リセットを壊して青春を送りたい


 俺は花園と田中に何も言えないまま登校をした。

 二人は俺の様子があきらかにおかしいと理解しているはずだ。

 二人はいつもと変わらない態度であった。


 俺は――大人の言葉を吹っ切るように全ての力を体育祭で出そうと決めた。

 体調は最悪だ。一晩寝ていない。精神が参っている。

 構わない。大切な人と会えたら、今日のこの瞬間を大切にしようと思えた。


 だから俺は――前を向いた。






 体育祭が御堂筋先輩の宣誓とともに始まった。

 各クラスのリーダーが生徒をまとめて、一斉に競技の準備に入る。


 花園の悲鳴が聞こえてきた――


「ちょっと、あんたはあっちでしょ!? 馬鹿っ!! 清水君は男友達に付いていけばいいの!! ……さっちゃん、女子達集めて! さあ頑張るわよ!」


 なるほど、花園はまとめ役に適していたのだな。

 ここに来て俺の知らない花園を見ることができた。


 アナウンスが流れる。


『数学競争の選手はグラウンド中央に集まって下さい。――借り物競争はグラウンド右翼に集まって下さい。――コスプレ』


 多種多様な競争が繰り広げられる。

 俺は悩んだ結果、この時間は数学競争にしたんだ。


 グラウンド中央に向かって歩こうとしたら、田中に止められた。


「へへ、今日は一日頑張るじゃん!! と、藤堂、今日はかっこいいよ? ふふ、衣装楽しみにしてるよ!」


 今朝、仮装ダンスのための衣装を手渡された。

 和装の着物のようであったが、なんて言っていいか……とてもファッショナブルで素晴らしいものであった。

 着るのが今から楽しみだ。


「ああ、本当に楽しみだ……。田中、頑張ってくる――」


 田中は俺の背中を叩いた。


「うん! 行ってくるじゃん!」






『それでは数学競争始まります!! まずは一組目……位置に着いて……よーい、どんっ!!!』



 俺の前の組がスタートした。

 俺は競技に集中していなかった。

 俺は競争の趣旨を理解していなかった。


『はーい、次は二組目――』


 だから、自分が呼ばれたのを失念していた。

 俺と一緒に整列していた生徒が先生の合図とともに走り出していた。

 俺は様子を伺った。


 選手は走り出してからすぐに、チェックポイントでなにやら問題を解いていた。係に答えを告げてまた走り出す。

 ――なるほど、理解した。



 全力を出す。

 俺が地面を蹴った瞬間、グラウンドの土がえぐれた。

 力を伝えきるには弱い土壌である。

 それでも、俺は本気を出すと決めたんだ。


 何も考えるな――


 そう思っても、心の中には友達の顔が浮かんで来る。

 思わず手を伸ばしたくなる――


 チェックポイントは一瞬でたどり着く。

 問題なんて走りながら見える。

 審判に答えを伝えるために、急停止をする。砂埃が舞い散る。


 答えを伝えると、俺はすぐさま走り出す。グラウンドの土をえぐる。

 それを繰り返すと、俺はいつの間にかゴールをしていた。


『え、えええ!? は、早すぎだって!? ……し、失礼しました。そ、それでは次の組――』


 何やら俺のゴール付近がざわついていた。

 もしかして、俺は――不正と思われるのか? 中学の頃の記憶が――


「すっげ……、問題一瞬で解いたぜ」

「いやいや、あの速さがおかしいでしょ!?」

「まあ、一人が強くても優勝できねえしな。今大会の目玉選手だな」

「きゃーー!! 藤堂先輩ーー!!」


 だが、向けられた視線は好意と称賛であった。

 俺は戸惑ってしまった。

 こんな感情は……初めてであった。


「はい! おつかれじゃん! へへ、藤堂一位だよ! こっち来てメダルちゃんもらうじゃん!」


 ゴール前にいた田中が俺の手を引いて導いてくれた。


「あ、ああ、しかし、この騒ぎは……俺は失格かと思った」


「へ? 失格なわけないじゃん!! 超かっこよかったよ? 次は私がパン食い競争するから見ててね!」


「そうか……、これが普通なんだ。……よし、田中の勇姿をこの目で焼き付けてやる」


