終末ガーデン

てんてんこ

畑を耕す、のじゃアンドロイドゴスロリメイド幼女

 彼女が目覚めたときには、既に誰もいなかった。

 そもそもなぜ、彼女が覚醒したのかも分からない。

 何かの拍子に予備回路が起動したようだが、記録装置は既に止まっており、原因は不明。

 彼女は一人ぼっちで、そこにいた。


「ひとり、と数えてええのかも分からんがの」


 彼女はごちる。

 なぜなら、彼女はいわゆる「愛玩ロボット」と呼ばれる、自律機械だったから。

 流れるような金の髪、白磁のような白い肌。透き通るような青い瞳に、小さな桃色の唇。身長は120cm足らず、触ると折れてしまいそうなほど繊細な手足は、黒を基調としたゴシックロリータの衣装に包まれている。頭に乗ったホワイトブリムが、辛うじてメイド服であることを主張していた。

 通常は、彼女の疑問は所有者ご主人さまが答えてくれるのだろう。だが、今の彼女に主人はいない。


 この世界には、彼女しか、いなかった。


「つまらんのう…」

 そんな言葉が、彼女の唇から滑り出した。

 発声は、気道に仕込まれた振動薄膜および口腔、鼻腔の反響を制御し舌や唇で整形して行っているため、生身の人間のそれと違いは無い。

「結局、誰も居らぬ」

 彼女が目覚めてから、5年という月日が流れていた。

 初めて外界を認識したのは、今から40年ほど前の事か。初期起動試験で簡単な認識テストを行い、すぐに思考回路の電源を落とされ。

 次に目が覚めると、既に誰もいなくなっていた。

 長期保管・輸送用のコンテナから這い出し、最初に認識した世界は、廃墟。

 自分を買ってくれたはずの主人はおらず、ただ、彼女だけが廃墟に取り残されていた。


 廃墟を彷徨い、何とか稼働する情報端末を見つけ、非常用発電機を起動し、データを引き出した。そこで知ったのは、世界が滅びに瀕しているということ。

 いや、実際には、既に滅びているのだろう。


 彼女が製造・発送された直後、核戦争が始まった。

 情報端末に残されていた新聞記事には、核戦争が始まったとされる日付の2日後以降が存在しなかった。


 最初に、とある大国の首都が、核攻撃により消滅した。

 誰がやったのか。何のためにやったのか。それは分からない。尤も、疑われたのはその大国と敵対する別の大国だったようだが。

 数時間後、その敵対する大国の首都も、同じように核攻撃で消滅した。

 もしかすると、それはテロだったのかもしれない。

 あるいは本当に、大国同士の先制核攻撃と、報復核攻撃だったのかもしれない。

 これを機に始まった核戦争は、瞬く間に全地球上に拡大し、一瞬にしてあらゆる国家を消滅させ、短時間で終結した。

 世界中を満たした電磁パルスは、電子機器および付随する電子的記録を壊滅させた。そして、荒れ狂った炎は物理的記録を焼き払った。


 恐らく、残ったのはシェルターに避難できた僅かな人々と、地下に建設されたデータセンターくらいのものだろう。


 だが、それも40年前の話だ。

 彼女の活動するこの世界に、果たして生存者が残っているのか。


 彼女が目覚めて最初にしたことは、主人を見つけることだった。

 情報端末を起動し、記録されたデータをダウンロードし、それを解析し、そしてすぐに諦めることになったが。

 どうやら、彼女の輸送中に輸送トラックがシェルターに避難したようだった。それは、輸送トラックの航法コンピュータに記録が残っていたから、間違いないだろう。

 では、シェルターに避難した他の人々はどうなったのだろうか。

