『ダイモン・ケイリスク』
「あ、起きたね」
目を開ける前に声がした。知らない男の声だった。
首を曲げると、薄い掛け布団をかぶせられた自分の腹越しに、椅子に座った眼鏡の男の微笑んだ顔が見えた。
「ロキィ~! 起きたぁああ! 」
年の頃は三十歳くらいだろうか。白人で、明るい茶髪をしている垂れ目の男だ。ブルゾン型の局の制服を着ている。
「あなたは……? 」
男はにこっとする。そのとき、扉を開けてエリカとともに見知らぬ『本』の少女が部屋に入ってきた。
「体は起こさないで。あなた、椅子を彼女に譲ってあげてください」
「はいはい。じゃ、おれは向こうでお茶をいれてくる」
腕を伸ばしてニルを診察する『ロキ』と呼ばれた少女の肩ごしに、心配そうなエリカが言った。
「覚えてる? あなた、倒れたのよ。ここは、ちょうど通りがかったお医者様の家」
「私はどちらかといえば、薬を作る方が専門ですけどね。発熱があります。頭痛や吐き気は? 」
「無いです。どちらかといえば腹痛が……あの、ありがとうございます。お世話になりました」
「体調の悪い人の世話を焼くのは普通のことですよ。それが子供ならなおさらです」
優しい言葉を淡々と口にする少女の青い髪は、男でも長髪の『本』にしては珍しく、肩の上くらいしかない。眠たげな青い目と、こぶりな唇と、血の気のない白い顔をしていた。
その顔に誰かの面影を見て、ニルは首を傾げた。
「……あの、どこかでお会いしたことがありますか? 」
「あいにく私は悪名高い身なもので、そのせいかもしれませんね。ほら体を起こさないで。倒れたときに頭を打っているかもしれません。家に帰るのは一時間ほど様子を見てからですよ。いま夫が解熱剤を持ってきますから、飲んでください。お腹、触らせてくださいね」
「はい……あの」
服の裾をまくりあげながら、ニルのかけた声に、伏し目になった睫毛の下で、感情の見えない青い瞳がキョロッと動く。
(あっ……)
「どうかしましたか? 」
耳たぶに、にぶい金色のピアスがかかっていた。小さな石が三つ並んだそれは、ビス・ケイリスクが両耳につけていたものと同じものだった。
「いえ、なんでもありません」
●
薬草茶は、とろみがあって砂糖で味付けしてあった。
扉の向こうで子供の声がしないかと耳をすませてみたが、ダイモン・ケイリスクの明るい笑い声がたまに聞こえるだけだった。
(今はここにいないのかな……)
この時代のビス・ケイリスクは、まだ思い出していない。ただの十二歳の子供のはずだ。
ビスの両親は、『アン・エイビー事件』で死亡することになる。もちろんニルは、会ったことなどない。
予定外の遭遇だった。
静かな部屋に、時計の秒針の音が響いている。室内をよく見れば、客間というわけでもないようで、畳んだ洗濯物が脇に置いてあったり、持ち主の生活痕がありありと見えた。
(早くここを出ないと……)
刻一刻と『前』との変化ができている。だというのに、内臓がまるごと鉛製になったみたいに重かった。
何度か眠っては束の間の覚醒をしたような気がする。ふと見れば窓の外は日が暮れかけていて、隣にダイモン・ケイリスクが座っていた。
「おれには未来が見えるんだ」
ダイモンは微笑んで言った。
言葉に詰まるニルに、ダイモンは眼鏡のつるを触りながら続ける。
「おれの育ての親は、自分の葬式を自分で手配するような人でさ。その人がおれに口癖のように言ってたんだよな。
『いい、ダイモン。わたしたちの特別な目は、昨日や明日のことを見る。わたしの明日の先にはずっと貴方がいた。同じように、貴方の明日の先には、貴方の子供や孫がいる。貴方の昨日にはわたしがずっといる。忘れないで。明日、わたしが死んだとしても、貴方の明日にわたしが消えるわけではない。貴方の瞳の中にある昨日の先に、わたしはずっといるのですからね』」
眼鏡を取ると、どこでもあるような黒い瞳が金色に変わった。
「おれは息子たちにもそう言って育てたよ。愛する人が死んだとしても、愛したことが消えるわけじゃないんだ。明日おれが死んだとしても、それは悲しい事じゃない。寂しくても、ただ明日にいないだけで、昨日には存在している。だからおれは、きみに会えてよかったよ」
「分かってて……」
「佐藤くん。ありがとう、ここに来てくれて。ビスはここにはいないんだ。現時点のあの子は誰より力が強くて、ほとんど家族で暮らしたことがない。あの子の友達に会えて、とても嬉しかった。……おつかいを、お願いしてもいいかい」
ダイモンは、シーツの上に封筒を取り出した。
宛名には、『シオンくんへ』とあった。
「息子さんには、何か……」
ダイモンは声をあげて笑った。
「あはは! あの子たちにはいらないよ! 必要ないんだ。同じ『眼』を持つ者同士だからね。
あとはそうだな……。も少し『お土産』をあげようか。
機会を探して、七月三十一日について調べてみるといい。あの日、あの街で、佐藤くん以外にも行方不明になった児童二十四人の名簿を手に入れるんだ。そこにおれの名前とシオンくんの名前もある」
「え……」
「おれは隣の市の私立泉大付属中で、シオンくんは第七中に通ってたんだよ。中学は違うけど、周 晴光くんとはご近所でね。育て親が亡くなったとき、晴光くんのお父様にはお世話になったんだよね。ほら、ご住職だから。おれたちクラスは違ったけど、小学校はいっとき同じだったんだぜ。きっと彼は憶えていないだろうけどね」
ダイモンは後ろ頭を掻いて、「懐かしいなぁ」と遠い目をした。
「佐藤くん。七月三十一日のあの街から、3ヶ月後にこの世界へ投下される人たちと、おれとシオンみたいに、行方不明になったのに投下されなかった人たちがいる。
……その
さあ、もう帰るといい。きみに会えて、ほんとうによかった」
窓の外には、もう月が出ている。
ダイモンは、最後まで微笑んでいた。
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