「ちょ、見過ぎは恥ずかしいって!?」







 俺と田中は様々な競技に出た。

 体調は悪いが、動くたびに心が清らかになってきた。

 田中は運動がいまいちだが、頑張っている姿が可愛かった――


 花園もクラスをまとめながら競技に出場する。

 運動が得意だからほとんどの競技で一位を取っていた。


 俺は競技に友達が出ていると食い入るように見入ってしまう。

 笹身が陸上部の友達と接戦したり、五十嵐と清水の戦いが見れたり、道場の恥ずかしいコスプレが見れたり――


 思わず拳を握って、応援していた。

 自分のことじゃないのに、自分の事のように一生懸命になってしまった。


 これが、学校のイベントなのか……。

 学校中が一丸となって体育祭に力を注いでいる。


 競技をしていない生徒も精一杯応援をしている。

 特別クラスの生徒は誰一人休んでいなかった。


 俺と田中が出るって言ったら、みんなも興味を持ったらしく、先生にむりやりお願いして出場することが出来たみたいだ。もちろん、見学している生徒もいる。

 それでも気持ちは一つであった。





 昼休みの時間になった。

 今日だけはみんなとご飯を一緒に食べたかった。

 いつのも中庭で――



「おーい、藤堂! 場所取っておいたぜ!!」

「ここだよ〜」


 五十嵐と佐々木が中庭の場所を取っておいてくれた。

 俺は軽く手を振る。

 俺の後ろを歩いていた花園も五十嵐に答えた。


「ありがとね! ……ほら、道場もしっかり歩いてよ! 藤堂がみんなでご飯食べたいんだって!」


 花園が道場の手を引いて歩く。

 その後ろには笹身がおどおどししながらついてきた。

 笹身の隣には陸上部の友達がいる。


「ほ、本当に私もいいの? 私迷惑じゃ……」

「う、うん、私達、隅っこで……」

「美々ちゃん、いつも話してくれるお兄ちゃんでしょ? 私会えるの楽しみにしてたんだ! 朝頭撫でてくれたって嬉しそうに話してたよね? うん、ご飯食べよ!」


 田中が早速お弁当を広げていた。


「ていうか、この量……やばいじゃん!? と、藤堂、どんだけ準備したの!?」


「ああ、気合を入れて作った。……心を込めたんだ。――みんな、思う存分食べてくれ。笹身、道場……二人にも味わって欲しい。あ、もちろん笹身の友達にも――」


 みんなの名前を言いながらずっと作り続けた弁当。

 俺一人では作れなかった――


 みんなは俺が作ったお弁当を見て目を輝かせていた。

 俺はそれを見るだけで嬉しくなった。





「すっげ!? 超うまいぜ!! ほらミキティも食べろよ!」

「も、もう五十嵐君……、がっつき過ぎないで……笹身ちゃんも見てるよ?」

「い、いえ、すごい食べっぷりですね。あ、五十嵐先輩、陸上部対抗戦の準備は……」

「あっ……、後でな」

「笹身、陸上部に戻れて良かったね。……あれ? この肉じゃが……凄く美味しい……お父さんの味に似てるよ」

「道場? 泣いてるの? ほ、ほら、ハンカチ貸してあげるって!」

「あ、ありがとう……。……花園って何か綺麗になった? あんた田中さんに負けないでね……。はぁ、やっぱりみんな可愛いな……自分がゴミ虫に――」

「はい、藤堂、あーんしてっ!」

「む、むむ、そ、それは恥ずかしい……。 じ、自分で食べれる」

「え、いいじゃん! イベントなんだからさ! ていうか、藤堂料理うますぎじゃん! 毎日でも食べたいじゃん!」


 明日の事は考えないようにしていた。

 ――俺は、


「ああ、俺の弁当で良ければ明日も明後日も作る」


 顔が真っ赤になった田中は、みんなにおちょくられてしまった。

 俺は賑やかな雰囲気が好きだ。

 みんなが好きだ。

 だから、


 俺の心が激しく――締め付けられた。







「藤堂ーー!! 勝負だ!! このマラソンで勝つのは僕だ!! なんでお前は変な競技ばかりでるんだ! くそっ、全然勝負が出来ないじゃないか……。お前の足が早いのは知っている。だから本命は団体競技である騎馬戦だ!! 覚えてろ!」


