第35話 森の邂逅

 ~ シーナ騎馬大将クロック・アシモフ ~



 帝都から帰った俺を迎えてくれたのは、ラトだった。


「その傷は!?」

「気にするな、かすり傷だ。状況は」

「エンヴィーが本格的に山狩りに乗りだしました。すぐに手当てを」

「いらん。騎馬は」

「動かしていません。第一陣には参加させましたが、アデュバルの投石に巻き込まれて二名が死亡。北方出身のロス小隊長とラフネ村出身のウィーバーという新兵でした」

「遺体は回収できたか?」

「いいえ、まだ。ネームプレートだけはなんとか」

「充分だ。ロスとウィーバーも自らの遺体の回収のせいで仲間が危険にさらされることなど望まん。家族への手紙は?」

「発送しました。遺族報酬も」

「そうか」


 そこまで言ってしまうと、ラトはむっつりと黙ってしまった。


「まだなにかあるのか?」

「勝手な判断であなたの部下を死なせてしまいました」

「お前の部下でもある。なんの勝算もなく動かしたわけではあるまい」

「エンヴィーに取り入るために策を……」

「それで?」

「失敗しました。部下を失ったうえ、騎馬を侮辱されたことに我慢がならず怒りをあらわにしてしまった」

「ふふふ」

「なにがおかしいのです?」

「いやなに、昔の俺も似たようなことをしたなと」

「それで?」

「学んだ。騎馬に諜報活動は向かん」


 愛馬ドット=グラシアを休ませると、会議室に向かう。


「肝に銘じておきます。大将、報告のまえにひとつよろしいでしょうか」

「なんだ」

「魔道のクラウスという男が、騎馬を嗅ぎまわっているようで……」

「エンヴィーの懐刀だろう。皆に伝えろ、騎馬らしく、丁重にもてなすようにと」

「丁重に、ですね」

「そうだ、丁重にもてなせ。さぁ、報告を」

「本日の明朝、魔道軍将エンヴィー指揮の下、魔道と重装を主とした部隊が山に入りました」

「数は」

「千と五十」

「どこから兵を引っ張ってきた」

「ラクト=フォーゲルの防衛をしていた兵から。魔道軍将エンヴィーと副官のカルマ、重装兵将アンネ・キャルダックと重装准将ローラ・キャルダックの重装姉妹が参加しているようです」


 魔道と重装が本気で潰しにかかったか。動かせる駒、すべてを動員している。


 詰めの動きだな。


「また少し、留守にする」

「どこへ?」

「ラクト=フォーゲルだ」

「なぜ?」

「シーナ騎馬隊、歴代最高の大将の忘れ形見に敬意を表しに行く」

「まさか!?」

「そのまさかだ。奴の狙いはラクト=フォーゲルで間違いない」

「阻止しに行くので?」

「表向きはな」

「本心は?」

「シーナという強大な敵にも屈さず正面から向かい合い戦った、英雄の息子の姿を、一目でいいから見てみたい」




 ムグラの森の怪異との邂逅かいこうを果たしたのは日暮れ時だった。


 森で兵を傷つけ、交通を妨げていたのがジャバナの仲間であることはわかっていた。


 人か魔物か、正体こそ明らかでなかったが、ジャバナの指示で動き、治りの遅い箇所を狙うだけの知能があることも理解していた。それだけ賢い生き物なら言葉も通じるだろうという予測もたてられた。


 突如として現れたムグラの森の怪異、その危険性はすでに一般市民ですら知っている。首都では討伐隊が編成され、逃げた加護持ちとおなじレベルのニュースになっていた。


 そんな危険な場所に、幼い子供がいた。視線を切るように木の陰に隠れて。


 ――お前がムグラの森の怪異か?


 ――騎馬の腕章……。


 ――ジャバナ・ホワイトフェザーという男を知っているな?


