あの夏の魔法が解けるまで

鬼容章

第1話 あの夏へ戻る道を越えて

 バスが距離を走るにつれ、高い建物が無くなる。

 トンネルを越えると、立派なものはこの高速道路くらいだ。

 最後に通過した隣町の駅前も、仙台に比べれば広いものではない。


 すでに夕方を越え、夜に差し掛かっていた。

 だが、こっちも蒸し暑いな。

 都会型のアルファルトから感じる暑さではなく、盆地という環境のせいか籠った暑さだ。

 俺はコンビニで買ったペットボトルのお茶を一口飲んだ。もう冷たさはなく、流石に生温いな。


 バスの車内アナウンスが、自動音声で、郷土の観光説明をしている。

 誰かがボタンを押して、次の停留所で降りるようだ。

 俺は背を丸くしてバスから降りた。

 背筋を伸ばし、呼吸を整える。同じ空気か、これ。生温い田舎の空気なのに、向こうとは違う空気であると思えた。


「空気ってこんなに旨いんだな」


 そんな感傷的な郷愁ノスタルジーを感じていると、母親が車で迎えに来た。

 おかえりモードが優しい母には感謝しかない。

 声も余り出なかったが感謝は言えた。

 泥のように疲れていた俺は、風呂に入って、飯を食って、昔の部屋に準備されていたベッドに倒れ込んだ。


 せめて残っている夏の間だけは、何も出来ない自分の弱さを忘れたい。


☀☀☀☀☀☀☀☀


 翌日。

 ジワッとする暑い朝だった。

 うーんと、うめき声をあげて目を開いた。扇風機の風が当たっていない。そのせいか、身体が生温かいような気がする。

 いや、誰かが俺の上に馬乗りになっていた。馬にしては小さく、猫にしては大きすぎるというので、人間だろう。

 綺麗な茶っ毛を頭のサイドでくくった、薄くメイクをしたぱっちり目の可愛い顔が、嬉しそうに笑った。


「でへ~。キョウくん、おかえり~」

「誰?」


 俺は夏の朝で、カサツク声だが、精一杯言う。

 茶毛サイドテールっ娘は、ムゥと唸った。アヒル口という、ちょっと怒った感じ。

 こんなに可愛い、妹か、知り合いか、いたっけ。

 いや俺は、一人っ子で、知り合いの女の子は県外の大学に進学したからなぁ。


 夏っぽい白いブラウスはお洒落で、さらに淡いピンク色のスカートが座っている。

 センスが良く優しい香水の匂いがした。でもキツい臭いじゃなくて安心感ある。

 朝のせいか、下半身がムズムズする。


「ユウキ、ミモリユウキだよ」


 甘い声が名前を告げる。

 三森ミモリ祐季ユウキは幼馴染だった。やんちゃな奴で、2人で子供らしい悪事をたくさんしたもんだ。

 だが、下半身のうずきが止まった。


 そう、だ。


「何で……」

「何で?」


 家に入りやがった。いや、女の子の格好になったの。いや、一瞬でもユウキ可愛いじゃんと思った、俺。

 田舎の朝は刺激少ないんじゃないのか。これじゃあ、残った夏が静かになる気がしない。


 因みに、俺が言葉を詰まらせると、促すようにオウム返しをユウキはした。


 けど俺、やっぱり質問が出てこない。漫画の主人公ならガツンと良い台詞が言えるのにな。

 でも、それは珍しく朝から、腹が減っていたからだ。


「飯にしたい。ユウキ、そこどけ」

「あー、はーい!」


 猫のようにシュサッと、俺の上から除けたユウキは、パタパタと走って行った。俺は顔を洗うと、飯を食いに居間がある1階へ降りた。

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