第10話 変化してゆく学園生活(3)

「ライラは魔術得意ですの?」

 週が明けて、学園での魔術基礎課程。今回は実践になるので指定の体操着に着替え、魔術演習館に移動している。

ライラは紺色のハーフパンツにTシャツ、幾何学模様の入った紺色の上着を羽織っている。耐久性に優れた特別製らしい。ライラの隣を歩くキャロンは長ズボンを選択していた。

「ううん、全然得意じゃない。むしろ超苦手」

「そうなんですの。私も、こういう戦闘系の魔術は苦手なのですわ……」

「得意な分野って?」

「探索や分析ですわ。性に合ってますの。父様や兄様もそうなので、血筋みたいなものでしょうか。でも一番上の姉様は駄目なんですよねぇ。その代わり、一番大猫族らしいというか、俊敏ですわ。私は残念なことに俊敏さがないんですの」

「キャロンちゃんって大猫族なんだ。言われてみれば、うん、そうだね」

「……ライラ、もしかしてフォレスト家をご存知ない?」

 偉そうにではなく、むしろ唖然として言われた。あれ、とライラは脳内貴族名鑑を引っ張りだす。引きこもりのライラでさえ、確かに聞いたことがあるのだ。


「っ! さ、宰相様の、お家ですか……?」

「そうですの」

 キャロンは楽しそうに笑った。対するライラは動揺する。

 フォレスト家と言えば、実力主義の魔王がいきなり宰相に抜擢したことで有名だ。それまで爵位など持っていなかったが、当代限りの侯爵位を与えられた。温和に見せかけて恐ろしく頭の回る魔王の右腕、宰相閣下。

「わ、わた、私、分かってなくて」

「やめてくださいな。序例さえこうですけど、格で言えば、トゥーリエント家には足元にも及びませんわ。それに私たちにそんなの関係ないでしょう?」

「そ、そうなの?」

「……名門貴族のお嬢様だと思っていたのに、ぽけぽけしてますわね。そこがいいなと思ってますけど」

「ぽけぽけ?」

キャロンが楽しそうに笑うので、まぁいいかと思うライラであった。



 魔術演習館は長方形のホールになっていて広かった。造りは講堂とよく似ていて、規模が違うだけである。初めての実践演習ということでソワソワした空気が漂う。だだっ広いホールの出入り口付近で固まり、適当に準備運動をして待っていた。

 授業が始まる時間になっても担当講師は来ず、集合場所を間違えたのではと不安になっていると、ホールの中央に突然人影が現れた。


「遅れてごめんごめん。んん、幾らかは俺の気配を事前に察知したみたいだね、優秀優秀。基礎課程は優秀な君らに教えることなんてないんだけど、どうしたもんかね」


 現れたのは緑を溶かし込んだ銀髪の美男子。一目で淫魔だと分かる妖艶さ。本当に教師なのかと体中から発せられる怠惰な雰囲気。身に纏う服はルーズで滑らか、彼の華奢で美しい体を魅力的に見せている。

 彼の美しい外見に息をのまれた生徒も多かった。日頃、規格外の美形に囲まれて育っているライラには何ともないが、淫魔嫌いのレオナルドの機嫌は悪かろうと思った。案の定、レオナルドは目を眇めている。

「やっほー。このクラスの魔術基礎課程を担当する、デヴォンだよ。まぁ皆気楽にいこう気楽に。基礎課程なんてヨユーヨユー。もしできなくても俺が手取り足取り教えてあげるからモーマンタイ!」

 細い顎、薄い唇、通った鼻梁に印象的な銀色の瞳。中性的な顔立ちなのに男の色気がある。次兄ファルマスでなく長兄アルフォード分類だな、とライラは勝手にカテゴリ分けする。

(淫魔って本当に美しいんだなぁ。でも、兄様たちの方が好きだな!)

