第24話 罪の意識




 先代伯爵レオポルド様が亡くなられたその日は、午後になってから急に天候が変わり空が灰色の雲に覆われ始めた。


 レオポルド様は雨が降りそうだと予感し、予定より早く帰宅しようと息子に声を掛けた。

 だが、息子のディオン様はまだ帰りたくないとごねた。

 釣りに来るのは久しぶりだったし、その日はまだ一匹も釣り上げていなかったからだ。


 レオポルド様に諭されても、ディオン様はなかなか納得しなかった。この先、自分は伯爵位を継ぐための勉強が忙しくなって、次に父と釣りに来れるのはいつになるかわからないという思いがディオン様に意固地な態度を取らせていた。


 結局、レオポルド様に言い聞かされてディオン様が不承不承馬車に乗り込んだのは、雨が降り出す直前だった。


 雨は降り出した直後から激しさを増し、空を覆う雲は厚くなり、視界は夕闇のように暗くなった。瞬く間に道は川のようになり、熟練の御者であっても前も見えないほどの大降りの雨の中ではまっすぐに馬車を走らせることも難しかった。

 激しい雷鳴が轟いた。

 バリバリバリッと、走った稲妻の轟音に驚いたのか、馬が御者の手綱を振り切って暴走した。大木に突っ込んだ馬車は大破し、息子を庇ったレオポルド様は全身を強く打って帰らぬ人となった。



 自分のせいだ、と、ディオン様は言った。


「僕が、父様の言うことを聞いて、もっと早くに帰っていれば。あんな事故は起きなかったんだ……」


 父を亡くして嘆き悲しむ母に、本当のことを言えなかったとディオン様はうなだれた。

 自分の我が儘のせいで父を死なせてしまった。その思いは激しい罪悪感となり、ディオン様の心を苛んだ。自分は罪人だと思うと太陽の光を浴びることすら恐れ多い気がして、外に出るのが怖くなった。

 そして何より、母に向かって何も言えなくなってしまった。

 謝罪して許しを請わねばならないと理解していても、自分など許されなくて当然だと思うと声が出てこなくなった。


「結局、ずるずると逃げ続けてしまった……僕は最低な奴だ」


 ディオン様は顔を手で覆って吐き出した。


「くだらない我が儘で、母様から父様を奪ってしまった。僕はなんて罪深いんだ……そう考えたらもう、この部屋の中で朽ち果ててしまいたくなって……でも、」


 ディオン様は指の間からわずかに目を覗かせて、テーブルの上の水槽を見やった。


「母様が金魚を連れてきてくれて……金魚を見ていたら、「なんて綺麗でかわいい生き物だろう。父様が見たら、きっと大喜びだったろうに」って思って。だから、父様も分も、僕が金魚を世話しなくてはと……」


 夫人がディオン様のために買い求めた金魚は、確かにディオン様の心を慰めたらしい。父の死と罪の意識に取り付かれたディオン様だったが、視界の隅で小さな金魚が生きて泳いでいるのを見ているうちに、少しずつ「生」の世界に意識が引っ張られていったのだろう。

 前の世界でも、アニマルセラピーって奴があったし。やっぱり生き物と触れ合うのは心の健康に良いのだろう。


「それで……庭で何かしているのが気になって……出て行きたかったけど勇気がなくて」

「ディオン……」


 夫人が涙を流してディオン様の肩に手を掛けた。


「ごめんなさい、母様……僕のせいで、父様が……」

「何を言うの……あの人は立派に貴方を守ってくれたのよ!罪の意識など捨てて、貴方を守った父を誇りなさい!」


 夫人は力強くディオン様を抱き締めた。


「あの人のことを思うなら、貴方はあの人以上に立派な伯爵にならなくては駄目なのよ!」


 夫人が言う。ディオン様は抱き締められたまま涙を流した。

 ディオン様の気持ちもわかるが、これは夫人の言う通りだろう。私はレオポルド様のことを知らないし、伯爵家となんの関係もないから口出しは出来ないけれど、レオポルド様は息子のせいだなんて絶対に思わなかったと思う。


 私とキース様は目を見合わせて、二人に気づかれないようにそっと部屋を後にした。後は母子でじっくり話し合うべきだろう。


「もう、大丈夫そうですね」

「ああ。アカリアのおかげだな」


 キース様がそう言って私の頭を撫でたので、私はぱちりと瞬きした。


「私は何もやっていませんが」

「そんなことはない。アカリアと金魚がいなければ、伯爵はいまだに先代への罪の意識に囚われていただろう」


 キース様は確信しているかのような表情で微笑んだ。

 私は納得がいかなかったが、きんちゃんとぎょっくんが『金魚のお手柄ー』『アカリアとぼくたちが頑張ったのー』と得意そうにひらひらしていたので、あえて何も言わないことにした。

 おそらくディオン様は立ち直りかけていて、後は何か些細でもきっかけが必要だっただけなのだろう。

 金魚がそのきっかけとなれたのなら、よかった。


 後はビオトープが完成すれば、私とキース様はゴールドフィッシュ領に帰ることが出来る。予定より滞在がだいぶ長引いてしまったから、お父様が心配していることだろう。

 ミッセル商会では順調に金魚が売れていて、少しずつ平民の間でも「なにやら珍しい生き物を取り扱っているららしい」と噂が出始めている。

 これまでのところ、実に上手くいっている。けれど、それは私が周りの人に恵まれたからだ。自由にさせてくれるお父様がいて、協力してくれるキース様がいて、ミッセル氏はまっとうな商売をしてくれている。

 だから、その人達に恩返しするためにも、金魚を普及して皆が金魚を鑑賞できる世界にしなくては。


 家に帰ったら、また新しく催し物を企画してみようか。

 領民達の間で金魚すくいを流行らせたいが、一日に一つしかポイが出せないので金魚すくい大会を行うのはまだ無理だ。

 でも、いつか絶対に皆を集めて金魚すくい大会を開いてやる!


 金魚すくい名人だった前世の血が騒ぎ、私はぐっと握った拳を突き上げた。



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