ダークワールド 王の物語 狂王戦記  死刑執行人編。蔑まれて虐げられる死刑執行人の望みは、復讐。そのために強大な力と狂った王になることを欲す。報復してやる。憎い奴らに、世間に、神に。

奥雫 紘

第1話 祭り  死刑執行人は処刑を実行する。群衆は熱狂する。

 暗雲が垂れ込めている。ついさきほどまで、空は優しい秋の陽射しを地上に降り注いでいた。蒼穹の広がりは美しいばかりだったが、時が経つにつれてその姿は移ろいでゆきはじめた。にわかにどんよりと濁りだし、いまではいつ泣き崩れるか知れない。


  駆けていた少女は、その足をふと止める。いつのまにか暗く変わっていた、その空模様に気づいて。




「いやね。せっかく外にでてきたのに。雨が降るのかしら。濡れたくないな」




 少女は空を見上げながら、そのちいさな唇を尖らせる。




「おーい。なにしてるんだよ。はやくおいでよ。置いてっちゃうよ」




 少女と同年代の男の子が、前方から親しげに呼びかける。その手を左右に大きく振りながら。




「待ってよ。いまいくわ。置いてかないで」




 そう叫ぶと、少女は軽やかにまた駆けだした。親からもらったわずかな硬貨を落とさないよう、その小さな手に握りしめて。もはや気にも留めない。雨が降り出しそうな空模様など。急かす少年に気を遣うあまりに。




 はやく、はやく。待って。待ってよ。まだあどけない少年と少女は、はしゃぎながら消えていく。アウルムトニトルス王国の王都アダマースの広場の雑踏のなかに。




 アウルムトニトルス王国は、悠遠大陸と呼ばれる地に存在する国の一つである。悠遠なる昔から存在する大陸であることから、その地はそう呼ばれている。




 その大陸の北西に立つ大国が、アウルムトニトルス王国だった。この王国は広範な領土を持つ。悠遠大陸のなかでも、強大な国の一つでもあった。




 その北端と西端は海に面している。王都アダマースはその北端に築かれている。寒冷の地だが、王国の首都にふさわしく、その景観は美しかった。




 その美しい景観を愉しみながら、王都の街中を行き交う者もまた多い。




 上品な身なりの老人も、その一人だった。元気なことだな。少年と少女が消えていくその姿に気づき、老人は目を細めてつぶやく。彼は王都に長く住み、昔からこの景観を気に入っていた。




 アダマースは歴史ある古都でもある。その街並みには年経た重々しさとともに、所々に朽ち果てて汚らしい部分がありもする。それでも、その美観が損なわれないよう常に配慮されて保たれている。




 古きと新しさ。美と醜。富と貧しさ。それらが見事に融合し、その街並みは格調高く味わい深い。閑雅で壮観でもある。




 王都に長く住んで見慣れてはいるが、目に入れるたびに老人の心を打つ。もちろんほかの数多くの住民や、旅人の心も。




 首都ということもあって、この王都にはかなりの人々が暮らしていた。旅人も多く訪れている。




 そうした地だけに、この王都には普段から人の喧騒や雑踏で溢れる場所がいくつもあった。なかでも今日は王都の市街地の一画にある広場の一つが、いつにもまして際立った活況を呈していた。


 いまからそこで、祭りがはじまろうとしていた。それを目当てとする人々が、足を向けてきているのだ。上品な老人も、その一人だ。




 祭りのはじまりは正午だという布告も出ている。おかげでその時刻が近づくにつれて、広場は次第に混雑していった。




 群衆相手に商売をしようと、広場の周辺には露店も出ている。酒や菓子、そのほか様々な料理が売られていた。露店商にとって、今日は良い稼ぎどきだった。




 露店商の一人として焼き菓子を売る若者も額にかく汗をその腕でぬぐいながら、にんまりとほくそ笑む。今日は本当に忙しい。ろくに休む暇もない。




 広場での祭りを酒や食べ物を握って旺盛に楽しもうとする輩が、数々の露店にぞくぞくと押し寄せてきていた。若者の店も例外ではない。客が絶え間なくやってきて、嬉しいことに朝からたんまりと稼げた。今日一日だけで、数日分の売り上げを得られた。まったく今日はいい日だというしかない。