 ライラもそこそこのブラコンであった。

 ぱちんとウィンクするデヴォンをうっとり見つめる者もいれば、教師だということを思い出して怪訝な表情をする者もいた。


「じゃー今日は初級の防御魔術ね。予習してきた人はいる? これねーこれ」

 デヴォンが天井に人差し指を指すと、お手本である巨大な魔法陣が出現した。

「さて皆できるかな? 散らばって、展開開始!」

 バチンと手を叩かれると、授業が始まったのだと悟る。生徒たちは慌てて散らばり、手をかざして胸の前で魔法陣を作り出した。

 ライラはというと――予習の成果もあって順調だ。魔法陣を出現させるまでは大体できるのだ。問題なのは発動させる段階である。

 全員の様子を確認したデヴォンは満足気に頷き、手を二回程叩く。

「うんうん皆できてるねー。あとは実際発動するとこ見たいから――はい、そのへんで横一列に並んでー」

 生徒達は素直に一列に並ぶ。一体どうするのだろう。デヴォンは掌サイズの紙束を持っている。

「んじゃ、一人ずつ実践してもらうね。ここに魔術紙があります。全部低級の同一レベルね、んで俺がこれで火球に変えて飛ばすから、その魔術で防御して下さい」

 生徒の多数が「えっ」っとなった。

「ビビんなくて大丈夫~火球って言ってもこんなもん、ほら」


 デヴォンは紙束から一枚取り、すっと手前に投げる。その紙が片手の大きさ位のオレンジ色の球に変わり、十分視認できる程良いスピードで飛んでいく。そのうち壁に当たり、ぱちんと弾けて消えた。ぶつかった壁は無傷だ。

「ね? 全部これと一緒だから、できなくても全然大丈夫~。試験じゃないから安心して。ちょっと皆のクセとか見たいんだよねぇ」

 ライラもほっと安心した。やはり魔術は不得意中の不得意なのだ。

 列に並んだ順に指定された数十メートル先で立たされ、実践していく。皆失敗することなく火球を弾き、弾かれた火球はすぐ消滅していった。そしてデヴォンが「きみは魔力が強いけど構成力が弱いね。もっと頭の中できっちり組むように」とか、「魔力の流れが悪いなぁ。精神統一メニューをするといいよ」などアドバイスを送る。案外真面だった。

 中でもレオナルドが実践したときには、魔法陣に当たることもなくその手前で火球が消失した。


「きみ、相当魔力が強いんだね。術式も完璧。この授業出なくていいんじゃない? むしろ講師側についてもらおうかな?」

「……先生の指示があれば」

 これ以上ない賛辞に、レオナルドは無表情で頷いた。ライラは素直に尊敬した。感覚で分かっていたが、恐ろしく強くて優秀なのだ。

 ライラはと言うと、火球を弾くことはできたが、発動の際に魔法陣が一瞬点滅した。よくないことだというのは分かる。

「……」

「うーん。きみは、これから難儀だろうねぇ。必要があれば特別授業もしてあげるよ?」

「頑張ります……」

 気落ちしながら場所を離れる。クラスメイトたちは今のを見て「魔術が全くできない奴」だと認識したらしい。哀れみの目線を向けられた。ただ、レオナルドだけは不思議そうな目でライラを見ていた。


「?」

 どうしてそんな風に見てくるのだろうと首を捻る。次はキャロンの番だった。

「じゃあいくよー」

 デヴォンが一番上の紙をふっと手前に投げるまでは一緒だった。ただ、その紙がオレンジの火球に変わることはなく、黒く赤い焔に変わった。まるで業火――デヴォンの顔色が変わり、焦ったものになる。クラスメイトたちも訳が分からず唖然とする。頭の大きさ程に形成した火焔は視認できない程のスピードでキャロンへと向かう。

 誰かの悲鳴が上がった。

 火焔を目に捉えたライラは脊髄反射で動いた。キャロンへと火焔が到達する前に、それを素手で殴り飛ばした。弾かれた火焔はそのまま壁に激突し、周囲を破損させながら黒い炎を上げて焦がす。

 ライラは拳を緩めて大きく息を吐いた。


(びっくりした。なに、さっきの)


