蘇る


 リセットを壊す。

 その影響で俺は思い出した事が沢山あった――


『ちょっと、あんたこんなところで何してんのよ! 今日からここは私の陣地なのよ!』


『……失礼、君は誰だ? この学校で大人と犬以外は見たことがない』


『はっ、そんなわけないでしょ? ……結構あんた生意気ね? ……ねえ、名前は?』


『俺か? 俺は藤堂剛。小学6年生だ』


『ふーん、私の方が半年上ね。なら私の事お姉さんって呼びなさいよ!!』


『なぜ俺が君をお姉さんと呼ばなければならない? ところで君は男の子に見えたんだが?』


『はっ!? ちょ、何言ってんのよ!!! ぶち殺すわよ!』





 これは俺が小学校にいた時の、ほんの一部の記憶に過ぎない。

 出会いを別れを繰り返した俺の記憶。


 犬や猫だけが友達だったわけじゃない。誰かと仲良くなるように仕向けられる時もあった。


 決まって悲しい別れ方をする。俺はその度にリセットをした。

 ……昔の事を思い出すと胸が苦しくなる。


『なんで知らないフリをするのよ!! あ、あんたなんか大嫌いよ!! 二度と顔見せないでよね!!!』


 だけど、もう俺は過去の記憶から逃げない。

 俺には大切な人たちがいる、だから俺はもう心が折れないんだ――





 ************





「はぁ……、つまんないわね……」


 撮影を終えた私、堂島どうじまあやめは退屈していた。

 共演の人たちと軽い談笑をして、控室へと向かう。


 あの小学校を卒業した私は、この世界がひどくつまらなく見えた。

 どんなものにもなれる。それだけの力が私にはある。


 ママは卒業後も私の事をフォローしてくれた。

 だって、歴代でトップクラスで優秀だったんだもん。

 ……でも、トップじゃない。私よりも優秀な生徒が三人もいた。


 そいつはママのお気に入りで、今まで最高の成績を叩き出してあの地獄を卒業したって聞いた。


 あいつの事を思い出すのはやめよ……。






 向かった控室の前には、私のマネージャーと屈強なボディーガードたちが待っていた。


「あやめさ〜ん、次はホテルで取材です」


「あー、はいはい、ちょっと休んでから行くわよ」


 現役トップアイドル駆け上がった私は、芸能界の頂点に君臨している。女優としても評価され、来期にはハリウッド映画の撮影も控えている。

 順風満帆と言っていい。


 あの地獄に比べたら芸能界なんて天国に思えるわ。


 学校は入学した時から在籍しているだけで通ってない。だって意味ないもん。

 私には青春なんてガキみたいな事したくない。

 ……うん、もうあんな思いをしたくないもん。





「はぁ……」


 私がため息を吐くと、ボディーガード長のボブが控室の扉を大仰に開けてくれた。

 ボブとマネージャーが私と一緒に控室へと入る。

 他のボディーガードは外で待機。


 ぶっちゃけボディーガードなんていらないのにね。

 マネージャーは心配性だから沢山つけてくれるのよね。


 ボディーガードなんてそこら辺の石ころと一緒。興味もないわ。


「あやめさん、ココア入れてますね――」


「ん、よろしく」


 ふと違和感を覚えた。そういえばいつもよりもボディーガードが多い。


