第4話 ファミレス

「おー、こっちこっち」


 携帯に目をやりつつ、暖房の効いたファミレスの店内に足を踏み入れると、こちらに気づいた会澤が嬉しそうに俺のことを手招きした。


「悪い。みんな早かったんだな」


 軽く手を挙げて応え、もうすでに揃っていた俺以外の三人に詫びる。


「置き去りにしてごめんな。早めに三人集まっちゃって、外は寒いからって先に中に入ったんだよ」


「別に構わん。『店内にいる』ってメッセージももらったし」


「わたしは寒いの平気だから、って言ったんだけど」


「まあ、ぶっちゃけ俺が寒かっただけなんだけどね」


 澄ました顔で言う氷川に、会澤が微笑み混じりに白状する。


「とりあえず座ってよ。メニュー決めよう。まだ注文してないからさ」


 会澤に指示され、俺はコートを脱ぎ、空いていた笹本の隣の席に腰を下ろした。


 ちょうどランチタイムを迎えたファミレスの店内は多少混雑していた。ファミリーレストランという名の通り、子供を連れた家族を中心として、学生の集団やカップル、老人たちに至るまで客層は幅広い。彼ら彼女らがどういった経緯で休日のお昼をここで過ごすことになったのかは不明だが、どこかで食事をしながら話でもしたいときにこの場所は選ばれやすいのだろう。


 そんなことを思いながらメニュー表を眺めていると、一緒に見ていた笹本が遠慮がちに尋ねてきた。


「石狩くんは決まった?」


「いや、まだだ。とは言っても、このファミレスに来るときはだいたい頼むもの同じだから決まってるようなものだが」


 実際、候補は三つくらいしかない。新メニューとかあっても基本選ばないから、いつもそれらをローテーションするだけだった。


「笹本は? 決まってないなら、俺はもういいから」


 自分がメニューの閲覧権を独占していたことに気づき、笹本に渡そうとすると、彼女は素早く手を横に振った。


「いいっ、違うの。わたしももう決まってて確認しただけだから」


 すぐに顔を背けられ、表情は肩に少しかかるくらいの赤い髪に隠れてしまった。


 こういう反応を見ると、笹本の性格は基本的には変わっていないように思える。引っ込み思案でどちらかというと学校でも目立たないタイプであり、クラスの派手な集団からは一定の距離を置いて、いつも特定の女子の友達と喋っているような人物。


 そんな彼女が今やその派手だった人たちよりも派手な髪をしているのだが、話し方や仕草を見ていると俺の知っている笹本とそれほど違わない。外側の違和感さえ意識しなければ、数年間のブランクはあまり感じずに済むだろう。


 メニューが決まり、呼ばれてやってきた店員に各々注文を伝え終えると、正面の会澤が「さて」と呟きながら席を立った。飲み物を取りに行くつもりらしい。


「俺も一緒に行く。希望があれば二人の分も持ってくるけど」


 女性陣のほうに伺いを立てると、氷川と笹本はそれぞれ答えを返してきた。


「わたしはなんでもいい」


「わ、わたしもなんでもいいから。……あ、ありがとう」


 同じ『なんでもいい』でも随分違うものだな、とどうでもいい感想を抱きながら、俺は会澤とともに席を離れた。


「優しいなぁ、石狩は」


「別に普通だろ」


 妙ににやにやしてくる会澤を適当にあしらい、人溜まりができているドリンクバーコーナーへすたすたと歩く。


 実際、飲み物を取りに行くというのは建前だ。親切心から提案したわけではなく、会澤の腹積もりを探るというのが主目的だった。


 まるで読めない会澤の発言や行動。今日これからこの場所でどんな話を展開するつもりなのか。なぜ、俺たちを集めたのか。


 そのヒントを少しでも得ようと、俺は様子を探りたかったのである。


「はい、コップ。二つずつね」


 並べて置いてあった中から、会澤がひょいひょいとこちらに手渡してくる。


「どうも。それにしてもドリンクバーにも結構人いるな」


「みんな頼んだからには元を取ろうとしてるのかな?」


「飲み物は元値が安いから相当飲まないとダメだろうな」


「おー、やっぱりそういうのいつも計算しちゃうわけ?」


「そんなの気にしてたら外食できないだろ。そもそも店側に利益が出るようになってるに決まってるし」


 原価率は三十パーセントが適正だとか、そんな話も聞いたことがある。けれど、全部の商品が一律にそうなっているわけではなくて、これを頼むと客側に多少メリットがあるとか、これは店側が有利な設定だとかあるのだろう。


 だが、そこまで厳密に計算し始めたらキリがない。それこそ飲食店でも経営するのでなければいらない知識だ。必要ない。


「でも、数学とかできるといいよなぁ。日常生活のいろんなところで役立ちそうだし」


 またこの適当な発言だ。俺は会澤に気づかれないように唇を噛みしめた。


 会澤に悪気はないのはわかっている。


 だから、この感情はなんとしても押し殺さなければならない。


「氷川たちの飲み物、何にする?」


 平坦な声を意識して、ドリンクディスペンサーを眺めていた会澤に話しかける。


「うーん、なんでもいいって言ってたからね。いっそのこと混ぜちゃう? なんでもイン、ってことで」


「なんだよ、それ」


 あまりにもしょうもなくて、つい吹き出してしまった。


「おっ、笑った笑った。これは混ぜるしかないね。俺たち共犯だからな」


「いや、やめとけ。笹本は優しいから許してくれるだろうが、氷川はそういうくだらないことは多分許容してくれないぞ。それも怒りを露わにしたりするんじゃなくて、『へぇ、そういうことするんだ?』みたいな冷めた目で見られる」