 俺と御堂筋先輩は隣同士でマラソンのスタートラインに立っていた。

 なるほど、御堂筋先輩も体育祭の空気に当てられて少しおかしくなっているようだ。

 勝負をする前から捨て台詞を吐かれるとは……。


『マラソンはっじまるよ!! 10キロだから放置するね! 係の人よろしく!! よーいどんっ!』


「それでは先輩、さよならだ――」


 俺は大きく一歩を踏み出した。

 その一歩で俺は先頭に立った。


「お、おい、ちょっとくらい一緒に走ってもいいだろ! な、な、な……」


 先輩の声が小さくなっていった。いやそんな約束はしていない。

 ――約束か……俺は大人との約束を――守らなきゃいけないんだ。



 俺はマラソンコースの途中で足を止めてしまった。

 空を仰ぐ。

 良い天気であった。空気が澄んでいて気持ちが良い。

 マラソンの競技中という事を忘れてしまう。


 俺の胸に激情が押し寄せてきた。

 我慢ならない痛み。苦しみ。悲しみ。


 どうして、俺は――普通に生きられないんだ――


 荒い息づかいとバタバタとした足音が後ろから聞こえた。

 どうやら御堂筋先輩が俺に追いついたようだ。


 御堂筋先輩は俺を見て足を止めた。


「おい? だ、大丈夫か!? け、怪我でもしたのか? ……棄権するか? 一緒についていくぞ?」


 なるほど、彼は存外良い人である。

 俺は声を漏らしていた。


「……一緒に走るか?」


「い、いや、あれは冗談だって!? す、すまない変な事を僕が言って……そんな言葉は忘れて走ってくれ」


 変な勘違いをされてしまった。

 だが、言葉を忘れるか……。そんな事ができればどれだけいいか。


 俺と御堂筋先輩はどんどん抜かされていった。

 御堂筋先輩は動こうとしない。あれだけ勝負の勝ち負けに情熱をかけていたのに。


 俺は無性に走りたくなった。


「先輩、大丈夫だ。心配してくれてありがとう」


「お、おう、怪我が無いなら問題ない。ははっ、今からごぼう抜きしてや――ちょ、まてって!!」


 俺は再び走り出した。

 さっきよりも更に早く――

 前だけを見て――

 笹身を背負って走った時とは違う。迷いを打ち消すために足を前に出す。





 グラウンドが見えてきた。

 歓声が聞こえるが、音が耳に入らない。

 前しか見ていなかった。


『は、早すぎでしょ!? またまたピンクチームの藤堂君が一位になりました!! それでも赤チームの一位は変わりません!』


 俺はそんな結果どうでもいい、楽しめればそれでいいと思っていた……が――


 俺が一位になると友達が喜ぶ。俺はその姿を見るのが好きであった。

 計算上、俺がどうあがいてもピンクチームが一位になる事はない。


 なんだか無性に悔しかった――


 花園と田中がゴール地点で待ち構えていた。

 俺がゴールすると、二人はメダルを俺の首にかけた。


「藤堂、おめでとう!! 大逆転だね!? 一回止まっちゃったけど怪我しなかったの?」


「おめでとうじゃん!! へへ、汗拭いてあげるじゃん! 無理しないでね……」


 二人の口調はいつもよりも優しい。

 それが俺の心に堪えた。


「……ピンクチームは優勝できないのか」


 田中がほほえみながら俺に言った。


「来年があるじゃん……。ね、藤堂、来年はもっと早くから準備してみんなで頑張ろ!」


 それは――とても――楽しそうだ。

 みんなで優勝を目指して努力をする。

 たとえ優勝出来なくても達成感が凄そうである。


 ――だが、俺に来年は訪れない。


 俺は歯を食いしばった。

 明らかに俺の様子がおかしいのに、二人は寄り添ってくれるだけだ。

 何も聞かない。

 違う、二人は俺を信じているんだ。

 俺が言うまで待っててくれているんだ。


「……すまない、ちょっと休んでくる。心配しないでくれ。すぐに戻る」


 俺は精一杯の笑顔を二人に振りまいて、誰もいない教室へと向かった――






 教室からグラウンドは見える。

 俺の限界が訪れた。

 田中と花園の前にいると、泣き出しそうになってくる。

 駄目だ、心が壊れそうになる――

 苦しくてたまらない。


 どうせリセットするなら、今しても変わらない――


 グラウンドでは騎馬戦が始まっていた。

 マラソンを終えたばかりの御堂筋先輩はフラフラしていた。

 清水君が大健闘している。あれは清水君を支えている男子達の気合が凄まじい。

 彼は変わることが出来たのだろうか? 俺は彼がどうなったか知らない。


 もっと学校生活を続けたら知る事が出来るかも知れない。


 俺は誰もいない教室を見渡した。

 今までの思い出が心の奥から溢れ出る。


 思い出が俺の身体を動けなくしてしまう。


 俺は本当に今日でいなくなってしまうのか?