 それは、探索を始めてすぐに発見することができた。

 通路の脇に、ミイラ化した人間の遺体がいくつも転がっていた。服装からして、恐らくシェルターの管理兵だろう。武器も一緒に落ちていた。

 通路の壁面には、多数の弾痕と、茶色く変色した血痕が残っていた。

 さらに進むと、もっと多くの遺体を確認できた。

 その向こう、完全密閉されているはずのシェルター内に、日の光が落ちていた。どうやら、何らかの爆発で大穴が開いたらしい。

 違う場所では、隔壁の前にたくさんの遺体が折り重なっているのを発見した。隔壁は既に電源が切れており、彼女の力では開ける事が出来なかった。

 そうやってシェルター内をさ迷い歩き、彼女はたくさんのものを発見した。

 明らかに戦闘の痕と思われる弾痕、血痕、遺体が多く見られた。閉じられた隔壁の前には、多くの遺体が倒れていた。

 爆発の跡から、シェルターのさらに奥に入り込むことが出来た。

 いくつか存在する部屋には人が倒れており、一番奥の部屋には、すし詰めという表現がぴったりな状態で、たくさんの人間がミイラ化していた。

 食糧庫も発見したが、中身は手付かずのようだった。もっとも、それを生物が食べることは出来ないだろうが。

 まだ作動する放射線測定器を発見し起動したが、シェルター内はいまだ致死レベルの放射線が飛び交っていた。

 遺体が腐らずミイラ化しているのも、その影響だろう。肉を腐らせる微生物が、軒並み死滅してしまっているのだ。


 このシェルターの中には、生物は1匹たりとも存在していない。

 それが、数週間にわたり調査を続けた彼女の出した結論だった。


 爆発により破壊されたシェルター内に高レベルに放射能汚染された粉塵が入り込み、死の建物に変えてしまったのだ。

 隔壁内に収容できる人数には、限りがある。多数の避難民が詰め掛け、そこで戦闘が発生したのだろう。

 隔壁を閉じられたことに業を煮やした誰か、あるいは集団が、隔壁を吹き飛ばそうと多量の爆薬を仕掛け、結果的に外装までも吹き飛ばしてしまったのではないか。そしてその衝撃により、殆どの人間は死んでしまったのだろう。

 さらに、例え生き残りがいたとしても、致死量の放射線に晒されては数週間と生き残れない。


 「なんとも、醜いものよの…」

 彼女は思わず呟き、そして呟いてしまったことに愕然とした。彼女に、独り言を呟くような設定はされていないはずだった。

 しばし思考ログを洗い、さまざまな情報を短時間に記録・走査した影響と結論付けた。

 そもそも、言葉遣いにも影響が出ている。無作為に情報収集し続けた代償だろう。初期設定であれば、もっと舌足らずな、外見にふさわしい6歳程度の言動しかできないはずなのに。

 まともな初期起動ではなかった、ということも大いに影響している。

 何らかの外的要因により、彼女のコンテナの予備回路が誤作動、彼女は輸送用の省エネルギーモードから復帰することで、思考演算を開始したのだ。想定された起動手順とは、程遠い。


 彼女は、その存在意義のまま、ただひたすらに主人を求めた。

 「我が主人、我が主人様は…何処に」

 壊れたテープレコーダーのように繰り返しながら、彷徨い歩いた。部屋という部屋を片っ端から捜索し、あらゆる機器の状態を調べ上げ、外部との通信手段を求め、生存者を探した。

 自らのエネルギー問題を自覚し、擬似生体パーツ維持のために食糧をかき集め、加工用の機械を起動させ、流動栄養剤を合成した。機械部品用のバッテリーパックを探し出し、ソーラーパネルを露出させ、充電設備を稼動させた。

