第一章 第二話~逃走~

 その時、先程通った広場から悲鳴が上がった。女の子の声か? いや! あの声はさっき聞いたばかりの声だ! 僕は裏路地の出口の壁際に背中をつけ、恐る恐るゆっくりと広場を覗き込む。


『お嬢ちゃん? その花をどこで摘んできたんだい?』

『もうこの辺にそんな花束を用意できる場所も店もないはずなんだがなぁ!』

『全部燃やしたからな!』


 噴水前にはニードリッヒちゃん。それにそれを囲むように五人の男がいた。男達は先程までいた生気のないゾンビのような人達じゃない。がっちりとした体格に顔色も良く、ハキハキとした話し方に声量。それに身につけている物が布製の服ではなく西洋の甲冑のような重厚な鉄製鎧だ。この世界の警察のような……憲兵かな? いや。それよりも問題なのはなぜニードリッヒちゃんが絡まれているのかだ。僕はもう少し様子を見るべく会話に耳を立てた。


『自分で育てたのか?』

『だとしたら重罪だな! 法律違反だぜ!』

『ち、違うもん!』

『なら誰かから貰ったのか? ええ?』

『…………』


 口を紡ぎながら俯くニードリッヒちゃんに男達は更に問い詰める。だ、大の大人が子供相手に大人げなさすぎる!


『どうなんだい? 答えれば見逃してやるよ』

『そうそう! 痛い目も見ずにお家に帰れるぜ!』

『さぁ言え! 誰から貰った!』


 懸命に涙を堪えながら沈黙する彼女に男達は容赦なく怒声を浴びせる。僕のせいだ……この世界の事情も知らずに勝手な行動をとった僕の……彼女が辛い目に会っているのは全部……


『ち! さっさと答えねぇか!』

『きゃあ!!』


 憲兵がニードリッヒちゃんに手を上げた瞬間――僕の中で何かが破裂した。意思とは別の生き物となった足が勝手に動き出し、噴水の方へと走り出していた。思考が停止していたけど妙に頭が冴えているというか、起きていることを全て目で追えていたし、やけにスローに感じた。


「なんだこいつは!?」

「おいお前! ぬお!?」


 内野ゴロを捌く野球選手のごとく僕は勢いを落とすことなく足元の砂を手に握りしめ、男たちの顔に投げつけた。いかに屈強の装備をしていても、体を鍛えていてもこれだけは効くはずだ。案の定男達は目を抑えて苦しみ出し、身長の関係でニードリッヒちゃんにはなんの被害も出ずにすんだ。


「お、お兄ちゃ……!」

「逃げるよ!」


 僕は走り抜け様に何が起きたか理解できていないニードリッヒちゃんの手を握りしめて走り出した。


「ど、どうしよう!?」


 勢いで起こした行動だったためこの後の事を何も考えていなかった。心臓は高鳴り、下手なバイクのエンジンよりも速く脈打っている。大した運動もしていないのに妙に息が上がっているし、額がヒリヒリしてきた。


「お、お兄ちゃん!」

「大丈夫だよ! 僕が君の事を守るから!」

「! う、うん!」


 握られた手がギュッと力が入った。さて、口ではカッコいい事を言っているが正直なところ彼女を勇気付けるただの見栄だ。土地勘も無ければ体力もない、おまけにこっちは少女連れだし、戦闘になったらまず間違いなく負ける。いや、負けるなんて優しい言葉は良そう。間違いなく殺されるに違いない。


「ははは……!」


 そう思うと自然と笑みが零れ、なんだか恐怖も紛れた。人間どうしようもない瞬間に陥るととりあえず笑っちゃうんだなぁ……


「とはいえまだ死にたくない……!」


 両親と再会していないし、僕の手には小さな少女の命まで握られているんだ。諦めるもんか!


