第11話「忠犬と竜骨スープ(その1)」
「あれ? 『ラ・ルナ』じゃないですか」
連れられて来たレストランは、馴染みの店だった。
ここの肉入りスープが好物で毎月通っている店だが、価格的には少々お高い。
ハルの生活は基本的に慎ましく、シルヴィアから回される雑費と言う名の「お小遣い」も「畏れ多くて使えない」等と思ってしまう質だが、とある理由からここでの食事だけはこだわりを忘れて楽しむ事にしている。
「ハル君もここ好きなの? 私とシルヴィも昔からのファンでねー」
世間話をしながら入店すると、先にシルヴィアがグラスを傾けていた。この国マナーでは先に始めるのは無作法だが、それを言ったらまず格上の彼女を待たせるのがあり得ないので、無礼講と言う事だろう。
「エマに叱られてな。『最近自分のクリエンテスを疎かにしてない?』と」
一度クリエンテスにした人間を放置するのは危機管理の面でも宜しくない。手綱を離して問題が起きれば、それはパトローネスの悪評に直結するし、そもそも信頼関係を築く時間が惜しい相手をクリエンテスなどにすべきではない。
そう言った意味で、エマが気を回したのは当然の事である。ハルをクリエンテスにした以上はちゃんと「お前に目をかけてるから」と言うアピールをしておかないと、ハルが気にしなくても周囲に侮られる。
マリウスの件で大変な時に少々申し訳ない気持ちになったが、ゆっくり彼女と話せるのは嬉しい。
前菜の後に運ばれて来たのは、好物の肉入りスープだった。
希少なドラゴン肉はメインディッシュまでおあずけで使われていないが、丁寧に処理された羊肉や内臓がたっぷりと入っている。出汁は竜骨でとったものだ。
ハルにとって羊は故郷の食材であるが、スープを煮込むのに3日かけると言う恐るべき手間の入れようようは王都の美食の象徴だった。
「今日は味付けを少しだけ変えてありますので、
いつもの人好きする笑顔で給仕長が告げる。
何か気づいたのか、エマが「へぇ」と納得した様な顔をする。
「ハル君、よっぽどこのお店に大事にされてるみたいだね」
「え? 何がです」
さっぱり分からないと首を捻るハルに、「私も驚いた」とシルヴィア。
「この店に限らず、王都の一流店は、店が上客と認めた相手をそれとなく『貴方は特別です』と伝える文化があるんだ。伝えられた客はこっそりそれを自慢に思いその店を懇意にする。大声で吹聴するのは野暮とされているし、そんな相手は上客と見なされない」
「それなら、僕は別に特別では……。そんな事を言われた事ありませんし」
戸惑うハルに、シルヴィアは豪快に笑う。ワイングラスを優雅に扱う姿は絵になるが、戦場で安酒の入った木製ジョッキと骨付き肉を手に「勝利をわが手に」などと演説してもさぞそれっぽく見える事だろうと、少々失礼なことを考えた。
「お前は、変な所で鈍いな。この店は普通感想を聞かせろなどとは言わん。味に自信を持っているからな。それを敢えて問うなら、お前の舌を信用している場合だけだ」
「それは、シルヴィア様が……」
「私もエマも、今まで言われたことは無いし、給仕長は『皆様』と言った。私が対象ならはっきり名指しするだろうな」
考えてみると、いくつか思い当たる事がある。
自分が予約を入れた時、高いコースでは無いのに必ず給仕長が対応するのが不思議だったのだが……。
「まあ、シルヴィーが怒ったりしないで、寧ろ喜ぶような子だと分かってそんな言い方をしたんだろうけどねー」
くっくっと笑ったシルヴィアが、「しかし、給仕長も可哀そうにな」とハルを弄り出す。
「せっかく上客扱いされてるのに、本人が気づかないんだからな」
「わわっ、すぐ謝らないと!」
顔色を変えるハルに、またもや2人は笑いだす。
「これは大人の遊びだから、直接言うのはそれこそ野暮だよ。帰りがけに『いつもありがとうございます』って一言だけ言ってあげれば良いから」
給仕長を見やると、いつもの笑顔で会釈された。
別に恐縮する筋合いでは無いのだが、悪い気がしてしまうのが小心者が小心者である所以である。
口に流し込んだスープはいつも以上に美味しかったが、それが嬉しさから来るものなのか、改良によるものなのか判別がつかず、たのまれた感想はどうしようか少しだけ考えたが、正直に言うのが一番喜んでくれる気がした。
「ところで、お前は一体どう言う経緯でこの店の常連になったんだ? 渡した金の用途を礼状と一緒に送ってくる人間が、高級店で食べ慣れている訳ではあるまい?」
「ええ、まあ……」
「あれ、読んでくれてたのか!」と内心嬉しくなりながら、「大した話ではありませんが」と前置きし、王都に来たばかりの頃、この店に訪れた話を始めた。
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