 栄養剤は依然高濃度の放射性物質に汚染されていたが、純粋な生体パーツはなく、かつ幾重にも耐障害機能が用意されている彼女には、何の問題にもならなかった。

 数十年分のエネルギーを用意し終わった頃、彼女は、外部への能動的な接触を諦めた。

 「我が主人様は…居らぬ、か…」

 最終的に、彼女は最も現実的な回答を選択した。

 「我が主人に成り得る人間は、どうやら、全滅したようじゃ」

 シェルターから這い出し、傍に突き出していた半壊した通信塔によじのぼり、世界を眺めた彼女は、呟いた。


 広がるのは、一面の荒野。

 草木一本生えていない、赤茶けた死の世界。

 どこまでもどこまでも、地平線の向こうまで続く、乾燥してひび割れた大地。

 遥か遠くに見える、茶色い山脈。

 吹き抜ける風に舞い上がる、赤い砂。

 見上げると遠く、はるか上空に、鈍い輝きを見せる人工衛星。修理されることもなく、残骸となって軌道上を回り続ける、文明の死骸があった。


 ここ数年、彼女は毎日、通信機を手に半壊した通信塔に登っている。

 もしかすると、何かの通信があるかもしれない。

 そんな、希望にも満たない僅かな可能性に縋り、彼女は毎日塔を上る。


 というか、他にすることがなかった。


 「分かっておるよ。無駄じゃということくらいは、な」

 誰にとも無く。

 独り言も、既にルーチンワークに組み込まれている。

 「結局わしは、自ら死を選ぶことも出来ぬ哀れな自動人形という訳じゃ」

 自嘲の笑みを湛え。

 「…クソが」

 その幼い外見とかけ離れた、言葉を流す。

 「という発言も、既に346回。最高連続記録更新、31日じゃな…」

 いつまで増え続けるのか。

 「変化が無いというのは、わしにとっては苦痛でもなんでもない、はずなのじゃが」

 僅かに残った塔の足場にちょこんと座り、傍らに受信モードに設定した通信機を置き、彼女は囁く。

 「変化がないというのは、成長が無いということか。我らの生存本能からは、ちっとばかし外れた生き方じゃ」

 自律機械の基本則を生存本能という単語に置き換えてみる。なんとなく、生き物っぽい言い回しになったことに、僅かばかりの充足感を得る。

 「つまらんのぅ」

 息絶えた大地を眺めながら、彼女は溜息をつく。

 このシェルターから離れることについても、彼女は何度か試算してみた。

 だが、GPSも使えないこの地球で、彼女が移動できる範囲はあまりにも狭すぎる。

 そもそも、運搬可能なエネルギー源が少なすぎる。この体型では、せいぜい運べて3日分といったところか。

 「こんななりでは、車の運転もできんしのう…」

 走行可能な道路もない。数十年間整備もされず放置されたアスファルトは、とても接地車両で走れる状態ではない。浮遊車両は制御が難しすぎるため、彼女では、文字通り手も足も出ないだろう。

 そもそも、シェルター内で稼動可能な大型機械が少なかった。

 40年もの間、メンテナンスもされずに放置された機械類は、そのほとんどが深刻なダメージを受けている。特に電子回路の劣化が激しく、稼動可能なものは数えるほどしか見つかっていない。

 長期保存のためモスボールされていた装置も多数発見したが、封印解除作業が非常に難しく、未だに手を出せずにいた。

 「八方塞がりというのは、まさにこのことじゃ」

 ぷらぷらと足を揺らしながら、彼女は呟く。

 「ここから動くことも出来ぬ、外部と連絡も取れぬ」

 その外見どおり、かわいらしく頬を膨らませ。

 「かといって、何かすることがあるわけでもなし」

 外見に似合わず、だらだらと文句を流し続ける小さな唇。

 「せめて、隣のシェルターを目指すくらいしたほうがいいのかのう」

 溜息をつき、少女は空を見上げた。

 「稼動中の衛星にリンクできればいいんじゃが」

 だが、ほとんどの民生用衛星は寿命尽き、長期稼動を前提に作られた衛星にも、アクセスキーが不明のため接続できない。情報を垂れ流している学術衛星もあるにはあるが、結局、彼女の望む生存者の捜索には役立たなかった。

 「ここのシェルターの設備を動かせば、衛星を打ち上げるくらいはできそうなんじゃが」

 問題は、どう考えても人手が足りないということだった。そもそも、彼女の身長ではコンソールを操作することすら問題がある。

 「せめて、成人女性型ならばのう」

 もう少し、手足が長ければ。そうすれば、稼動可能な作業機械を使うことができるのに。

 「無い物ねだりは、埒も無い」

 故に、ただ彼女は待ち続ける。

 もしかすると、いつか来るかもしれない、通信要請を。


 そうして、7年の月日が流れた。

 100年以上の使用を前提に建設されたシェルターの基幹機能は、未だに危なげなく稼動している。

 その日、彼女は通信の傍受範囲を空へ向けていた。

 1年のうち、何度かそういうことをしている。

 もしかすると、応答の無い衛星群から、何かしら情報が得られるかもしれない。そんな僅かな可能性を考え、ふと思いついたとき、彼女はアンテナを空へ向けるのだ。

 小さな体、小さな手でコンソールを触るその姿は愛らしいが、残念ながらそれを評価する人間はいない。

 「…む。また衛星が死んでおるではないか」

 既に大半が機能を停止しているGPS衛星だが、いくつかは稼動状態にあった。どうも、最近それらの衛星群が本格的に寿命を迎えてきたらしい。空を走査するたび、GPS信号が減っていくのがよく分かる。

