第4話 街に出て


 あれからどれくらい経ったでしょうか。


 私は定期健診という名の週一回の注射を終え、疲れた身体を引きずりながら、生活している魔王城の近くの城下町をフラフラと散歩していました。


 この注射の後は、一際身体がダルくなるので憂鬱です。以前には、夜に寝る前に身体が急激に震え出し、痛みと共に血を吐いたこともあります。


 人間の身体に魔族の国の空気は合わないから仕方ない。その為の注射だとジルさんには言われましたが、そんなに合わないものなのでしょうか。


 まあ、最近は落ち着いているのでいいのですが。


 ちなみに今は、魔族の世界を見てきなさいとジルさんに言われ、外に出て散歩しています。


 買い食いくらいは良いと小銭を持たせてもらいましたが、まさか休憩の仕方まで決められてしまうとは。


 普段は見張りのリィさんが付いてきていたのですが、今日は忙しいのか、一人で行ってきなさいと追い出されました。


 たまにあることなので気にしませんが、私の首についている首輪で位置は常に特定されているみたいです。


 一応、人間ってバレると不味いらしいので、出かける時は魔族に見えるような偽装をしなくてはなりません。


 なので今、私の両耳の上にはジルさんと同じような角がついています。すぐに外せる偽物ですが。


 自分で散歩に行きなさい。人間とバレないように変装しなさい。バレたら折檻です。位置はいつも把握しているぞ。逃げようなんて思うなよ、ということです。


「……はぁ~……」


 久しぶりに一人になったのはいいのですが、ため息が出てきました。


 こうしなさいと決められたことをするだけの生活。実家ですら自由時間はあったのに、ここでの生活は食べる物から休憩時間の過ごし方までの一切が決められています。


 しかも九割は監視付きで。こんなの、そう動くと決められてそう動き続けている、元の世界で言う機械と何が違うって言うんですか。


 元の世界の、あのエリート思考の両親の方が何倍もマシだったなんて。世界とは本当に広いものです。


 あ、ここ違う世界か。ハハハ。


「…………」


 頭の中で一人ノリツッコミをして、むなしくなってきました。


 顔を上げてみても、見慣れた建物と魔族の人(?)たちが、人間社会と同じようにせっせと生活しているだけです。


 最初こそ、見慣れない建築物や魔族の化け物みたいな容姿に新鮮さを感じていましたが、もう慣れました。観光に行って違う町を見て楽しいのは最初だけですしね。


 まあ観光じゃないし、第一、帰り方も解らないんですけどね、アッハッハー。


「…………」


 やめましょう。またむなしくなりました。どうせ、自分の所為なのですから。


 気を取り直して近くのお店で飲み物を買い、またフラフラと歩き始めます。


 この世界の通貨は「ルド」というそうで、大体日本円と同じくらいの金銭感覚でした。このカップ一杯の飲み物も150ルドでしたし。


 ちなみに買った飲み物はドラゴンの胃液。こんなもん飲めるのかと思ったら、ドラゴンの胃液をモチーフにして作った果汁ジュースでした。


 なんでそんなもんモチーフにしたのか。気になったのでお店にいた下半身が蛇の姉さんに聞いたところ、ドラゴンの胃液はキラキラしていて、見てる分には美しいからだそうです。


 でも胃液と商品名に書くのは印象悪そうなのですが。


 あと、果汁に使われてる果物は見たこともないものでした。この世界の食べ物は、基本的にご飯など元の世界と同じっぽいのですが、たまにこういった知らない食べ物もあります。


 このジュースではジュージュー、とかいう果物が使われているのですが、食べても普通に美味しいのだそうです。


 ジュースの味は元の世界で言うライチに似ているので、一度食べてみたいものです。


「……ったくよー。いくら国境沿いに物資届けんのが重要だからって、何も明後日まではねーだろ!? 飛ばすにしても今日の夜中に出ねーと間に合わねーぞ!?」


「仕方ないんだよ。お偉いさん達の都合なんだから……さっさと荷物を運び入れようぜ」


「ったくよー。こっちのことも考えろってんだよなー!」


 町中では大声で文句を言いながら荷造りしている魔族や、物売りの魔族の声。井戸端会議のように少人数で集まって何かを話している魔族など、おおよそ人間社会と変わらない光景が広がっています。


 意識を持っている生き物というのは、どこも変わらないものなのでしょうか。魔族も人間も、大差ないんですね。


 平然と空を飛んでいる方もいるので、差がない訳ではありませんが。


 そんなことを考えながら飲んでいたジュースが、いつの間にか空っぽになっています。しまった。もう飲んでしまったのか。


「……あれ? 何か聞こえる?」


 飲み終わったジュースの容器を近くのゴミ箱に捨てた時、建物の間の路地の方から何やら声が聞こえます。


 特に考えもせず、野次馬根性でフラフラと声のする方へ行ってみると、少し開けた所に浅緑色の肌と巨体を持つ屈強そうな魔族が三人で、耳の尖がった緑色の髪の小さな女の子を囲んでいるところでした。


