最終章

宮司


   ◆


 深閑とした林を歩く。迷いの森とは距離を隔てている場所だ。けど鳥のさえずりひとつ聞こえない。だから歩きながら考え事をするには、いい場所だった。盈がそうは思ってはいたものの、段々と考えが独りよがりになってくる。こんな考えではいけない。もっと市井のことを、さらにはこの世界のことを考えなければいけない。自分の体裁ばかりを考えていてどうするんだと、盈は自戒する。

 もっと気がかりなのは御佩刀教団だ。もし聖剣の願いを拒めば、平信徒たちの行き先にしてこれからの生きる道について考えねばならない。聖剣の支えを失えば、彼らの中には発狂する者もいるだろう。それだけ御佩刀様、聖剣様のことを信じて、ここまでやってきたのだから。

 本来ならば自分の尻は自分で拭えと言いたい、が。そんな簡単な言い方で収まるものではないだろう。第一そのような物言いで解決できるものであれば、御佩刀教団なるものができるはずもない。彼らの心の支えは考えなくてはならない。

 おじいさまは刀を作り心をこの世に伝えた。それがなぜ御佩刀教団を作ることに至ったのか。おそらく彼らは刀の精神よりも、より強い聖剣に心が傾いたのだろう。

 それならば、おじいさまの思想がより強いことを示せばいい。

 だが、それはもうできているのではないか、と思い至った。

 なぜなら、聖剣の心に盈は魂を込めたのだから。

「盈」

 後ろからふと声がかかる。ムシャだった。

 先日まで、都の服を着ていたのだが、ムシャはそれを嫌った。オシャレなものは私には重すぎると言って、村の服装をしていた。

「一人で考えるより、二人で考えたほうが答えが出る!」

 意気込んでムシャが拳を握り込めて、強気な心でそう申し出る。

「そうだな、三人寄れば文殊の知恵ということわざがあったな」

「もう一人必要?」

「いや、ムシャだけでいい」

 彼女さえいてくれたら、それだけで答えに自ずと近づけそう。

 盈は胸に手を当てると、その胸にムシャも手を添えてきた。

「ムシャ……」

「うん」

 何かしら人らしく見えた。前々から笑顔が難しい彼女だとは思ってはいる。けれど、苦手な笑顔でムシャは瞳を輝かせる。

 だから盈は胸の内でとくんと鼓動を打った。

「ムシャに聞きたいんだ」

「なに?」

「ムシャ、俺のこと……」

「ん……」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 そう言ってしばらくの時間、林の中を歩いていたが、今日には答えが出なかった。

 もどかしい気持ちばかりが炎のように揺らめく。どうしたというんだ俺は、と盈はどうしようもないこのもやもや感をなんとかしたい。


 翌日は朝から雨だった。最近闇雲に動いていたせいか、ついに身体が悲鳴をあげてしまう。村人には心配をかけたがその心配はいらない。ただ微熱で動くのがしんどいだけだから。

 村人が懇意に整理してくれた実家、盈は布団を敷いて眠った。

 ふと、頭に触れる指先に気づく。

 目を開くと、水を入った革袋で覆われていた視界が、明るく開かれていた。女の子が指を当てて熱をはかる仕草を見せる。

「姉ちゃん?」

 ぼやけていた視界に映るものが、はっきりとした形を取り戻すと、そこにいたのがムシャだと気づく。姉が出てきたと寝ぼけ眼で期待するもその期待は外れる。だがムシャの心遣いに盈は心が温まる。