「た、確かに想像がつく。や、やめとこうか」


 すっかり怖気づいた会澤が、案外気弱な悪戯少年のような顔でこちらを見た。


「賢い選択だな。余計なことはしないに限る」


 前にいた女子高生の集団が捌けていき、順番が回ってきて機械の前に立った。


 コップを所定の位置に置き、適当なボタンを押してチョロチョロと出てくる色付きの液体を眺めながら、何をやっているんだろうと俺は深く自省した。


 気がつけば会澤のペースに乗せられて、結局意味のない会話をしてしまった。探りたいことは探れず、事前に知っておきたかったことは何一つ知り得なかった。


 両手に飲み物を持って席に戻ると、前菜のサラダがすでにテーブルに置かれていた。それを軽くつまみながら過ごしているとメインの料理が運ばれてきて、飲んだり食べたりしながら楽しくお喋りが続いた。


 会話の中心にいるのは相変わらず会澤だったが、話の内容は至って平凡だった。


 目的も何もないような、ほとんど中身のないくだらないやり取り。


 でも、中学のとき学校に行って教室で話してたことって多分こんなだったな、と懐かしみながら俺は相槌を打っていた。


 大方食事を終え、テーブルの上の皿に食べ物がなくなった頃合いで、会澤がいきなりニカッと笑って感謝の言葉を口にし出した。


「いやぁ、今日はみんな集まってくれてありがとう。正直、結構厳しいのかなって思ってたんだよね。氷川さんなんて今京都に住んでるわけだし。そういえば、まだ向こうに帰らなくて大丈夫なの?」


 尋ねられた氷川は食後のホットコーヒーをゆっくりと啜りながら答えた。


「今日、京都から来たんだけど」


「うそっ、マジで?」


 平然と話す氷川に会澤は驚いて目を見開いた。主催者である彼も知らなかったようだ。


「今週講義があったから、成人式が終わって一旦向こうに戻ったの。テストとレポートさえしっかりできれば単位は取れるから無理に出なくてもよかったんだけど、最後のほうの講義は重要なことを話す可能性もあるから一応出てきた。で、今朝の新幹線でこっちに来た」


「この集まりに参加するためにわざわざ来てくれたわけ?」


「そうだけど、何か不自然なところある?」


「いやいや、すごく嬉しいんだけど……。でも、それじゃもしかしてこれが終わったらまたすぐ京都に戻るってこと?」


「そう。でも、新幹線の中って意外と勉強に集中できたりするから支障はないと思う。むしろ、誘ってもらえて感謝してるくらい」


「それならいいんだけどさ……」


 氷川の発言を聞いて心配になったようで、今度は俺と笹本のほうを不安げな眼差しで見つめてきた。


「ごめん。もしかして二人も忙しかった? 俺、大学とか専門学校とかのことよくわかってないからさ。無茶な予定組んじゃったのかもしれないね」


 焦りと反省でおどおどする会澤に、優しい声音で答えたのは笹本だった。


「ううん。わたしは大丈夫だよ。一応、就職も決まってるし。あとは卒業制作があるんだけど、進捗状況は悪くないから」


「そうなんだ。それならよかった。石狩は?」


「俺は……」


 三人の視線を感じて一瞬言い淀んだが、言葉を整理して淡々と答える。


「俺も平気だ。氷川と同じだよ。大学生は単位さえ取れりゃいいんだ」


 言い終えた直後、氷川の射抜くような鋭い視線を受けた気がした。


 何か余計なことを言ってしまったのだろうか。手や脇の下の辺りに冷や汗が流れるのを感じた。


 けれども、彼女は俺には何も言わず、隣の会澤に向けて冷静に補足した。


「大学の場合、必修科目の単位さえ取ればあとは自分の好きなように時間割を組めるの。だから興味のある学問があれば試しに聴講してみてもいいし、講義が空いた時間には六法全書を読んだりもできるわけ。もちろん卒業に必要な単位数は決まっていて、それが達成できなければ卒業できないけど」


「六法全書……聞いたことある。なんか広辞苑みたいに分厚いやつだよね。やっぱ大学生ってすげぇわ。みんなあんなの読んでるんだ。石狩も難しい数学の本とか読んでるんでしょ? 普通の本とかもろくに読めない俺からしたら信じられない世界だよ」


「それを言うなら、もう働いてる会澤だって充分すごいと思うけどな」


 自然な会話を意識し、俺は言葉を選んで慎重に発言する。


「そんなことないと思うけどね。でも、まあ今はそういうことにしとくよ」


 もうそろそろこの話題を切り上げるべきだと思ったのか、あどけない子供のごとく俺たちから話を聞き出していた会澤は苦笑して強引に頷いた。


 代わりに持ち出したのは、あの話だった。


「そろそろ、新島さんのことについて話そうか」


 途端に、流れていた空気がこれまでとは別種のものに変わった。


 いよいよ始まるのだ。緊迫する中、それぞれが覚悟を見せるように首を縦に振った。


 ここに集まった全員がずっと頭の片隅で気にしていたこと。どんな話をしていたときも、どんな表情をしていたときも、いつかは出されるかもしれないその名前を聞き逃さないようにして待っていたことだろう。


 成人式の日、会澤は言った。話してないことがある、と。それはおそらく未翔に関することだ。


 だから、今日はその話をする。そのためにここに集まったんだということまでは誰もが理解していたはずだ。


 それでも、ここまで彼女の名前を出す者はいなかった。


 なぜならば、その引き金を引くのは会澤しかいないと皆が思っていたからだ。


 俺だけじゃない。笹本も、氷川でさえもそうだった。ピストルを持った彼によってスタートの号砲が鳴らされるのを、駆け出すその瞬間を、隠れてポーズを取ってずっと待ち構えていたのだ。


 そして今、全員の足が一歩前に出る。


 走り出したら、おそらくもう止まらない。

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