第17話 癒しの結界

 少年はいまにも光が消えそうな瞳で僕とデジーさんに向けたあと、昼寝をしている猫のようにゆっくりとまぶたを閉じた。


「ジャバさん! この子を助けないと!」


 そうは言ってもだな……。


「この子は明らかに普通じゃない……」


 とりあえず謎の液体が少年の血液だということは判明した。


 腹部の傷からダーク・ブラウンの、刺激臭のする液体が流れている。手は鞭のように変形しており、先端は金属。下半身の筋肉の感じも人間のものとは乖離している。


 パッと見てわかる、これは生物の特徴ではないと。金属を連想させる固い質感、生物の肉とは決定的に違うなにか。


「とにかく血を止めないと、この子は死んでしまう」

「まて! 触るな!」

「なぜです!?」


 これは助けていい物なのだろうか。


 少年の本来の姿を目撃したいまとなっては疑いはない。この子は間違いなくマキナ・シーカリウスだ。


 ハーデ・匠の精霊の暴走によって生まれた殺戮兵器。生命を殺すためにデザインされた体。


「その液体が人体に有害でない保証がない。それに……」

「それに、なんです!?」

「助けた後に我々が攻撃されない保証もないのですよ?」


 デジーさんは一瞬、悲しそうな表情をした後、素手でマキナの傷口を抑えた。こういう時、彼女は迷わない。助けるのだと思ったら助けるのだ。後先なんて考えない。


 力のコントロールが出来ず、マキナの体がへこむ。


「熱っ!」

「デジーさん! 手を離して! 火傷してる!」


 毒の血? 酸?


「嫌です! この子を助けたい!」

「体が傷つけば寿命が縮むんだぞ!」


 大粒の涙を流す、僕の奥さん。


「普通じゃないからなんですか……。あなた、言ったじゃないですか! 結界しか張れなくてもいい、怪力でもいい、化け物だって加護持ちだっていい! 幸せになるんだって!」

「だからなんだってんだ! その子はもう助からない! 手を離せ! デジーさん!」

「私たちが! 私たちがこの子を見捨てたら、誰がこの子を救ってあげられるんですか!」

「……」

「この子の痛みが一番わかるのは私たちじゃないですか! この世界にたったひとり、虐げられて孤独に生きて、そんな悲しみがわかるのは……、私たちしかいないじゃないですか……」


 デジー・スカイラー……。


 人類の敵、アデュバルの加護を受けたアホのシスター。


 自らが信じた教えに裏切られても信じることを止めず、世界から憎まれても決して愛を手放さなかった鋼鉄の魂を持つ女。


「手を離しなさい」

「わからず屋!」


 きっと、この人の性格は死んでも治らん。


「結界で止血するから」

「へ?」

「木と結界で挟んで止血する」

「でも……」

「いいから。これ以上あなたのキレイな手が傷つくのを見てられない」

「ジャバさん!」


 まったく難儀な道を選んだものだ。


 デジー・スカイラーと生きていくというのは、こういうことなんだろうな。これから先もずっと。


 抱きかかえてもビクともしないマキナの体を木にもたれさせて、結界で傷口を圧迫した。


「デジーさん、なにか食べる物を探してきてください」

「食べ物?」

「この子を助けるためには食べ物がいる」

「え? なぜです?」

「単なる推測ですよ。根拠もなにもない。もし僕を信じてくれるのなら、いますぐに行動して」

「もちろん、あなたを信じています」

「いつも以上に周囲の様子に気を配っていてください。シーナの追っ手に遭遇しないように」

「わかりました。シーナの兵士に気を付けると約束します」

「では行きなさい」

「はい、すぐに」


 まったく僕らしくない。危機回避能力がゼロのデジーさんをひとりで狩りに行かせる? どうかしてる。


「デジーさん」

「なんですか?」

「手は、大丈夫ですか?」

「もう治りました」


 相変わらずの超回復。痕が残らなければよいが。


「もっと、自分の体を大事にしてください。治るからといって無茶をしないで欲しい。あなたが傷つくと、僕も辛いから」

「はい……。気を付けます」

「言いたいことはそれだけ。早く食べ物を」

「はい!」


 まったく気は進まないが、僕はデジーさんの生き方に学んだ教訓を、実行することにした。


 本当に欲しいものがある時、本当に手に入れたい結末のために行動する際は、なにも考えない。ただ幸せな最期だけを一途に望み続ける。


 目を醒ましたマキナが僕らを攻撃したら? 食べ物を探しているデジーさんがシーナの追っ手に襲われたら? この子の命の灯火が、風に吹かれて消えてしまったら?