「また警備の人増やしたの? てか多すぎじゃない?」


「あ、は、はい、上からお願いされて新人を入れました……」


「あっ、そう」


 ボディーガードたちは気性が荒い。上下関係がはっきりしている。ほら、私達が控室に入った途端、外で新人イビリが始まっているもん。


 わたしは普通の人よりも耳がいいから聞こえる。


『なんでてめえみたいなガキがここにいるんだ。ガキはマックのバイトでもしてろよ』

『高校生だって? はぁ、ふざけんなよ。遊びじゃねえんだからさ』

『そんなヒョロっちい身体で何ができるんだ?』


 ぶっちゃけどうでもいい。

 早く仕事を終わらせてお風呂入って寝たい。

 なんか殴っている音が聞こえるけど、私には関係ない。


「ど、どうぞ……」


「ん、ありがと」


 私はマネージャーから温かいココアを受け取る。

 口に運ぶとココアから違和感を覚えた。

 ココアの匂いに混じってなにかの薬剤の匂いがする。


 マネージャーの挙動がおかしかった。汗が尋常じゃない。私をじっと見つめている。


「……ねえ、これっなんか入ってるでしょ? なんのつもり? ぶっ殺されたいの? ボブ、取り押さえて」


 長年付き添ってくれたマネージャーだから信用したい。だけど、この世界は簡単に人を信用できない。


 だけど、私は油断をしていた。


「えっ!? ぐぅぅ……!?」


 後ろから取り押さえられたのは私の方だった……。

 いくら私でも元海軍のボブみたいな体格の男には敵わない。

 まさか金で雇ったボディーガードに裏切られるとは思わなかった……。


「よし、そのまま抑えてろ……。ちゃんと注射も用意してある」


「んんんんんっ!?!?」


 駄目だ、全くびくともしない。

 首に完全に入ってる……。やばい、やばい、絶対やばい……。


「これで、借金が返せる……。悪く思うなよ、ホテルで撮影会だからな……。しゅ、取材みたいなもんだ」


 外にいる奴らも絶対グルだ……。こんな物音を立てても入ってこない……。

 いやだよ、いやだよ……。こんな芸能人の末路を見たことがある。この世界は罠が一杯なんだ。それなのに私は油断をしていた……。


「……よ、よし、これで大人しくなる」


 あ、やば、い。打たれた……。

 毒には耐性があるけど、流石に直接は耐えきれない……。


 助けて。誰か助けてよ……。


 走馬灯のように過去の記憶が目まぐるしく脳裏をかける。

 一つだけ人生で気がかりな事があった。


 わ、たし、あいつに、謝れてない……。

 どんなに、探しても見つけられなかった……。最後に、会いたかった……。

 あいつに今の私を知ってほしくて、アイドルになったのに……。私は……。





「……たす、けて……」




 その時、何故かノックの音が聞こえてきた。幻聴だと思った。


 トントン、と正確なリズムのノックが止まらない。

 ボブが締め付けが緩めて扉を見つめる。


 ノックの音が止まったと思ったら――

 ドゴンッという音とともに、壊れた扉が開いた……。


 帽子で顔が見えないけど誰かが立っていた。

 ボブは私を離して立ち上がり、誰かの胸ぐらをつかんだ。




 帽子が落ちる――


 え、待って……。なんでここにいるの? なんで私は気が付かなかったの……?


