42 深谷村の消失とヨミの始まりと
田吾作が奮闘していた世界の裏側で、木々を紅葉が彩る季節になっても深谷村と人々は元の世界へ帰ることは出来なかった。次第に世界を受け入れて、静かに暮らしていくようになる。世界に溢れるゴミとその汚臭、ここが天国ではないことは皆理解していた。住み始めた場所を黄泉と呼び始めたのは女村長であったが、その彼女の命も大往生の末に尽きる。
彼女の葬儀の夜、集った村人は悲しみに暮れていた。
「とても指導力溢れる厳しい方であった」
村長と距離の近かった男が静かに目を閉じた。不安げに母親の手を握る幼子があどけない声を上げる。
「黄泉の国で死んだ魂はどこへ行くの」
思えばこの黄泉に来て始めての死者だった。答えは大人ですら想像がつかない。
村の外の森林に掘った穴の中には死んで小さくなった村長が眠っている。故郷の地を踏むことなく彼女は生を終えた。身の回りの物と少しの食料を入れて野山の花で埋め尽くす。生きている時の苦しみを忘れて安らかな顔だった。
土を被せながら次第にすすり泣きは大きくなる。土をかける手を休めずに、次第に衣服は埋もれ顔も埋もれ。皆心でさよならを告げた。
初めての異変が起きたのは村長の死からひと月たった頃だろうか。村外の山で切り出しをしていた働き盛りの男が突然消えた。村をあげての捜索が始まる。険しい山に分け入り、水辺を隈なく捜索した。捜索は3日間に及び、その捜索の途中また男が消える。今度は初老の男だった。
その2人の遺体は1週間後、村外の山の崖を下った川べりで発見された。どちらも汚染されてように真っ黒に汚れ、阿鼻叫喚の表情で死んでいた。体からは渋面を作るほどの異臭が漂っていた。ただ事ではない死に、村の人々は恐怖を覚えた。触れてはならぬと警戒しながら2人の遺体を布で包み、葬ろうと村長の墓を訪れて初めて人々は気付く。周囲が木葉に埋もれた村長の墓には大きな何かが這い出たような跡があった。穴は汚染されてように真っ黒に汚れその奥底までははっきりと見えない。まさかと震えあがった人々は葬ることもせずに2人の亡骸を置き去りにして、我先にと村へと逃げ帰った。
人々が最初ソレの正体を目にしたのは村の祭りの日だった。黄泉の国へ来てはや10年が経つ節目の祭り。いつもは塞ぎ込んでいた住人達も村中を飾り立て、黄泉の国であるということを忘れ祭りに臨んだ。老若男女全ての村人が村の中央広場で料理に舌鼓を打ち、歌い踊ってひと時を楽しんでいた。
小便にと席を立った男が突然林の中で悲鳴を上げた。男が蒼白の表情で広場へと戻ってきた。
「どうした! 何があった」
「バ、バケモノが。バケモノが……」
そう言い終えると男は泡を吹いて倒れ白目を浮かべた。
広場に忍び寄る影を見て、人々は驚愕する。そこには真っ黒な人のような生き物が3匹いた。水塊のようにふよふよとして意思を持って近づいてくる。兵士のように長い足をゆっくりと運び小刻みに右へ左へと揺れながら。
「お前たち、何者だ」
勇ましい若者が木の棒を振りかざして応じた。それでも相手は進行を止めず向かって来る。若者は木の棒で生き物の首を打った。
「ひっ」
木の棒は生き物の首を右から左へとすり抜ける。生き物は両の手をがばっと大きく広げると若者を抱きしめた。
「うわあああああ」
若者の悲鳴が響き渡った。それを助けようとした別の若者が今度は両脇を歩いていた生き物に飲まれる。生き物だけれど、その所業はもはや生き物ではない。成す術がないと悟った村人は取る物も取り敢えず、村を逃げ出した。
黒く汚染された大地へと踏み入り、追いかけて来る生き物にただ怯えながら野山を駆ける。東西南北に散った村人たち。黄泉の国を逃げる途中、飢餓で多くの人々が死んだ。死んだ人々の魂は土地と結びつき、それらもまた悪しき生き物となる。そう、それが人魔の始まりであった。
田吾作の思いを寄せた花もまた懸命に駆けた。黒い大地を突っ切り目指すはその向こう。黄泉の国に果てがあるかは誰も分からない。それでもこれ以上この地にはいられなかった。途中田吾作の父が死んだ。葬ることも出来ずに彼は人魔となった。残された田吾作の母と2人で手を携えて山を下る。大きな森を抜けて、ようやくその向こうに清涼の大地が見えた。
「ああ、アタシたち助かったのよ」
互いの手を握りしめて黄泉を脱出出来た喜びを噛みしめ合う。逃げる途中食べた木の実のおかげで何とか命を繋いだ。腕は細り、身体は薄汚れ、それでも生き延びることが出来た。安堵した時、花を突然の恐怖が襲う。
「きゃあああああああ」
背後から寄ってきた人魔が花を体を飲み込んだ。
「お花ちゃん!」
人魔の手を何とか
「お義母さん逃げて」
それが花の振り絞った言葉だった。力では叶わぬと悟り、身を引く。母はやけどのように腫れた自身の両手を寄せ合わせるとごめんね、お花ちゃん。ごめんねと泣きながら黄泉の国を後にした。
◇
――長い夢を見て、目を覚ました隆行は厳粛な気持ちだった。人魔に飲まれて記憶はあるけれど、その後のことを覚えていない。全身が疲労感に包まれて、指先は1ミリたりとも動かすことが出来なかった。
「お気づきになりましたか」
穏やかな女性の声が聞こえる。ああ、助かったのだ。自分は助かった。まだ、心がある。隆行はそっと安堵すると再び目を閉じた。
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