第3話「シルヴィア・バスカヴィル公爵令嬢」

 シルヴィア・バスカヴィルは、燃えるような赤毛と、細身ながらすらりと伸びた長身は「令嬢」と言うより「女騎士」とか「女傑」と言う言葉の方がしっくりくる。

 実際、剣の腕も学内最強格と言われ、彼女を凌駕する者と言えば、光魔法の使い手である王太子マリウスくらいであろう。

 吊り上がった意志の強そうな目に一瞥されて、やられる・・・・令嬢たちも多いと言うが、竹を割ったような性格と優雅そのものの立ち振る舞いを見れば納得で、幼少時から王太子の許嫁でなければ、粉をかけようとする上級貴族が殺到しただろう。

 親友のエマ・スーリーヤが「美丈夫」をもじって付けた「美丈婦」と言う言葉が一時期流行ったものだ。


「お前があのようなに怒りを露わにするなど、珍しいじゃないか。いつもはもっと上手くやるだろう?」


 今日の天気を問うような体で尋ねてくるシルヴィアに、曖昧な笑いを返す。

 ハルが馬鹿に激高した理由が分からないらしいが仕方がない。この女性はとことん自分への好意に疎いし、そもそも婚約者であるマリウス王子しか眼中にないのだ。

 王太子マリウスの名声は、今うなぎ上りである。

 学生の身分でありながら、王都の犯罪組織をいくつか摘発し、もっとも名の知れた王族と言ってもいいだろう。

 王族に相応しく、光魔法の使い手で、政治的手腕も有能となれば、人が集まってくるのは当然の事。

 シルヴィアは、そのマリウスに相応しい婚約者であるため、日々研鑽に励んでいる事は痛いほど良くわかる。


「しかし、エマさんのお名前を出されたのは上手い手でしたね」

「あれは、エマの奴に入れ込んでいるからな。彼女にはもう婚約者もいると言うのに、あきれた奴だ」


 シルヴィアの側近で親友のエマに色目を使って、シルヴィアに強く叱責されたそうだ。

 彼女への悪意も、そのあたりの下らない理由からだろう。


「多分次もあるぞ。大方北方の遊牧民クラン族の血を引くお前が、上級貴族の『クリエンテス』である事が目障りだと、誰かが耳打ちしたのだろう」

「それはそれは……」


 面倒くさい人間に絡まれるのは慣れているつもりだったが、今回の相手は飛び切りめんどくさい。

 上流階級が、自分に有益な人間の「パトローネス」となって支援する文化は、このフォルティナ大陸各地に見られる。特にこの屠龍王国では盛んで、バスカヴィル公爵家は毎年何万ターレットの巨費を若者の支援に投じている。


 有望な人間を抱え込めるだけでなく、篤志家としての名声も得られて二重に美味しいのだが、一方で支援されたクリエンテスに対しては庇護対象として責任を持たねばならず、金だけ投げ渡して「後は宜しく」と言うわけにはいかない。

 仮にクリエンテスに渡した金が犯罪に使われれば、罪にこそ問われなくても「監督不行き届き」と言う批判と「人を見る目が無い」と言う悪評でパトローネスは大いに株を下げる事になる。その一点を理由に懇意にしていた取引先から三下り半を叩きつけられる例は枚挙にいとまがない。


 一方のクリエンテスの方も「庇護下に入ったので、これからは安心」で済む問題では無い。

 この国でクリエンテスがパトローネスの恩義に報いず、命や労力や知恵を出し惜しむのは、親殺しより恥ずべき事とされている。

 迂闊に結ぶのは論外で、それなりに重いシステムなのである。


 だからこそ、この文化は「責任と覚悟」に裏付けされて、長く機能してきたわけだ。

 要するに、彼らにとって羽毛程の価値しかないハルが、公爵令嬢のクリエンテスたるだけの評価を与えられた事が我慢ならないのだ。

 ついでに、ハルの使える魔法が、ありふれている上に貧弱な増幅魔法なのも気に食わないのだろう。

 そんな事で公爵家の庇護を受けた人間にちょっかいをかけるのは火遊びが過ぎるが、本人は騎士団長の息子と言う立場で許されているつもりらしい。


「私のクリエンテスなのだから、公爵家の名前を使えばいいではないか。お前は優秀だが、いつも何故まどろっこしいやり方で身を守るのか理解できん」


 ハルはまたしても言葉を濁す。まさか婚約者のいる女性に対して「男の意地ですので」などと言えよう筈もない。




 ハルがシルヴィアのクリエンテスになったのは、中等部に入学して半年後の事だった。

 当時は研究内容の奇抜さから誰も資金を出さず、生活を切り詰めていたハルに「面白いじゃないか」とパトローネスになってくれたのだ。

 以来、ハル・クオンはシルヴィア・バスカヴィルの忠犬であり、理解者であり、手足である。


 「彼女が公爵令嬢で無ければ」「王太子の婚約者でなければ」と何度思ったか知れない。

 だが、婚約者と話すシルヴィアを見て、そんな浅ましさを恥じた。そこいたのは美丈婦ではなく、年頃の恋する娘だった。

 例え彼女にあんな顔をさせる想い人から引き離して、自分のものにしても何も嬉しくない。幸せなど感じる筈が無い。

 彼が望むものは絶対に手に入らないし、手に入れてしまったら望むものでは無くなると知った時、ハル・クオンは恋を胸の奥に仕舞いこんで蓋をした。

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