前章:ある晴れた日に

2020年4月上旬

 考える時間、というより暇はいくらでもあった。


 4月7日に国の発した『新型コロナウィルス対策』の『緊急事態宣言』によって、学校から4月が消えたのだ。そしてじきに、ゴールデンウイーク明けまでの休校が確定した。

 在校生たちの空白期間も、当初の想像以上に長引いた。


 りょうは休校期間中に17歳を迎えた。去年までは直接祝ってくれた異性の親友、鈴木明衣からは遠隔でのお祝いを受けた。

 ビデオチャット越しでのクラッカーと、りょうの好きなスナック菓子の業務用ケースの直送である。嬉しかったが、むなしくもあった。


 その間、部員達は言うまでもなく在宅で過ごした。彼らはオンライン対面会議アプリいわゆるズームなどを使い、可能な範囲の練習なども試みた。


 ……もしかしたら、飛沫感染を理由にこのまま廃部になるのではないか。


 そんな不安を誰もが抱えていた。そうして各自の家の窓の外を、春が流れてゆくのをただ見送って過ごすよりなかった。


 それでも部員数の豊富な合唱部は恵まれている方だった。

 実際、校内には『現状維持であれば廃部』や『同好会の活動停止』というところが既に出ていた。


 例えば演劇部である。前年度時点で演劇部員の過半数は12年生だった。それがそろって卒業して、演劇部は必要最低部員数を割り込んだのである。


 やむをえず演劇部は休校期間中に在校生から幽霊部員を求めた。


 演劇部には、りょうの無二の親友である鈴木明衣も在籍している。明衣も、手近なところでりょうに声をかけた。


 りょうはこころよくこれに応じた。明衣の演劇への熱意をよく理解しているからだ。明衣は中学から演劇クラブに属していた。大学もそれに関連した学科のあるところを初めから志望している。


 二人は、中学からの内部進学の同級生だ。中学入学間もなくからゲームでつながる性別を超えた親友である。


 中学の時、『いつもそばにいるから』という理由で『柾目君と鈴木さんは交際している』と噂が立ったこともあった。その時、二人はしばらくぎこちなかった。


 その際に、真剣に『今後どうするか』を話し合ったことがあった。


 それは、互いの恋愛観や若いながらも人生観までも晒し合う、とても濃密な話し合いになった。

 そこで二人が合意に至った結論はこうだ。


 恋愛となれば、現状既にそうであるように、何かのはずみでギクシャクし、いずれ別れが来る。そんなものになるくらいなら、こうして腹を割って話し合える友達でいた方がましではないか。ゲームでもリアルでも犬の子のようにじゃれあっていればいい。


 少なくとも、りょうにとっては真理を見出した思いであった。明衣もりょうほど確信的ではないがそれでいいと思った。それ以来、二人は何も隠すところなく打ち明け合う親友である。恋愛関係の疑いも掛けられるたびに、ふたりして鼻で笑って過ごしている。


 この『長すぎる春休み』も、二人はほぼ毎日ビデオゲームのオンラインプレイをして過ごした。


 さて、部活の話に戻ろう。

 合唱部は、文字通り息をひそめて待つよりほかなかった。


 対照的に、演劇部は非常に発展的に活路を見出そうとしていた。例えばズーム越しのやりとりを公開する、映像演劇である。


 既に同種の試みはプロの演劇人は開始していた。例えばオンラインでの戯曲の読み合わせ動画や有料オンライン配信での無観客公演である。ズーム飲み会をモチーフとした密室劇などを作る劇作家なども現れた。


 これと同じようなことを、緊急事態宣言直後からはじめていたのである。部そのものが小人数だからこそ非常にフットワークも軽い。また新11年生の片方である香坂は、趣味としてユーチューブにゲームプレイ実況のライブ配信をしていた。そうした技術面での識者の居る強みもあった。


 毎週のように読み合わせやエチュードの配信を、ズーム、ツイキャス、インスタライブ等で行っていた。


 これに影響を受けて、合唱部も『新入生歓迎のために校歌とThe Lion Sleeps Tonightの合唱映像を作れないか』という話が持ち上がった。

 校歌はともかくもう一曲は定期演奏会用に準備していたアカペラ曲である。それであればそう苦労もなく歌えるだろう、という判断である。


 手法は在宅で各部員がリモート収録したものを編集で多重録音化する。


 新12年生の発案のもと、参加可能な部員の在宅録音データが集められた。

 それは12年女声高音ソプラノパートリーダー大坪未來を経て、卒業生の畑中広夜の元に集約された。


 彼は私大の芸術学部映像学科に通っており、映像編集としての多重録音の合成にも経験があった。そうして数日のうちに音声データは完成した。

 データ完成の翌日、畑中のPCから顧問の元へデータ発送された。ほどなく学校の生徒向け情報掲示用サーバーにアップロードされた。


 その感想がラインなどで部員や同級生らから続々と未來のもとへ届いた。


 だがその時、彼女は自宅からも学校からも離れたところにいた。

 産婦人科のクリニックである。

 ひとりで、緊急避妊薬の処方を受けるためだ。


 2人は未來が10年生、畑中が12年生の冬から交際している。交際歴は1年と数か月になる。

 畑中の大学進学からほどなく一人暮らしになり、関係はその頃より加速した。今は性交渉も自然なこととして行う関係である。


 更に述べてしまえば、緊急避妊薬のために病院に駆け込んだのは初めてではなかった。


 通院のことは畑中にはうちあけていない。

 ただ、そういうことがあるたび、畑中には強く言ってきた。

 ちゃんと避妊してほしい、コンドームの用意を切らさないでほしい、と。


 それでも、緊急避妊薬が必要になる事態は発生した。


 未來は家族に恋人の存在を匂わせたことすらない。

 他校に通う数少ない中学からの友人にだけ、そのことを打ち明けていた。


 その友人からいわれているのは「あんまり大事にしてもらえないなら、別れた方がいいよ」という正論以上でもそれ以下でもない言葉だった。

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