 ……考えちゃ駄目だ。


(――逃げるな)


 逃げる? 俺は逃げていない。真っ向から大人と向かいあっている。

 今日を精一杯楽しんでいる。


 なあ、そうだろ? 明日のことなんて考えていない。

 俺は――


 騎馬戦が終わった――

 赤チームが大健闘の末、一位になることが出来た。


 窓に映る俺はひどい顔をしていた。

 泣き腫らした目、子供みたいに鼻水をたらしていた。


 俺は教室の椅子に座った。俺が出る競技はもうない。

 ここから皆を見ていればいい。


 そして、ひっそりと大人と一緒に消えよう。

 素晴らしい思い出が出来た。

 友達を悲しませるのは……心苦しい……。


 俺はリセットしよう――




 心の痛みを、別れの辛さを、今までの大切な思い出を――

 俺は――


 ――歌が聞こえて来た。俺はリセットをすることを忘れて、立ち上がり、窓の外を見た。聞いたことのある歌声であった。




 誰かが歌っていた。俺は窓を開けた。

 仮面で顔半分を隠しているけど――俺にはわかる。


 田中が歌を歌っていた。アカペラであった。

 聞いたことがない曲であった。


 グラウンドの生徒達は歌に聞き惚れていた。

 田中の歌に合わせて演奏が始まった。

 全ては田中の曲を引き立たせるためのものであった。

 生徒たちは歌を知っているのか、凄まじいまでの熱気が伝わる。




 俺はいても経ってもいられなくなった。

 おかしい、俺はリセットしようとしたんだろ? みんなと会えない辛さを忘れるんだろ? なんでリセット出来ないんだ!!!


「藤堂っ!!」


「え?」


 花園が教室の扉に手をかけていた。

 俺は息が止まりそうになった。


 田中の歌の曲調が変わる。明るい曲調になった。


 花園は息を切らしていた。だが、目は俺を捉えている。


「は、花園。すぐに戻る――」


「駄目っ!! 藤堂、絶対駄目!!」


 何が駄目なんだ? 俺はみんなと別れなければ――

 花園が俺に突進してきた!? 

 俺は避けずに花園を抱き止めた。


「ダメダメダメダメ!!」


 花園は俺を強く抱きしめる。

 花園の匂いが鼻孔をくすぐる。


 ああ、懐かしい匂いだ。なんで懐かしいと思うんだろう? ……幼稚園の時もこんな事があったな。――幼稚園だと? 俺は記憶がないはずだ。


『つよし!! 絶対やだ!! 離れたくない!! ――今度会えたら、絶対結婚するんだから!!』

『もう苦しくなりたくない。僕はリセットする』


 なんだこの記憶は? 俺の記憶……。


「藤堂、もういなくならないで……、私……何でもするから……ひっぐ」


 花園のセリフが俺の心を貫く。

 リセットしようとする意思を壊そうとする。




 田中の歌が恋の歌に変わった。

 切ない歌が俺の心に刺さる。田中の思いが歌に乗って俺に届く――


 歌声は身体に染み渡るようであった。

 俺は勝手に足が動いた。

 違う、これは俺の意思である――


 花園が俺の手を取って、歩き出す。


「行こ――」


 俺はぐちゃぐちゃの顔をしているだろう。

 それでも前を向いた。








 歌っている田中は綺麗であった。

 仮面を被っていてもその神々しさは失われない。

 汗を大量に流して鬼気迫るものであった。


 俺は花園と手を繋ぎながらそれを見ていた。

 俺たちに近づく存在がいた。

 弟くんだ。


「……姉さん本気出しちゃったよ、業界大騒ぎになるぜ? 藤堂、これってお前のためだぞ? 何かわかねーけど、頑張れよ」


 彼は俺の胸を叩いてどこかへ消えてしまった。


 そんな事わかっている。

 俺はみんなのおかげで成長したんだ。それがわからないわけがない。


 田中の歌を聞くと心が強くなれる気がした。

 違う、心が強くなれる。


 俺は何を悩んでいたんだ? 何故リセットしようとしたんだ?

