Will you prove me?

無花果

Will you prove me?

 近くの森は私のお気に入りの場所だ。明るくていい匂いがする。

 あまり深く入り込むと帰り道が分からなくなって時間がかかるから、いつも入り口のそばで草木を見るだけ。

 でも今日は、とっておきの方法を思いついたから、いつもより少し深く足を踏み入れる。

 森の入り口から、一本ずつ木に傷をつけていく方法だ。最初の木に傷をつけたら、次の木はもう一度だけ多く傷をつける。

 1本、1本、更にもう1本。数え切れないくらいたくさんの傷をつけた時、ふっと私の目の前に両の手が現れて、ごきげんそうに手を振った。

 私はびっくりして尻餅をついた。

「わ、だれ?」

 怖くなってギュッと目を瞑ると、その手が私の頭を撫でた。ゆっくり、宥めるように。

 優しい手つきに恐怖が消えてそっと目を開けるとやっぱりそこには手だけが宙に浮かんでいた。

「泣かないで。ごめんね、見えると思ってなかったんだ。驚かせちゃったね」

 手が喋った。顔も口もないけど、たしかにそれはその手から出ている声だとわかった。

「こわくない?」

「僕? 怖くないよ」

「なにもしない?」

「しないさ。僕は君の友人だ」

「私はあなたのことしらないよ!」

「そりゃそうさ! だって君は今まで僕のこと見えもしなかったんだから。でも、実はずっと君の傍にいたんだ」

 その手は私の顔の前をぐるぐると回りながら説明した。不気味だけど、でも確かにそう言われればなんだか昔からの友達のような気もした。

「なんで見えなかったの?」

「僕のことを知らなかったからさ。知らないというのは無いのと同じだ」

「むずかしいよ……えっと、じゃあどうして、とつぜん見えるようになったの?」

「知らない間に、君が僕を知ったからさ」

 私はその手が言っていることがわからず首を傾げた。

「まだ君には難しいね。でもま、理由なんてどうでもいいのさ。僕は君の友人。それでいいだろ?」

「うん……」

 親が子を説得するように、なんだか体良く丸め込まれた気がした。しかし、私は彼に反論するほど言葉を知らないし、彼のこともよく知らない。仕方なく納得するしかなかった。

 手が私の前に自分自身を差し出した。手を掴むと彼は私を立ち上がらせてまた優しく頭を撫でた。



 その奇妙な手は、その日を境に常に私にまとわりつくようになった。いや、今までもそうしていたらしいから、私が気づかなかっただけで彼の生活は変わっていない。変わったのは私だ。