 そんなことは考えない。


 僕という小さな男がいる。結界しか取り柄のない、惨めな男だ。そんな僕はデジーさんを大切に思っている。僕が愛するデジーさんはマキナを救うために手を焼きながら止血した。そしてこう言った。この子を救えるのは自分たちしかないと。


 大切なのはリスクにおびえて行動しないことではない。望むラストのために足掻くことなのだ。


 生きる場所がないから見世物になる。外の世界は危ないから。


 現状に愚痴を言いながら客のまえで結界を張り続ける。そうしているうちは傷つかないから。


 僕は生まれ変わった。


 痛みの先にしかないものがあると学んだ。リスクを負わないと見えない景色があるということを知った。もう散々迷ったじゃないか。僕は一生分、考えたじゃないか。


「マキナ」

「……」


 返事はない。ただただぐったりとしている。生きている気配を感じない。


「僕らに救われた以上、君にも責任がある。もし命が助かったらその時は、幸せのために足掻くと誓ってくれ。最期の一瞬まで、君という存在が消えてなくなる日が来るまで、諦めないと」

「……」

「もう、なにも考えない。僕は君を救うために足掻く」

「……」

「君がいないと僕の奥さんはダメみたいなんだ」

「……」

「かといって僕が自分の寿命と引き換えに君を救おうとしていると知れば、悩むだろう。彼女にとっては僕も君も大切なんだ。どちらかひとつなんて選べない」

「……」

「考えるのは止めだ。いまこの瞬間のために、僕は足掻くよ」


 愚かな僕は、かつて街を護るために三日三晩、巨大な結界を張った。体の一部が結晶化しているのに気が付いたのは数日後。


 結界が生命力の譲渡に使用できると学んだのは曝露事故から少し経った頃だった。そして自らの生きる力を使用した後、更に結晶化が進んでいることを確認した。


 命の力を他者に分け与える、結界術の奥義。


 ――棘をもつ植物は綺麗な花を咲かせるのよ。


 母は言った。


 ――敵から身を護って、まっすぐに伸びて、それはそれは綺麗な花を咲かせる。


 と。


 結界の本質は護ること。


 大切な人の体を、命を護ること。


 いつか綺麗な花を咲かせると信じて。



 ジャバナ流結界術・【癒しの結界】



 共に生きよう、マキナ。


 ちょっとアホなシスターと、間違いばかりの僕と、幸せを探す旅に出よう。


 僕の命を、少しだけ分けてあげるから。


「レナン……」


 マキナが目を醒ました。


「君は、マキナ・シーカリウスだね?」

「マキナ」

「僕らの敵なのかな、君は」

「精霊の味方。人類の敵」


 それが聞けたら充分だ。


 体から力が抜け、結界が解けた。


「君は、生きるんだ……」

「……」


 意識が朦朧とする。


 僕はこういう人間じゃない。誰かのためにとか、一生懸命とか、ひたむきにとか、そういう人間じゃない。


 デジーさんと知り合ってから、幸せになると決めた日から、なにかが変わった。


「マキナ……、ひとつお願いがある」

「……」

「デジー・スカイラーという……、女性が帰って来る。僕の……妻なんだ……。彼女が来るまで……。僕を護って……、欲しい」


 視界が狭まるのを感じた。


 背中を擦る、冷たい手を感じた。


「把握する」


 意識を手放す瞬間、声が聞こえた。


 まだまだ未熟な、子供の声だった。

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