霜降り

 朝起きたら部屋が暖かかった。アデールが魔法で床を温めておいてくれたらしい。しかし当のアデールは眠気に勝てなかったようで、杖を持った手だけがベッドからはみ出ている。


「アデール! おはよう! 朝だぞ!」


「ロン~、早い~、眠い~」


 布団を引っぺがすと彼女は寒いだなんだと文句を言いながらのそのそ起きてきた。それから顔を洗い服を着替えパンをかじって部屋を出る。王宮を出るところまではアデールと並んで今日の予定を話しながら歩く。王宮を出たら手を振って別れてアデールは技術と学問の塔へ、あたしは内務省の庶務室へ向かう。


「ずいぶん寒いな」


 王宮を出たら途端にはちゃめちゃ寒かった。地面を見ると霜が降りていて氷柱ができているところまである。寒いわけだ。季節は徐々に秋から冬へと変化している。今はまだいいけど、もう少ししたら冬服を買ってもらわないとな。アデールに引き取られてすぐに生活に困らないだけの衣服は揃えてもらったけれど、季節が変わればまた必要なものも変わる。


 寒さに震えながら内務省の庶務室に到着するとすぐにルーが入れてくれた。ルーは内務省次官であり立場はかなり偉い方だと聞いたけど親切で落ち着いたおじさんだ。


 あたしは彼に毎日チェスを習っている。最初はひたすら講義を受けているだけだった。でもそれがけっこうおもしろかった。勝ちたくば考えよ。戦略を、その中で組み立てられる戦術を。与えられた戦場だけで満足するなと。ルーはあれで意外と好戦的だ。だから勢いで進めているように見えて、恐ろしく鋭い勘を持ち、冷静な判断を下す内務省大臣のレオ・ニコラとは相性が悪くないのだろう。


 そんなルーがあたしは好きなのでこうして毎日通ってチェスを習っている。最近では授業の最後に一戦するようになっていて、まだ勝てないけどそれでもちょっとづつ自分の打てる手が増えていくのが楽しかった。


 そして今日も負けた。なにかもうちょっとな気がする。


「どの手も悪い手ではない。だが決め手に欠ける。自分の強みを考えてみなさい」


 そうルーに言われて考えながら内務省の庶務室を出る。少し図書館をうろうろしてから塔に行くと入り口でリゼットに会った。


 元々リゼットとはおしゃべりとかは結構していたのだけど、アデールのオルゴールの直し方を教えてもらって以来、たまにごはんを一緒に食べに行くようになった。せっかくなので今日も一緒に行くことにして、近くの定食屋で昼ごはんを食べる。リゼットはそんなにたくさんは食べないけど、それでも頭を使うからかパンやデザートをいつもしっかり食べていた。


「……すげえ甘そうだな」


「美味しいよ。ロンもいる?」


「いや、見てるだけで十分だ」


 目の前でかなりの糖度を誇りそうな甘味をリゼットはペロッと食べていた。甘いものが食べられないわけではないけど、そんなにはいらないです、と語尾が小さくなるほど甘そうだった。


 リゼットと別れて中庭に行く。朝は寒かったけど陽が出て暖かい昼時の中庭はずいぶん過ごしやすい。ベンチに座ってぼんやりと空を見上げる。雲がずいぶん高い位置を泳いでいる。


「ロン」


「エロワ」


 呼ばれてそちらに顔を向けるとこの国の第一王子エロワが穏やかな笑顔で向かってくる。あいつともずいぶん揉めた。だというのに今は和解して手を振って雑談をしている。変わるもんだな。あたしもあいつも。


「ロンは中庭が好きだな。俺もだけどさ。日差しが気持ちよくて草の匂いがする。だから用事がなくてもつい通ってる」


「うん好きだよ。ここは穏やかで人の声もしないし風が良い匂いなんだ」


 そう答えるとエロワは目を細める。


「そうだ、今度一緒にチェスをしよう」


「えー…一回ひどい目に合ってるからもう少し強くなってからにするよ。まだルーに全然歯が立たないんだ」


「たぶん国内にあれより強い奴はいないぞ。俺だって赤子の手より簡単にひねられている」


「そうなんだ」


 意外。もう少しいい勝負になるのかと思っていたけど。ってことはルーは相手の力量に合わせて打っているということで。


「本当にチェスが強いんだなルーは」


「そうなんだよ。一生叶う気がしない。でも、だ。俺とお前でこっそり練習をすれば勝てずともアッと言わせる手の一つくらい打てるかもしれない」


「どうかなあ」


「できるさ。まずは互いの力量を計るために一局打ってみよう。話はそれからだ。都合のいい日を教えてくれ」


 そしてなんやかんや、あたしはエロワとチェスの約束をしてしまった。


「よろしくな! じゃあこの後隣国との対談があるから失礼するよ」


 エロワは言いたいことを言って去って行く。あたしは少し疲れたのでベンチにもたれかかってうとうとする。なんかなー。人って変わるもんだ。そうやって変化しながら関わりあうのは人も魔族も変わらない。だからあたしはきっとここでやっていける。


 しばらくすると陽が傾いて風が冷たくなってきた。体が冷える前に立ち上がってまた塔に向かう。アデールの仕事は終わっただろうか。もう少しかかるようならエメに文字を教わりたいけどどうだろう。考えながらひょいひょいと塔の階段を登る。最初に登った時と段数は同じはずなのに、すごく短く感じるのはきっと


「ロン、ちょうど帰ろうと思っていたのよ」


「おつかれアデール。今日の夕ごはんなに?」


 出迎えてくれる人がいるからだろう。


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