会いたい



 朝のHRが始まってしまうので、俺と田中は教室へ戻った。

 廊下を歩いている最中、俺たちは無言であった。

 それでも田中といるだけで俺は安心感に包まれていた。

 きっとうまく行く。田中のアドバイスは素晴らしい。今回もきっと大丈夫だ。


「話は後でしよ? 藤堂、少し落ち着いた方がいいしね」


 教室に入る直前に田中は俺に言った。

 俺は素直に頷いた。





 HRの際、先生は体育祭の事を説明していたけど、俺の耳に内容が全然入ってこなかった。


 俺は授業中ずっとそわそわしていた。

 朝の俺の態度が花園の気を悪くさせたか心配であった。

 早く田中と話したかった。花園と話したかった。



 昼休みになった。

 花園は、体育祭の打ち合わせがあるから教室でご飯を食べる必要がある、との事をメッセージで伝えてきた。些細な事だけど俺の日常が崩れた気がした。


「藤堂、私先生の所に行かなくちゃいけなくて……、後で話しようね? 教室で待っててね!」


 田中は申し訳なさそうな顔で教室を出ていった。

 俺は久しぶりに一人になってしまった。




 教室で一人でご飯を食べていると、いつもよりもご飯が美味しくなかった。

 花園が好きなアスパラの肉巻きを作った。田中が好きな出汁巻き卵を作った。


 一人のお弁当の量としては多すぎた。

 おかしい、俺はちょっと前まで一人でも大丈夫であった。

 馬鹿にされようが見下されようが、なんとも無かった。


 それなのに、心の鎧が剥がれた気分である。

 心細い。特別クラスの生徒は、昼休みに教室にいない事が多い。今日は何故か誰も教室にいなかった。いつもは数人程度教室にいるのに。偶然のはずなのに俺を避けていると思ってしまう。

 広い教室で一人でご飯を食べていると、俺は小学校の頃を思い出してしまう。


 箸で挟んだアスパラの肉巻きを見つめる。

 美味しいはずのご飯なのに……味が感じられない。


 教室から外を見ると、キレイな空であった。

 窓が少しだけ開いていて、清々しい空気が心地よい。


 それでも俺の心は晴れない。


 何度思い返して見ても、花園に悪い所はない。御堂筋先輩も花園と軽く会話をしていただけだ。昼休みに来れなかったのも体育祭の準備のせいだ。


 誰も悪くない。強いて言うなら俺が勝手に花園の教室に行ったことだ。

 行かなければ見ることが無かった。俺の心が苦しくならなかった。


 頭に嫌な言葉が浮かんだ。

 ――リセットすれば楽になる。


 大人がいつも言っていた言葉だ。


「――黙れ。俺は……痛みを経験して前に進むんだ」


 誰もいない教室で俺は一人呟いていた。






 ご飯を食べ終わった俺は、一人で学校をさまようことにした。

 教室に一人でいてもいいが、心が落ち着かない。身体を動かしていたかった。

 五十嵐と佐々木だったら快く俺を迎え入れてくれるが、付き合いたての二人の邪魔をしたくなかった。


 きっと放課後、田中が良いアドバイスをくれる筈だ。


 俺は廊下を当てもなく歩く。

 時折視線を感じる。


 見渡すと、知らない女子生徒達が俺の方を見て囁いていた。

 嫌な空気ではない。悪意は感じない。

 だが、得体の知れない空気であった。


 俺は変な空気から逃げるように、廊下を突き進んでいった。




 職員室の廊下を通り抜け、体育館で遊んでいる生徒を見学し、中庭で外の空気を吸おうと思った。


 中庭は女子生徒で一杯だ。

 俺は空いているベンチに座る。俺たちがいつも座るベンチである。

 遠くを見渡した――


「あっ……」





 声が漏れた。そんな経験初めてであった。どんな苦しみも痛みも耐えてきた。

 肉体的な痛みの耐久値は人の数倍はあるだろう。


 中庭から見える三階の廊下の窓に――田中が歩いていた。

 その横には見たことがない小さな可愛らしい男子生徒がいた――



 田中は先生と話をしていた筈だ? 終わったのか? あの男子生徒は? 