 友達と別れるからか? 大人に逆らえないからか?


 俺はやはり弱い男だったんだろう。

 もう二度とリセットしないと誓ったのに――



 田中の歌が終わった――

 盛大な拍手が巻き起こった。

 俺は設営された舞台にいる田中に会いたかった。

 どうしても会いたかった。今すぐ会いたかった。



 俺は舞台に足をかける。

 花園が手を離そうとした。俺はその手を強く握りしめた。


「えっ? と、藤堂? 波留ちゃんのところに行くんじゃ……」


「花園、お前も一緒じゃないと嫌だ」


 俺は舞台に上がった。花園と手を繋いだままで。


 歌い終わった田中は力を出し切ったのか、フラフラしていた。


「へへ、頑張ったじゃん……。あっ」


 ふらついた田中を抱き止めた。

 田中の優しい匂いを感じる。俺はこの匂いが好きだ。落ち着く。


 俺は何を無くそうとしていた? こんな大切な二人を消し去ろうとした。

 そんな事出来るわけない。

 なら――



『え、えっと、藤堂君? も、もう閉会式始まるからね? うーん、じゃあ結果発表の前に、MVPインタビューからやろうか? はぁ……普通だと思っていたのに……』


 委員の人間が俺にマイクを手渡してきた。

 なるほど、ここで俺の今の想いを告げればいいのか?


 俺は腹に力を入れた。

 グラウンドの隅っこで俺を見ている視線を感じる。

 大人が犬と一緒にいた。




 抱きしめてる田中から離れる。花園の手を離す。

 俺は喋りだした。




「俺は不器用であった。……人と話すと変な顔をされた。見下された事もあった。パシリに使われた事もあった。俺は人の心が全くわからなかった――」


「だが、俺は不器用ながら友達と前に進む事ができた。普通の人にとっては恐ろしくゆっくりであっただろう。見ててじれったいと思われたかも知れない。辛い経験も、悲しい経験も、楽しい経験も、全部俺の大切な思い出に変わることが出来た」



「だから――」



 俺は言葉を切った。



「この体育祭も俺の大切な思い出になった。――俺はみんなに感謝を述べたい。だが、俺はまだ一番大切な人に感謝を告げていない」


 俺は二人を見つめる――


「――田中、花園、本当に今までありがとう」


 勇気が湧いてきた。

 希望が見えてきた。

 みんなと今日という一日を過ごせたからだ――


 どうなるかわからない。俺が違う人間になってしまうかも知れない。

 それでも、俺が更に成長できる事を知れば大人は――


 俺は二人に顔を近づけて小声で言った。





「俺は――リセットをリセットする」





 二人は無言で俺を見た。

 俺を信頼してくれている。俺は二人を信じている。




「俺を信じてくれ――」




 俺が今までリセットして封印した心の痛み、苦しみ、悲しみ――全てを受け入れよう。


 目を閉じた。花園と田中がいなければ俺はこんな事が出来なかった。

 胸に手を当てる。神経を集中させる。



 今までリセットした記録を頭に整理する。

 ぼんやりとした膜が張ってある。


 ――リセットなんてまやかしは終わりだ。俺は今までの痛みと向き合うんだ!!!!





 俺はリセットした事実をリセットした――





 それは一拍置いて現れた。

 心に嵐が訪れた。嫌な気持ち、別れる苦しみ、残酷ないじめ、憎悪と悲しみ、様々な感情が俺に襲いかかる――

 記憶が俺に流れ込む――頭がパンクしそうであった。

 心が悲鳴を上げている――身体が引き裂かれそうであった。


 それでも、俺は――二人を見つめる。



「な、なんだ? 藤堂のやつ突然止まったぞ?」

「大丈夫か? 救急車呼ぶか?」

「何かわかんねーけど、緊張してんのか? 頑張れーー!!」

「そうだ、藤堂君、頑張って!!」

「応援するぜ!!」



 俺は頭を抱えながた床に膝を着いた。口から泡が吹き出した。

 今まで溜め込んだ苦しみをリセットした罰だ。苦しみは乗り越えなければいけないんだ!!


