第32話 痛みだって愛おしい

 話はごめんなさいで始まって、ごめんなさいで締めくくられた。


 隠しごとは悪くない。嘘を吐くことも悪くない。それが優しい嘘であるなら尚更に。ただ、今までとこれまでの信頼の所在が不確かになるから、少し悲しくなるだけなのだ。

 俺を助けたのは俺を利用するためだった? 傷つけたくないから迦楼羅と一緒に、俺が記憶を失っているのをいいことに俺の家族を殺したことを秘密にしていた?


「だからどうした。俺はお前にだったら、どんなに利用されても構わない。優しい嘘で嫌いになんてなるものか。お前が与えてくれるものなら、痛みだって愛おしい」


 こうして浮かべられた表情も複雑だったが、今度は意味が明確だ。眼は泳ぎ、唇は内側に巻き取られて潤いを取り戻している。照れ半分に蔑み半分というところだろう。何も言ってくれない辺りから、もしかしたら蔑み成分が勝っているかもしれない。


 とにかくこれで一つ合点がいった。隠していたことで嫌われるんじゃないか。それも仕方ないことなのかもしれない。何か隠していること自体が問題なのではない。信頼を失うのが怖くて、嫌われてしまうのもお誂え向きだと悲観的に捉えて諦観の混ざった笑顔をするのだと、今は思う。


「それにしても驚いたな。時間操作なんて持ってたら勝ちゲーじゃないか。俺いらないんじゃない?」


「ふざけないで!」

 きっ、と睨みつけられた。かと思えばハッとした様子で俯くなり、消え入るような声がした。「……マツユキは、いらなくなんか、ない」


 意地悪な言い方をしてしまったな、と少し反省しながらまじまじと久遠の綺麗な渦を巻くつむじを見る。

「嘘だよ」

 撫でた。


「双葉ミアと、結婚するの?」

 その表情は少し、迦楼羅を彷彿とさせた。


「俺の人生はお前のものだ。俺の人生はお前のものであって欲しい。だからしないよ」

「わたし、マツユキが妹に殺されるなんて許さない。あなたはわたしだけのものよ」

「承知いたしました。約束は破棄いたしましょう」


 ふっ、と迦楼羅めいた表情が子どものように、久遠らしい柔和さを取り戻した。

「ねえ、マツユキ」

「うん?」


「いいのかな――わたし、マツユキと一緒に生きても、いいのかなぁ……っ?」


 俺は、先に迦楼羅と出会っていたらしい。

 だから、久遠と迦楼羅はいっそう憎しみ合うようになった。


「当たり前だ。お前がいなければ、俺は生きている心地がしない」


「でもわたしは一人じゃ何もできない。料理だって。それに戦えない。すごく、弱い」

「そりゃいいや、俺がお前のナイフになろう」

「じゃあ、これは現実?」

「ああ、嘘じゃない」


九頭龍血脈・劫刻クオンタムウォーター・クォータークォーツ〉。


 体液に触れた人の傷を癒す異能。

 などではない。


 曰く、体液に触れたものの時間を操る異能。


 時間を巻き戻す〈修復〉。

 時間を止める〈保留〉。

 時間を早送りする〈加速〉。


 代償は死ねないこと。

 酷く喉が渇き、万年貧血気味となる。


 どうしていつも〈修復〉と〈保留〉の重ね掛けなんてして飲料的に燃費の悪い十四歳の姿になっているのか問うと「マツユキがそっちの方が好きなんじゃないかと思って」とバツが悪そうに答えてくれた。久遠の中では俺はロリコン扱いされていたらしい。だが久遠相手に限っていえば実のところ好ましいので首をかいて誤魔化した。


 ところで縁側の戦闘は今なお収まる気配がなく、今でこそ執事の操縦するヘリも参加して激化しているが、静かになれば話は別だ。俺は俺の力を信用できないが、十六夜待雪と言う男を対迦楼羅の切り札として信じて止まない久遠のことは信じている。その俺たちが敵わなかった迦楼羅がこのまま四月朔日の勢力に呆気なく倒されてくれる、などという都合のいい結末は期待していない。

 とはいえ現実問題、このままでは昨日の二の舞だ。ひとまず四月朔日の勢力に加勢して倒すのが最も現実的だが、今のままでは足を引っ張って終わりだろう。何より俺自身に、あの天災から久遠を守れるだけの力がない。


 ついさっきまで、そう思っていた。

 一縷の望みと不安を胸に、問う。


「一つ提案があるんだけど、いいかな?」

「騙し討ちはダメ。昨日失敗したし、その、結構ショックだったんだから」

「その件については謝る。だがそうじゃない」


 五年前、俺は俺の家族を滅ぼした。

 当事者でありながら、俺はその事件についてほとんど何も覚えていない。

 たしかなのは久遠があの日、俺を救ってくれたことと。

 それと俺に罪悪感を抱かせないために、久遠が俺の罪を隠していたこと。


 唯一人の生き残りである俺の命を助け、一緒に生きることを命じた。お前に滅ぼされたのだとしたら、それでも構わないと思っていた。誰かの恨みを買って滅ぼされたのだとしたら、それも仕方ないと思えた。俺が滅ぼしたなんて、思いもしなかった。

 だって俺たちは九頭龍分家の人間で、俺の能力は痛みが感じないだけの無痛症で、久遠の能力は治癒能力。能力者ならもとより、普通の人間が相手でもあんな風には出来ない。


 おかしいじゃないか。どう考えたって。

「どうして時間の操作で、俺は痛みを取り戻すんだ?」

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