第2話 馬車  死刑執行人の師は弟子の成長を確認していたが、その矢先に傭兵たちとトラブルに。

 濁った空から水滴がぽつぽつと降り始めた。


 雨足は弱く霧雨程度のものだったが、そんな天候が馬に支障を及ぼすはずもない。御者は掛け声を上げるとともに、馬を鞭打つ。力強く馬は馬車を牽引し、引き続き王都の街中を進んでいく。馬蹄と車輪の音を、石畳のうえで響かせながら。




 その馬車のなかで、死刑執行人たちはくつろいでいた。それぞれ馬車の内部の椅子に腰を掛けている。




「相変わらずの嫌われ具合だな。我々、死刑執行人は。クク」




 そうつぶやいて低く嗤ったのは、処刑台のうえでずっと様子を見守っていただけの死刑執行人だった。名をベルモン・グローという。彼はほかの死刑執行人たちの師であり、首領でもあった。そのほかの死刑執行人たちは、みな彼の弟子にして手下という関係だった。




「まったくです」




 同意したのはベルモンの対面に座す男だった。処刑のあいだ始終二人組で行動していた死刑執行人の一人で、名をゴーマ・イバナという。




「仕方ありませんよ。我々、死刑執行人は基本的には世の中の嫌われ者ですから。処刑のときには、歓迎されることもあるにせよ。いましがたの処刑でもちょうどそういう声がありましたしね」




 ゴーマの隣に腰を下ろす二人組の片割れも口を開く。名をジマといった。


 ルートヴィヒもそうだが、二人組の一人ジマにも姓はない。その理由は、彼ら二人の出自に起因する。師ベルモンの話では、ルートヴィヒとジマの二人は捨て子ということだった。


 彼らは赤子のときに、それぞれ捨てられていたという。




 さきに拾われたのはジマの方だった。その二年後に、ルートヴィヒも拾われたという。そのあとは、双方ともに師のもとで育てられた。呼ぶのに不便なので、捨て子の彼らにも名は付けられた。


 しかし名さえあれば、呼ぶのに不自由しない。姓など不要。たかが捨て子風情につけるまでもない。そう師が考えたこともあり、いまに至るまで二人は姓がない状態のままでいた。




「だな」




 ベルモンがつぶやくと、ゴーマが確認の声を発した。




「次の仕事は、囚人の拷問でしたね」




「ああ、王城に戻って、その拷問室でな。そうするよう命じられているんでな。俺たちの上役である国の役人に」




 ベルモンが答えた。彼らの今日の務めの予定はすでに決められていた。


 彼らはまず今日は王城を訪れ、その牢獄からさきほど処刑された罪人を出した。


 王都での処刑はあの広場でおこなわれることが多いが、今回もそういう予定になっていた。王都内でもあの広場は広く、多くの者に見せしめとして処刑を見せられるからである。




 ただあの広場は、王城からやや距離がある。そこであの広場で処刑をするときは、死刑執行人は王城から馬車を借りる。やや距離があるので、それに乗って広場へ向かうのが常だった。




 その際には処刑場へ連れ出す罪人も少数なら、たいていは同じ馬車に乗せる。




 かくして今回も、死刑執行人たちは罪人とともに馬車で処刑場へ訪れたというわけである。




 処刑後はふたたび馬車に乗って、王城に戻らねばならなかった。借りた馬車はそのときに返し、それから彼らは王城の拷問室での務めを果たすという流れになっていた。




「しかし、ルートヴィヒも処刑の腕前をあげたな」




 薄く嗤い、ベルモンは右へと首を動かす。右隣にはルートヴィヒが座している。ベルモンは膝のうえで両手を組む。




「ときに、処刑を任せてきた甲斐があるというものだ。おまえたち弟子どもに。おまえたち三人の処刑の腕前をあげる訓練のためにな」




 そうした訓練を師はときに課していた。弟子の三人が、きちんと処刑をこなせるようにするのが目的だった。




「今回の処刑にしても、とくに不手際は見当たらなかったぞ。今回の処刑の最中つぶさに、俺はその様子を見守らせてもらったがな。悪くはなかった。今回の処刑で示したルートヴィヒの腕は」




 師にそう云われ、無言でルートヴィヒは会釈した。師は言葉を続ける。




「しかしそれはルートヴィヒだけに留まらない。このところ、俺はおまえたち弟子に罪人の首を刎ねる役を任せてきた。それについては訓練のためではない。わが弟子どもの処刑の腕前が、現在どの程度になっているかを知りたくてだ。


