猫の矜持

杜松の実

チロちゃん

 吾輩は猫である。名乗る名はもう無い。今は暇を持て余し、餌で膨れた腹を休ませてやろうと、窓から外を眺めている所である。何も楽しいものではない。これと言って、他にすべきことも無い為、致し方なく外を見るのだ。我らを始終寝ている物の様に考えているやも知れぬが、それらは心の年老いた者か、あるいは酷く若い者だけだ。熟れ切り、身体に宿るエネルギーも、心の軽やかさも極大を迎えている吾輩のような年頃の猫は、そうそう眠れはしないのである。

 しかし、幾ら心が軽やかで、如何なる物に容易くなびくことが出来るとしても、こうも変わり映えのしない日々を送れば、センサーに触れる物は何も無くなる。ご存じである事であろうが、我らは非常に飽きっぽいのだ。

 窓からは一つの道が見えた。人通りは多く、中でも目立つのは同じ黒い服を来た男達だった。その流れは決まって右から左へと進んで行く。左から右へと進む者は、これまで一人しか見たことがない。その男は、金色に貧相に照る髪を女の様に肩に掛かる程無造作に伸ばし、太い黒縁の眼鏡を掛け、猫背で、覚束ない足取りで右へ過ぎ去って行った。この家の中肉中背中年の顔立ちも中庸といった男もまた、同じ黒い服を着て、その群れに加わって行く。吾輩が思うにこれらは一種の宗教的な趣がある。彼等が皆一様に進む方角には太陽が昇っており、そこを目指し歩んでいるのが、その証拠だろう。かの右へと逆行する男は邪教徒なのだろう。そうであれば、あの格好も、異教徒に対する威嚇と捉えれば納得が行く。

 彼が家を出ると、家の女主人は大層忙しなく動き始める。後をつけて女主人が何をしているのかと観察してやろう。台所、食器らを洗い、洗面所、服を大きな籠へと放り込む。そうして洗濯機は大きな音を立てながら、中に詰め込まれた汚れた服やタオルを掻き回す。洗濯機の上へ乗って、回る様子を眺めていたら、吐き気が込み上げ、口から床へと、出る物を躊躇わず出してやった。

 リビングへと戻ると、ソファに身を預けテレビを見る女主人の後ろ姿が見えた。回り込んで前から観察すると、歯ブラシを口へと突っ込み、乱暴に前後へ動かすのが見えた。先の洗濯機を思い出す。ということは、きっとこれは歯を洗っているに違いない。

 女主人を見ることにも飽きて、また窓辺へと戻った。すると、人手の在った通りには、年老いた婆さんが一人、大きなビニール袋を提げて右へと歩く姿しか無い。この婆さんも異教徒か、と確かめようとしばらく見ていると、右へフレームアウトした後、程なくして再びフレームインして来た。大きな袋を持っていない。はて、と思い袋の行く先を見つけようと、力んで飛び上がった途端、

「ぶにゃあっ!」

 鈍い音を全身と窓ガラスとで鳴らしてしまった。

「あらあら、チロちゃんは元気ねえ」

 口に泡を溜め込んだまま、女主人はこちらの機嫌を取るように、甘く媚びるような優しい声を出した。「チロ」は名付けられた名である。「チロちゃん」が名だと思うていたが、「ちゃん」は幼い女児を呼びつける際に用いる蔑称だと気が付いた時、吾輩はこの家の者共への抵抗を決意した。吾輩は雄であり、歳も大人と称することに何の問題も無い。精神だって、すべからく成長させて来た。「ちゃん」と評される云われはどこにだって無い。

 抵抗はこの家を飛び出し、自活を始めることを指すのでは無い。それは抵抗でなく、逃亡である。吾輩はこの家において、闘争を続けることに決めたのだ。彼女等から衣食住を献上させ続け、そして吾輩からは一切の礼を尽くさぬのが、抵抗である。決して絆され、懐いてやる事無く、またこちらから衣食住を催促することも無い。かつての吾輩は、腹が減れば鳴いて催促し、部屋が寒ければ女主人の膝にも乗って暖を得ていたが、それを彼女等は「ちゃん」と呼ぶ根拠として考えたのだろう。それしきのことで、吾輩の精神を未熟だと決めつけられては、堪ったものではない。

 今ガラスに追突した事を取っても、これは失せた大袋への探求心から出た誤作動であって、漫然と生きる子猫には、大袋の喪失に気付く脳さえ備わってはいないのだ。それを「大人の良識ある紳士的な猫」だと解釈しないで、そのような猫撫で声で「チロちゃん」と呼ぶのは、全く失礼な輩である。

