太陽に近い場所

 * * *



 学校の近くには、公園が二つある。

 一番近いのがそこそこ大きな公園で、真ん中にサッカーゴールやらネットやらが張られている場所があって、そこを囲うように遊具がずらっと並んでいる。

 夕方までは小さい子供や小学生がよくそこで遊んでいて、彼らと入れ違うように夕方から暗くなるまでは、部活帰りの中高生で賑わう、そんな公園。

 もう一つはもう少し歩いたところにある小さな公園で、控えめな広さの砂場に、二つのブランコと一つの滑り台といくつかのベンチだけが添えるように並んでいる。

 広さも遊具の数も、大きな公園と比べて圧倒的に少ないけれど、でもこのこじんまりとした雰囲気や、落ち着いた空気が好きで、小さい頃からお気に入りの場所だったりする。


「ブランコー!」

 ベンチに荷物を置いて一目散にブランコに駆けよれば、うしろから笑い声。

「なんか、舞白って割と子供っぽいよね」

「わかる」

「未成年だから子供だもーんっと」

 フワッとブランコが滑り出す。

 頬を撫でていく風が、気持ちいい。

 隣に生えている木の枝に触れそうで触れない、絶妙な高さ。

 わたしたち以外誰もいない公園を、独占してるみたいな、そんな感じ。

「よく漕げるわね」

「え?」

 ブランコの柵に外側からもたれるようにして、薫がわたしを見上げている。

「薫も漕ごうよ。楽しいよ?」

「……遠慮しておくわ」

「えー」

 楽しいのに、と唇を尖らせれば、穏やかな笑い声が聞こえてきた。

 視線だけ動かせば、ブランコから少し離れた位置にある滑り台の上に腰かけた茜が笑っていた。

「公園で遊んだこと、ないもんね、俺たち」

「近くになかったとか?」

「……そういう環境にいなかったのよ」

 薫は目を伏せる。

 長いまつげが影を頬に作っているのが、ここからでも見えた。

 そっとそっと足を振る力を緩めていく。

 薫がもう一度こちらを向いたときには、振り幅はそんなになくなっていた。

 わたしは地面に両足を着ける。

「よっと」

 一度降りてから、しっかりと鎖を掴んで板の上に立つ。

「舞白?」

「薫、おいでよ」

 首を傾げつつも、薫はベンチに荷物を置いてからわたしの真ん前に来る。

「座って」

「え」

「一緒に乗ろう」

「……」

 薫は恐る恐ると言った様子で腰かける。

「鎖、ちゃんと握っててね。絶対手、離さないで」

「わかった」

 薫がしっかりと鎖を握ったのを確認して、わたしは膝を曲げる。

 運動神経がよさそうだし、薫が落ちるとは思えないけれど、念のために振り幅は控えめで。

 ゆっくりゆったり、ゆらゆらとブランコが揺れる。

 行っては戻って、戻っては行って。

「風が気持ちいいのね」

 足元からの声に、うん、とうなずく。

 どんな表情をしているかわからないけれど、声はとても温かくて、少なくとも嫌な気持ちになっていないことだけわかった。

「茜も離れてないでこっちおいでよ」

「俺はいいかな」

 困ったような声に、首を傾げる。

 バランスを崩すと怖いので、流石に茜のほうを向くことは出来なかった。

「舞白、自分が履いてるもの考えな」

 薫の声に、ああ、そうか、と思い至る。

 スカートの下には体操着ズボンも履いてるし、見えることは無いけれど、たぶんそういう問題じゃない。


 しばらくしてから、ブランコを降りたわたしは滑り台の下に立つ。

 薫は今、ゆらゆらとブランコに一人揺られている。

 そこまでの高度ではないけれど、でもその表情は柔らかい。

 チラリとそちらを見てから、わたしはまっすぐに茜を見上げた。

「滑らないの?」

 茜は一度こちらに視線を投げてから、ふんわりと笑ってうなずく。

「ここが一番、太陽に近いから」

 その一言で、彼の視線の先にずっと太陽があったことに気がついた。

「目によくないよ」

「わかってる。でも、こうやって空の下で見れるのは、いつまでかわからないから」

 どういうこと?

 そうきこうとして、でも、その瞳があまりにも切実で、開きかけた口を閉じてしまう。

「そういう体質なんだ。太陽の光が、眩しくて眩しくて体が思い通りに動かない、いつかそうなってしまう体質」

「……そうなんだ」

 淡々とした口調に、どう答えていいのかわからなくなる。

 ただ、嘘を吐いていないことだけは、わかった。

「俺の名前、夕焼けからとられたんだ」

「茜空?」

「そう。昼と夜の間、月と交代する前の太陽が見せる、最後の空の色」

 太陽を見つめ続ける、細められた垂れ目。

 透き通った黒は、キラキラと光っていて。

 視界の端、ブランコは、揺れていない。

「茜」

 続く言葉なんて、持ってなかった。

 ただ、名前を呼ばないと、どこかに行ってしまいそうだったから。

「茜」

 そのまま奥にしまってある感情まで見えてしまうんじゃないかと思うほどに透き通った黒が、わたしを見る。

「茜」

 垂れた瞳は、いつもと変わらず優しくて。

 それが余計に、切なくて。

「茜」

「大丈夫、聞こえてるよ」

 茜の眉尻が下がって、唇が緩やかな弧を描く。

 困ったような、そんな笑み。

「もし、太陽のいない時間でしか生活できなくなっても、わたし、友達でいるよ、絶対」

 もちろん、薫とも。

 そう言って横に顔を向ければ、ブランコに腰かけたままこちらを見ていた薫が、珍しく困った表情をしていた。

「薫?」

「舞白には、太陽が似合うわ」

 心臓が、ぎくりとはねた気がした。

 踏み込みすぎたんだ、と、思った。

 表情が強張っていくのがわかる。


 この二人と一緒にいるのは、息がしやすい。

 だから、まだ一緒にいたい。

 拒否、されたくない。

「ごめん」

「なんで謝るのよ」

 薫が苦笑を浮かべている。

「だって……」

「ごめん、そんな顔させると思わなかった」

「どんな顔?」

「迷子の顔。別に突き放したくて言ったわけじゃない。まだ太陽の下に茜がいれる間は、三人、一緒にいましょう」

 私も、仲良くしたいもの、と薫がやっと微笑んでくれる。

 いつもの、あの、大好きな柔らかい笑顔。

「うん!」

 嬉しくて、大きくうなずく。

 そのまま顔を上げて、茜を見る。

「茜も、だよ!」

 雲一つない青い空を背に、茜は曖昧に笑うだけだった。

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