『いたぞ! あそこだ!』

「くっ! 思ったより速い!」


 背後から怒りを孕んだ怒号が聴こえてきた。振り返らないけど距離はそう遠くない。想定していたよりも速く復活したようで、追いつかれるのも時間の問題だった。


「ニードリッヒちゃん! ごめん! 僕この辺のことよくわからないんだけど、隠れられる場所はないかい!?」

「え!? う~ん……あっち!」


 指示に従い大通りから少し外れた裏道に入った。やや緩やかな坂を走り降りると、そこには階段があり、数段飛ばしで駆け降りる。


「次はどっちだい!」

「次は右!」


 駆け降りた先はT字路になっており、右へ曲がったが前方から先程の憲兵が走ってくる。


「見つけたぞ!」

「まずい!」


 すぐさま足を止めて壁に山積みとなっていた空き箱を倒して道を塞ぐ。一瞬でも足止めできれば上出来だ。僕はニードリッヒちゃんの手を引いて再び走り出す。


「いたぞ!」


 先程来た道には既に別の憲兵が来ていた。人数も土地勘も勝っている分追い詰められるのが速い。仕方がないので僕らはそのまま前方を駆け抜ける。


「はぁ! はぁ!」


 ニードリッヒちゃんの息は上がり、少しずつ足も回らなくなっている。無理もない、少女に出来る運動量を遥かに超えた走りを強要しているのだから……


「どこかで休まないと……そうだ!」


 僕は前方で壁際に倒れている人を見つけ、走りながら観察してみる。動きもない上に蠅もたかっている。目を閉じて念仏を唱えた後、走りながら布を掴んで勢いよく引っぺがした。布が少し破れる音と鈍い音が背後で聴こえたが気にしている場合ではない。


「きゃ!?」


 僕は取った布を上下に激しく揺らしてくっついている汚れや虫を叩き落とし、ニードリッヒちゃんを背中におぶると、乳酸の溜まった足に鞭打って加速する。


「よし!」


曲がり角を曲がってすぐの場所に再び布を被った人を発見。僕は布を二人羽織のように被るとその人の横に寄り添うように座り込み、息を吸いたい衝動を抑えて息を止める。あとは天に祈るのみ……


「こっちを曲がったぞ!」

「逃がすな! 追え!」


 そのすぐ後を憲兵が喚き散らしながら過ぎ去っていった。良かった……とりあえずはバレてないみたいだ。俯いているので見えないが、少しずつ遠ざかっていく声と鎧の擦れる金属音に安堵し、念のため少し間をおいてからゆっくりと顔を上げた。


「……巻いたかな?」


 左右を見て人影なし。金属音もしないのでとりあえずは安心だ。僕はゆっくりと立ち上がって背中のニードリッヒちゃんを下ろした。


「大丈夫かい?」

「うん! ありがとうお兄ちゃん!」


 彼女の太陽のような眩しい笑顔を見ていると口元は緩み、自然と笑みが零れて疲れもどこかに行ってしまった。ふぅ……本当に良かった……


「さてと……これ以上ここにいるわけにもいかないし、そろそろ移動しようか」


 乱れた呼吸はまだ完全には整っていないが、足の痺れはいくらか消えた。次に任務はここから離れて安全な場所に移動することだ。


「ニードリッヒちゃん? お家はどこかな?」

「あっち!」


 指差す先は憲兵が走っていった方向とは真逆の方向だったので、危険を冒さずに済みそうだ。僕は小さく頷いた後、地面に置いていた楽器ケースを背負う。


「おっと、その前に……」


 回れ右をして横にいた死体に手を合わせて祈りを捧げる。この死体のおかげで怪しまれずに済んだし、せめてものお礼に祈りを捧げよう。


「どうもありがとうございました。成仏してください」

「いや、俺は死体じゃないぞ」

「うわぁ!?」

「きゃあ!?」 


 死んだと思っていた人間が声をあげたので僕とニードリッヒちゃんは驚きのあまり大声量の悲鳴を上げながら盛大に尻もちを付いてしまった。ニードリッヒちゃんは恐怖からか僕の胸に顔を埋め、力一杯抱きついて来た。


「し、死体が起き上がった!?」

「た、助けてお兄ちゃん!」

「おいおい……だから俺は死体じゃないっての」


 その人物はゆっくりと立ち上がって被っていたフードを脱いだ。その下から現れた顔は強面で鼻下には立派な髭が蓄えられており、見上げているっていうのもあるけど、その身長は一九〇㎝くらいはありそうな程の身長に、がっしりとした体格をしていた。男性はジッと僕を睨みつけて体を観察してきた。


「そこの少年。君達は何で憲兵共に追われている?」


 かなり重厚なバリトンボイルだなぁ……なんて考えている場合じゃない! 僕はとりあえず体を起こしてニードリッヒちゃんを体から離し、立ち上がらせながら返答し始めた。


「この子が憲兵に襲われていたんです。だから助けたんですよ」

「このご時世に人助けか。変わっているな」

「変わってる? 人助けは当然です。しかもこんな女の子を大の大人が数人で……」

「だがそのせいで憲兵に追われてるんだろ? 余計なお節介は身を亡ぼすぜ」

「じゃあなんですか? 見過ごせというんですか?」

「この世界じゃそれが正しい生き方だぜ。特に力のない弱者はな」


 おじさんの言葉にだんだん腹が立ってきた。力がないのは認めるけど、じゃあすんなり諦めるの? 子供を助けないで自分の身だけ無事ならいいじゃないかって? そんな生き方はごめんだ。ムッとなった僕はそこで言葉を切って早急に立ち去ろうとする。


