第31話 優しい嘘

 俺は、上手く笑えていたらしい。

 ようやく半日間で溜りに溜まって溢れんばかりになっている話題を開放することができる。バックパックから五〇〇ミリのリットルのペットボトルを手渡してこくこくと飲みだしたのを確認して、切り出す。


「久遠」

「んう?」


「ありがとう」

「いつから頭突きされて喜ぶ変態になったの?」


「最初から。いや、そうじゃなくてさ」


 訝しるような顔を真っ直ぐに見られない。

 自分の首を撫でていることに気付いて、頬が緩む。


「俺は、お前から貰ってばっかりだ。命を貰って、未来を貰って、尽くさせて貰って」十四歳の姿になって、再びペットボトルを傾けた。「何より俺が、俺の家族を皆殺しにしたことを、黙っていてくれた」


 口の端から零れた水がきらきら煌めいている。

 三分の一ほど中身の残ったペットボトルから口を放し、視線も放した。


「……そっか、聞いたんだ」


 上着からハンカチとポケットティッシュを取り出し、服とサイズの合った身体に零れた水を拭う。押し付けて水気を吸収する。口の周りと目の周りも、優しく拭う。


「あの頃の俺がそれを聞いたら、きっと今ほど前向きじゃいられなかっただろう」


 それはある種の可能性だった。殺したばかりか覚えていない自分の罪を自嘲気味に表出させながら悩んだのは間違いない。そうして自ら死を選んでいたかもしれない。久遠を支え合うことなく支えられるばかりになっていたかもしれない。今以上に久遠との共依存性を高め、爛れ切った関係を形成していたかもしれない。どれも魅力的だし、最後の一つは今と大して変わらない気もした。

 それに何より俺が救われていなければ、久遠が苦しむことになると思ったのだ。利用したと思われるんじゃないか、と。俺は別に、久遠に利用される分には全く以て構わないのだが。久遠はきっと、悩み続けることになる。


 押し黙る久遠の赤い瞳の中で、ペットボトルの水面が波打っていた。

 昨日離れ離れになってから、再び出会うまでの話をした。


「妹がいたんだ。生きてることどころか存在さえ忘れてた。四月朔日家の長女で千鳥って幼馴染がいるんだが、そいつのところで執事をしながらずっと復讐の機会を伺っていたらしい」


 美容師が四月朔日家の執事で女で妹だったこと。みこっちゃんと婚約者ミアのこと。妹がいたことすら綺麗さっぱり忘れていたということ。婚約者がいたことも忘れていたということ。自分の家族を全滅させたのは自分自身だということさえ忘れていたということ。婚約は断ったこと。いずれ殺される約束をしたこと。


 話し出すと止まらなかった。

 自分語りが珍しかったのか、久遠は黙って俺の話に耳を傾けてくれた。


 久遠はバツが悪そうに、口元がお留守になっている。何かを隠すときはいつだってそうだ。5年前も俺を誘ったときも昨日も決まってこうやって、泣いているようにも笑っているようにも見える顔をしていた。


 要は目と口の動きが合致していないのだ。

 五年前も、昨日も、今も。


 婚約のことを話しても、執事のことを明かしても、久遠はそうやって薄っすらと笑みを浮かべているだけだった。全て、知っていたのだろう。十四歳の姿でも十九歳の頃も変わらない。建前で笑う大人のようにも、心底から泣く子供のようにも見える、優しい嘘を孕んだ顔。


 どうしてそんな顔をするのか、ずっと不思議だった。

 何を隠していても、嘘を吐いていても、俺は何一つ構わないのに。


 そんな心中を察したのか、久遠も昔の話をしてくれた。

 いつか迎えに来る王子様を夢見る少女から聞いた話に夢を見て、恋をしていた少女の話。


 同情を誘う気の有無も同情するべきか否かも利用するとかされるとかどうでも良くて、俺に向かないままで悲壮感を煽る瞼の下の液体を拭い取った。

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