 吾輩は「他者に対するリスペクトの心を持たずに、自己の物差しで測る者」が嫌いな質であったようだ。できればこの様な事、気づかずに済めば良かったが、吾輩をリスペクトしない者がこれほど身近にいたのならば、気付くのも時間の問題、むしろ遅過ぎたと言ってもいい程である。

 女主人の呼びかけに無視して窓を眺め続けることにした。ここで反抗のつもりでも、声を出せば、我に「個としてのれっきとした人格」を認めぬ者からすれば、どんなつもりで鳴いたかなど、考慮の範疇に無く、ただ反応した愛玩動物に写ってしまう。

 女主人は吾輩の応じない意思を汲んだのか、それ以上は何も言わず洗濯機のある洗面所へ姿を消した。そこから何やら大きな声で再び吾輩を呼んでいるようだが、当然ここも無視した。ああ、そうかゲロについての文句かな。

 外を眺めていてもやはり詰まらない。人もいなければ、犬や猫も通りかからない。点けっ放しのテレビから音が聴こえるが、あのような物の何が面白いのか理解できない。どうせくだらないに違いない。

 この様に何もすることが無く、ただ暇であった日、本を読もうと男の書斎へ入ったことがあった。本棚へ飛び乗り三冊、床に蹴落とした。初めに手に取った本はなかなか面白かった。前足が不自由なため、ページを一枚一枚めくる事はかなわず、途中から読む羽目にはなったが、それでも面白かった。話す二人の男女の関係性は分からずとも、取り巻く空気感の切なさが面白かったのだ。他二冊は詰まらなかった。途中から読んでは何が何だか分からず、一体今誰がしゃべっているのかさえも判然しないこともあった。そうして、また初めに読んだ本を読み返してみる。開いたページは先ほどとは異なり、今度は男二人が言い争いをしているようだ。いや、言い争いというよりも、一人が叱られていると捉えた方が良いのかも知れぬ。続きを読もうとするが、上手く次のページが捲れなかった。誰かも分からぬ女が死んだようだ。その死の責は女の母と、恋方の男にあるようだ。

 一を知ってしまうと十が知りたくなる。それが面白い小説ともなれば、猶更であった。以降、吾輩は小説を読むことを止めた。吾輩は、男の書斎へ行くと、今度は辞書を本棚から、後ろ足で華麗に、蹴落とす様になった。そして、落ちた拍子に開いた所を読むのを好んだ。ちょうど占いのようで面白かったのだ。ある時開いたのは偶然にも「ねこ」のページであった。興味深く、じっくりと時間を掛けて読み込んだ。驚いたのは「猫糞ねこばば」の項である。意味は「拾った物などを、そのまま自分の物にして、知らん顔をすること。」であった。吾輩のくそなど欲しければくれてやるが、それをあたかも自分の物であるかの様に振る舞うとは、これほど奇妙なことはあるまい。人は一体何のつもりで猫の糞を集めたがるのだろうか。

 分からないことは捨ておけ、などと呆けているわけにはいかぬ。この狭いひたいに詰まった、精緻な脳に刻まれた記憶をあらぬ限りに反芻する。

 ――コピ・ルアクか。麝香猫じゃこうねこの肛門より採れるコーヒー豆は高値で取引されるほど人間は好むらしい。猫糞とはコピ・ルアクの事を指している。

 あの日、吾輩は猫による人類への勝利を知ったような心持であった。我らにとって無価値でむしろ穴を掘って埋めたい程の痴を、人は高級品として、猫から盗んで満足している。猫が人に糞を恵んでやるという構図は、人間の下等さを表す様であった。

 しかし、吾輩は決してあの女主人共にコーヒー豆の糞をくれてやろうなどとは思わん。他人に物を送る行為は、その者への感謝の印か見返りを求める行いであろう。吾輩を「ちゃん」付けで呼ぶ無礼な奴等に、感謝も無ければ、見返りなどを求める筈も無い。その日からは、煮干しの出涸らしの中にコーヒー豆が紛れ込んでいないかと、注意深く詮索するようになった。おかげで腹を満たすだけでも、偉く神経を使い、食後は決まって、ぼうっと何かを眺めることくらいしか出来なくなった。

 何の変化もしない外の世界を眺めていると、すぐ後ろで女主人の動く気配を感じる。

「はあーい、チロちゃんごめんねえ、通りますよー」

 女主人は洗濯機から取り出された濡れた衣服を籠一杯に抱き、窓を開けた。熱気と湿気を伴なった重い風が顔に吹き付け、思わず目を閉じる。蝉の声がけたたましく聴こえる。夏になっていたのか。