 朦朧とする意識を精神力でどうにか繋ぎ止める。

 だって、私がずっと探し求めていた彼がいるんだから――


 涙と鼻水が止まらない。恐怖心なんてどこかへ行ってしまった。

 喜びと罪悪感がごちゃ混ぜになった感情がこみ上げてくる――


「はっ? てめえは新人じゃねえか? 何してんだ……。外の見張りはどうした!?」


 男はボブに目もくれない。

 そして、私を見つめてた。




「――俺は藤堂剛。高校二年生だ。『お姉さん』を助けに来た」




 彼がそう言った瞬間、ボブの身体が崩れ落ちた――





 ************





 俺、藤堂剛は学生である。

 だけど、今は弟君から頼まれたアルバイトの時間だ。


 まさか自分が護衛の仕事をするとは思わなかった。ずっと昔に訓練を積んだことがあるから問題ないと思っていた。


 どんなアルバイトも人間関係が難しい。

 大人とコミュニケーションを取るのは大変だ。全国の会社員はすごいものだ。


 こんな事では田中に怒られてしまう。

 俺の仕事は、いま背中に背負っている『お姉さん』を護衛することだ。


「……わ、わたし……」


「喋ると舌を噛む。それに今は休んだ方が良い。睡眠薬のたぐいだから、身体に別状はない。いま安全な場所におくる」


「まって……」


 ゆっくり話しているわけにはいかない。

 さっきの大人たちの仲間が俺を追いかけている。

 早く安全地帯にお姉さんを連れてならない。


 俺はお姉さんをおんぶしたまま、夜の街を駆けるのであった。





 *******





「あれ? 藤堂なんか眠そうじゃん! 超珍しいね!」


「うむ、これにはわけがあって……」


 田中と会話をするいつもどおりの日常。普通に見えるこの光景は俺にとって奇跡の産物だ。


 大人との接触、そして初めての反抗。

 リセットをリセットして精神が壊れると思った。

 だが、俺は大切な人たちとの思い出によって、それを乗り越えることができた。


 ほとんどの記憶を取り戻した俺は変な気分だった。

 虫食いだらけの記憶が蘇る。

 辛い記憶も楽しい記憶も悲しい記憶も全部自分のものだ。


「ねえねえ、なんか遠い目してんじゃん!」


「……田中。芸能界は怖いところだ。あまり田中には行ってほしくない……」


「へ? 突然どうしたの!? 弟から何か聞いたの? ぶ、ぶいちゅーばーの事?」


「ぶいちゅーばーとは……?」


「あっ、し、知らないならいいじゃん! あは、あははっ!」


 あの日の田中の姿は忘れられない。あの歌がなかったら、俺は全てを諦めてリセットしていたであろう。


 田中に見つめられると恥ずかしい。

 ……色んな感情がごちゃまぜになる。


 一緒にデートをした記憶を思い出してしまった。


「ん、んん? なんで藤堂が照れてるの?」


「べ、別に照れているわけではない。田中とのデートを思い出しただけだ」


「ちょっ!? わ、私が恥ずかしいじゃん!」


 田中は顔を真っ赤にして照れていた。

 うむ、本当に人の感情というものは難しい。


 俺は少しずつだか、自分の中でこんがらがった感情というものを整理している最中だ。

 その一つの一環として、シェフの店以外でアルバイトをしている。

 様々な人と接することによって、感情の勉強をして、自分の感情を落ち着かせるためだ。


 田中は自分の髪を弄りながら俺に言う。


「あっ、先生やっと来たじゃん……。ん? あの女子生徒って誰?」


「うむ、俺も初めて……、いや、まて、何故ここにいる?」


 シェフの店の倉庫で寝ていると思ってた。


「え、藤堂知ってる人? ていうかなんか見たことあるじゃん……」



 先生の後ろにいる女子生徒がわなわなと震えて俺を指さしていた。


「あ、あ、あんたバカっ!! な、なんで私をあんなところに置いてきぼりにしてのよ!! ぶっ殺されたいの!! う、うぅうぅ」


「い、いや、あれは安全な場所に」


「うるさいわよ! せ、せっかくの再会だったのに……、うぅ、うぅ、うわーーーん!!! バカッ!!」


 先生が冷たい目で俺を見ていた。


「……藤堂君。真面目な生徒だと思ったのに……。恋愛は絶対しない仲間だと思ったのに……」


「い、いや、これはなにかの間違えだ。な、なあ田中」


 田中が眉をひそめて彼女を見ていた。嫌な空気感ではない。強い疑問を感じる。