 ちょうだい。これちょうだい。雑踏に消えた少女が焼き菓子の一つを指し示した。もう片方の手で、親からもらった硬貨の一枚を露店商に差し出す。露店商の若者は金を受け取ると、さわやかな笑顔を少女に見せる。


 よっしゃ。持っていきな。わーい。少女は喜んで焼き菓子を手に取り、口へと運ぶ。このように数々の露店では、ここぞとばかりに物が売りさばかれていた。




 一方で、求める物を得てしまった人々は広場の中心に目を向けはじめる。懐に余裕のない者や、露店に興味がない連中の大半も、すでにそちらへと視線を送っていた。


 人々の視線が集中するさき。広場の中心には、処刑台が設けられていた。これからそのうえで、惨劇が開幕されようとしていた。




 すなわち、死刑執行である。




 王都の景観を愉しみながら処刑台近くにたどりついた上品な老人も、その口元に歪んだ笑みを浮き彫りにする。


 いまは娯楽のすくない時代だ。そんな時代において、処刑は数多の人々にとって楽しめる娯楽の一つ。見るのが楽しみだ。


 だからこそ老いも幼きも含め、人々はそれがはじまるとなると群れ集うのだ。惨劇を見る興奮や喜びを味わうために、こうして処刑台に足を向けて。




 もちろん、それとは逆にその惨劇に反対する者もなかにはいる。そういう連中も死刑執行を取りやめにしようとして、この場にやって来ていた。




 死刑執行は、まさしく祭りだった。多様な考えを持つ人々が群れ集い、ひとときだけ思い思いに騒ぎ狂う流血の宴。




 いまはその祭りがはじまるときを、人々は心待ちにしている。楽しむなり、反対するなり、はじまれば盛大な宴が執りおこなわれるはずだ。老人は口の歪みを増々深めて、低く嗤う。




 やがて混雑する広場を通り抜け、それぞれが二頭の馬に引かれた馬車が二台やってきた。そのうしろには警護の兵も多数ついてきている。馬車が処刑台の階段の手前付近で止まると、途端に警護の兵は散開した。


 処刑台の周りから人を押しのけて、群衆が近寄れぬようにする。そのまま処刑台の周りは、警護兵によって守られた。処刑をつつがなく終わらせるべく、余計な妨害や邪魔が入らぬようにするために。




 頃合いを見計らい、馬車の扉が開かれた。まずは一台目の扉が開くと、国の役人らしき男と聖職者があらわれた。


 次いですぐに、二台目の扉も開かれる。その途端に広場は、これまでになく騒然と沸き立った。




 扉からは、いかにも禍々しい出で立ちの男たちがあらわれた。


 その全員が両目の部分だけをくりぬいた黒い覆面を顔につけ、身には黒装束をまとっている。




 死刑執行人たちのおでましだった。




 刑を執りおこなう彼らが出てきたのだ。ついにこれからはじまるのだろう。残忍な祭りが。待ちわびた死刑執行が。


 群衆は、わっと弾けた。その祭りを目的に集った民衆の興奮が、一気に過熱する。


 人々に惨劇という娯楽を提供する立役者があらわれたのだ。周囲からは、待ちかねたという歓呼と快哉が響く。逆に、刑に反対する声も叫ばれる。




 それ以外にも、死刑執行人には露骨に浴びせかけられる。嘲りや罵声が痛烈に。広場の各所から容赦なく。気味悪い。怖い。気持ち悪い。死ねぇ。人殺し。おぞましい。


 人々は口々に叫ぶ。


 品の良い仮面を脱ぎ捨てて、上品な身なりの老人も。

 まだあどけない顔に、子供特有の残忍さを帯びさせた少年少女も。遅れて見物にやってきた彼らの親も。いかにも善良そうなその顔を捻じ曲げて。まるで証立てるかのように。一皮むけば、人はみなその内側に醜悪で歪な部分を隠し持っているということを。