 ホールは奇妙な静けさに包まれていた。キャロンは無事だ。いつの間にかレオナルドが彼女を庇うように立っており、腕で防御する構えをとっていた。その前には巨大で複雑な魔法陣が展開されている――おそらくデヴォンがおこしたものだろう。

 レオナルドは驚愕した様子でライラを見つめている。キャロンも同じだ。

 ライラは冷や汗をかく。反対側を見ると、デヴォンもライラを驚異の目で見ながら、ずんずんと近寄って来ている。


「今、何やったの」

 デヴォンがライラの手首を掴んだ。その強い力にたじろぎ、ライラは身を引く。

「ねぇ、今、どうやったの」

「えっ。えーと」

 デヴォンがライラの腕を水平に持ち上げ、上着の袖を捲り上げる。手と前腕の皮膚をまじまじ見つめながら指でなぞり始めた。ライラはぎょっとする。

「今、魔術も魔力も作動してなかった。素手で殴っていたように見えた。なのにきみは怪我一つしてない。……何で?」

 デヴォンは爛々とした目でライラの顔を覗き込む。

 近い。ものすごく近い。


「わ、分かりません」

「ライラ・トゥーリエントだね? きみは確か淫魔……。見えないねぇ、そして魔力も少ないね? なのにどうしてこんなことができる? 面白いねぇ興味がわいたよ」

 デヴォンの目付きが鋭く獲物を見るものに変わった。

「きみ、半魔だったね? 俺もハーフなんだよ、属性は淫魔だけど半分は大鵬族。きみの体は研究者の血が騒ぐ……協力してくれない?」

「え?」

「悪いことは、しないから」

 デヴォンはライラを射竦めた。銀色の瞳が妖しく光る――ライラの背にぞわぞわと悪寒が走る。


(これは、今、《魅惑》をかけられている……! 信じられないんですけど!)


 デヴォンはライラに言うことを聞かせるため、《魅惑》をかけていた。きっとライラやレオナルド以外ならメロメロにかかっていたであろう強さで、授業中ということも忘れて仕掛けている。

(どうしよう、殴っていい? 殴っていいかな兄様父様!)

 デヴォンに掴まれていない方の拳をぎゅっと握る。

「んー? あれれ?」

 なかなか《魅惑》にかからないライラを不思議に思ったのか、デヴォンがそんな言葉を漏らす。ライラの方は、拳を振りかぶろうとしたところだった。


「おい、何してんだ」


 横から第三者が割り込んだ。デヴォンの胸倉を掴み、怒気をはらんだ声でライラから引き離す。

「大丈夫か――」

 デヴォンに掴みかかったまま、ライラを振り向いたのはレオナルドだった。ライラはキョトンとする。

「だ、大丈夫、です」

 ライラの正常な様子にレオナルドは驚いたようだったが、すぐにデヴォンに向き直る。

「てめぇ今なにしようとした」

「やだなぁハハハ~ウォーウルフ君たら怖い~」

 デヴォンはへらへらと笑って誤魔化す。レオナルドは掴んだ手に更に力を込めたが、デヴォンは動じず笑うばかりだ。レオナルドの体を避ける様にして、放心状態のキャロンを見た。


「キャロンさんごめんね~何か間違えて高位レベルの魔術紙混じってたみたい。怖かったでしょ、申し訳ない」

「い、いえ、大事なかったので……」

「皆もごめんねー。これからは俺が自分でやるよ、面倒くさがらずに。さー続き始めるよ。だから邪魔なんでウォーウルフ君はどいてくれない?」

 デヴォンは目に剣呑な光を灯してレオナルドを見る。それに怯むようなレオナルドではなかった。同じく睨み返し、舌打ちしながら手を離した。

「そんでライラちゃん? きみ自身不思議に思ってるんでしょう。自分のことを解明したいのなら、せんせーは協力を惜しまないからねー。いつでも、待ってる」

 生徒に向けるには似つかわしくない蕩ける微笑を浮かべ、デヴォンは手を振った。ライラはぺこりと頭を下げるに留める。怪しいことこの上ない。

 一時騒然とした授業は、有耶無耶な雰囲気のまま再開した。

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