第2話とりあえず名前を聞かせてくれないか

とりあえず、僕の紹介でもしよう。僕の名前は西城昌さいじょうあきら。個人的にもだいぶ気に入っている名前だ。なんといっても汎用性が高い。昨今は男性、女性に関係なく使用されている。まるで自分自身がどちらでもない、自由な存在になった気がする。そして……ああ、少し脱線した。話を戻そう、職業は大学教授、担当は日本近代文学だ。この大学の教員の中ではかろうじて若い部類に入る。そして独身だ。まあ、そこは心底どうでもいいが。


「それにしても苦いな」


珈琲がいつもより苦くて僕は顔をしかめる。冷えた所為もあるだろうが、少しは精神的な部分もあるのだろう。先ほどの、妙に元気だけはある女子大生の勢いに実は気圧されていたのかもしれない。


『私、先生のことが好き』


あんな風にストレートに告白されたことなど、生まれてこのかた一度もない。そしてたぶんあんな風にひとを好きになったことも僕にはない。ある意味羨ましいくらいの「真っ直ぐさ」だ。はあ、と僕は息を吐いた。年を取って良かったと思う。もし、彼女くらい若かったら、この出来事だけで二三日は頭がいっぱいになっていたのかもしれない。


――まあ、名前だけは聞いておけばよかったな


下心ではない、どこの学部の生徒なのか知りたかったのだが。まあ、今更そう思っても仕方がないか…おや?


僕の視線は壁一面の本棚の中央に向けられる。芥川龍之介全集が並んでいる箇所。先ほど女子学生が質問に来た時に立っていた場所だ、そこに見慣れないピンク色のスマートホンが置いてあった。


「おやおや」


僕は苦笑した。この研究室から一階のエントランスまで約3分、もし気づいて戻ってくるとしたら…もうすぐ


ガチャ


ドアが勢いよく開いた。思わず僕は口元を緩めた。そこには、はあはあと息荒く、顔を紅潮させた先ほどの女子学生がいて。


「どうやら忘れ物に気づいたようだね」

「…う~バツが悪いわ」


顔の紅潮は、どうやら走ったためだけではないらしい、スタスタと私の傍に来ると、本棚に手を伸ばしスマホを取る。


「これ忘れただけだから、それじゃ」

「ちょっと待ってくれないか」


僕の制止に驚いたのか、彼女は目を見開いてこちらを見る。真っ直ぐな視線。


「とりあえず、君の名前を聞かせてくれないか?」


彼女の目が嬉しそうに揺れて、そうしてその口元が綻んだ。


ああ、呼び止めて良かったと僕はその時心底思った――








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文学部教授と元ヤン女子大生の推理日記 @sankaku-neo

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