「……えっ、あの人って堂島あやめさんじゃん。なんで藤堂の事知ってるの? ていうか、この学校の生徒だったの!?」


 そんなに有名な人なのか? 俺はテレビを観ないからわからない。最近だと佐々木が教えてくれたアニメを観るようにしているが……。


 他人には興味が薄いはずの特別クラスの生徒たちがざわついている。

 ということはとても有名人なのだな。


 だが、俺にとっては関係ない。


「田中、この女性は俺のお姉さんみたいなものだ……。たったの一ヶ月の話だが、俺の思い出の一つである」


 田中と花園には俺の記憶の事を説明してある。

 幼い頃の俺のリセットは記憶ごと消すこともあった。

 その記憶が蘇って、いまの俺には心の整理が必要な事を。


 歯抜けの記憶が補完されると、それまで思い浮かばなった人物を思い出すようになった。


 俺のお姉さんのような女の子。

 俺とそっくりな口調で話す男の子。

 俺にライバル意識を持っていた男の子。

 ペアを組んだツンツンした女の子。


 ほんの一部だけど、その中の一人である女の子が先生の後ろにいる……。




 俺はお姉さんに近づいた。

 お姉さんが口を開く前に俺が喋る。


「……俺はお姉さんの事を覚えている」


 俺は昔、お姉さんへの好意だけじゃなく、存在もリセットした。


「……べ、別に覚えてほしくなんてないもん」


「俺はお姉さんと悲しい別れをした」


「ふ、ふんだ。別に悲しくなんてないもん。私、あんたの事、だ、だ、大嫌いだもん……」


「だから、俺はお姉さんに会えて嬉しかった」


「わ、私は嬉しくないもん!! バカッ!!」


「――知らないフリをしたわけじゃない。本当に思い出せなかったんだ。……俺がリセットをしたからだ」


「……そんなの知らないもん」


「俺はお姉さんに言いたいことがあった」


「わ、私も言いたいことが、あ、あ、あるのよ」





 この気持ちはなんだろう? 

 手を繋いで一緒に遊んだ。かけっこだって一緒にした。知らない事をたくさん教わった。アイドルという単語をその時初めて知った。

 将来アイドルになる、そう言ってたお姉さん。


 一緒に卒業しよう、と指切りしたのに……。

 強制的な別れが辛くて、俺は全部リセットして――好意も存在も全て忘れて――。




「――一緒に卒業できなくてすまなかった。約束を守れなくてすまなかった。……俺はリセットを壊して全部思い出した」



 お姉さんの顔が一瞬だけ驚いた顔をした。リセットを壊した意味を深く知っているのは、あの小学校卒業生にはわかるはずだ。

 感情を消す。言い方や深度は様々だが、ほとんどの生徒はできるはずだ。


 お姉さんの表情が徐々に崩れていく。



「べ、別に、あ、あんた、なんて……、あんたなんて……、会いたく……、会いたく……なかったんだから……」


 お姉さんからすすり泣くような声が聞こえる。


「ひっぐ、ずっと、ずっと、待ってたんだから……、いくら待っても来ないし、見送りにも来てくれないし……、だから、忘れなきゃいけなかったのに……、忘れられなくて……、探し回って、こんなに近くにいたのに……」


 田中がそっと俺の背中を押してくれた。

 ……本当にいつも俺の力になってくれる。


 俺はお姉さんにハンカチを手渡した。




「今度は一緒に卒業してくれないか?」




 お姉さんは泣きじゃくりながらも頷いてくれた。


 これは俺とお姉さんにしかわからない思い出の話。

 だが、これから先は、俺達が作る物語だ。


 ――なんだか友達が増えそうな予感がする。




 ところで――


「お姉さんは俺に何を言いたかったんだ?」


 俺がそう言うと、お姉さんは上目遣いで俺を見つめて……そっぽを向いた。


「お、教えてあげないもん!! べ、別にあんたに冷たくしたことを謝りたかったわけじゃないもん!!」


「そ、そうか……」


 俺が戸惑っていると、お姉さんが鼻水をすすりながら言った。




「……し、仕方ないから、今度は、今度こそは一緒に卒業してあげるわよ!!」




 お姉さんは泣いているようにも怒っているようにも喜んでいるようにも見える。


 俺はその言葉を聞いて、あの頃の悲しい感情が温かいものへと変化していくのを感じるのであった――

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