 侮蔑と忌避に満ちた数々の視線も、死刑執行人には痛いほど突き刺さる。




 死刑執行人は、世間から差別を受ける存在だった。




 死刑執行人の役割は、罪人の処刑および拷問である。それだけに陰惨な印象を人に与える死刑執行人への嫌悪や悪意は、世間に深く根ざしていた。




 怒号や怨嗟の叫びも上がっていた。群衆のなかには、自分の大事な人間が処刑された者もいるために。なかには死刑執行人への憎しみに駆りたてられ、彼らへ手を出そうとする連中もいた。




 事実、手を伸ばして多数の群衆が殺到してくる。馬車から石畳のうえに死刑執行人が降り立った途端に、彼らを捕らえようとして。しかし、そうした動きは警護兵によって止められた。




 いまや警護兵たちは処刑台を中心に、その周りに輪を描くように陣取っている。




 警護兵と処刑台とのあいだには、多少の距離もできていた。いまや処刑台付近には警護兵たちが壁となり、自分たちを越えてそれ以上群衆が進まぬよう押しとどめていることもあって、ほとんど人がいない状態となっていた。


 ほぼ無人の場所に姿を留めているのは国の役人と聖職者、ほかには警護兵を指揮する指揮官たちだけだった。そんなほぼ無人の場所を罵声や歓声が飛び交うなか、死刑執行人たちは黙々と歩いていく。馬車から処刑台へと向かって、まっすぐに。




 死刑執行人は四人いた。そのうちの二人がさきを歩いていく。その背後に続くのは、後ろ手に両手首を縄で縛られた罪人の男である。同じ馬車から出てきたその中年の男は、肩を落としながらとぼとぼと歩を進める。そのあとを、残り二人の死刑執行人がついていく。




 やがて群衆のなかからも兵のつくる輪のなかへ、二人の人影が入ってきた。ふいにどこからともなく、その姿をあらわして。




 二人はその輪のなかに入ってくることを、強いて止められなかった。二人からの話を聞き取ると、兵は通るのをすんなり許した。


 その二人は双方ともに女性だった。それぞれの身には黒い礼装を着込んでいる。その顔には悲痛な表情が浮かんでいた。




 二人とも今日ここで処刑されるその罪人の家族だった。一人はその妻。一人は娘だった。




 二人とも、家族の一員である罪人の最後を看取りにきていた。その許可を事前に得てもいる。それで彼女たちは輪の中へ入るのを許されたというわけだった。




 ほどなくして死刑執行人たちと罪人は、処刑台の階段をのぼった。




 処刑台のうえにたどりつくと、その中心で罪人に指示が出される。先を行っていた、二人の死刑執行人の一人から。罪人に向かって、ひざまずけと。




 もう一人の死刑執行人は、罪人に向かって尋ねる。目隠しはいるか? 罪人はうなずく。尋ねた方もうなずき返すと、すぐにその懐から細長く白い一筋の布を取り出す。




 目隠しをしてやる理由は慈悲のため。死に際してその目を封じ、罪人に見ずに済ませてやるためだ。罪人自身が、死刑執行人に手を下される間際の光景を。自分自身に。




 その光景を見る頃になると、罪人のなかにはいよいよ死の瀬戸際に立たされたことでひどく怯える者もいる。しかしそうした恐怖は、罪人に過度の負担を与えることになる。そこで罪人の負担を多少なりとも軽減してやるために、せめてもの情けとして目を隠す処置が施されるのだ。