「おおっと待ちな少年」

「なんですか? 僕達先を急いでいるんですけど」

「その背負っているのは……」


 おじさんは僕の背中のトランペットを指さし質問してきた。なぜそんなことを聞いて来たのかはわからないけどとりあえず教えておくか。


「これですか? これはトランペットですよ」

「そんなのはわかっている。どこで手に入れたんだ? 盗んだのか?」

「馬鹿な事言わないでください!」


 僕の宝物を盗品だと言われたので頭に血が上り大声を張り上げてしまった。そのまま何か言い返してやろうかと思った矢先、道の先から憲兵が走って来てしまった。


「見つけたぞ小僧!」

「しまった!」


 きっと僕の大声が原因だ。こんな誰もいない場所で、しかも喧騒もない街や裏路地だからよく響くのだろう。前方、それに回り込まれたのか後ろにも憲兵が待機しており、完全に挟み込まれてしまった。


「へへへ! さっきの礼をたっぷりしてやるぜ!」

「俺はガキだ! 俺好みだぜ!」

「け! 変態が……まぁ俺もだけどよぉ!」


 憲兵達は舌なめずりしながらにじり寄ってきた。前後はダメ……左右は五階分はあろう高い壁に挟まれているので逃げようがない。軽いパニックに陥っている僕達だったが、やけに落ち着いているおじさんが再び僕に話しかけてきた。


「少年。そのトランペットを盗品扱いしたのは謝る」

「それどころじゃないですよ! この状況を見てください!」

「最後に一つだけ聞かせてくれ」

「なんですか!?」

「君にとってそのトランペットは何だ?」


 僕にとってこのトランペットは何かだって? そんなのは決まっている。これは両親が僕の為にくれた……大切な……大切な……!


「僕の宝物です!」

「よく言った少年」


 おじさんはそう言うと僕の肩に手を乗せ、自分の方に引っ張って位置を逆転する。急な出来事だったためバランスを崩した僕とニードリッヒちゃんは再び地面に倒れこんでしまった。


「音楽家のよしみだ。助けてやるよ。……少年。その女の子の目を塞げ」


 起きている状況がイマイチ理解できていない僕はおじさんに言われた通りニードリッヒちゃんの両眼を手の平で覆った。音楽家のよしみ? それって……


「すうぅぅぅぅ…………」


 息を吸い込むにつれてどんどん膨れ上がる腹。腹式呼吸だ。けど僕の視線が釘付けになった場所はそこじゃない。おじさんの体が薄黒く発行し始め、全身から黒い靄のような湯気のようなモノが立ち込め始めていたのだ。その光景を見ていた憲兵の顔が一斉に青ざめ、先程の余裕は一転してこの世の終わり告げるような絶望の表情を浮かべていた。


「こ、こいつTREだ!」

「や、やべぇ! 死にたくねぇ!」

「お、おいあんた! とりあえず落ち着け! 俺達の話を聞くんだ!」

「そうそう! 俺達もうこいつらには危害を加えねぇよ! だから助けて……!」


 その命乞いに一切耳を傾けないおじさんの腹は限界まで膨れ上がり、クルっと憲兵の方に体を向けた。そして……


「ダアアアアアァァァァ!!」


 耳をつんざく大咆哮。音の壁のようなモノが僕らの体に当たり、全身がビリビリと揺れる。だがそんな事はどうでも良かった。僕の目はありえないものを捉えていた。それは……

 おじさんの口から青白い光線が放たれていたのだ。

 光線の直径はおじさんの口の大きさとほぼ同じ、僕の握り拳とほぼ同じ大きさだ。その青白い光線は一直線に伸びていき、前方の憲兵達に襲いかかった。


「ぎゃ……」

「ああ……」


 光線は憲兵の被っていた金属製の兜を難なく貫通し、脳天を貫いた。憲兵の額には奥の景色がはっきりと見える程綺麗な風穴があき、そこから激しく振った炭酸飲料のように血が噴き出す。


「「うわぁああああああ!?」」

「うっ!」


 胃液が込み上げてきたが必死に胃袋に押し戻す。残された憲兵はその場に倒れこみ、失禁した。


「ダアアアアアァァァァ!!」


 顔の半分を失った憲兵の死体が地面に倒れこむのを確認した後、おじさんは背後にいた憲兵の方に体を向けると情け容赦なく光線を放ち……この場にいた憲兵は全員天に召された。地面や壁に至るまで血の赤色一色に染め上がった路地は無音に包まれ、聞こえてくるもと言えばおじさんの口から立ち込める蒸気機関のような音だけだった。


「お、おじさん……あなたは一体何者……」


 口元をぬぐいながらおじさんは僕に手を差し伸べ質問に答えた。


「俺の名前はラージオ。ラージオ・ウン・カンターテだ」

「!!」


 予想だにしない接触に僕は目を見開いた。この光線おじさんがラージオ!?

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