ、腰にしがみついたクルトに訴えられていると、キース様が怒って私から二人を引き離した。


『もてもてー』

『もてもてー』


 きんちゃんとぎょっくんが私の頬を尾鰭でぴちっ、ぴちっ、と叩いた。

 もー、そんなんじゃないってば。ていうか、金魚の世界にも「もて」とかあるの?


「そうだ、お嬢様。最近は平民の客も金魚を見たいとやってくるようになりましてね。見るだけのつもりで来た客が、値段の安さにびっくりしてそのまま買っていきますよ」


 ミッセル氏が頭を掻きながら苦笑いした。


「最初に値段を聞いた時は正気を疑いましたがね。買うつもりのなかった客にも買わせてしまう値段、というのは実は結構絶妙なような気もしてきましたね」


 そうだろうそうだろう。和金以外は少し高めに設定しているとはいえ、それでも中流以上の平民であれば買えてしまう値段だ。

 金魚は金持ちだけが楽しむ高級な美術品ではない。皆が気安く家に連れて帰ることが出来る身近なお友達なのだ。


 その後はミッセル氏がエリサさん達を適当に言いくるめて展示室から離し、私はキース様に見張ってもらって空の水槽に金魚を出した。

 その中の和金を二匹だけもらって伯爵家へ持ち帰った。




「おかえり、アカリア。キース」


 伯爵家へ戻ると、照れくさそうな顔でディオン様が迎えてくれた。

 ディオン様は昨夜夫人とじっくり話し合われたそうで、今朝にはもうすっきりとした顔をされていた。憑き物の落ちた顔は甘やかなイケメンだった。


「この金魚を庭の池に入れるのかい?」

「はい!入れてみて、様子を見て問題なければ数を増やしましょう」


 ビオトープは水草が枯れることもなく水が濁ることもなく今のところ問題はない。後は実際に金魚を入れてみて、調整していけばいい。


「庭に出るのは久しぶりだ……」


 眩しげに目を細めるディオン様は、ビオトープを覗き込むと子供のようなわくわくした顔になった。


「すごい。浴槽で池を造るだなんて、アカリアの発想はおもしろいね」

「造園にはお金がかかるものだけど、これなら浴槽を埋めるだけですものね」


 夫人もにこにこしている。息子が元気になって心配事がなくなったせいか、表情が華やいで若くなったみたいに見える。


「もっと本物の池みたいにしたいなぁ……浴槽の縁に蔦を這わせたり背の低い木を周りに植えて……」

「陰が出来れば金魚の隠れ家になるので、周りに植物を植えるのは賛成です。岩とか流木を入れてもいいですよ」


 私は金魚の入った容れ物をディオン様に手渡した。


「どうぞ。放してください」

「僕が?……いいのかい?」

「ええ」


 ディオン様はなんだか厳かな儀式のような雰囲気でそっと金魚を水面に放した。ぽちゃ、ぽちゃ、と、二匹の金魚が水に落ちてすいっと泳ぎ出す。


 ぴんぽんぱんぽん♪


『おめでとう!レベルが12になったよ!一日に一匹、玉サバが出せるようになったよ!』

『レベルが上がったので付与能力「きんぎょ幻想」が使えるようになったよ!一度に十人まで幻想を見せられるよ!』


 金魚を入れた時点でビオトープが完成したと見なされたのか、レベルが上がった。

 玉サバってどんなのだっけ?名前からして丸っこい体型の奴かな?

 いや、それよりも謎の付与能力が本当に謎なんだけど!?「きんぎょ幻想」って何よ!?


「わあ……!元気に泳いでいるよ!部屋の中に飾るのもいいけど、こうして池で泳いでいる姿を見るのもいいね」

「ええ。本当ね」

「帰ったらうちの庭にも池を造ろうか、アカリア」


 皆はすいすい泳ぐ金魚を見てほのぼのしていたが、謎の能力に戸惑う私はそれを全く聞いていなかった。




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