第12話「忠犬と竜骨スープ(その2)」

 寝食足りて礼節を知ると言うが、当時のハルは寝食足りていないのにやせ我慢で礼節を保っていた。

 普段は朝夕は出るので良いのだが、長期休暇になると途端に食事まで貧窮する。

 里帰りする旅費も無い。食べられる野草でも引っこ抜いて……と思ったが、寮で調理したら悪評に拍車がかかりそうで、最後の手段にしておこうと思う。一部の野草は手をかければ意外といけるのだが。




 そんな彼でも、ラ・ルナの格安コースだけは月に一度の楽しみだった。

 この店は、端材や安価な食材を用いて、限定で低価格なコースがある。


 後で聞いたところによると、中流階級など、新たな客層の取り込みと「最高の食材を扱うのが当然になってしまうと、シェフは堕落する」と言うオーナーの哲学によると言う。

 消耗品の買い出しで前を通りかかる度、漂って来る竜骨の香り心惹かれた彼は、事務仕事の初任給で食べに行き、大いに感動した。料理の味もそうだが、「店が」美味しいのだ。

 給仕たちの笑顔と気遣い、客同士が醸し出す雰囲気、中流も対象にしているからなのか、調度品も高級感を失わずに嫌味に感じさせない自然な物を選んでいた。

 接客業は素人のハルにはどれが原因か、あるいは全てなのか分からないが、とにかくその心地よさは彼を虜にした。

 流石に安いコースで竜骨のスープは飲むことが出来なかったが、居心地の良さに感じていた日々のあれこれがすっと抜けていく気がした。


 翌月再来店した際、テーブルを担当した給仕は「月が変わりましたので、前回お越しいただいた・・・・・・・・際とメニューが変わっております」とメニューを差し出した。

 確かに大きい店では無いし、回転率を上げて利益を出している訳では無い。しかし、最安値のメニューを注文する常連でもないハルに、ここまで気持ちの良い接客をするのかと頭が下がった。

 他の席から漂って来る竜骨の香りだけが、少しだけ残念だったが。




 半年も通った頃だろうか。

 彼を出迎えたのは、珍しくあの給仕長だった。

 前菜を食べ終わり、運ばれてきたスープを見て、目を剥いた。器から漂ってきたのは、あの竜骨の香りだったからだ。

 驚いて顔を上げると、給仕長は片目を瞑って唇の前に人差し指を当てた。


「ごゆっくりお楽しみください」


 見惚れる様な笑顔だった。

 初めて食べた竜骨のスープは、実は胸がいっぱいで味が分からず、それが絶品だと分かったのは、帰り道で竜骨の香りが蘇ってきてからだった。


 シルヴィアのクリエンテスに選ばれて生活が楽になってからも、他店に浮気する気持ちは起きなかった。経験を積む為に行ってみても良いとは思うが、ラ・ルナに行く回数を減らすのは嫌なので、結局後回しである。

 給仕長と言葉を交わすようになってから、それとなくあのスープについて尋ねてみた。

 彼は、特に態度を変えず、「私もこの仕事は長いので、当店での食事を心から楽しまれているお客様はすぐ分かります。そういったお客様を、当店は決して粗略には致しません」と語った。




「僕は、その人が幸せな人生を送れたかどうかは、『あの時飲んだスープ』を何杯飲めるかによると思うんです。父が野良仕事で免許皆伝だと言ってくれた言葉、故郷を発つ時に、領民たちが贈ってくれた木彫りの栞。落ち込んで気くれた時連れだしてくれた烏丸補佐官。そして……」


 暖かく微笑むシルヴィアの目をちらりと見て、視線を下げた。マリウスの手前「貴方もです」と伝える訳にはいかない。伝えても彼女は言葉の裏にあるものには気づかないだろうが。


「私は良いクリエンテスを持ったな。人として真っ当である事。それは階級によらず、もっとも誇るべきことだ」


 スープを味わいながら、ゆっくりとシルヴィアが告げる。

 ハルは「いえ、そんな」と恐縮してしまう。今どんな顔をしているのだろう。またエマに笑われるなと思う。


「んー! 合格っ!」


 ハルの想いを知ってか知らずか、エマがぽんと手を叩いた。


「ハルきゅん! お姉さんは感動したよっ」


 「お姉さん」と言うワードの違和感もさることながら、今日の彼女はテンションがおかしい。

 「エマ様、酔っておられます?」と聞くわけにもいかず、どうしようか考えていると、彼女は特大の爆弾を投下してきた。


「シルヴィの悩み、全部ハル君に聞いてもらうから! そうじゃないと今日は帰さないから!」


 びしっと宣言するエマに、シルヴィアは「何でそんな話になるんだ!?」と抗議するが、彼女は梃でも動かない。


「せっかく恋愛の専門家がクリエンテスなのよ? 頼らないのおかしいでしょ!? 大体、最近の殿下について話題が出る度ハル君が辛そうな顔してるの見てるよね? 殿下が苦しんでる時、頼って貰えなかったらシルヴィはどう思う!?」


 完全にアウトな例え話にハルは「ちょっ!」と口をパクパク始めるが、肝心のシルヴィアはそれどころでは無かったらしい。

 息を呑んで親友の権幕を見守っていたが、彼女の真剣な表情に何も言えなくなったのか、「分かったよ」と返した。


「ハル、頼めるか?」


 畏れ多いと思った。もし間違ったアドバイスなどしようものなら、とんでもない事になる。

 それでも、エマの言葉に心の内を言い当てられた部分もあって、頼って貰えたのは素直に嬉しい。

 流石にここでする話題では無いので、食事を済ませて河岸を変える事にする。用意周到な事に、エマは実家の商談スペースを既に押さえていた。

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