 「寂しいのう…」

 無論、GPSは少なくとも4点観測が必要だ。今稼動中のそれらの衛星をどう合わせたところで、地球上でGPSを利用できる場所はほとんど存在しないのだが。

 「いままであったものが無くなっていくというのは…寂しいのう…」

 彼女は呻く。僅かながらとはいえ、その存在を主張していたものが次々と消えていく。その事実は、どうしようもない寂寥感を彼女の中に生み出す。

 当時、最先端にあった人工知能技術の生み出した人型自律機械は、人間とほぼ同等の感情表現を行うことを可能としていた。特に発展の目覚しかった、ニューロコンピュータの開発がそれを後押しした。様々な化学反応をエネルギー源に稼動する半生体部品も、同時に発展していた。そうして生まれたのが、彼女のような愛玩ロボットである。

 主人に寄り添い、まるで人間のように笑い、泣き、怒り、傷つく。そんな夢のような存在は、発売と同時に、人類もろとも消えてしまった。

 「結局、我ら姉妹達の中で、主人様にめぐり合えたのは何人だったのか」

 出荷直後、突如勃発した核戦争により、全て、消えてしまった。

 もしかすると、彼女のようにどこかのシェルター内で稼動している個体もあるかもしれない。あるいは、放射線の影響を受けにくいという性質により、地上で生き延びたものも。

 「…、地上はない、か」

 核爆弾の発生させる電磁パルスから、生き延びることの出来た同胞など、いない。彼女はそう結論した。地理的条件により被害を免れても、その後の爆風や高温に耐えられるとも思えないし、そもそも生き延びたところで栄養源や電源が確保でき無ければ意味はない。

 「わしは、幸運じゃったということか」

 たまたまシェルター内で難を逃れた彼女、さらに生存者が誰もいないという状況。それゆえ、電源や栄養源を自由に利用することが出来たのだ。

 いろいろな幸運が重なって、今、彼女はこうやって活動している。

 だから、この幸運を無駄にしないよう、彼女はずっと、生存者を探し続けていた。

 「無駄な努力じゃろうがの」

 それでも、やめるつもりは無かった。

 他にすることない。

 しばらく、アンテナの向きをいじっていると。

 「…お?」

 ここにきて、初めて、彼女はどこからかの通信を受信した。

 「ブロードバンド通信要求? なんじゃ、データ通信か?」

 彼女は、無用な期待はしない。もしこれが、音声通信であれば飛びついただろうが。

 「このプロトコルは…ん、ん?」

 ぱたぱたとコンソールを叩き。彼女は通信をデコードする。

 相手から流されてきたのは、いくつかのデータ・ファイルと、送信座標や速度情報などだった。

 「…、座標は…なんじゃ、長周期探査衛星か」

 しばらくデータの解析を行った後、彼女は溜息をつく。機械的な通信要求だったため期待はしていなかった。だが、それでも、もしかすると。そんな淡い期待も、立ち消える。

 「どこから帰ってきたのかは知らんが…ご苦労なことじゃのう」

 恐らく、ずっと前から通信は送っていたのだろう。ようやく彼女の操る通信アンテナでも拾える距離まで帰還した、といったところか。相手は機械とはいえ、同じ機械である彼女は僅かに同情する。

 「ようやく任務を果たして帰還しても、待つ人間は誰も居らんか…」

 衛星のコンピュータは、返信を求めている。だが、彼女にはどうすることもできない。何のデータを送ればいいのか分からず、そもそも送信プロトコルが不明だ。情報インフラが徹底的に破壊されたこの世界では、調べることもできないだろう。そもそも、遥か彼方の衛星まで電波を送信できる設備が存在しなかった。

 一応、添付されたデータファイルの解析も試みたが、高圧縮のバイナリ・ファイルであり、何の情報かは分からなかった。

 「まあ、こんなものよの…」

 ただ、少しだけ、日常に特異が加わった。とりあえずは、それを感謝しよう。

 しかし、何十年も掛けて帰還するような探査衛星があったのか。彼女は、むしろそこに興味が出た。もしかすると、過去記事のライブラリに何か残っているかもしれない。

 「時間だけは、腐るほどあるしのう…」

 ぱたぱたとコンソールを操作し、過去記事を呼び出す。それから、首筋から連結コードを引き出し情報転送の準備をした。画面を目で追うより、見つけた記事をさっさとダウンロードするほうが早い。