 とはいえ、身分の低い者、憐憫に値しない者には、そうした罪人に対する情け深い行為が適用されないこともある。だが今回処刑される罪人は、それなりに身分の高い者だった。そのため望めば適用される次第になっていた。




 死刑執行人はその長い布を用いて、罪人の両目に手慣れた様子で目隠しを巻いてやる。それを終えたあと、その死刑執行人は引き下がる。罪人に向かって、ひざまずくよう命じた死刑執行人の隣へと。罪人の背後では、その二人の死刑執行人が並び立つ。




 もはや罪人は目が見えない。周囲では兵の警護も厚い。この状況からして、罪人はもうどこにも逃げられない。それでも罪人が処刑を嫌がって暴れ、逃げようとすることは考えられる。


 そんなときには二人の死刑執行人は刑を滞りなく遂行するために、罪人の躰を背後から抑えつけるつもりだった。そうした状況に備えて二人の死刑執行人は罪人の様子を見守ったが、結局その必要はなかった。




 おそらくは、あきらめたのだろう。すでに罪人はなんの抵抗も見せなかった。身じろぎ一つせず、背を伸ばしたまま動かないでいる。




 そんな処刑台のうえでの様子を、三人目の死刑執行人は黙って見守っている。両腕を組み、処刑台の脇で佇立しながら。




 最後の一人の死刑執行人は、罪人のすぐ横に佇んでいた。


 艶やかで長い黒髪を覆面からのぞかせる、この死刑執行人ルートヴィヒ。彼こそが、罪人を本日この場で処刑する役目を背負っていた。




 殺せ、殺せ。はやく殺せ。興奮し、すでに熱狂している群衆が口々にそう騒ぐ。死刑執行を娯楽として楽しみにしている群衆は、あきらかに血に飢えていた。




 反対し、同情している者たちの声も死刑執行人の耳に届く。やめてやれ。残酷な処刑はするな。




 人々が好き勝手にさえずり、広場にかなりの喧騒が響き渡る。そのさなか、今度は国の役人が聖職者を引き連れて処刑台にのぼってきた。


 役人は処刑台のうえで足を止めると、おもむろに手に持っていた羊皮紙をひろげる。今度はそれを眺めながら、朗々と罪人の罪状を云い放つ。




「ベナターナ男爵。この者、自身の役職を利用して国の金を横領し、私腹をこやした。その罪により、斬首に処す」




 このとき遠くで鳴り響く。正午を知らせる時の鐘が。これを機に、処刑台のそばで罪人を見上げる妻と娘の目に涙も浮かぶ。それとは関係なく、重々しい宣告が役人から無慈悲に下される。




「正午となり、時も満ちた。死刑執行人はただちに刑を執行されよ」




 処刑が寸前となり、群衆の熱狂の度合いは否応なしに増す。




 命令を受け、死刑執行人ルートヴィヒも腰から剣を引き抜いた。両手でその柄を握ると刃先を空に向けて、剣を胸元付近で掲げる。


 聖職者は罪人のために神へ祈りを捧げる。


 それが済むと、ルートヴィヒは玲瓏な声で罪人に尋ねた。その顔全体を覆う黒い覆面に穿たれる二つの穴。そこから冷ややかに、黒い瞳で罪人を見据える。




「云い残すことはあるか?」




「最後に、神に願いを告げたい」




 罪人は静かにそう云った。ルートヴィヒはうなずく。相手は処刑される寸前の罪人だ。この程度の神妙な懇願なら、無下に退けるべき理由もない。どうぞ、とルートヴィヒは告げる。




「云い残したいことがあるなら、さっさと云うがいい」




 うながされて罪人は朗々と口をひらく。




「神よ。もし生まれ変わりというものがあるのなら、今度は栄華を誇れる人間にならせていただきたい。アウルムトニトルス王家やアルプレヒト公爵家の人間のように」




 アウルムトニトルス王家というのは、この国で最高の名家である。王家というだけに、この国を統治している。さらにアルプレヒト公爵家は、王家に次いでこの国で繁栄している名家である。