「熱、大丈夫?」

「少し寒気がするなぁ」

 心配はかけさせたくないが、盈はなぜかムシャに気を許し、そう言ってしまった。

「掛けるもの、もう一枚持ってくる」

「いや」

 寒気は本当にした、けどその必要はまったくなかった。

 盈は手を伸ばす。その手をムシャが優しく握ってくれた。

「ここにいてくれないか? まだ考えることがたくさんあるから」

「休むときは休んで」

 無理して風邪が悪化したら、それはそれで元も子もない。

「じゃあ、代わりにお前が考えを進めておいてくれ、俺も眠りの中で考えてお前に追いつく」

「わかった。それでいい」

 手を触れられた状態で、盈はムシャの優しさに包まれている。

 それがとても嬉しかったし、盈はムシャといつまでもここにいたかった。

 かつてそのようなことを思ったこともあるかもしれない。

 それはもしかしたら、人恋しさと孤独を抱えていたから、という理由からかもしれない。

 だが、それは理由ではない。こじつけという理由づけだといまわかる。

 やはりムシャとは互いに別れ難い関係なんだといま気づく。

 恋愛感情があった。

 いや、むしろ姉弟との間の感情に似ているかもしれない。

 さっきムシャを姉と見間違えたのも、おそらくその表れだろう。

 盈はいま胸を打つのが止まらない。それは微熱のせいではない。ムシャと一緒にいたいという心の表れだろう。それがわかるとさらに心臓が打つのが早まる。この鼓動がムシャに聞こえやしないか心配だった。いまの感情を悟られるのが恥ずかしい。けれど、ムシャはそのようなことに気づいてはいないようだった。

 そう考えながら、盈は眠りの中に落ちた。


 ふと夜中に目が覚めた。

 布団から身を這い出て、起き上がろうとすると、左手を引っ張られて阻止される。

 窓辺から差し込む月明かりに照らされて、彼女の寝顔が浮かび上がった。

「ムシャ……」

 彼女の寝顔を間近で見るのははじめてだった。これは添い寝をされてたということだろうか。

 そう考えると、頬の下あたりに何か熱いものが走る。この気恥ずかしさから逃れようと、手を退けようとするが、眠ったままの彼女はそれを許さず、ずっと手を握っていた。

 ずっと手を握ってくれていたんだな。盈は再び夢の中に隠れるように目を閉じた。


 最近、断続的ではあるが、小雨が変わらずに降りしきる。そんな昼時のことだった。

 東屋の角のあたりで、盈はムシャと向かい合って話をしている。

「今日は、私から、話さなければならないことがある」

 聖剣に答えを出すまで、もう数日の間もない。そのときにムシャがそう会話を切り出してきた。

 ムシャはいつになく真剣な表情を見せていた。無表情とも沈黙した表情とも違う。彼女の真顔で盈を見つめる。

「私は、聖剣レーヴァテイン」

 知っている。聖剣様とムシャは、二つに分かれた存在だ。

「もし、もし私が消えても……盈は、私のことを想ってくれる?」

 盈は立ち上がり、両肩を強く手を触れる。

「どういうことだよ」

「私は、聖剣レーヴァテインの片割れ。もし聖剣と私がひとつになったら……」

「……」

「聖剣と私がひとつになっても……」

 ムシャは息苦しく咽びかけて、

「私はそこにいるよね?」

 ムシャが言っている意味が盈にはわからなかった。

「聖剣と、私が、ひとつになっても……私は消えないよね?」

 そして気づく。だけど盈はそのことを認めたくなくて、とっさに、

「俺がそんなに頭いいと思うか?」

 確かに聖剣はもともとひとつだった。それがふたつに分かれたのだから、聖剣に戻ればふたつがあわさって、納得のいく形で残るかもしれない。だがそこに残るのは聖剣ひとつだけだろう。ムシャの人格の存在は保証されるのか?

