第46話 蒼華—―そうか――そうですか

「ついにできた」


 パンづくりを開始してから約1時間。現在の時刻は11時すぎ。


 ついにというほど時間はかかっていないが、雰囲気を作るべく僕は呟いた。


 プロのパン屋の厨房で、パン屋の娘の指導の下、出来上がったのは……。


「……クロワッサン?」


 僕は目の前に置かれている焼きあがったパンを凝視して、今更ながら作りたかったパン――チョコリングではないことに気づいた。


「そういえば、チョコリングが欲しかったんっスよね。忘れてたっス」

「ソウカはなんかおかしいとは思ってたけどね。作り直しね」

「そーちゃんの言う通り、作り直すしかないじゃん」


 香崎こうさきが今更な発言し、蒼華そうかちゃんと飯塚いいづかさんが作り直しを提案した。


 そして僕も、それに同調した。


「そうだね。目指せチョコリング!」

「どうしてもチョコリングが食べたいんっスね」

愛澄華あすかはチョコが好きだから……それで機嫌を直してもらおうと思って」

「へ~。っていうか、立石たていし先輩の元カノに渡すために作ってったんっスね」

「うん。そうだけど……なにか問題でもあるのかな?」

「いえ……まぁ……とりあえず、今作ったクロワッサンを食べてみるっス」

「……? うん」


 なんだか意味深な雰囲気を醸し出す香崎。初めて手作りしたパンを食べるよう香崎は僕に促す。


 それに僕は素直に従い食べてみた。すると……。


「味がしない……どうして?」

「初めてならそんなもんっス。むしろ見た目が整っているだけ及第点きゅうだてんっスよ」

「……そうだよね……素人がいきなりおいしいパンを作れる方がおかしいよね……」


 僕は単純に考えすぎていたかもしれない。


 プロの厨房を使えば、機械さえあれば、あるいは材料があれば、おいしいパンが作れる。


 そう考えていた。


 ただ、そもそもとして、プロが作ったパンを求めてやってきた。そして僕はそれを一度食べている。


 いやがおうにも、比べてしまう。そして比べた結果、当然として、僕が作ったパンはプロが作ったそれに劣り、マズイとすら感じられる。


 レシピさえあれば作れるなんて言っておきながらこのざまか。まぁそれは香崎ならというつもりで言ったのだが……その香崎に教わってこれでは……。


 考えれば考える程、悔しさが混みあがってくる。懊悩おうのうから下唇を噛み、苦しみを顕わにする。


「あんた」


 蒼華ちゃんが僕を呼ぶ。


 伏せていた顔を上げ、蒼華ちゃんの方へと視線を向ける。すると、目が合った。


「お姉ちゃんは別においしいチョコリングを求めているとは限らないよ。手作り、それがいいってソウカは思うよ。……思い出して。お姉ちゃんが元気を失くした理由を」


 そうだ。目的を履き違えてはいけない。


 僕はなにもおいしいパンを作ろうとしているわけではない。


 もちろんおいしいに越したことはない。だけれど、それは目的を達成するのに絶対に必要かと聞かれたら、そんなことはない。


 今、一番に達成したい目的はなんなのか。それは――


 —―愛澄華を元気づけること。


 それを見失ってはならない。そしてだからこそ、おいしくないパンを渡すわけにもいかない。


 目的をしっかりと胸に刻み付けて、僕は再びパン作りへと意識を集中することにした。


「香崎。もう一度最初から教えて欲しい。そして今度こそチョコリングを!」

「まったく……しょうがない先輩っスね」


 香崎は嘆息して、本当に呆れているようだ。


 もしかしたら、一度パンを作ったらダメだと気づき、諦めるとでも考えていたのかもしれない。だからこそ、チョコリングではなく、比較的簡単に作れるクロワッサンを作らせたのだろう。


 だけど僕は、一度失敗したからといって引き下がるわけにはいかない。


 自らの罪を償い、愛澄華を元気づける責任がある。そのためならなんだってする。


夏波かな~。手伝って~」


 お店が繁忙期に入ったのか。香崎夫婦では回りきらず、香崎娘を香崎母は呼んだ。お昼時でパンを買い求める人が増えたのだろう。


「僕もなにか手伝いましょうか?」

「いいのよ。そこでゆっくりしてて」

「……あ……はい……」

「まぁ、素人が無理に手を出すと逆に仕事が増えるだけなんで、大人しくしててくださいっス」


 香崎は僕にケンカを売っているのかな? と、多少ムッとするも、厨房を貸してもらったり、パンの作り方を教えてもらったり、させてもらっている立場を思うと、文句を言えない。


