ラッキーコインの微笑み。

隼 一平

第1話 ある夏の日に図書館で

まるで己の体を溶かすかの如く

まとわりつく暑さに包まれて私はバス停に降り立つ。


まだ6月と言うのにすでに最高気温は35度を超える予想が

連日発表されている。


時刻は午後2時。


本来ならまだ教室と言う名の牢獄で自分の机に

縛り付けられている時間だ。


だが私はここにいる。


バス停の名前は「中央図書館前」。


昼休みに耳にした級友たちの会話が余りにも幼稚に聞こえ

耐えられなくなってエスケープを決め込んだのだ。


高校2年生ともなれば将来の進路とか

自身の夢を実現するための方策とか

それなりに考えて友人と意見を交換するなり

しそうなものだが


彼らの会話内容は………


「おい、3組の栄子って女子。スタイルいいよな!」

「ああ。あの爆乳に埋もれてみたいよなぁ。」


「昨日のTVみたか?アイツのトークが滑りまくってて草生えるわ。」

「そうだよな。もうちょっとやりようがあったと思うけどね。」


女やTVにしか興味がないのか、お前らは?



「ねぇねぇ。タッキーの新曲聞いた?」

「うん!かっこいいよねぇ~。私、タッキーのお嫁さんになりたい!」


「あのさ。3組の栄子って子さ。男子に人気があるけど性格悪いんじゃない?」

「そうだよね~。この間、街中で50歳位のおじさんと腕組んで歩いてたのを

見た子がいるってさ。エンコーでもしてるんじゃね?」


女子たちもアイドルや他の子の噂話しかしていない。


こんな奴らと、あと1年ちょっと一緒に過ごさなくてはいけないのか。

まったく憂鬱になるな。


私には実現すべき目標がある。

それを実現するために中学時代から勉強に励んできた。


おかげで成績は学年5位以内をキープしている。

だからこうしてエスケープを繰り返していても

学校側から大目に見られている訳だが。



中央図書館はこの街で最大の図書館で

豊富な蔵書に加えて広い閲覧スペースが完備されている。


その一部には一人掛けの机が用意されていて

自習するにはもってこいの環境が構築されていた。


私の最近の学習場所はここなのだ。


本の香りが漂う静謐な空間。

実に心が安らぎ勉強に集中できる。


空いている机に着いて教科書、参考書を取り出し

来年の受験に備えた勉強を始めようとした時


チャリン!


近くで床に硬貨が弾むような音がした。


辺りを見回すと大学生くらいの女性が

アタフタと床を見て何かを探しているのが見える。

何かが自分の靴に当たった感じがしたので見てみると


そこには金色のコインがあった。


摘まみ上げて見てみると

どうやら外国の硬貨らしく表に数字の1が

裏には冠を被った女性の横顔が刻印されている。


大学生は私がコインを手にしていることに気づくと

こちらに歩いてきた。


「あなたが次のパートナーなのね。」


彼女の言葉に私は目をしばたいた。


これは彼女の持ち物なのだろう?

返してとか言わないのか?


私の困惑した表情を見ながら彼女は言葉を連ねる。


「確かにさっきまでは私の物だったけど、今からはあなたの物なのよ。

そのコインはね。」


そう告げる彼女は穏やかな、そしてきらめきを感じさせる微笑みを

たたえていた。


「今までありがとう。私が変わることが出来たのは貴女のおかげ。

そして自分を好きになれた事。どれほど感謝してもしきれないわ。」


コインを見つめて言葉を紡ぐ彼女。

まるで別れの挨拶をしているように私は感じた。


「あなた。これから不思議なことが起こると思うけど

悪い事じゃないから安心していいわよ。

「彼女」の事、大切にしてあげてね。」


今度は私に視線を合わせてそう言った。


「それじゃ私はこれで。

もう一度お礼を言わせてね。ありがとう!」


彼女は私の持つコインにそう話しかけると

クルリと踵を返し歩み去った。


その姿は背筋が伸びた実に凛々しい物で

暫く見とれてしまった。


彼女は自分の席に戻り荷物をまとめると

閲覧室を出ていった。


ただ一度もこちらを振り返ることなく。


コインを手にしばらく呆けていると

頭の中に女性の声が聞えた。


『ふむ。此度の相方は若きおのこか。なかなかの美形じゃの。

よろしく頼むぞよ。』


誰だ?

近くには中年女性などいないぞ?


『察しの悪いやつじゃな。そなたの手の中に居るであろうが。』


手の中のコインをまじまじと見る。

まさか?この刻印された女性が?


『その通りじゃ。この様な些細な事でうろたえるとは、

そなたの頭はミスリル並に硬いと言う事かの。』


なんだこれは?


超常現象など信じない私には受け入れられない事が

今、起きているだと?


『全く。驚くのは分かるが、もう少しマシな反応を示してくれんかのう。

そなたとここで出会ったのは奇跡と言うものじゃ。

かつてわらわと邂逅した者たちは喜びに飛び上がったり

涙を流したりして……』


「いい加減にしてくれ!」


余りの出来事に場所をわきまえず叫んでしまった。


周囲から冷たい非難の視線が降りそそぐ。


これはもう勉強どころではない。

出したばかりの教科書・参考書を通学用のザックに詰め込んで

足早に閲覧室を後にした。


コインを机の上に残して。


これは何か悪い夢を見てるに違いない。

家に帰って普段はやらないパソゲーでも頭が真っ白になるくらいやって

疲労困憊で眠れば忘れることもできるだろう。


足早にバス停に向かい次のバスの時刻を確かめると

5分程でバスは来る事が分かった。


バス料金は240円だ。


小銭を取り出そうとズボンのポケットに手を入れると


『こりゃ!わらわを置いていくとは何たることじゃ!

少しは年長者を敬う気持ちを持たぬか!』


また頭の中であの声が聞こえてきた!


そして取り出した小銭の中であのコインが輝いていたのだ。


どうやらこのコインは物の怪の類らしいな。

とっととおさらばするに越した事は無い。


到着したバスに乗り、先払いの料金箱に240円を投入する。

あのコインも一緒だ。


これでお別れ出来たと一息ついて着席すると


『ふう。最近の機械と言うヤツは性に合わんな。

あんな狭い所を通して暗い箱に押し込めるとは。

もう少しいい待遇を期待しておったのだが。』


今度は左胸ポケットにコインの感触が現れた!


「おい。いったいお前は何なんだ?

私に何の用があるって言うんだよ!」


『あぁ、わらわと話すときは一々言葉を紡がずともよいぞ。

そなたとの意思疎通は頭の中で出来るからの。』


そりゃ有り難い事だ。

誰もいない所でブツブツ呟いてたらおかしなヤツと思われてしまうもんな。


『心配するでない。そなたに危害は加えぬよ。

ただ、ちぃとばかりそなたが気になっての。

だから、わらわはしばらくそなたに寄り添う事にしたのじゃよ。』


どうやら完全に憑りつかれてしまったようだ。


私は抗えぬ運命に屈して諦念と共に「彼女」を受け入れた。



























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る