 でも納得はできる、などと言えば、ムシャが安心できそうかと思えば、そうは思えなかった。

 憶測なら助ける一言を述べてやる。だけど、憶測で助けることは無責任だ。

 何より盈は責任を放棄することを嫌う。

 だから盈は何も言わず、ムシャを抱きしめた。

「盈」

「俺は何もごまかせない、嘘も下手だからな、それにバカだ」

「盈はバカじゃない、盈の言うことなら信じられそう」

 盈は抱擁の腕を軽く緩め、ムシャの顔を見る。

 気づけば涙で濡れた顔が相対して、互いに見つめ合っていた。

 どうしてこんな問題にいままで気づいていなかったのだろう。他人の利益ばかりを公のことばかりを考えていたからか。

 やはり自分にはそういうことを考える素質がないのかもしれない。盈はそれで自信を失いかける。いや、自ら全てを捨てたい衝動にすら駆られた。

 そしてそれをどこで覚えたのだろう。ムシャの唇が盈の口を塞いだ。

 唇は思ったよりも心地いいほど冷たくて、それなのに温もりが身体の奥まで伝わる。このような経験は盈とて、かつて一度すらなかった。

 唇を離した後、ムシャはまた涙を流す。

「ごめん……」

 ムシャは東屋から出て、雨の中を走り出た。

 彼女の不安も当然だ。

 なんとかムシャと聖剣を分かつ、そのままの状態でことを進めることはできないだろうか。

 だが、そこで盈は考えてしまう。

 一人の人間のために、大衆に貢献しないというのは卑怯だろうか、と。

 卑怯である。

 盈の心は決まった。

 そう。

 一人の人間のために、大衆に貢献させない世界であってはならない。

 一人だろうが、大衆だろうが、どの道、全員が公平に貢献される世界でなくてはならない。

 だから盈は決めた。

 ムシャが幸せであるように、御佩刀教団も市井の民も、すべての人間が幸せであるように。そうあらねばならない。

 それは決して欲張りなことではない。

 盈の心はひとつ。

 自分自身が犠牲になってもいい。それでも、みんなを幸せにできるなら本望だと、そう考えた。


 そして約束の期日は到来し、牙城へと行く。

 御佩刀教の平信徒が跪いた。聖剣と対面し、盈は真っ先に結論を申し上げた。

「誰一人として不幸を出さずに、聖剣様を引き取りたく存じます」

 ――ほう。

 その言葉を意味するところはまるで意味がわからないだろう。

 無論それはいま隣にいるムシャのことを慮った発言である。

「聖剣様、教えて欲しいことがある」

 ――……。皆よ、盈と二人で話がしたい。

 その一声で、ムシャも平信徒もその場を退き、盈は聖剣と二人きりになる。

 ――さてそなた、これはどういうことかな。

 王の間にことのほか聖剣の声が響く。

「聖剣様はムシャとあなたの二つに分かれたとお聞きしました。だとすれば、ムシャと聖剣様がひとつになったとき、ムシャの心はどうなるのでしょうか?」

 ――なるほど、そう来たか。

 誇らしげな風情で、聖剣は語る。

 王の間から外は風が吹き、窓枠が軋む音がした。だが、聖剣の声のほうがなお大きかった。

 ――安心したまえ、そなたの悪いようにはしない。

「悪いようにはしない?」

 ムシャの心が消えることはない。それが正しいなら、すぐさまに盈は約束を交わしてもいい。

 ――そなたが願うことに合点が言った。我が片割れが消えてしまわないか、心配しておるのだろう?

「そうです」

 ふむ、と少し無言になり、聖剣はこう言ってくる。

 ――難しい話になると思うが、その実これは単純な話だ。

「はっ?」

 どういうことなのか盈はその言葉の意を読み取れない。

 ――そもそも我が二つに分けられたのは、強大な力と無知な心が合わさっていたからだ。

 無知とは言い過ぎかもしれないが、ムシャはそのような感じが確かにあった。

 感情のない冷徹さ冷静さを、ムシャは欠いていなかった。

 だがそれは逆を言えば、心がなかったせいなのかもしれない。

 ――そんな強大と無知があわさって戦争に使われたら、どうなると思う?

「それは、甚大な被害を生むだけに……あっ」

 もはや災厄と言う他ない。聖剣は盈の話を実直に聞いてくれた。なぜそうでなかったのかは、薄々気づいていた。盈には確信がなかったから、意固地な考えが染みついている。その自分のバカに気づくべきだった。

 ――そう、そのような災厄を防ぐために聖剣は分けられたのだ。

 無知は、無邪気とも言える。だが無邪気の前では、悪も正義もない。それどころか、信じたものすべてに従うということにもなる。

「ムシャは、不安に駆られて震えていました」

 ――さよう、それは心が育ったからだ。盈、そなたが育てたのだ。恐怖を覚えるくらいの心がなければ、育ったことにはならない。

「……」

 ――心は残るから安心せよ。もしその心に恐怖心も罪悪感もなければ、我と心とが融合しても意味がない。勇気も、優しさも……そして恐怖心も、罪悪感も、我は引き継ぐ。もちろんそなたに対する恋心もな。