 思わず庭へ降りると、足先に草と土の感触が伝わって来て嬉しくなる。蝉の無く方へと駆けていった。門扉を潜り道路へ足を踏み入れると、

「にゃい! にっ!」

 灼熱に熱されたアスファルトが吾輩の愛すべき肉球を焼こうとするが如く、痛めつけてきた。驚くと共に跳ね上がったため、門扉に頭頂を打ち付ける。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、アスファルト肉球に門扉頭蓋。

 外へと行くのは諦めることにした。塀の内側に出来た日陰で丸くなり、蝉の声を肴に微睡まどろんだ。直ぐに家へと戻れば、女主人は、吾輩の喜々として飛び出した姿を思い出し、笑うだろうから戻らなかった。言葉の通じぬ相手には、常に己の主張を体現して発信し続けなければ、抵抗する事にはならないのである。

 じっとしていれば、そう暑くなることも在るまい、と高を括っていられたのもわずかであった。じきに暑さで眠いというよりは、意識が曖昧と遠のき、喉の渇きははっきりと分かる。いい加減涼しい部屋へと戻ろう、窓へと向かった。

 おや、開いていない。愛想のない猫は勘当と言う事であろうか。そちらがそのつもりならば、こちらにも考えがある。窓を突いて、鳴き声を上げるような真似はせん。そちらが帰って来てくれろ、と言うまでは決して帰ってはやらん。

 町内を散策する。熱されたアスファルトは避け、日陰や土の上を選びぐいぐいと家から遠ざかる。ここらには土地勘がある。春の内は、気長にここらを巡ったものだ。

 目を凝らして水分を探す。命を懸けた散策は初めてのことであった。探そうと思うて、歩くとなかなか見当たらぬ。過去を振り返って思い返そうにも、ここらに水たまりや湧き水の在った覚えはない。排水路は全て地中にあり、金網の下を通っているため、いかに舌を伸ばそうが届きはしない。

 次第に歩幅が狭くなっていく。暑さを避けつつ歩いているため、右往左往蛇行して歩かねばならず、余計に疲れた。家からはまだそう遠くは来れていない。

 帰ろうかしら。吾輩はここまで、この暑さの中、よう歩いた。これ程の心意気ならば、女主人の胸にも伝わる筈であろう。命尽き果てる寸前まで、耐え忍んで歩んで来た猫の姿を見て、まさか「チロちゃん」などと呼ぶことはあるまい。そう考えると、是非とも今の吾輩の姿を見せてやりたい。しかし、帰るだけの体力はもう残ってはおらぬ。

 アパートメントと古い民家の塀の一尺ほどの隙間、ここは湿気て黴臭いが、影になっていて随分涼しい。しばしここで体を休ませようか。丸まり自分の尾の臭いを嗅ぐと、眠気が襲って来た。ともすれば、ここが終の棲家となるやも知れぬ。それは恐ろしい。吾輩はこんな惨めな所で死にたくはない。川辺の草むらの中、柔らかい太陽光に充てられて息絶えたい、というのが長年の夢であった。

 頭の中では、今放送しているドラマのオープニング曲が流れ始まる。女主人が毎朝見る物だから、嫌でも記憶してしまった。



 女児おなごの声が聞こえる。いつの間にやら眠っていたようだ。死んでいないことに、ほっと胸を撫でおろす。目を開けると黄色い帽子を被った女の子が居った。

「あ、ねこさん起きたあー」

 この者は「さん」と呼んだので、吾輩の方も鳴いて応えてやる。

「可愛いー」

 きゃきゃっと軽やかに笑う女児に助けを求める。察してくれたのか、女児は赤いランドセルを背負った背を翻して、アパートの中へと駆けて行った。戻って来た時には、ミルクの入った皿と、鰹節の盛られた皿を両手に持って現れた。

 吾輩はきちんと礼を述べてからそれらの馳走にありつく。

「ゆみー、何してるの?」

 女児の背後から声がする。吾輩からは女児が影となってその姿は見えなかった。すると、女児は吾輩の両前足の付け根に手を差し込み抱き上げた。

「ねえ、見てママ!」

 やはり母親であったか。地に足が付かず宙ぶらりんにされた吾輩とその母との目が合うた。

「あら、その子、村田さんとこのチロちゃんじゃない?」

「あなた、チロちゃんと言うのね」

 そう言って覗き込んでくる女児の顔を睨みつけ、金切り声を上げると、女児は驚き手を離した。吾輩は上手に着地するとすたすたと去った。

 家へとまっすぐ帰り、窓を小突いてにゃんと鳴く。

 涼しい家の中は極楽だ。

 おまんま貰うだけで、「ちゃん」と呼ばれるのだ。それが嫌だからと狩りをするのはやってらんにゃい。猫の矜持のために抵抗するのも飽きちゃったにゃあ。



 吾輩は猫である。呼び名は「チロちゃん」だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫の矜持 杜松の実 @s-m-sakana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