『ハック・ダック』

 エレベーターを降りると、そう広くはないエレベーターホールと、見慣れた観葉植物が視界に入った。

「ハック・ダックを探してるんですが」

「ああ、いらしてますよ。少々お待ちください」

 受付のアンドロイドが言う。

 ほどなくして、青い巨漢サイボーグがやってきた。


「晴光? どうした」

「あ、いや、教官、こんにちは」

(しまった……用事なんて無いのを忘れてた)

 晴光は、後ろ首をさすってハック・ダックを見上げた。

「その、教官……元気? 」

 ハック・ダックの頭の上に『?』が見えた。

「……あ、ああ。まあ、そこそこ健康だぞ。……まさかなんか聞いたのか? 」

「え! いや、なんもないすっけど」

「そ、そうか。まあいい。午後の予定は。無いか? じゃあ昼飯でも行くか? 」


(悠長にメシなんて食ってる場合なんだろうか)

 精神はどこかをさまよったまま、晴光はハック・ダックについて、局の玄関ホールを出た。

 そこは広場になっており、噴水を囲むようにしてメインストリートと同じように屋台のカラフルな天幕が並んでいる。適当なものを買って、空いたベンチに腰を下ろした。


「……で? どうした」

「いや、ほんと、なんも無いんす。ただ……友達に、教官に会いに行けって言われたから」

「……そうか」

「おれにも理由はよくわかんなくって。ん、うまいっすね、これ」

「晴光。義手なのは左だったか? 」

「ええ、そうっす」

「そうか。動きに支障は? 」

「もうほとんど元の腕と変わんねえですよ。え、なんかありましたか」

 ハック・ダックは、晴光の左肩を叩いて「なんもねえよ」と笑った。


「でもまあ、しいていうなら……晴光、ワンダー・ハンダー博士って知ってるか」

「ぶふぉ」

 コーラがコップに逆流する。

「どうした!? 」

「あ、いや! 聞いたばっかりの名前だったんでびっくりして! なんかスゴい科学者だったんでしょ」

「まあ、そうだな……立派かどうかはともかく、すごくはあった」

 ハック・ダックは、何かを思い出すように視線を空に向けた。


「おれはよ、むかし、ワンダー・ハンダー博士の部下だったんだ。第三部隊所属の研究員でな。爆発事故に巻き込まれて、この体になったんだが、そのときおれを改造したのが、ワンダー・ハンダー博士だったんだ」

「事故に巻き込まれたってのは、聞いたことがあります」

「そう。……で、ワンダー・ハンダーはおれ以外にも、たくさん発明品を作ってる。健康管理センターに、アンドロイドの女医がいるだろ? 脚が金属でできてる……」

「ああ、いつもの女医さん」

「そう。アイツを作ったのもワンダー・ハンダー博士だ。名前はビアンコ。あいつとおれは、『人工機械生命シリーズ』って名前でくくられて製造された。いわば、義理の姉と弟の関係なんだよな」

「じゃあ、さっきはお姉さんに会いに行ってたんすか? 」

「そういうこと。どこかが悪いとか、女医と付き合ってるとかじゃないぞ」

「いや、別にそんなことは考えてませんて」

「ま、お前はそうだよな。うん、それでよ、ワンダー・ハンダーの発明品は膨大で、3000くらいが管理局に登録されてるんだ。ビアンコやおれみたいに現役で働けるものもあれば、使い道が無くて倉庫に眠りっぱなしのやつもある。そのうちの一つに、おまえも使えそうなアイテムがあって、おまえが良ければなんだが、近々譲りたいと思うんだ」


 思わぬ話だった。

 晴光は、慎重に言葉を選ぶ。

「……なんでおれに? おれ、とくに困ったことはありませんけど……それに貴重なものなんじゃ」

「貴重なのは確かだ。そのぶん性能もいい。ちょっと改造が必要だが、おれはそれを、おまえの義手にすればいいんじゃないかと思ってる。長い目で見れば、肉体強化だけの戦い方は体の負担が大きすぎるからな。その義手なら肉弾戦以外の戦術が組めるようになる。選択肢を増やすつもりで、どうだ? 」

 提案するハック・ダックの銀色の目は、強い意志をもって晴光を映していた。


「『パートナー』を取るかどうか、迷ってるのは知ってる。『本』がいないまま今の仕事を続けていくつもりなら、この義手はおまえを助けることになるはずだ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ありがたい話っすけど、そんな、突然すぎますよ……今、返事しなきゃダメなんすか? 」

「……すまん。期限があってな。焦ってた」

 ハック・ダックは、大きな手のひらで顔をぬぐった。


「か、考えてみます。でも今は……ちょっとおれも、考えることが多くって」

「ん。そうか。そうだよな……。なるべく、一週間以内に返事をくれると助かるんだが。

……あれなんだ? 」


 ハック・ダックが、中央棟の上を指した。

 屋上から流線型を描く『線』が見える。ビルのてっぺんから青い空に入れた切り取り線のように、黒い線がふもとの街のほうまで伸びていた。

 その線の上を、つー、となぞるように、影が滑る。


「……デネヴ? 」

「え? 」

「あれ、デネヴっすよ……なにしてんだろ。あんなに触手伸ばして。おーい! デネヴー! 」

 ロープウェイのように下っていく影へ向かって、晴光は腕を振って叫んだ。あちらも広場にいる二人に気付いたらしい。別の触手を伸ばして、こちらへとやってくる。

 その影が人型に視認できる距離に近づいたとき、はじめて晴光は異変に気が付いた。ハック・ダックが晴光を腕でなぎ倒すように突き飛ばし、影に向かって腕を構える。

 青い燐光がその胸から腕へはしった。

 広場を白い光が埋める。目がくらんだ晴光の耳に、『ヒュン』という風を切る音が聞こえた。


「行け―――――ッ」

「教官! 何がッ」

「逃げっ――――」


 どすん、と重いものが落ちる音がする。まだ白く霞む視界の向こうに、女の笑い声がしている。

 晴光は、糸のようなものを伸ばして空を跳んでいたから、慣れ親しんだ触手生物の友達だと思ったのだ。けれど、跳んでいたのは、デネヴでは無かった。


「……誰だ? あんだ」

「アハ、アは、はは、あハハ」


 本人の口から言葉が出る前に、晴光の目が色をとらえた。

 剥き出しの太腿がみえる。肌色の上にあるのは、ピンク色のリボンで縁取りされた傘状をした紫のスカート。コルセットで絞られたウエストの上に、露出した上胸があった。

 左の唇の横に黒子がある。

 目尻の垂れた紫の瞳。

 右肩に青い薔薇の入れ墨。

 ベージュの巻き毛――――。


 心臓が鳴る。


 ――――その名を知っているか。


 脳よりも、心臓が知っている。目が知っている。喉が知っている。


 人は呼ぶ。

 六年前の『本の国襲撃事件』の実行犯。

 一人サーカス。ド派手ピンク女。歩くグロテスク。悪趣味パレード。大災害。『あの女』。


 ――――ファンの両親を殺した女。







アン・エイビーなる女を、知っているか。

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