 心がぐちゃぐちゃになった。

 思わず俺は自分の脇腹を強くつねる。痛みが俺を冷静にさせる。


 それでも俺はいても経ってもいられなくて、いつの間にか立ち上がっていた。


 隠すという事を頭から忘れていた。

 俺は最短距離で田中の元へ向かうために、瞬時にルートを検索する。


 結果、中庭の壁を登るのが一番早く三階に着くと出た。

 俺は全体を俯瞰して、壁にある突起や配管パイプの場所を把握する。


 壁に向かって足をかけて飛び上がろうとした瞬間、後ろから叱責の声が聞こえた。


「こらーー!! 藤堂君! そんな所で遊んじゃだめだよ! 先生怒るよ!! ……真面目な生徒だと思ったのに……、ひっ!? か、顔怖いよ!?」


 俺は壁から離れて先生に会釈をする。

 やはり痛みだけでは冷静になれなかった。

 馬鹿な行動で問題を起こすところだった。


 はやる気持ちを抑えて、胸の痛みをこらえながら三階に向かった――





 誰もいない廊下は全速力で走った。

 誰もいない階段は数歩で駆け上がった。出会い頭で驚いた生徒がいたけど無視だ。


 俺の体感では随分な時間が経過したと思った。

 だが、まだ数分も経過していない。

 俺は田中が歩いたであろう場所までたどり着いた。


 心臓がバクバクしている。

 心拍数がおかしい。この程度の運動で音を上げるわけがない。


 心がおかしいんだ。


 俺は廊下の先を見据えた。方向的にはあちらへ向かった筈だ。

 確かこの先の角は行き止まりであった。

 何もない空間があるだけで人通りは少ない。


 俺は五十嵐と佐々木の事が頭に浮かんだ。

 二人は恋人同士になった。

 田中も花園も素敵な女性である。俺と二人は大切な友達だ――


 田中に恋人がいるという話は聞いたことがない。

 何故いないと思っている? 田中は友達がいなくて俺といつも一緒にいてくれる。

 それは――俺の傲慢じゃないのか?


 走りたくなる気持ちを抑える。

 俺はゆっくりと歩き出す。


 ――リセットしないのか?


 心の声を無視する。

 田中の身が心配だ。もしも男子生徒が悪い人だったら――

 だが、俺の勘違いだったら――

 二人がもしも付き合っていたら――


 密室の空間じゃない。ただの行き止まりだ。これ以上近づくと話し声が聞こえてしまう。俺は――何かを聞いたら心が壊れてしまいそうだ。


 俺はその場にうずくまってしまった。

 昨日まで普通だったのに。楽しい気持ちでいられたのに――

 なんで心がこんなにも苦しいんだ!!!


 普通の青春ってこんなに苦しいのか? 人と人が関わるのがこんなにも苦しいのか?

 そうか――楽しい事ばかりじゃないのか……これが、苦い青春というものなのか――


 これ以上ここにいたら駄目だ。田中が今の俺を見たらなんて思うだろう?

 これじゃあストーカーと変わらない。

 立ち上がろうとしても足が震えて動かない。

 乾いた笑い声が響いた。

 俺の声であった。


 ――なるほどこれが自嘲というものか、初めての体験だ。


 田中は大事な友達だ……いつも的確なアドバイスをくれたり、一緒にカフェに行ったり――

 俺にとって田中は都合の良い女性だったのか? 

 俺は彼女に嫌な事をしていたのか? 

 俺は――田中に――依存しているのか?

 もしかして、田中は俺と一緒にいるのが嫌なんじゃないか? 