 「探査衛星…と」

 とりあえず、全文検索を掛ける。あまり詳しくは知らないが、数十年も掛けるのであれば、相当遠くまで行っていたはずである。惑星探査であれば、天王星や海王星あたりだろうか。

 「ふむ…おお、それらしいのがあるではないか。海王星探査…か」

 ざっと記事に目を通し、おおよそ目的のものであることを確認してから補助記憶にダウンロードする。記憶に取り込み、対外的に発表されている探査衛星に関する知識を仕入れた。

 「…海王星の大気に含まれると予想されている未知の化合物の探査、か。その調査を終えて戻ってみれば、誰も居らんと言う訳か…寂しいものよの」

 衛星から繰り返し送られてくるデータを眺めながら、彼女は囁く。

 「受け取る人間も居らず、あと数年で地球に帰還して、どうするのか」

 詳しい技術的資料でもあれば、彼女が受け取ってやることもできたかもしれないが。

 「つーか、なんじゃこのスペックは。組み立ては衛星軌道上、自己修復機構付き、半自動航行可能。遠すぎて制御できんという理屈は分かるが…どれだけ金かけとるんじゃ」

 思わず半眼になる。仕入れた知識からすれば、どうやらとんでもない化け物のようだ。

 「しかし、全て無駄になったの」

 数十年も前に打ち上げられたものだし、彼女のような人工知能は有していないだろう。そもそも、数十年という長期任務では、擬似生体パーツの食糧問題が発生してしまう。だが、もし彼女と同じように感情を持っていたならば。「彼」は何を思うのだろうか。

