第37話 いたかった

 ひゅうひゅう、ひゅうひゅう。

 呼吸が荒ぶる。

 どくどく、どくどく。

 出血が激しい。

 意識が遠のいていく。


 手を後ろに組んで、憎たらしい嘘っぽい笑顔が僕を覗きこんでいた。


「本当は言うことを聞いて欲しいし、話もちゃんと聞いて欲しいんだけどね。まあ、せめて助言くらいは聞くといい。きみが胸に痛みを感じている限り、きみはぼくに攻撃できない」


 赤く燃えている。

 自分の血。

 意識。

 怒り。


 やけに息苦しいなと思って息を吐くと血がいっぱい出た。僕自身という血の入った袋から大量の赤い水が出て、その中には白い欠片も混ざっている。どうやら噛み締めて奥歯が砕けたらしい。


 口から漏れ出す息は漏れ出すたびに全て、ころす、になっていた。


「おい」

 父さんが言う。


 六芒星の一人が何か差し出した。受け取るなり、滑るように中身が取り出される。


 それはちょうど吹き飛んだ腕と同じくらいの刀身を持つ脇差だった。天井の明かりで逆光になって、陰っているのに刃はぎらぎらと輝いている。反射するぎらぎらに照らされた父さんは笑っていた。


「ぼくを殺したい? いいよ。その代わり」


 いつも眠っているのか起きているのかわからない瞳を見開いて、自分の口ごと僕を食べてしまうんじゃないかと錯覚するほど大きく歯を見せて、笑っている。何かを期待するような。


「人を殺すということは、自分も殺される覚悟をしておかなくちゃいけない。まだ教えてなかったかな?」


 ぎらぎらが迫る。構えも睨み合いもなく、切っ先が向いている。


 ――どうせ痛みはない。

 でも、死にたくはない。


 千鳥と遊んでいたい。

 ミアちゃんと笑い合っていたい。

 カルラちゃんとまた会いたい。

 リッカに追いかけられていたい。

 お母さんに抱き締められていたい。

 まだ、まだ、もっと、もっと、僕は――。


 ――いたい。

 もっと生きていたい。


 刹那、飛び上がった。物理的に手も足も出ないことなんて関係ない。まだ、背中は動く。首も動く。腰は動く。前歯が砕けるのも関係ない。力いっぱい、ぎらぎらの刃に噛みついた。できるだけ根元を。頬が突き破られるのも問題ない。どうせ、痛くなんかないんだから。


 痛くなくても生きていたいから、抗う。


 刃が砕け、口の中に残る。口に咥えた刀身を、お父さんの胸に突き立てた。

 突き立てた、のに。


 僕は、何にも引っ掛かりを覚えずテーブルの上にどちゃりと落ちた。


 いや、強いて言うなら引っ掛かり自体はあった。僕の手とお父さんの胸ではなく、僕の胸に。


 お父さんは笑っている。今まで見たことがない、愉悦に満ちた笑みだ。


「〈十六夜血脈クオンタムネットワーク鬼門無限遠ライクライクライシス〉。きみがぼくを憎めば憎むほど、きみはぼくを殺せない」


 もう力が入らない。お父さんの胸に穴は開いていない。胸から力が抜けていくような感じがする。咥えた刃も落としてしまった。赤い世界が暗くなっていく。


 じわじわと死を待つだけだった物体が僕だ。


 そして今、僕は自ら振るった刃で、死ぬ。


 お父さんが何か言っている。


「――錆びた天秤が朽ちる時、第六天の魔王が放たれる」


 死と引き換えに、血が、広がる。

 逆か。血がたくさん出るから、死ぬ。

 でも、血がたくさん出なくても、心臓や脳を破壊されれば人は死ぬ。

 即死。


 そうして僕は、僕を失った。

 大切なものと引き換えに、それは起きた。


 お父さんが笑っていた。

「あっはははぁ、これぞ十六夜血脈の完成形! ひとよんで第六天魔王ネバーエンドナイトメア!」


 僕は立っていた。

 否、浮いていた。


 障子も襖も吹き飛び、柱は軋んでいる。この世の光全てを飲み込むような禍々しく生々しい赤黒さが広がる。


 それは僕の腕。竜巻のような腕がお父さんに迫る。頑強な造りの屋敷も周りにいた人間も全てを巻き込んで、吹き荒れた。柱も屋根も人間も、巻き込まれたものは皆、吹き飛ぶよりも先に折れ曲がり、粉々に裁断されていった。


 当然、どうしてか、お父さんの身体も削れる。しかし同時に、僕の身体も、削れる。


 血脈の暴虐は何度も、何度も振るわれた。まるで大きな声で泣き叫び駄々を捏ねる子どもの手のような、殺意も敵意もない無意識の暴虐。


 あっという間に屋敷は跡形もなくなり、僕ではない僕のような僕とお父さんしか残っていない。繰り返すうちに、僕の身体はほとんど原型を失っていた。


 それでも、大切なものが残っている。

 そうして、やはり大切なものが消えて、僕の削れた身体がぐじゅぐじゅと元に戻る。

 そうして間を置かず、お父さんを削る。


「あっはははははは! 素晴らしい! これならカテゴリー5は固い、いや、本家のカテゴリー6にも匹敵するだろう! 想像以上に最高だよ、待雪ぃ!」


 十四年で初めて褒められたということに、このときには気づいていなかった。

 お父さんは笑っている。もう半分しか身体が残っていないのに笑っている。


 僕の身体も削られる。竜巻となった両腕だけでなく、お父さんの両脚と同じように両脚も削り取られてしまった。お父さんは待っていましたとばかりに両手を広げて、竜巻に飲み込まれるのを待っている。


「ああ、あぁあ、間違っていなかった。みんな殺して正解だった。あっははははははあ!」


 暴風の中に、お父さんとは別の音のようなものが混ざる。


殺スまもる


 雨に波及する血の海の上にはお父さんと、黒い何かが映し出されていた。胸の傷から広がる鮮血の赤と治りかけの黒が形作る数え切れないメビウスの輪。人間の手足はない。竜巻の腕は翼にも見えて竜か悪魔にも見えたし、お父さんを叩き潰した竜巻は棍棒にも見えたから鬼かもしれない。


 お父さんが失われた。死に至るはずだった胸の傷も失われた。


 そうして僕は、大切だったものを全て失った。


 ――いたい。

 痛い?


 痛いって、なんだ。

 僕は、

 僕は?

 僕が。

 僕?


 守りたかったものは、何だっけ?

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