 負の連鎖が心の中で起こる。





 ――違う。

 俺の中の思い出がそれを否定する。

 そうだ、立ち上がるんだ。心を平静に保つんだ。


 俺は立ち上がった。

 ふと窓の外を見ると、笹身と道場が中庭で仲良く歩いている姿を見た――


 二人を見たら……何故か心に温かいものが流れ込んできた。

 窓に映る自分の姿を見る。

 ひどい顔色であった。汗びっしょりであった。情けない。こんな顔、みんなに見せられない。


 俺は拳を握りしめた。

 息を軽く吸って吐く。


 俺はみぞおち目掛けて自分の拳を振り下ろした。

 衝撃が内部に襲いかかる。激しい痛みと胃の中の物が逆流しそうになるのをこらえる。

 自分の中で渦巻く嫉妬心を殺そうとした。

 誰もが持っている感情だと理解している。初めての感情に戸惑っているだけだ。



 ――俺は田中を信じると言った。

 ――花園と過ごした日々が俺の精神を強くしたんだ。


 今までの思い出が頭の中で走馬灯のように駆け巡る。

 決して楽しい思い出ばかりではない。それでも俺にとって大切にしたい思い出ばかりであった。


 ――リセットして好意を無くす? 俺は二度と彼女達を悲しませたくない――


 だから前を向け。

 成長したんだろ!!



 俺は行き止まりに向かって歩き出した。

 俺の耳が声を拾う。


「……そう、新橋ちゃんが好きなんだ。本人に直接言ったらいいじゃん?」


「は、はい、でも彼女は僕に厳しくて……、ど、どうしたらいいですか?」


「恋愛はね、自分の力でどうにかしなきゃ後悔するよ? ……私もう行くね? 友達が教室で待ってるからさ」


「そ、そうですよね……、はい、わかりました……自分の力で頑張ってみます。――お時間取らせてすみません。話したら少し楽になりました! ありがとうございます!」


 行き止まりの曲がり角から少年が現れた。

 スッキリとした顔で廊下を歩く。


「……勇気を出すんだ。新橋さんに気持ちを伝えるんだ――」


 少年はブツブツ言いながら俺の横を通り過ぎていった。

 俺は知らない少年にエールを送りたくなった。

 誰もが等しく青春を過ごしているんだ。


 俺は力強く足を踏み出す。

 この先にいる田中に会うために――



 田中はスマホをいじりながら曲がり角から出てきた。俺に気が付いていない。

 嫌な気持ちは消えてなくなっていた。

 得も知れぬ感情が俺を包み込む。


 俺は早歩きになっていた。

 気持ちが抑えられない。


「田中――」


 思いの外大きな声が出ていた。

 スマホをいじっていた田中は俺に気が付いた。

 俺のスマホが振動した。


「え? と、藤堂……。あのね、中学の後輩の恋愛相談を――」


 みんな心が強いわけじゃないんだ。感情が揺れ動くのは普通のことなんだ。

 田中は焦った顔をしていた。

 昔の俺だったら男子生徒と二人でいる事に勘違いしてリセットしていたかも知れない。


 俺は汗をハンカチで拭きながら田中に近づいた。

 二人に甘えすぎていたんだ。田中は優しすぎるんだ。

 


 心に身を任せた。それがどういう結果になるかわからない。

 でも、それでいいと思う。


「え、ええ!?」


 俺は両手で田中の手を包み込んだ。思いが溢れ出しそうだ。




「俺は田中と花園に――友達以上の感情を抱いている。きっとこれはリセットしても何度でも浮かび上がる。この感情は依存なんかじゃない。優しくしてくれたからじゃない。――俺の心からの想いだ」


「と、藤堂……」


 俺は髪をかきあげた。

 田中に俺の顔がはっきりと見えるように――


「――勝手に探してしまってすまない。だが、俺は田中に逢いたかった」


 自分に素直になったら、心が強くなった気がした。

 顔を赤らめた田中を見ていると、嫉妬心なんて消えてなくなる。

 

 田中は小さく呟いた。


「華ちゃんのところへ行こ……、え、と、藤堂!? 手を繋いだままじゃん!?」


 俺は田中の速度に合わせてゆっくりと歩き出した。


 繋いだ手を二度と離したくなかった。




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