 この両家は王国の第一、第二の名家であるために際立った栄華を誇っていた。




「私は、よりよい暮らしをしたくて横領をおこなった。その末路がこれだ。生まれ変わるとしても、こんなみじめな死にざまはもう二度とごめんだ。栄華を誇れる人間になれるなら横領などに手を染めず、こんな末路もたどらずに済んだことだろう。神よ。願わくば、私の最後の望みを聞き届けたまえ」




 云い終えると、いかにも疲れ切った感じのする中年の罪人は口を閉じた。


 処刑台の下で、妻と娘が泣き崩れる。




「ほかに、なにか云うことは?」




 ルートヴィヒの問いに、罪人は黙って首を振る。




「では、お覚悟を」




 冷然とルートヴィヒがつぶやいた。罪人は両ひざを床につけてひざまずきながらも、背を伸ばしたままでいる。目が見えないためにどうしていいか戸惑っている様子だ。それをすぐ察し、罪人の背後にいた二人の死刑執行人が動く。


 二人は罪人の左右からその上体を両手でつかみ、力づくで沈める。次いで前方のちいさな断頭台のうえに、その罪人の首を乗せた。




 周囲では群衆による合唱が響く。殺せ、殺せと連呼されている。逆に、やめろ、やめろ、という連呼も聞こえてくる。


 その騒ぎを耳にしながら、ルートヴィヒは高々と剣を掲げた。


 刃先が煌めく。鈍色の空のもとでありながらも光を受けて。罪人は目が見えないながらも、いままさに死ぬことがわかって覚悟を決める。




 その様子を群衆は騒ぎながらも、じっと見つめる。それぞれに異なる様子で。


 派手な惨劇を期待して興奮しながら目をぎらつかせる男。


 顔を両手で覆いながらも、指の隙間から処刑台での惨劇を見逃すまいと好奇の目を向ける女。


 はやく首をはねろ、と吠える上品な身なりの老人。


 残忍な真似はやめろ、と惨劇を嫌って訴える若者。


 殺せえ、やっちゃえ、と残酷な死を渇望して叫ぶ少年少女。




 群衆の熱狂の渦は、いまや最高潮に達した。その刹那、ついに剣は一気に振り下ろされた。罪人の首元を狙って。


 戛然と剣が唸る。罪人の首は宙を舞った。首は血しぶきをあげ、ゆっくりと回転しながら処刑台のうえに落ちていく。


 その躰は、斬られた箇所から鮮血を噴出させていた。


 首を斬られて以降は、二人の死刑執行人は罪人の躰から手を離して立ち上がっていた。処刑が終わり、もうその躰に触れている必要もなくなったことで。


 二人の手が離れても、その躰の姿勢が崩れることはなかった。ときに痙攣を繰り返すものの、断頭台が支えになって。首は処刑台のうえに落ちて、ごろりと転がる。


 その首を冷ややかに見下しながら、ルートヴィヒはつぶやく。




「愚かなやつ。神に頼るなんて。神は残酷なものなのに。訴えたところで、その頼みなんて聞くはずもないのに」




 ルートヴィヒは片手に握る剣を、勢いよく縦に振った。刃についた血を飛ばすと、剣をそのまま腰に帯びる鞘にしまい込む。


 

 群衆は大騒ぎだった。


 きゃあ、ひどい。わー、すげえや。刺激を得て嬉々とした表情を浮かべ、少女と少年は叫んでいた。


 いい見世物だな。まったくだわ。少年少女のそばに佇む、彼らの親たちも笑顔をみせる。


 身なりのいい老人は、よくやったと笑んで手を打つ。




 そのほかにも群衆はめいめい思ったことを口に出す。残酷。面白かった。最低。最高。あたりには、喝采と罵声が飛び交っていた。


 処刑台のうえで、ルートヴィヒの横にいる役人も口を開いた。




「本来なら、この罪人の首は晒されるべきところではある。そうした処遇を受けるに値する罪を、この者は犯しただけに。しかしこの罪人は、男爵という高貴な身分にある者。そのことを踏まえ、国としても今回は取らぬ。この罪人の首を晒す措置を。温情として」