「ど、どうして!」

 恋心と言って、盈はどぎまぎした口調を整えられず、図星の態度を露骨に見せてしまった。

 ――彼女を見ていればわかる。随分とそなたのことを気に入った瞳をしていた。

 顔がほっと熱くなる。まさか聖剣様に見透かされるとは、と盈は頬を掻いた。

 ――そなたが彼女を救いたい。一人を犠牲にすれば民全員が助かるという心がそなたになくて、本当によかった。

「聖剣様」

 本当に救われたのはムシャのほうだ。

 ――だが、そう言うのであれば我はひとつ所望することがある。

「なんでしょうか」

 聖剣の頼み事とは、

 ――彼女のために、家を建てよ。

 家と聞いて、盈はすぐに理解をした。

「承知しました」

 やることはわかっている。盈はすぐさま行動に取りかかるために、村へと戻った。


 それから一年が過ぎた。あのあと何が起こったかを説明しておこう。

 山中の林を抜けるための、一本の道が作られた。

 その先は、ひとつのやしろに続いている。

 御佩刀教はいまだ絶えることなく、いまも活動をする。とは言うが、布教して人を集めることはせず、あくまで心から信じる者が入る小集団となった。一年前からすでに危険な活動はしていない。盈もその目で監視し、嘘偽りなく健全な活動をしていた。

 そして時折ではあるが、社へと続く道を平信徒が通り、聖剣を崇めるための祭事をしている。

 そして、いま村は平和である。不幸な出来事も特別なく、流行病もない。あまりに順調過ぎることにもしかすると聖剣様の力が関わっているのではないかと盈は勘ぐる。

 その盈はいまも玉鋼を作り、刀鍛冶をしている。そして剣術の修行も欠かさない。村人にもそれを教え、のちのちこの技をどう後世に伝えるか考えている。

 盈もゆくゆくは村を取り仕切る者となろう。とはいえ、まだまだ盈は青二才である。十八そこらで出来ることはたかが知れているし、それを知って身の程をわきまえることこそが大事だと踏んでいる。

 できないことは人に任せ、できないことは人から学ぶ。

 できることは自分がやり、できることは人に学ばせる。

 なんだかんだ言っても当然のことをしているだけだ。それでも村人の尊敬と感謝はとても厚い。それは志摩満の末裔であること、玉鋼作りの村下であること、そして何より村を救った英雄であることは話題に外すことはできない。

 だが、盈は、ときどき考える。シノギはいまどうしているのだろうかと。

 これは聖剣様からも教えられていない。

 シノギは日本で玉鋼作りを伝えられたのだろうか。それについて、どのような経緯を辿ったかは不明だ。だがおそらく彼のことだから、血の滲む努力をして成し遂げようとしてはいるだろう。

 これを見て盈は、社へと向かった。

 聖剣様から、彼女のために家を建てろと言われた。

 言う通り、盈はそれを快く承り、ひとつの社を建てた。聖剣を祭るための社を。

 御佩刀教、市井の民、そして村人も参加し、見事な社が作られた。

 いま聖剣は社に収められ、多くの人々が参拝をしている。

 遠くに響いていた祭事の声が静まり、御佩刀教の人間は社から去ったようだ。

 盈は社まで歩いていく。

 夜も更けて、この世の月が天高くに聳える。見るも眩しき黄金の満月だった。

 道を進んで社に辿り着くと、そこには神聖な紫色の衣で、月のように輝く髪をした女性がいた。

 聖剣の心は盈だけが見ることができる。

 聖剣様は何ひとつ嘘をついていなかった。盈としか対話はできないという制約はあったものの、彼女が消えていないことが何よりのことだった。

 社の隅に座って、彼女と話を交わす。たわいのない話ばかりだ。いま何しているのかとか、そういう話が主だ。

 そして恒例通りに話は進み、いま盈は何をしているかと問われる。

 定期的であるが、いま言うのは気が引けた。自分に身分不相応なことをしているからだ。

 恥ずかしながらであるが、彼女の興味に答えたくて、盈は言った。

 村のみんなが最近、盈のことをこう呼んでいる、ということを。


 聖剣の宮司、志摩盈様と。



(了)

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