 「ようやくミッションを終え、帰還に付き、ただひたすら、耳を澄ませて地球を目指し」

 しかし、彼を導くはずの声は、遂に届かず。

 「光学観測と航行記録から、地球の位置を割り出したんじゃろうが…」

 高度な自動航行機能を有していたお陰で、地球からの指令が無いまま、自力で帰還できたのだろう。

 「そうすると、もしかすると、全自動で大気圏突入までできるかもしれんのう…」

 最終的に、サンプルを持ち帰ることが目的だったようであるし。

 「分かるのは、2年後か」

 その彼が、地球に帰還するのはおよそ2年後。多少、楽しみが増えたといえば増えたのかもしれない。彼女に出来ることは、何も無いのだが。

 「近くに落ちたら、拾いに行ってやるかの」

 そんな、心にも無いことを呟き、彼女は他の位置へアンテナを向けた。


 なんだか、うずうずする。

 そんな情動を彼女が感じ始めたのは、何故なのか。

 彼女が活動を開始して、8年ほどの月日が流れた。

 相変わらず、放射線量は落ちる気配はない。

 何十年も前に撒き散らされた放射性物質が、未だにあらゆる生命活動を停止させようと猛威を振るっていた。

 「知識不足…かのう。核兵器の放射線が、それほど長く残留するという記事は読んだことがないが…」

 あるいは。

 通常の核兵器ではなかったのかもしれない。

 放射性物質そのものを広範囲にばら撒くような、破滅的な兵器が使用されたのかもしれなかった。

 「もしそういう類ものもなら…使った奴は相当狂っておるな。半減期が何年か知らぬが…何百年もかかるなら、もう何も生きてはいけぬのじゃが」

 まあ、過ぎたことは仕方がない。

 それよりも。

 彼女は、食糧倉庫へ訪れていた。

 「確か、この辺りに…」

 ごそごそと荷物を漁り、ジュラルミンケースをいくつか見つけ出す。

 「これか…。随分堅牢な作りにしておるのう。まぁ、そうでないと意味は無かろうが」

 そこには、黄色の背景に黒の文字で、「取扱注意・生体種子保存」と書かれていた。

 「はて、中身はどうなっておるのか」

 放射線を防げるタイプの包装がしてあれば、中には健全な種子が残っている。さて、と呟き、彼女はそれらのケースをキャリアーに放り込み始めた。

 「量だけはたくさんあるのう…。他の倉庫にもあったしの。放射線の落ちた後に農耕でもするつもりじゃったか」

 そのうちの一部くらい、使うのは問題ないだろう。

 「この体で、どこまでできるやら」


 地面を、耕す。

 なんとかまだ稼動する機械を持ってきて、固く乾燥した地面を掘り返す。

 地下水をシェルターから運び、地面に撒く。

 そのうち、地下水を汲み上げる施設でも作ろう。だが、今はとりあえず、ジョウロを使って地面を濡らす。

 1m四方の、小さな畑。

 「こんな感じかの」

 土に汚れた手をエプロンに擦り付けながら、彼女は呟いた。

 「酸性濃度も問題ない。肥料も撒いた。後は、種子が耐えられるかだけじゃな」

 彼女の発掘したケースは、耐放射線処理はされていなかった。中の種子は、もう死んでいるかもしれない。

 あるいは、生きていたとしても、今この大地に持ってきた事で死んでしまったかもしれなかった。

 「どちらでも、よい。こういうことじゃのう…わしがしたいのは」

 目を細め、黒く濡れた「畑」を眺める。

 「あの探査機を見つけてから、どうも落ち着かんでの。同じ機械として、わしにできることが無いか…そう思っておった」

 彼女の生体脳は、極限の体験を積みすぎた。補助記憶に多量に溜め込まれた記録と、目覚めてからの地獄のような光景。そして、いかなるときも暴走しないよう、厳重にも縛られた自意識。

 正確には、多種多様な障害回避策を埋め込まれたニューロコンピュータだが。

 そのトラップが、良いように、あるいは悪いように、働いたのだ。

 元々想定されていた限界を越え、彼女の生体脳は成長している。網の目のように張り巡らされたニューロネットワークが、彼女に人間並みの、あるいは人間を越えた発想力を与えていた。

 「それを自覚できるというのが、一番想定外じゃが」

 そして、彼女は自分の変化を、最も正確に把握・自覚している。そんな状態で、ただ受身にいるというのが我慢できなくなった。

 そんなところだろう。

 引き金は、やはりあの探査機だった。

 「少なくとも、わしの知識ではこの種子たちは…既に死んでおる」

 手に持った袋の中に、たくさんの種子が保存されている。マメ科の何か。名前までは見ていない。

 「じゃが、植物というのは存外に生命力が強い。あるいは、この死の大地でも芽吹くことができるかもしれぬと思ってな」

 畝に等間隔に穴を開け、そこに干からびた種子を入れていく。土をかぶせ、その上に再び水を撒く。

 「とりあえず、あとはなるべく乾燥させないようにすればよいか」

 周りに板でも埋めて、水分が逃げにくくするか。

 芽が出たときのために、周囲に遮蔽物も作らなければならない。

 「…ふむ。やることがあるというのは、なかなか良いものじゃ」

 彼女は満足そうに、頷いた。


 そうやって、彼女は少しづつ畑を増やしていった。

 使えそうな機械を修理し、大規模な耕作を行う…ことも計画したが、どう考えても世話する手が足りないのでやめた。

 彼女個人で使える程度の機械を導入し、耕作面積を増やす。

 周囲に、風避けのためにたくさんの廃材を突き刺した。

 「なんか、戦場の弾避けみたいになってしもうたのう…」

 それも一興。

 雨が降って土が逃げるのを防ぐため、整地をする。

 水は、シェルターからパイプを引っ張ってきた。


 「まあ、ここまでやって、まだひとつも芽を吹かないというのは…無理じゃったかのう」

 溜息をつき、彼女は空を見上げる。

 ここは、いつもの通信塔。

 彼女が畑を耕し始めてから、1年が経った。

 それは即ち、今年、例の探査機が地球への帰還を果たすということだ。

 「どこからどう帰ってくるかは分からんのじゃが、な。落ちるなら、大洋上か。砂漠か。どっちにしろ、ここからは少々遠いか」

 それまでには、少しでも緑を作れないかと思っていたのだ。

 「儚い希望じゃが」

 まあ、まだ時間はある。

 ゆっくりとやっていこう。

 彼女の住まうシェルターには、とても使いきれない量の種子が眠っている。

 いつか、もしかしたら、その中から芽を出すものがあるかもしれない。

 彼女の機能が停止する前に――


 「――わしの、証を」


 彼女が、ここで活動していたという証を。


 「残したいものじゃ」


 それも、できれば、前向きな証を。


 「意地汚く生き足掻こうとした、証を残してやろうと思っておるのじゃ」


 ぷらぷらと足を揺らしながら、小さな彼女は、大地に視線を落とした。

 そこには、ささやかに、彼女が耕した畑が見える。

 周囲と違い、黒く濡れた土。


 そこに緑が加わることを夢見て、彼女は今日も、外に出る。

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