 目隠し同様、これもこの罪人に国から与えられた温情措置だった。




「この首は遺族に返却する。そのためにも、死刑執行人は拾うがいい。斬られた囚人の首を。遺族は首を受け取るため、ただちに処刑台に上がれ」




 その役人の指示を受け、ルートヴィヒはうなずいた。命令に従い、斬られた罪人の首を拾うべく、その髪をむんずとつかもうとする。


 そのとき、待って、と声が掛かる。声の主は囚人の妻だった。彼女は処刑台へ上がる途中だった。




「私が拾うわ。私の夫の首だもの。たったいま処刑してその命を絶ったあなたに、触ってなんか欲しくない」




 そう叫んだ妻は娘を連れて処刑台のうえへのぼりきる。瞬時に辺りは、より騒然となった。思いつくことを、気の向くままに群衆は叫ぶ。


 可哀そう。罪を犯した囚人の妻だぞ。同情の余地はない。妻も罰を受けろ。そいつらもやっちゃえ、死刑執行人。遺族を泣かせるなんて、死刑執行人は残酷だ。




 その騒ぎのなか、妻は夫の首を拾い上げる。悲しそうに見つめ、首を胸に抱く。


 首からは、ぽとぽとと鮮血が滴り落ちている。その血が服を濡らすが、妻は気にも留めない。そのまま泣き崩れる。娘は自らも悲嘆に暮れながらも、その肩にそっと手を掛けて優しく母親を慰める。




 その悲劇にも似た光景を愉しめた群衆は歓声を上げる。まるで悲劇を見てるよう。


 その一方で、いつまでも血を滴らす囚人の首と躰に気分を悪くする者は、眉をしかめて叫ぶ。早く遺体をなんとかしろ。おぞましい。


 涙を流す遺族に痛ましさを覚え、同情する者。そんな光景を生み出した死刑執行人に対し、非難と怒号を浴びせて憎悪する者。その連中の声も聞こえてくる。遺族が可哀そう。ひどい真似をしやがって、人殺し。死ね、死刑執行人。この人でなし。


 騒ぎは一向に収まりがつかなかったが、かまわずに役人が高らかに宣言する。




「少々予定された手はずと異なったが、見ての通りだ。その首は遺族に返却された。首については罪人の躰とともに、すでに用意されている棺に入れるがいい。その後、棺はすぐそばにある馬車へ乗せよ。今度こそ、あらかじめ定められた手はずどおりに、すべからく動け」




 役人は死刑執行人へそう命じると、今度は群衆へ向き直って叫んだ。




「この処刑を見て、罪ある者には報いが必ず下るものと心せよ。なお、刑の執行はこれにて終了とする」




 役人は踵を返すと、処刑台の階段を降りていった。聖職者もそれに続いたが、死刑執行人たちはすぐに処刑台を降りなかった。




 ルートヴィヒは恭しく群衆に一礼を施す。


 罪人の背後に控えていた二人の死刑執行人たちも、群衆に向かって頭を下げる。ずっと腕を組んで様子を見守っていた死刑執行人も同様だった。姿勢を正して群衆に一礼する。




 それから罪人の背後に控えていた二人の死刑執行人たちは、役人より下された命令の実行へと取り掛かった。彼らはともに腰を落とし、首を失くした罪人の躰にふたたび手を掛ける。




