第12話 変化してゆく学園生活(5)


 キャロン・フォレスト。成り上がり侯爵家の次女。大猫族で、得意とするのは探索と分析。ある日突然父が侯爵位を賜ってから、周囲の視線やガラリと変わった対応に嫌気がさしていた。社交界なんて最たるもの。内心は成り上がりを見下している既存の貴族達が、今は宰相として権力を持っている父とフォレスト家におべっかを使う。

 友人関係にしてもそうだ。学園に入ってからも、声をかけてくるのはそういう貴族の子女子息ばかり。

 そんな中。友人にしたいと思う、可愛い子を見つけた。



 ライラ・トゥーリエントは名門伯爵家の令嬢だった。淫魔だというのに黒髪で黒い瞳という、らしからぬ容姿。しかも淫靡さをかけらも持ち合わせていない。よほど箱入りに育ったのか何なのか、常識をあまり知らないようですらあった。

 初めは名門の貴族令嬢ということで距離をとっていた。悪いようだが観察である。キャロンの貴族に対するアレルギーはそこそこに深い。


 それと其処に存在するだけで実力者だと分かってしまう、圧倒的強者のオーラを持つレオナルド・ウォーウルフ。彼はライラに対してはっきりと憎悪を示した。そのことで起こるクラスの波紋を、情勢を、キャロンは観察していた。クラスメイト同様、ライラと距離を取っていたのは単に貴族だったからで、レオナルドが原因ではなかった。確かに恐ろしく強いレオナルドを敵に回すのは良くないだろう。かと言って怖い訳でもない。ライラと仲良くなるだけで、その周りまでレオナルドが憎悪を向けるのであれば、彼がそれまでの男だというだけである。

 だいたい、他を圧倒するには魔力や魔術だけではない。情報も、大きな武力になる。

 弱みを握ればいい。


 一週間ほど観察して、キャロンはライラの無防備さに驚いた。正確には、素直に実直にいることに対して。打算も計算も見当たらない、『そのままで』いるのだ。淫魔だというのにこの純粋さ――一体どういう教育をされてきたのだろうか。つい危なっかしく思う。

 キャロンはライラに惹かれていた。そろそろ行動に移そうと思ったとき、教室にレア客がやって来た。エリック・バーナード、これもまた有名な淫魔。彼は馴れ馴れしくライラに話しかけ、牽制なのだろう、親密さを見せつけて出て行った。どうやらライラは全く動じてなかったようだが――彼のおかげで喋りかけるタイミングが掴めた。

 レオナルドのせいで色々と不安になっていたのだろう。挨拶を交わしただけでライラはふわりと嬉しそうな笑みを浮かべた。こんな風に微笑むのか。ものすごく可愛かった。

 もし自分が男なら嫁にしたい。



 週明けの魔術基礎演習。ライラは驚くべき特技を見せた。クラスメイトたちも、キャロン自身もあれが何なのか分からない。常識の範疇におさまるものではなかった。

 ライラの存在は、特異過ぎる。

 その後、教師のデヴォンが怪しげな動きをみせたが、詳細なところは分からない。ただレオナルドが瞬時に動き、二人の間で何かがあったようだが――とりあえず、あの教師は信用ならない。

 当事者のライラはケロリとしている。本当に、危なっかしい。ホールの隅に移動した彼女はレオナルドに詰め寄られていた。何を言われているのかは分からないが、ライラが取って喰われそうに見えた。急いで抱きつきに行く。

 そこで一つ分かったのは、ライラがレオナルドを嫌ったり憎んだりしていないことだった。レオナルドに嫌われているということは、一つの事象として受け止めている。なのに彼をかばうようなことを言う。


(お人好しですわ)

 キャロンの勘だが、レオナルドはもうライラを嫌ってはいない。最初の憎悪とは別物だ。気になって気になってしょうがなくて、うずうずしている犬みたいだ。

(犬じゃなくて狼でしたっけ。まぁ、一緒ですわ)

 昼休みになるとライラはいつも何処かへ行ってしまう。今日こそは一緒に、と思っていたが遅かった。

 レオナルドはいつも手早く昼食を済ませて教室を出て行く。そして本鈴間近になって帰って来るのだ。何か引っかかる。

 こういうことはなるべくしない方がいいと分かっているが、気になるキャロンは探索をすることにした。昼食を早く食べ終え、精神を集中する。


 微力だが特徴的なライラの魔力の残滓を探し、行方を追う――キャロンは探索が得意であった。ライラの机の辺りから、小さくキラキラ光る魔力の残滓。それは雪の結晶のような繊細さで、花の香りがするような温かさだ。様々な魔力が渦巻く教室の中から、微力のライラの魔力を捉えることは難しい。

