第12話 ベッドの上の「愛してる」

 ――だから、もうやめてよ。充分、頑張ったじゃないか。なのに、どうして。

「おや、気が付きましたか」

 嫌な夢を見た。目の前に広がっているのが白い天井なのは幸か不幸か、少なくとも安心だけしていればいいという状況でないのは確かだった。

 幼い頃の夢は、現実に存在した悪夢のような出来事で、過ぎたこと。

 嘘っぽい笑顔に起き抜けを見られるということは、久遠の安否がわからない地獄が現実だということ。

「千鳥お嬢様を呼んできます。少々お待ちください」

 白い天井、白いカーテン、白いベッドに白いシーツ。病的なまでの白を中心に組み上げられた空間に思わず顔をしかめる。効きの悪い鼻腔の奥に薬品臭さが拡がるような気がした。一人用の病室の窓際は悪夢を見るのに最適だ。

 あるいは、嘘っぽい笑みを浮かべる執事が問題だったのかもしれない。とりあえず櫛だけは通しましたと言わんばかりのウルフカットの黒髪は毛先に寝ぐせと思わしき軽いクセが付いていた。サイズの合っていないワイシャツの裾とベストの間から覗く割れた腹筋と臍、そして短剣に貫かれた心臓を模したタトゥー。俺たちを病院に運んだらしい渡貫家の執事は行きつけの美容室の店員だったわけだ。

 今日もバーテンダーのような恰好で、モノクロだった。170センチはあろうという身体を姿勢正しく歩ませる。おかげで白衣の天使と言うよりは死神を想起させた。かつて悪魔の子と言われた俺も、久遠からネクタイを貰うまでは喪服同然の格好をしていたわけだが、執事や側近と言う役割を担う者は皆こうなのだろうか。嘘っぽい笑みといい、モノクロの格好と言い、どうにも親近感を覚えてしまう。ベッド上のテーブルには果物ナイフと、剥かれたリンゴ一つ分が載った皿。リンゴは全て、兎の形をしていた。

 どうやら彼女は、俺よりよほど執事として優れているらしい。

 上半身を起こし、首を鳴らした。両手の平を見る。指は問題なく動く。掛け布団の下の脚も不自由はない。ベッドに備え付けられたデジタル時計は6月11日の午前5時39分。半日ほど眠っていたらしい。さて、これからどうするか。ベッドの脇に足を投げると、病室の引き戸が音を立てて開いた。

「久遠?」

 その正体を確かめるより先に、ありえないとわかっていても、思わず口を突いて出た。案の定、鼻息荒く病室に入るなりベッド脇の背もたれのない椅子にどかっと腰かけたのは久遠ではない。組んだ足の先でモスグリーンのスリッパが揺れる。その奥に覗いた太股も組んだ腕の中でたわんだ胸も包帯で厚く包まれていた。

「アンタを助けたのはウチ。九頭龍分家(ナンバーズ)4番目の頭領候補渡貫家代表、渡貫千鳥!」

 4人分の姦しさは健在だった。

 渡貫家、またの名を四月朔日(わたぬき)家。

 四肢に異能を宿す一族で、別名〈戦争屋〉。

「お互い、元気そうで何よりだ」

 昨日、二度と会うこともないと言ったが、あれは嘘になってしまった。

「単刀直入にゆうね。ゆっきー、ううん、十六夜待雪。四月朔日の兵隊になりなさい」

「それで、俺になんのメリットがある?」

「え……そうね。ほら、アレよアレ。ね、リッカ」

「ええ、おっしゃる通りです。お嬢様」

「……ねー?」

「ええ。例えば、九頭龍久遠を取り戻すまでの期間限定で契約を交わすというのはどうでしょう。お兄さんは四月朔日家から医療と装備の補助を受け、四月朔日家はお兄さんを駒の一つとして扱える」

 魅力的な提案ではある。だが。

「俺が裏切るとは思わないのか?」

「はっ、思い上がりも甚だしい。お嬢様は貴方を助けたい。本当はそれだけの話だと、貴方もわかっているでしょう? そうでもなければ、余程の馬鹿でもない限り、後先考えずに貴方のような死に損ないを敵の本拠地にまで乗り込んで助けるなど馬鹿な真似はしない。余程、馬鹿でもない限り」

 ねえ、バカバカいいすぎじゃない。ねえ。と袖を引く千鳥を無視して執事は続ける。

「分家にさえ隠され続けた最終兵器にして既に失われたはずの十六夜の血脈が味方になる、というメリットはついでです。手負いの貴方一人で九頭龍と四月朔日の両方に勝てると思っているのなら、貴方への認識を自殺志願者として改める必要がありますね」

「でも、四月朔日が真正面から挑んで九頭龍に勝てるってわけでもないだろう?」

 我ながら意地の悪い聞き方をしたと思う。想像以上に俺は焦っているらしい。しかし、千鳥は悪戯が成功したみたいな顔をした。

「そう。そうね。その通り、だから」

「四月朔日家は既にすべての家にコンタクトを取り、二つの血脈を味方に付けました」

 執事が澄ました顔でそう言った。彼女の袖を握る千鳥は今にも爆発するんじゃないかと思うほど震えていた。手を差し出した。

「わかった。そういうことなら協力しよう」

「意外ですね。せいぜい利用させて貰おう、ぐらいの回答を予想していましたが」

 執事に向けて差し出した手を執事が取った。鏡を見ているような気分だ。

「ねえ、おかしくない? ウチは? なんでウチが助けたのにウチはバカっていわれただけなの? おかしくない? ねえ!」

「ああ、そうだね。助けてくれてありがとう、千鳥。愛してる」

「ハ、ハァ?! べ、べべべ別に、アンタを助けたかったからとかじゃないんだからね! っていうかあ、あ、あい、愛してるって、そういうことすぐに言う癖、ホント治したほーがいいと思う!」

 うるさいなあと、執事も静かに笑っていた。

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