第21話 愚者の渡しの護り

 幼少期の僕は紛れもなく幸福な少年だった。賢く穏やかな母親と、国の要人でリッチな父親。文句の付けどころのない家庭環境だった。


 しかし一夜の悪夢で状況は一変した。精霊の曝露事故である。


 あの日の僕は、なにかに導かれるようにレナンの棘を自分の体に刺し、故郷を護り抜いた。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ市民から英雄的な扱いをされたが、すぐに彼らは思いだした。加護持ちはいずれ暴走するという事実を。


 母は信じた神を捨てたうえ不信な最期を遂げ、父は戦場で誰の援助も受けられずに命を落とした。


 見世物になり、山賊の襲撃で自暴自棄になった僕だったが、デジー・スカイラーという天使と出会い希望を見出すことが出来た。


 ようやく幸福の光を見つけたのに、今度はシーナからの攻撃。


 幸福は悪夢に呑み込まれ、悪夢が幸福の光に照らされて消滅する。人生は悪夢と幸福のバイオリズムによって成り立っている。拒否したくても抗えない、巨大な波だ。


 デジーさんとの関係も落ち着き、マキナと旅をするようになってから、やりがいのようなものを感じるようになりつつある。


 僕の人生は上向きつつあった。


 こういう場面で事件が起こるとしたら、よくないことだと相場が決まっている。


「この先に橋がある」


 シーナの生活を支える水を一手に担う大河・ラクト=フォーゲル。


 流れは速く、かつ川幅が広い。河川の渡りは船が使うか、シーナ最高の橋職人・ヒダリがかけたラクト=フォーゲル大橋を渡るほかない。


「人間が、多い」


 と、マキナ。


「なんて数だまったく」


 大国シーナの本気度合いが伝わりすぎて悲しくなってくる。


 僕らの襲撃まで視野に入れるなら拠点や市街地の防衛のための戦力は確保していなくてはならないはず。ただ橋を護るためだけにこんな数をかけている余裕がどこにある。国境も警備しておきたいはずなのに。


 地図を広げてみた。


 奴ら、なぜ僕らが逃げるルートがわかったんだろう。魔導の国グレスラーの他にも選択肢はあったはずだ。なのになぜ。


「まるで私たちが来ることを予見していたようですね」


 と、デジーさん。


 まったくその通り。明らかに妙だ。


 シーナに隣接する国はいくつかあるが……。


「最も渡したくない国に加護持ちを奪われるのを懸念したのかもしれない」

「というと?」

「グレスラーに僕らを奪われたくないんだ。東方、魔導の国グレスラーは僕の母の故郷でもあるのですが、兵士は魔法に通暁した者が多く、広範囲かつ高火力の攻撃手段をいくつも有しています。シーナとは敵対関係で、罪人の引き渡し協定もないと考えるのが自然。だから僕らはグレスラーを選択しました。しかしシーナ側の時点にたって考えると、別のものが見えてくる。僕らがもしグレスラーに渡ってしまったら、シーナは二名の加護持ちにプラスして、ハイレベルの魔法使いを相手にする羽目になるかもしれない。なんとしても避けなくてはならないシナリオだ」


 面倒なことになった。


「川に沿ってやぐらの建設もされているようですね……」


 船や泳ぎで渡すつもりもない、と。


 僕らが山賊の襲撃を受けてから、まだそう日は経っていない。なのに川に沿って一定の間隔を開けて櫓が組まれていて、つねに大河ラクト=フォーゲルを監視しているようになっている。


 大国の本気。


 有事の際にいかに迅速に動けるか。金や人を割いてどれだけ必要な物を集められるか。大局のためにどれだけ冷静でいられるか。


 強国グレスラーと睨み合い、周囲の国々を武力で手なずける大国、シーナ。


 まともに戦うのは無理だ。シーナの面倒さは数だけじゃない。一度は退けたが魔導軍将エンヴィーや副官のカルマのように、有能な兵士が揃っているし、軍の統率力と連携は随一。