 その行動は、罪人の妻も娘も止めなかった。誰かの力を借りねば、その躰を運べなかったために。




 その後、二人の死刑執行人は立ち上がった。罪人の躰を持ち上げて。その躰を左右からそれぞれ支えながら。


 群衆たちからは豪雨のごとく降り注ぐ。死刑執行人たちへの歓声や非難中傷が。それだけではない。彼らを嫌悪するあまり、なかにはごみを投げつけてくる輩もいた。




 それでも死刑執行人たちは動じない。群衆にそうした態度を取られるのは、彼らにとってよくあることだった。彼らは慣れていた。群衆をまるで相手にせず、一様に引きあげはじめる。処刑が終わり、彼らとしても役目を果たした。これ以上ここにいても仕方なかった。




 様子を見守っていた死刑執行人がまず先頭を行き、処刑台を降りていく。二人の死刑執行人がそのあとに続く。左右に分かれて、首のない屍の肩を互いに支えあいながら。




 ルートヴィヒは続かなかった。




 続こうとするまえに、降りようとしたからだ。罪人の首を胸に抱いた妻とその娘が、処刑台のうえから。彼女たちはルートヴィヒのまえを横切り、通り過ぎていく。その際に、冷ややかな憎しみの視線をルートヴィヒに向けながら。




 よくも、とその目が語っている。彼女たちからしてみれば、彼は仇だった。自分たちの家族を、たったいま処刑した当人は彼なのだから。


 その視線を受けても、ルートヴィヒはなにも云わなかった。




 こんな視線を受けるのは、いつものことだ。逐一反応する気にもなれない。とはいえ、これでまた俺は買ったわけだ。死刑執行人として、憎しみを。




 ルートヴィヒは低く嗤う。彼女たちが通りすぎてしまうと、ルートヴィヒはそのあとに続いた。




 階段を降りたところで二人の死刑執行人たちは、さきほど下された役人の命令どおりに行動を開始する。二人の死刑執行人は、すでに処刑台下に用意されていた棺桶のなかへ首のない屍を入れた。




 囚人の妻も、名残惜しそうに夫の首を手放した。棺のなかへそっと入れる。それから妻は娘とともに、頭を寄りあわせてむせび泣いた。棺の蓋を二人の死刑執行人が閉ざす、その光景を見守りながら。




 なおもその二人の動きは止まらない。その手によって、棺は持ち上げられる。近くには、死刑執行人たちが乗ってきたものとは別の馬車があった。その荷台のうえに、二人の死刑執行人は棺桶を乗せる。その棺の行き先は墓地だった。馬車に連れられて行ったあとは、そこで葬られる手はずになっている。




 妻と娘も自分たちの馬車に乗り、墓地に同行する予定になっていた。


 妻と娘の周りには、すでに彼女たちが雇う召使いもやってきている。その召使いに案内されながら、彼女たちは群衆のなかへ姿を消していった。彼女たちへの悪罵や同情の声を聞きながら。召し使いが群衆に道を開けさせ、自分たちの馬車を求めて。




 一方で死刑執行人たちも、自らが乗ってきた馬車が待つ方へ道を引き返していく。




 もちろんそんな彼らを、群衆が無言で見送るはずもない。群衆からは、容赦なく浴びせかけられる。歓声や、聞くに堪えない野次や悪罵を。惨劇を見て満足する表情を向けられたり、嫌悪や蔑視の視線で露骨に見つめられもした。




 そんな群衆の熱狂にさらされながら、死刑執行人たちは馬車にたどり着くとそのなかへ順々に乗り込んでいく。全員が乗り込むやいなや、馬車の扉は静かに閉められた。それを確認した馬車の御者は高らかな掛け声とともに、腕を振って馬に鞭をくれる。馬はいななきをあげた。その足をまえへ動かしはじめる。


 同時に、ゆっくりと馬車の車輪も回転をはじめる。




 こうして死刑執行人たちは、この広場をあとにしたのだった。


 未だ熱狂の冷めやらない群衆を、そこに残して。

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