 瞬間、だった。


 俺ですら反応できないほどの速度で距離を詰めてきて、首を斬りつけてきたのだ。


 ――問う、なぜ死なない。


 ――動脈を避けた、それだけだ。


 刃物のように変形した手足の先と細長く柔軟な筋肉、奇妙な体の造り、初めて見る生物だった。


 ――次はない。


 ――待て! 敵じゃない。


 ――姿を見た。ジャバの武器、なくなる。


 少年の言葉はたどたどしく、違う言語圏の出身の者と話しているように聞こえた。


 あるいはグレスラーのアサシンかとも思ったが、グレスラーの訛りでもない。


 なんとも不思議な言葉遣いだった。言葉を覚えたての子供が、そのまま成人並みの構音能力を獲得したような。


 俺は首の傷の止血をしながらも眼前の少年からは片時も目を離さず、会話を続けた。


 ――俺はクロック・アシモフ、騎馬大将だ。ジャバナの敵じゃない。お前は誰だ。


 むっつりと黙る少年。


 しばらくすると、小さな声で呟き始めた。


 ――マスター・パッチ、言う。騎馬は悪くない。良い人間。パスタ―・パッチ、言う。アイザックやクロック、ラトは良い人間……。


 ――パッチ? いまパッチと言ったか? ハーデのパッチか?


 ――夜、くる。もう行く。ジャバ待つ。


 ――お前は……。


 突然、目のまえから少年が消え、後頭部に衝撃が走った。気がつくと、朝になっていた。




「兵の装備が終了しました。そろそろ話して頂いても?」

「ムグラの森の怪異の正体がわかった」

「なんですって!?」

「あれはハーデ・匠の精霊の遺作、マキナ・シーカリウスだ」


 絶句するラト。


「であれば……。であればただちに森を攻めて討伐しなくては! こちらと向こう側から挟撃するか、あるいは森に火を放ちマキナの行動範囲を狭め――」

「まぁまて。もうマキナは森にはいない。今頃ジャバナと合流しているはずだ」

「なぜそう思うのです」

「ジャバナとマキナの発言から判断した。奴らの最終的な狙いも読み違えていないだろう、ラクト=フォーゲルだ」


 その時、どこからともなく歓声があがった。


「大将! 報告です!」

「なにがあった」

「結界が、結界が破れました! これを好機と山狩り部隊は攻勢を強めています!」

「ご苦労、引き続き注視せよ」

「はっ」


 いよいよ動き出したか。


「結界が破れたとなれば彼も……。読みが外れたのでは?」

「いや、どうだろうな」

「ひとつ尋ねても?」

「なんだ」

「久しぶりにあなたの楽しげな顔を見たような気がします。昔のあなたみたいだ。子供じみた笑み。なにがそんなに楽しいのです?」

「俺たちがまだ新兵だった頃、アイザック殿が上官の毛生え薬を盗んだだろう。憶えているか?」

「えぇ、それはもう昨日のことのように。忘れたくても忘れられません」

「それを思い出してな」




 ――クロック・アシモフ、ラト・バズ・バーン、お前たちに重大な任務がある。


 ――なんです? こんな夜中に……。


 ――すぐに仕度をしろ。飲みに行くぞ。


 ――なにを馬鹿なことを。いま何時です? 巡視の兵は?


 ――ここに毛生え薬がある。これが誰のものかわかるか?


 ――まさか……。


 ――いつも怒鳴って偉ぶってる奴もひとりの男だ。薄毛のことなんか気にしてやがる。


 ――アイザック殿、正気ですか? これがバレたらどんな罰を受けるかわからない!


 ――落ち着けクロック。柔軟にいこうぜ。毛生え薬がないと知ったら奴はどうすると思う?


 ――そんなこと知りませんよ! すぐに返してきてください。


 ――とりに帰るんだ。


 ――へ?


 ――巡視をさぼって家にとりに帰るんだって。さっきトイレに行くふりをして奴の様子を見に行ったんだが、心ここにあらずって感じだった。間違いなくとりに帰る。以前もそうだったからな。


 ――そんなバカな。


 ――楽しいなぁ、人の悩みにつけこむのは。さぁ行くぞ。変装しろ。夜の街にくり出そうではないか。上官に隠れて飲む酒のうまさを教えてやろう。鐘の音が聞こえたら、それが戦闘開始の合図だ。




「マキナに盗ませた大量の小麦と、上官から盗んだ毛生え薬」

「なるほど。いったい彼はなにをするつもりなのでしょうね」

「ただし今回は巡視をさぼる上官とは違う。相手はシーナ屈指の知将だ。ジャバナの企みにはいずれ気がつくだろう」

「えぇ、かもしれません」

「あの日、俺たちは酒の匂いでバレて一日中走らされたな」

「そうでした」

「ジャバナは、あいつはうまくやるだろうか」

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結界しか張れない僕でも幸せになれるだろうか 長佐 夜雨 @yau0009

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