「藤堂、ここにいるよ」

「うん、ずっと一緒じゃん」


 皆の声が、二人の声が俺の心に染み渡る――


 俺は叫んだ――


「――――――――――――――ッ」


 声にならない空気を切り裂く叫び。

 身体から何か出ていった気がした。


 段々と心が落ち着いてきた。頭の中が整理されてきた。


 俺の精神を縛っていた何かが消えた気分であった

 まるで生まれ変わった気分であった。

 もちろん苦しみはある。だが、苦しみは乗り越えるものだ。


 大丈夫、俺は、もっと、成長出来る――






「俺はもっと成長する!! まだ帰るつもりはない!!」





 その言葉が大人に対する初めての反抗であった。

 小さな反抗であるが、遠くにいた大人は驚いた顔をしていた。

 そんな顔初めて見た。

 そして、俺に向かって何か喋った。


『なるほど、まだ成長が見込めるわね? なら後一年いなさい。どうせ時間はある、気長に待ってるわ』


 俺がリセットを壊すなんて思わなかったんだろう。

 それでも、もしかしたら大人の想定内なのかも知れない。

 いつか想定内を壊すことが出来れば――




 ――俺はもう二度と大人の都合の良い男にならない。


 一年後、俺は絶対に抗う。




『そ、それでは閉会式を始めます! 藤堂君は保健室へ――』



 糸がぷっつりと切れた感じであった。

 目の前が真っ暗になった――










「結局どっちが好きなのかな?」


「うーん、わかんないじゃん? ていうか、どっちてもいいじゃん?」


「そうね……。藤堂が決めるなら」


「もしかして私と華ちゃん両方とも好きかもよ?」


「あははっ、そうだったら嬉しいかも――」


 俺はすでに意識が戻っていた。

 だが、微妙に恥ずかしい会話だったから寝た振りをしていた。

 ちょうど会話が途切れたから、俺は起き上がった。


「あ、藤堂!! よかった……」


「身体、というか、心大丈夫? リセット壊しちゃったんでしょ? 苦しくない?」


 まだ色んな感情が心の中でうごめいている。

 だが、制御出来る。


 だって、俺にはこんなにも素敵な友達がいるんだ――


「二人には感謝する。二人がいなかったら、リセットを壊して俺は廃人になっていただろう」


「あはは……冗談じゃないよね?」

「マジじゃん……怖すぎだって!?」


「俺は体育祭が終わったら二人に伝えたい事があったが……しかし、過去にリセットした気持ちが混ざって、今は心に整理がつかない……すまない。だが、俺にとって二人は――」


「命をかけて守りたい大切な存在だ――」


 二人は顔をほころばせた。

 今はそれでいい。この戻ってきた感情をどうにか整理しなければ――


「へへ、嬉しいね……」

「うん、嬉しいじゃん……」


 む? スマホのメッセージが来た。

 誰が送ってきたんだ? 俺は田中と花園以外とはやり取りしていない――


 大人からであった。

 俺はメッセージを見た。

 リセットをリセットする前だったら、心が縛られて空虚な気持ちになってのかも知れない。今は……落ち着いてメッセージを見れる。


「…………なるほど、端的に言うと、今まで通り過ごせ。という事か」


「ねえ、藤堂、その話は後で詳しくね……」

「そうだよ! 心配したんだからね!!」


 俺はとびっきりの笑顔を二人に向けた。


「ああ、もう二度といなくならない――」






 俺はまだまだ不器用だ。

 人とは違う生活をしていた俺は、普通を憧れていた。

 いざ普通の生活を手にしても、俺にはなじまなかった。


 不器用だけど、心を傷つけながら俺は前に進んだ。

 回り道もしたし、壁にぶつかる事もあった。


 俺だけじゃなかったんだ。みんな悩んで苦しんで前に進んでいるんだ。

 人の心がわかってきた。

 完璧じゃない。それでも、前に進めている。


 大切な人がいたから俺は壊れなかった。

 大切な人がいたから俺は優しくなれた。


 後一年。それがどういう結果になるかわからない。

 それでも俺は前に進む。



 大好きな人とずっと一緒にいたいから。



 これは、俺の不器用な青春物語である――





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