(でも、思ったよりいけそう。ライラの魔力は、とても特徴的)

 小さく光る残滓を追い、教室から廊下へ、階段を下りて外へ出る。そのまま辿っていくと、どんどん学園の敷地から外れていった。やがて森が見える場所まで来ると、ライラの魔力と、もう一つ膨大な魔力が存在しているのが分かった。

(ん? この魔力は……)

 森に面した場所にライラはいた。すぐ傍に、魔獣みたいなものも。嫌な予感しかしない。


「ライラ、こんなところにいましたの?」

「えっ。キャロンちゃん!?」

 ライラは酷く驚いたようだった。そのライラを囲うように、一匹のでかい犬が鎮座している。

「……このワンちゃんは何者ですの?」

「あっ! ええとね、この森に棲む魔獣……だよね? ワンちゃんじゃなくて狼さんだよ。ふわっふわですごく気持ち良くてね、お友達」

 ライラはその犬が森の魔獣だと思っているらしい。信頼している笑顔で犬を振り返り、毛並みを撫でた。当の犬っころはキャロンを睨み付けている。

「ごめんなさいライラ。白状しますと、私貴方を探索しましたの。一緒にお昼を食べようと思っていたのだけど、いつもお昼休みはいなくなっているから」

「あ、ありがとう」

 ライラは探索されたと言われたにも関わらず、嬉しそうに笑った。犬は変わらずキャロンを睨み付ける。

「私ね、いつもこの辺でお弁当食べてるんだ。あ、明日から、一緒に食べない?」

「ここでですか?」

「う、うん。嫌ならいいんだけど、その」


 ライラはそっと駄犬を見た。昼休み、そいつと会いたいからここで食べたいのだろう。駄犬はキャロンを睨み付けたまま、しかし尻尾は興奮したようにパタパタ振り回している。

(犬ですわ)

「その駄け……じゃなくて、狼が良いと言うのなら、ご一緒させて頂きたいですわ」

 お手並み拝見である。ここで拒絶するようなら敵、受け入れるとしても恐らくライラを想ってのことだろうから敵。

 ライラにまとわりついている駄犬は喉から唸り声を上げた。その程度で怯むようなキャロンだと思ってもらっては困る。

 焦ったのはライラの方で、「どうしたの? 嫌かな?」と駄犬に話しかけている。駄犬は振り回していた尻尾をへたりと地面に落とした。渋々の体で首肯する。そうするとライラが喜んで駄犬の首元に抱きついた。


(いつも、そうしてもらっていますのね?)


 キャロンは蔑んだ目で駄犬を見下ろす。流石にばつが悪いのか、駄犬の目は泳いでいる。

「ライラ、私の特技を教えますわ。探索と分析ですの。魔力だけに関わるものじゃないのですけど――だから、認識さえしていれば、魔力で誰か判断することも可能ですの」

「へぇ! すごいね、キャロンちゃん頭良さそうだし!」

「ふふ。だから何か知りたいことがあったら、いつでも言ってくださいな」

 駄犬がじり、と体を揺らした。

(貴方の予想通り、気付いてますわよ)

「ライラ、申し訳ないのですけど、この狼とちょーっとだけ喋りたいことがありますの。できれば席を外してくださると……狼も嬉しいかもしれませんわ」

 ライラは数度瞬きし、駄犬を見た。駄犬もライラを見返し、諦めたような雰囲気で立ち上がる。数歩歩いて、キャロンに来いとでも言うように首を振った。

「ではライラ、先に教室に戻っていてくださいな」

「う、うん分かった。またね、狼さん」


 ライラは駄犬に手を振って教室へと戻って行く。その後ろ姿が見えなくなるまで、残されたキャロンと一匹は無言だった。

 そして周りに誰もいなくなったとき。


「……で? 何をしていますの、レオナルド・ウォーウルフ」

 キャロンは地を這うような声を出した。狼は無言である。

「そんなに趣味が悪い方だとは思いませんでしたわ。貴方、クラスではあんな態度をとって、こっちではやりたい放題してますの?」

『……やりたい放題って何のことだ』

「……」

『……』

「ねぇ、ライラが貴方に対して何とも思ってないこと、ご存知? 普通初対面であんなこと言われて、クラスで微妙な立ち位置になってしまったら少しは恨むところを、貴方の嫌悪を真っ直ぐ受け止めているのですわ。いじらしいと思いません?」

『……』

「このままライラには黙っておくつもりですの? 信用させておいて突き落とす計画でもたててますの? それとも後悔でもしてますの?」

『……』

「貴方が何を考えているのか検討もつきませんけど――早くライラに謝ることができるといいですわね」


 キャロンは事務的ににこりと笑い、返事を聞かず歩み去った。

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