 そもそもお店がバタバタしており、言える雰囲気ではない。


 空気を読んで僕はイスに座って繁忙期が去るのを待つことにした。


「にしても味がしないわね」

「もっとうまく作れると思ったのに残念じゃん」

「でも、食べれなくはないよね」


 蒼華ちゃんと飯塚さんが味がないことを主張してるのに対して、僕は食べられることを主張した。


「確かに食べれなくはないけど……はむ」


 そう言って、蒼華ちゃんは自身で作ったパンを食べたあとに、香崎が作ったパンを食べる。


「全然、味が違う」

「どれどれ……はむ。……そうだね。でも、ウチのは割とよくできてると思うし」

「そう? ……確かに、あか姉のはなかなかかも……」

「どれどれ僕も」


 そうやって僕たちは待っている間、お互いに作ったクロワッサンを食べ比べる。


 それぞれのを食べてみると、すべて味が違った。香崎のが一番おいしいのはもちろんだけど、お店にでているのとはまた違う気がする。


 僕と蒼華ちゃんのは味が薄いも、僕の方が辛い気がする。辛みのある調味料を入れた記憶はないんだけどな。


 飯塚さんのは素人ながら、味は香崎のに近い。ただ近いというだけで、おいしいかと聞かれると首を傾げたくなる。


 こう考えていくとおいしいってなんだろう。と、哲学的なことを考えてしまう。


 あらかた食べ終えた頃だろうか。蒼華ちゃんがショルダーバッグから暗記カードを取り出した。


 どうやら隙間時間を利用して勉強するようだ。


「偉いね。こんなところで勉強するなんて」

「……んー。まぁ、一応受験生だからね」

「へー。……へ?」

「言ってませんでしたっけ?」

「初耳だけど……中学3年生ってこと?」

「そうだけど、なにか問題でも?」

「いや、なんか。ごめん」

「どうしてあんたが謝るの?」

「いや……だって、僕が蒼華ちゃんの勉強時間を奪ってるってことでしょ」

「そんなのはどうでもいいけど……ちゃん付けは止めてくれる? 一瞬、身震いしたわ」


 蒼華ちゃんが僕のことをあんたと呼んでいることは置いといて、僕は訊いてみた。


「……ごめん……。……じゃあ、なんて呼んだらいい?」

「呼び捨てでいいよ。短くていいでしょ?」

「そうか。……うん……。確かにそうだね。呼びやすい」

「急に意味なく名前呼ばないでくれる?」

「いや、いまのそうかは蒼華のことを呼んだわけじゃなくて、納得したという意味のそうかで……」

「うっさい! 今勉強してるの。静かにして」

「え? ……あ……ごめん……」


 これは僕が悪いのか?


 しょんぼりしていると飯塚さんが嘲笑あざわらって来た。


「あははは。立石っち、ダサ」

「うるせぇ。っていうか飯塚さんもいつの間に僕を立石っちなんて呼ぶようになったの?」

「気づいたときには口が勝手に動いてたし。てか、ウチのことも呼び捨てでいいよ。タメなのにさん付けなんておかしいしさ」

「そうか。わかった」

「だから突然、名前呼ぶなし」

「いや、今のは……」

「うっさい! 今集中してるの!」


 理不尽な……蒼華とやり取りしてると過去にどこかで似たようなやり取りしたのを思い出す。その相手は僕の妹だ。なに? 妹っていう人種はこうなの?


 理不尽にしいたげるもんなの?


 そんな疑問を抱くも、蒼華の願い通り黙ることにした。


 することがなくなった僕は、カバンから小説を取り出し、読み進めていく。静かにするのに読書はいいよね。むしろ静かなところで集中して読みたいくらいだ。


 ただ……ただね。


 ここはパン屋の厨房で、店内は混んでいる。ざわざわ騒がしいのは必然。


 さっき蒼華にうるさいと言われたけど、僕が喋らなくともすでにざわざわうるさいからね。


 そう心に中で考え、もやもやする。読書に集中できない。

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