 見えるようになると鬱陶しくもあるが、一方で彼は私の日常の一部になっていた。

 彼に出会う前はどうやって過ごしていたのか。もはや思い出せない。

 彼が何なのか私には見当もつかなかった。毎日のように彼に正体を尋ねているが、良い答えは得られていない。

 そして今日もまた、彼に問う。

「そもそも、貴方はヒト? イヌ? 怪物?」

「君には人間の手が見えているんだろう。それはつまり、そういうこと」

「手だけじゃ人間とは言えないよ。そもそもそれって本当にヒトの手なの?」

 彼をむぎゅっと掴むと不思議な感触がした。彼の手には人の温もりがほとんどなかった。冷たく無機質で、でもそれ以外は私の手と変わりないように感じられた。

「どう? 僕の手を触った感想は?」

「うーん、冷たくて生きてないみたい」

「ははは、面白いこと言うね。僕は生きてないけど生きているよ」

「またからかってる?」

「……すねないでくれよ。ごめんって」

 彼が私の手を握り返して宥めた。いつも揶揄われてばかりだ。ムッとして、私は彼の指を摘んだ。

「1、2、3、4、5。指は5本。手は2個ね! 合わせて10本指。貴方にこれ以上手がないなら、私と同じね」

 しげしげと見つめると、「そんなに見つめられたら照れるなあ」とやけにはっきりとした声が聞こえた。

 今までみたいにどこから発せられてるかわからない声ではなく、しっかりと私の少し上から浴びせられた声だ。

 顔を上げると、ヒトの顔があった。

 その顔についた目はじっと私をみていた。

 なんとなくだが、私の握っている手はその顔に繋がっているんだなと思った。

 びっくりして見つめているとその顔が、あれと不思議そうな表情をした。

「君と目が合っている気がする」

「私も」

 彼も私も互いに顔を近づけて瞳の奥を覗き込んだ。何の色なのかわからない彼の瞳が影に隠れ、私を深淵へと誘う。

 瞳孔がさっと開いて、そのまま吸い込まれてしまいそうだった。



「やっと体は見えるようになったのに、まだ足は透けてるのね」

 これは最近の口癖だ。彼の体はここ数年ではっきり見えるようになったが、それでも足の先は透けたままだった。

 飽きてしまった宿題のノートを横に放り投げると足の透けた友人は呆れた顔をした。

「だめだよ。まったく君はだらしないな」

 彼はノートを拾って机の上に丁寧に置き直した。私は彼が味方ではないことを悟って、椅子ごと机から離れ、勉強机の横のベッドにダイブした。

 友人はこらと叱るが、それ以上は何も言わなかった。やれやれと呟いて、透けた足であぐらをかきながら私の真上に飛んできた。

 これは遊ぼうの合図だ。

 彼も私に構ってもらいたいんだ。口ではやることをやれと言うくせに、本当は『歴史』も『英語』も全て投げ捨てて私に構ってもらいたいのだ。

「じゃあ気分転換に何かしようよ。ほら、いつもの連想ゲームでもやろう」

 私も彼と遊びたいから一も二もなく頷いた。

 連想ゲームはその名の通り、私がいろんなものを想像するゲームだ。

 なんと、この友人は私が思い描いたものに変身できる。正確には私が彼をどう思うかで私に見える彼の姿が変わる。

 最初は朝起きた時いきなり魚になっていて驚いたが、慣れるとすごく面白い。

 やっぱり人間じゃない。宙を浮いている時点で人ではないのは当たり前なのだが。

「金の王冠」

 目をつぶってよくイメージする。彼は金の王冠。彼は金の王冠。とびきり美しい、純金の王冠。

 目を開けると冠がふよふよ浮いていた。もちろん、下の方は透けている。

「やった! どう? 王冠になった感想は?」

「すごく体が重い! 君、上手になったね」

「そう? じゃあ次、王冠といえば、お風呂ね!」

「え? どうして? ああ、君、本当に僕の体をいじるのが上手くなったよ。もうお風呂になってる」

 想像の通りに、バスタブが目の前でくるりと回った。ばしゃばしゃと溢れるお湯は床を濡らすことなく消えていく。

「ちょっと前まで野を駆け回る幼子だったのに、気づけば僕は君にされたい放題だ」

「でも楽しいでしょ? 次は何がいいかな? 人魚はどう?」

 鰭が空気を打った。音もなく、美しい人魚が空を泳いだ。

 私の思い通りになる彼が愛おしくて、そっと手を伸ばす。

 ああ、貴方が本当に人魚なら、私を背負って広い海のその先の彼方まで連れて行ってくれるのだろうか。

 それとも一人で広大な海を渡っていってしまうのだろうか。

 それは、嫌だな。私は貴方がいないと駄目なんだ。



 何にでもなれる彼の本当の姿は何なのだろうか。

 次第に私はそのことばかり考えるようになった。明けても暮れても、彼のことばかり。

 どんなに聞いてみても彼は答えてくれない。

「実は幽霊なんじゃない? 透けてるし」

「そう思うなら証明してみせてよ」

「考えてみたけど無理だよ。貴方の姿を当てるのなんて、砂浜に隠された一粒の砂金を探すようなものだもん」

 答えが出ない問いは、私から時間を奪っていく。考えすぎて眠れなくなる時もある。

 無限とも言えるような膨大な時間をかけても、彼の頭の先から爪の先まで全てを暴くことはできないような気がした。

 彼が普段ヒトの姿をしているのは、私がそうあってほしいと無意識に思っているから。しかし、もしかしたらどこかしらは本当の彼の姿なのかもしれない。違うかもしれない。正解が何もわからない。

「ひょっとして、神様とか!」

「さあ、どうだろう。証明してみせて」

「もう、そればっかり」

「教えられないんだ」

「いじわる」

「…………でも、当てられたらきっと本当の僕が見られるよ。見たくない?」

「……見たい」

「なら僕を当ててみてよ」

「……私の大事な友人」

「それは、ずるいなあ」

 涙を堪えられなかった。私は私の大事な友人のことすら何もわからない。

 彼が私の頬を包み込んだ。目の下を親指で撫でて「泣かないで」と泣きそうな顔をするものだから、そんな顔をしてほしくなくて余計に泣いてしまいたくなった。




 時は流れる。私が成長するのと同じようにこの友人も成長している。身長が伸びたり、たまに分裂したりもする。

 これが、分裂した友人同士が同じことを言う時もあったり反対のことを言う時もあったりして大変なのだ。

 こういう時は私がいくら一人の友人を想像しても数が変わらない。しばらくすると元に戻るから放っておくことにしているが、正直手に余る。

 それに、まだ彼のことはわからないことだらけだった。新しい彼の一面を見るたびに、その難解さに悲鳴をあげる。小さかった頃の柔軟さが消え、彼は理解を超える存在になった。