 まずは年長からと考えてゴーマ、ジマ、最後に一番年下のルートヴィヒという順でとくとその腕前を検分させてもらった。ルートヴィヒに関しては、今日にな。


 それを見る限りでは、どうやらわが弟子たちはみな一様に処刑の腕のほどを上げているようだ。これまで死刑執行人としての研鑽を存分に積ませてきただけあってな」




 師に褒められて、二人組の死刑執行人は互いに視線を合わせてさも嬉しそうにする。




「死刑執行人の仕事には拷問もあるが、その腕前についても処刑同様におまえたちは充分に及第だ。これまで検分した限りでは」




 へへへと二人組の死刑執行人は破顔する。




「ということは、もうそろそろ頃合いやもしれんな。今後は俺自身がもっと、死刑執行人としての務めを手がけることにする時期のな。


 それができる状況にあるか否かを測るために、俺は検分をしたんだが。おまえたち弟子の死刑執行人としての腕前を。このぶんだと、どうやら問題なさそうだ。その腕のほどがまだ未熟なら、今後とも課さなくてはならなかったろうが。おまえたちに死刑執行人としての訓練を」




 師は軽く肩をすくめる。




「なにせ死刑執行人の仕事も、多忙なときがある。稀にだが、俺一人でそのすべてをこなすことがひどく手に余る場合もある。


 そんな状況もあって、俺はいままでわが弟子であるおまえたちに幾度となく死刑執行人としての訓練を課してきたわけだが。その腕前を上達させ、そつなく死刑執行人としての仕事をこなせるようにするべく。


 俺としても弟子であるおまえたちにその仕事を請け負ってもらいたかったんでな。さすがにひどく多忙で、そのすべてを俺一人でこなすのが難しいときには」




 なおも師はまくしたてる。




「しかしいまとなっては、もうさほどおまえたち弟子に死刑執行人としての訓練などは必要なかろう。おまえたちは、みな持つに至ったようだしな。死刑執行人としての優れた腕前を。


 ならば今後は、この俺自身がなにかと手ずから罪人の処刑や拷問をおこなうことにしてもよかろう。これまでは訓練を施すためにおまえたち弟子に譲りがちだったが、そうした状況はそろそろ改めさせてもらおう」




 師は灰色の瞳に危険な光を宿す。その目のまえに右腕を上げる。その手も、ごきごきと動かす。




「この俺の性だしな。ひどく悦楽を覚えるゆえ。俺自身の手で人を殺したり、虐げるなり苦しめたりすれば」




 師はその唇の片端を曲げて歪める。黒い覆面のなかで。自分の嗜虐性があまりにも強すぎるのは自覚している。




「本音を云えば、俺もしたいところではあるのだが。なろうことなら、死刑執行人の務めすべてをこの俺自身が手ずから。どんなに多忙でも、弟子任せにしたりせずに。


 実際にはできはせんがな。しかしそれが俺の希望だ。こちらとしてはお愉しみの場を奪われたくないのでな。今日にしたって本音ではルートヴィヒに処刑を任せたりせず、この俺が罪人を殺してやりたかった」




「我々弟子のせいで、師のお愉しみを妨げて申しわけありません」




 ゴーマが謝罪すると、もう一人の弟子ジマもあとに続く。申しわけありません。同じ科白を吐いて、頭を下げる。




「いいさ。お愉しみの場は、処刑だけではないからな。実際にこれから王城の拷問室で、一仕事も待っている。いましがた云ったとおり、そいつは俺にやらせてもらうぞ。存分に囚人を痛めつけてやりたいんでな。


 もちろん拷問に伴う雑用もそこそこあるので、それはおまえたちに手伝ってもらうがな。拷問自体は俺がおこなって、存分に愉しませてもらおう」




 ベルモンは低く嗤った。




「ふふ、どうしようもないな。俺ってやつは。我ながら、まったくもって度し難い。残忍で凶悪な奴だよ。いまも、ひどく愉しみで仕方ないったらありゃしないぜ。もうすぐこの手で、人をいたぶれると思うとな」




 例えるなら、もうすぐ女が抱けると心待ちにする心境に似ているというべきか。ベルモンの胸中は興奮と悦びでときめいている。


 それが、いいか悪いかなんて知ったことじゃない。


 自分のなかに巣食う、どうしようもなく度し難い嗜虐性。そいつが、自分の心の奥底からもたらしてくるのだ。人を殺せ、いたぶれ、虐げろという欲求を。否応なしに。ときとしてその欲求はひどく高まり、躰が疼くほどになる。