 人外の力を有する加護持ちがふたりとハーデの最高傑作がいるからといって、シーナがガチガチに防衛しているラクト=フォーゲルを落とせるとは思えない。


 夜の闇に紛れて渡るか。それとも迂回して見張りの少ない地点を探り、ピンポイントでそこを攻めるか。あるいはラクト=フォーゲルを捨てるという手もあるが、現実的にはどうだろう。僕らの幸福は本当にこの大河の向こうにあるのだろうか。


 どうしたものか。


 ここまで警戒しているということは、ラクト=フォーゲルの先にはシーナにとって不都合ななにかが存在しているのだろう。アデュバル・力の精霊が住むという【蛇腹の洞穴】、もしくは竜の住処【鋼の針山】、魔導の国グレスラー。僕らがこれらに到達するとシーナにとってまずいことになる、だから防衛する。


 人が嫌がることはやりましょう。


 戦瞰遊戯でも大切なことだった。いい人は地獄に落ちるってのは、この世界の常識だ。シーナが一見過剰にも見える戦力を投入して防衛しているこの橋。


 敵がなんとしても渡らせたくないなら、なんとしても渡りたい。


 シーナにとっての不利は僕らにとっての有利。


 夜に泳いで渡るのはどうだろう。いや、ダメか。もし途中で敵に察知されたら悲惨な結末になる。船だろうと泳ぎだろうとおなじだ。橋の上や陸から降る苛烈な攻撃を防ぐ術は、僕らにない。結界で誤魔化しながら陸地に辿りついても、その頃には敵に攻囲されて終了。


 ラクト=フォーゲルを渡るのなら、しっかりと準備を整えてからでないといけない。泳ぎでも船でも橋の上を渡るでもいいが、確実に安全だと確認できるまでは動きたくない。焦って失敗すれば愛しのデジーさんと、まだ生の喜びも知らぬマキナを殺すことになるのだから。


 目的地を変えてもいいが、変えたところでどうなるのだろう。


 睨み合う相手がシーナから別の戦力へと移行するだけだ。大国シーナより幾分か追跡の圧は減るだろうが、心が休まることはないだろう。シーナと連携している小国のなかには、実験的な考え方をする国もあり、暴走のリスクを知りつつ加護持ちを戦力として計上している国もある。もしそういう国に逃げてしまったら、人外の加護持ち、僕らと同等の奴らを敵に回すことになるのだ。


 どれが正解でどれが不正解かなど結果論にすぎない。なにを選択してもリスクがゼロになることはないし、確実に安全だと断言できる道もない。


 痛っ。


 ちっ、爪を噛み過ぎた。


 悪い癖は治らないもんだ。考えすぎると無意識にやってしまってる。


「ジャバ、話す、マキナに」


 ひとりで悩むなってことか……。


 デジーさんも心配そうに僕を見ている。申し訳ないことをした。僕らはみんなで生活しているのだ。ひとりで生きているわけではない。


「僕らは岐路に立たされています。ここで正しい選択をするかどうかで、この先の生存率や幸福度は大きく変わってくるでしょう」

「ジャバ、なに望む」

「僕はラクト=フォーゲル大橋の向こうに行くべきだと考える。理由はいくつかあるけど、最も大きいのは警戒のされ具合。シーナは僕らに橋を渡って欲しくないんだ。なんらかの理由があるんだろうね。敵がして欲しくないことはしておきたい。それにグレスラーが魅力的だ。僕の母の故郷、もしかしたら伝手があるかもしれないという淡い希望や、シーナとの関係の悪さもある。最も僕らの幸福に近い土地だと思う」


 僕はデジーさんと目を合わせ、言った。


「かなり危険な選択だと思うけど、構わない?」

「ちゃんと考えてのことなのでしょう? ならば私から言うことはありません。ジャバさんに従います」


 ここがふんばり所かな。


「マキナはどう?」

「肯定する」


 橋の周囲にはウジャウジャと兵士がいた。


 遠く離れているから聞こえるはずなんてないのだけど、鎧の触れ合う音や、火花をあげる剣の音が聞こえてくる気分だった。

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