 そんなことが続くうちに、どうしてか彼との仲は悪化していった。彼は変わらず私に接してくれているけれど、私はどうしても素直になれなかった。

「ところで君、最近その服ばかり着ているよね。お気に入りかい?」

 彼が私の服の襟を摘んで引っ張った。気に入らなくてぱっと手を払うと、彼は苦笑いをした。その顔を見ると罪悪感が湧いてきて、でも恥ずかしくて、そっとうつむいて顔を隠すしかなかった。

「これ、制服だから。皆着るの」

「そっか。ごめんよ、触ったりして」

 私が悪かった、そう言えればよかったのに。私の口は素直になれず「別に」と返すことしかできなかった。

「怒らないでよ。ほら、君の好きな話をしよう」

 彼は私よりずっと大人で、こうして私が拗ねても怒らずおおらかに私を許してくれた。

 彼に並ぶと私がずっとずっと幼い子供になったみたいで嫌になる。自己嫌悪の感情を八つ当たりの様に彼にぶつけてしまうのも、もう何度目だろうか。

「貴方ってどうしていつもそうなの? 貴方のことが分からないの! 気難しくて偏屈で」

 いいえ、本当に気難しいのは私の方なんだ。

「捻くれてて意地悪よ」

 彼の優しさを無碍にする私の方が意地悪なのに。

「だって、だって、貴方」

 何度怒ってもおろおろと私をあやそうとする彼に非はないのだ。私のわがままで、こんな。

 それなのにどうして、

「どうしてこんな私のこと、嫌いにならないの?」

 彼は驚いて、そしておそらく初めて怒りを露わにした。むっとした顔で声を張る。

 その時初めて本当の友人になれた気がした。




 仕事帰り、家のドアを足で引っ掛けたまま壁に手を伸ばして玄関の電気をつけた。がたがたと慌ただしく靴を脱いでカバンを投げ下ろし、リビングのソファに身を横たえる。

 最近の風潮、5分前行動。そして、更にその5分前の行動を心がける。でも帰宅は数時間遅れ。

 やってらんないよ、そうため息をついた。皆が寝静まった部屋では当然返事も返ってこない。

 お風呂まで這っていってお湯をくみ、スマホのタイマーを5分にセットした。今が何時かは分からないが、便利なことに5分経てば知らせてくれるのだから世の中便利になったものだ。

 疲れからだらだらと歩いていると、がつんと何かが足の小指にぶつかった。

「いった、もう、誰が置いたの」

 誰に言うでもなく不満をぶちまける。よく見るとそれは書類の詰まったクリアケースだった。

 言い表しがたい懐かしさに、クリアケースに手を伸ばし蓋を開けた。

「『計算ドリル 1年生』? うわあ、懐かしい!」

 遥か昔、私が初めて数に触れた時の思い出の品だ。パラパラとめくると多くの赤い丸に少しのバツマーク。

 間違えた問題をなぞる。今なら目を瞑ってでも解ける。目を閉じて、数を数えた。

 ふわりと、森の匂いがした。

 そっと、目を開けると、変わらない私の友人がにやにやとこちらを見ていた。

「やあ」

「久しぶりね」

「僕は久しぶりじゃないよ。ところで、足の指は平気?」

「からかわないで」

「はは、ごめんごめん」

 やわらかな笑い声が私を包み込んだ。

「久々の『どうして攻撃』は僕がやってもいい?」

 どうぞと促すと彼は捲し立てた。

「どうして話しかけてくれなくなったのか説明しておくれ。わけの分からない奴を間に置いて、伝言するのは何故なんだ? あいつは2文字しか発しない、退屈で死んでしまいそうだよ」

「あら、あの子は優秀よ」

「0と1だけで全てが話せるんだ、そりゃあ優秀だろうさ。でも僕は君と話したい」

「忙しかったの。でも、ごめんなさい。こんなのただの言い訳ね」

「本当にその通り。君は意地悪だ」

 彼は幼い頃の私を真似してそっくりに怒った。

「本当に、ごめんなさい」

 怒っている彼を見るのはこれで二度目だ。昔を思い出す。今も昔も彼は変わらない。

 そして、変わらず、彼は私の友人だ。大切な、大切な。

 彼は私の真似をやめて、悪戯な笑みで私を抱き込んだ。

「ごめんよ、こんなこと言うつもりじゃなかったのさ」

 妙に芝居がかった言葉はふざけあっていたあの頃を鮮明に思い出させた。

「僕のこと」

「嫌いになんてなれないよ」

 彼がなんて言うのか、私にははっきり分かった。食い気味に被せると、彼は嬉しそうに私から身を離した。

 期待の眼差しがいたく私を高揚させた。

「ずっとずっと昔から、私は貴方の一部で、貴方は私の一部らしいから」

 だから私達は全てを捧げて友人の本当の姿を追い求めるの。そして、いつかきっと……。

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