 屈強そうな魔族は、多分オーク族ですね。二メートル以上ある大柄で筋肉質の肌。知性が低めで、野蛮な考え方が多い種族。


 もう片方の女の子の方は、エルフ族でしょうか。耳が尖がっていて、白人みたいに白い肌をしている以外は、人間とほとんど変わりません。


 亜人と呼ばれる人間に似た、でも人間ではない種族で、エルフは特に長命な種族だったと思います。長生きする種族ですので、あの身長が小学校高学年くらいの女の子は、実は私より年上だったりするのでしょうか。


 そして彼女の右目の下には、バーコードのような黒い縦縞模様がありました。


 あれは、コードでしょうか。魔族が奴隷や捕虜などを連れた際に、管理用として身体に魔法で印字されるものです。


 おお。ジルさんの折檻(こう書いて教育と呼びます)、役に立ってるじゃないですか。これジルゼミで見たところだ、ってやつですかね。元の世界とは違って、ジルゼミは命がけですが。


「よくも逃げてくれたな、お嬢ちゃんよぉ……」


「逃げられるとでも思ったのかぁ?」


「オメーは一生、俺らの奴隷なんだよ」


 そして、状況がすぐに理解できました。今は人間と魔族の戦いの最中。


 一応は停戦中とはいえ、エルフ族は人間側についた筈なので、魔族からしたら敵のはずです。


 停戦直前に魔族の軍隊がエルフの里への襲撃を行ったので、その時にでも連れてこられたんでしょうか。右目の下のコードと合わせて、やはりあの子は奴隷だったみたいです。


 と言うか、停戦後に奴隷の解放の条約が結ばれてたはずなのですが、どうしてまだいるのでしょうか。


 まあ、条約が結ばれたのは最近ですし、個人単位の細かいところまでは行き届いていないのかもしれません。解りませんけど。


「…………っ!」


 っと。まじまじと見ていたら、女の子と目が合いました。


「~~~っ! ~~~っ!」


 何故助けてと言葉にしないのかは分かりませんが、目から助けてという強いメッセージが届きます。目は口程に物を言うとは、まさにこの事ですね。


 この目を見て、私が思ったことは一つです。


(…………正直、助けたいです)


 これは、私の偽らざる本音です。三人がかりで襲われている小さな女の子。


 小さい頃に両親に少しだけ見せてもらったテレビのヒーローのように、この世界に来る前に買い漁って読んだ漫画の主人公のように、颯爽と割って入ってピンチの女の子を助ける。そんなことが出来たら、どれほどいいか。


 でも現実は、私は見た目だけ魔族の人間です。体育の成績が少し良かったくらいで、あんな屈強そうな魔族に立ち向かっていってタダで済むとは思えません。


 君子、危うきに近寄らず。賢い者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということです。


 それが、正しい事。全く自分に関係ない火中に飛び込むなんて、普通の人はしないものです。


 ……だと言うのに。


「へっへっへ。観念しなお嬢ちゃん」


「助けても言えないんだもんな~」 


「嫌って言わねえってことはオッケーってことだもんな~」


「~~~っ! ~~~っ!」


 そそくさとその場を立ち去ればいいはずなのに、私の足はその場を離れようとしません。気づかない内に強く握りしめている拳が、わなわなと震えています。


 やめろ。行くな。行ったら絶対に痛い目に遭うぞ。ジルさんの折檻を思い出せ。自分の所為でも何でもないのに、またあんな目に遭うつもりか?