 嗜虐性の疼き。俺はそう称しているが。その疼きのことを。その高まった欲求を晴らせる機会が訪れるとなれば、心が沸き立って仕方がない。




「くく、はやく王城に着くといい。はやく」




 師は薄笑みを浮かべる。そのすぐあとには、急ににぎやかな騒ぎも聞こえてきた。処刑場の群衆たちの騒ぎではない。そのことは、すぐに死刑執行人たちにもわかった。


 もう処刑場からは、かなり離れた。ここまで聞こえるはずもない。群衆の騒ぎなど。第一、聞こえてきた騒ぎは、今回の処刑とはまったく関わりのない内容だった。




「とりあえず、良かったぜ。これで俺たちは、傭兵ではなくなるわけだな。近日中に」




「そうよ。しがない傭兵暮らしも、間もなく終わりよ。このアウルムトニトルス王国の正規軍に、俺たちがなれることに決まったからにはな」




「給金だって国から常に支給されて、俺たちの暮らしぶりも良くなるか」




「俺たちの苦労が実ったな」




「それもあるが、結局は隊長のおかげだろ。隊長がひどく強くて有能だったから、その下で俺たちも活躍できて正規軍になれるって流れになったんだからな」




「隊長さまさまだな」




「ほれ、飲め、飲め。酒をどんどん。今日は正規軍になれた祝いだ。派手に飲んで騒ごうぜ」




「おう。今日は店をはしごして騒ぎまくるぜ」




「次の店はどこだ? まだ着かないのか?」




「もうすこしで着くからよ。我慢して歩けよ。俺が案内しようとしている店はよ。酒も料理もすげえいけてるんだ。女も上玉が多いぜ。行くだけの値打ちはあるからよ」




 ほどなくして、死刑執行人たちが乗る馬車を操る御者の声も聞こえてきた。




「すいやせん。兵隊の旦那さん方。ちっと道をふさぐのをやめて、どいてくださいませんか。馬車が通れなくて、困っちまいますんで」




 いつの間にか馬車の速度も、心なしか随分と落ちているようだった。この馬車には開閉式のちいさな窓代わりの木戸もあるが、そこから外を見て速度の下落をたしかめるまでもない。


 感覚的に速度が低下していることは、馬車内にいてもあきらかだった。のみならず外の騒ぎもあって、すでに死刑執行人たちは把握していた。馬車まわりの状況について。


 どうやらこの馬車の行く手には、酔っぱらった傭兵の一団がいるらしい。




 ただ、馬車はゆっくりとであるが進んではいる。どうやら傭兵たちは素直に道を開けてくれているようだ。


 結局は、問題なく通り抜けられそうだ。そんな感じがしていたが、その途上で事は起こった。唐突に水しぶきの音がしたかと思うと、あっ、という叫び声がしたのだ。矢継ぎ早に男の怒声も飛んでくる。




「なに泥水をかけてくれてんだよ。そこの馬車。止まれぇ」




 ひえええ。御者の悲鳴が高らかに上がる。途端に馬車の速度が変わる。御者は恐ろしかった。傭兵にからまれるのが。逃げようとして咄嗟に速度を上げたのだ。




「おい。誰かその馬車を止めろ」




 泥水をかけられた男が叫ぶ。若干の間を置いてなにかがぶつかる鈍い音と、ぎゃっと御者が叫ぶ声が聞こえた。馬車のまえにいた、ほかの傭兵の仕業だった。石を拾って投げつけたのだ。その石は御者の頭に見事に命中していた。




 頭への強い衝撃で、御者は気を失いそうになった。しかし、馬車がいま走っている場所は河川敷だ。もし気を失ってしまえば、このままでは王都のなかを流れる小川に馬車は突っ込みかねない。そうなれば馬車のなかに乗り込んでいる連中ばかりか、御者自身までも大怪我をするか、あるいは死ぬかもしれない。




 危機感を募らせ、必死に御者は気を張った。力の限り、馬の手綱を引っ張りもする。おかげで馬車は前方にやや進んだものの、そのまま勢いづいて小川につっこむ事態は避けられた。




 急激な制動にいなないて不服を申し立てながらも、二頭の馬は前足を上げる。馬車も急激にであるが、その進みを止めることとなった。




 御者はといえば、とりあえず馬車を止めたことで安堵した。ただし、いまのところそこまでが彼の限界だった。石による頭への怪我が原因となり、そのまま御者は気絶した。


                  

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