第8話「夕焼けのお茶会」

 報告が終わると、シルヴィアは「茶菓子があるから、ゆっくりして行け」と席を立つ。

 もっと話ができればと思ったが、当然のことながら彼女は多忙だ。少ない自分の時間もマリウスのために使うから、なかなか改まって彼女とゆっくり話す場面は少ない。

 腰を上げようとっする彼女を、エマが「だめー!」と押し留める。


「シルヴィは最近働きすぎ。急ぎの仕事はもう全部やったでしょ? 今日はこれ以上は禁止!」


 出来の悪いを諭すように、人差し指を立てて説教する親友に、シルヴィアはばつの悪そうな表情で「しかし……」と抗弁しようとする。


「しかしじゃありません。昨日だって、うっかり突き刺して血まみれにしちゃって。いつもならあんな不注意はしないでしょう?」

「あれは、疲労からではなく手元が狂っただけだ。それに、ちゃんと謝ったら殿下も許してくれたじゃないか」


 会話を聞いてガタガタと震えているハルに気づいて、2人は顔に疑問符を浮かべる。


「……剣術訓練で、殿下をやっちゃったんでしょうか?」


 恐る恐る尋ねると、2人はそろって顔の前で手を振った。


「殿下にプレゼントするとお約束した刺繍に失敗しただけだ」

「傷もちゃんと残らないように治してもらったからっ」


 心底安堵する。別にシルヴィアならやりかねないと思ったわけではない。ないったらない。

 彼女は努力家で、細かい仕事はひたすら練習して覚えるが、基本不器用だ。

 不謹慎ながら、「普段は意志の力で失敗を抑え込んでいるのに、剣を振るうマリウスの凛々しさに心奪われて手が滑ってぐさり」と言う場面を想像してしまった。


「殿下はお優しいからな。心配をおかけしないため『納得がゆく出来にならなったから作り直す』とお話したら、途端に見破って心配して頂いた。あんなにお優しいから……」


 夕焼けに照らされる会議室で、エマが入れるお茶を待ちながら、最近のマリウスとのやり取りについて聞く。

 嬉しそうに惚気話をする彼女の顔が、一瞬陰ったのを、悟られない様に務めた。

 ハルとて人脈はある。恋愛相談で信頼を得た人間から情報を貰う事もあるし、校内に友人も居るれば、仲の良い下級騎士や冒険者も何人かいる。

 シルヴィアがマリウスと以前ほど上手く行っていないと言う話は聞いていた。

 側近に紹介された男爵令嬢がやたらとマリウスに近づいてくるらしい。




 他者に寛容なマリウスだから、近づく者を拒むことが無いのは一面で美徳ではある。だが今回は相手が問題だ。


 マニー・セルヴィオ。地方領主の令嬢だが、セルヴィオ男爵家は廃都から流れ込んできた難民を積極的に受け入れて保護し、「難民に戸籍を与えて課税し、納税出来ないものは退去させる」と言う国の方針と真逆の政策をとっているとかで、新興貴族からやたらと持ち上げられている。


 国は新興貴族を刺激したくないのと、彼らや男爵が表立って国の方針を批判したわけではないのでとりあえず静観を決めているが、国王の不在もあって状況は不安定である。

 マニーはマリウスに難民たちの窮状を訴えているらしい。彼もマニーの言葉で国の方針を曲げる程迂闊ではないだろうが、王太子が渦中の令嬢と仲良く話し込むだけで邪推する者もいる。

 シルヴィアはその辺りを忠告して、距離を取る様に頼んだのだが、マリウスは一度懐に飛び込んで来た者を切り捨てる行為を何より嫌うと言う。

 本人に釘を刺したりもしたそうだが、翌日マリウスからマリーへの態度についてやんわりと窘められる始末らしい。


 恐らく、シルヴィアはマリウスの心変わりを微塵も疑っていない。

 誰にでも優しくあろうとする彼の気質を、誰よりも愛しているからだ。

 だが、マニーの悩み事を聞いて以来、彼がシルヴィアと過ごす時間は激減しているそうだ。

 マリウスがシルヴィアと婚約破棄してマニーを婚約者に選ぶと言う噂までたっているととか。

 以上が、ハルが必死にアンテナを立てて収集したシルヴィアの事情である。


 よほど思い悩んでいるのか、「剣姫けんき」と呼ばれるほど身体強化と風魔法に長けた彼女が、最近めっきりスランプであるとも聞く。

 そもそも、いつもはエマに怒られるほど根を詰めるのは珍しい。

 このお茶会も、もしかしたらエマの親友への配慮なのかも知れない。



 ハルの心もまた晴れない。

 優しくあろうとすることは、とても素晴らしい事だと思う。

 だが、王子のそれは本当に、「優しさそのもの」たりうるのだろうか?

 答えは出ない。しかし、シルヴィアの表情をみてしまったハルには、マリウスの「優しさ」を信じ切る事が出来なくなっていた。


(殿下、頼みます。シルヴィア様をちゃんと見てあげてください。幸せにしてあげてください。どうか、お願いします)


 会議室を出てから、ずっとそんな事を考えていた。




 校門を出るとき、親し気に言葉を交わすマリウスとマニーの姿を見かけ、その祈りは呪いの様に胸に重く落ちていった。

 破局の訪れは、数日後に迫っていた。

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