 頭の中で理性が叫んでいます。きっとそれは正しいことなのでしょう。


 助けたところでその女の子をどうしたらいいのかも解りませんし、そもそも助けられる可能性の方が圧倒的に低いです。


 それでも。それ、でも……。


「やめ……て、……くだ、さい……」


「あん?」


 喉から絞り出した言葉は、割って入ることを決めていました。


 その時の私は、自分自身、何を考えていたのか解りません。ただの気まぐれか、求められたから仕方なくか。


 いずれにしろ、私は関わることを、無意識下で決めていました。


 私の言葉はオーク達に届いたようで、その内の一人がこちらを振り向きます。


「なんだ、夜魔のガキんちょかよ。ガキんちょには刺激のつえーことはじまっから、さっさと消えな。今なら見逃してやるぜ?」


「やめ、て、くだ、さい……」


「ああん?」


 オークの一人がズカズカとこちらに近づいてきます。


「聞こえなかったかな~? さっさと消えろっつってんだよ、ガキ」


「やめ、て、ください……嫌、がってるじゃ、ないです、か……」


「ほうほう。な~るほど~」


 そう言われた瞬間、私の左頬に衝撃が走ったかと思うと視界が回り、少しして背中に打ち付けられたような衝撃が身体を襲いました。


 殴られて吹き飛ばされ、建物の壁に叩きつけられたと分かったのは、さらにその後でした。


「ああ? どうかしたのか?」


「ガキがいっちょまえな事ぬかしやがるから、ちょいと教育してやっただけさ」


「はっはっは! そうだな! ガキはキチンと教育しなきゃな~!」


 オーク達の笑い声が聞こえます。こちらの世界の教育というのは、ずいぶんと暴力的なんですね。


 決して余裕がある訳ではありませんが、ジルさんの折檻といいこれといい、痛い目にあってばかりで逆に笑えてきます。


「~~~っ」


 痛む身体を起して顔を上げると、あの女の子と目が合いました。心配そうな、申し訳なさそうな。涙ぐむ目と表情からそんな感情が読み取れます。


 自分が助けを求めたからそんな目に遭わせてしまった、というところでしょうか。多分。


「……大丈夫、ですよ……」


 女の子の気持ちなんてこれっぽっちも解りませんが、自分に言い聞かせる意味も込めて、私はそう口にしました。


 殴られた時に脳が揺れたのか、未だに視界はブレて落ち着きませんし、殴られた左頬と打ち付けた背中はズキズキと痛みます。


「おいおい、このガキんちょ立ち上がっちゃったぜ。大丈夫でちゅか~? 足が震えてまちゅよ~?」


 ようやく目の前が見えてきたと思ったら、私に構っているオークがからかうように、両手をひらひらさせながら片足を上げて見せるというふざけたポーズまで取っています。


 しかし、それに対してどうすることもできないのも事実です。当然、喧嘩なんかやったことありません。


 このままボコられて、女の子も連れていかれるという未来がよく見えます。


「……やめて、ください。その子、嫌がってるじゃないですか」


 それでも、と私は気持ちを奮い立たせました。元々、出来ないからと諦めたり腐ったりせずに、嫌でもなんでも辛抱強くやってきたのが、私の唯一の取柄です。諦めなければ、もしかしたら。


「……そもそも、停戦した時に、互いの奴隷は解放する、という条約があったはずです。それなのに、まだその子を奴隷にしているのは……お、おかしいと、思います……!」


「ほ~~~」 


 うんうん、と頷きながら、オークは私の前まできて。


「ゴホォ!」


「ちゃんと勉強してて立派なんだな~、ガキの癖に」


 下から上に向かって、思いっきり腹を殴られました。衝撃で一瞬浮き上がった気がします。


 息ができないくらい重い痛みがお腹を襲い、私はそのままうずくまってしまいます。


「でもなあガキ。世の中はそんな単純じゃねーんだよ。条約だか何だか知らねーが、こっちにも都合ってもんがあってなぁ。そもそも意見を通したきゃ、それに見合う力を持ってきな。弱っちぃ奴がなにほざこうが、こちとら聞く必要もねーんだよ」


「う……ごほぉ……」


 痛すぎて息もまともにできないくらいです。お腹を押さえてうずくまる私は、本当に弱っちい奴なんでしょう。


 なんにも。私は本当に、なんにもできないんでしょうか。


「こ、この……っ!」


「おっと」


 うずくまる私をあざ笑うように目の前にしゃがんできたオークに対して、利き手での右ストレートを試みてみました。


 しかし、オークが持つ私よりも大きな手のひらで、あっさりと受け止められてしまいます。


「っつ……ほほう、なかなかいいパンチだなぁ。ひ弱な夜魔族の癖にいいもん持ってるよ、お前」


 しかし次の瞬間。受け止められた右手をそのまま握られ、私は反対側の壁に向かって力強く放り投げられました。


 右腕が引っこ抜けるかと思った次の瞬間に、顔面から壁に叩きつけられて、鼻から何から、顔中に強い痛みが走ります。


「だからどうってこともないんだけどな~! はーっはっはっはっ!!!」


 オークの笑い声が聞こえます。私はそれに何も返せないまま、無様に地面に倒れ伏して顔とお腹を抱えていました。


「う……ぐぅぅぅ……ゲホ、ゲホォ……」


 元々戦争で最前線を任される程、肉体的に強靭なのがオークという種族です。私みたいなのが殴りに行った程度で、何とかなるものでもありませんでした。


 なんにも、できません。情けなくせき込み、鼻から血が滴る感触もあります。自分の周りがどうなっているのかを見る余裕もないまま、ただただ身体中の痛みに悶えるばかりです。


 もしかしたら、私なんかでも何とかできるかもしれない。そういう淡い期待もありました。


 しかし、これが現実です。話もなく勝手に連れてこられて、三年間も意識を乗っ取られ、やっと起きたと思ったら魔王になれと折檻を受け、休憩時間ですらその辺の魔族にボコられる。


 これが、現実なんです。


「おいおい。遊んでんのもいいが、さっさとお嬢ちゃん連れ帰ってイイことしようぜ?」


「それもそーだな。イラつかせて魔法使われちゃ面倒だし」


 ……魔法使われちゃ面倒だし? そうか。今、私は偽装で夜魔の格好をしているから、魔法が使えると思われているんですね。


 しかし、私は人間です。ジルさんみたいに炎を出せたりはしないんです。本当にどうすれば……。


「んなっ!」


「ぐわぁ!」


 その時、オーク達が声を上げました。

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