第六章

斬鉄剣士


   ◆


 聖剣レーヴァテインという刀剣を盈は知らなかった。それは浅学無学というわけではなく、当然この世で知る人間は一人としていない。もちろん伝説によると、聖剣の存在は周知の事実であった。けれど、それがレーヴァテインなどという名前だということはまったく存ぜぬ、といったところだった。

 おまけにこのヴァという音は、唇を噛んで発するらしい。盈はやってみたが、一回目で舌を噛んで不器用に、イデッ! と発音して失笑を買った。だが市井の民も村人も、その発音をすることは難しいようで。

 ところでこの聖剣レーヴァテインは前に言ったように、聖剣とムシャが名乗った名前だ。聖剣様は自分の銘を思い出したのだから、それはいいとしても。ムシャまでが自分は聖剣レーヴァテインだと名乗るのはどういうことか。

 そのことが盈のもっとも理解しがたいところだった。あのあとムシャと話をすることに。だが、悠久の時の流れの中で話すことは断片断片で、おまけの彼女の性格からして要領を得ない会話ばかりをする。

 そういう会話の中で、ムシャは自分が聖剣の片割れだと言った。むしろそれくらいしか理解できない。なるほどなるほどと唸って言葉を測ったものの、その言葉の意味するところがまったくもってわからない。彼女も喋っているつもりなのだろうが、盈には理解が及ばないことだった。ムシャの目で見て耳で聞きなどして、推し量るしか方法はない。無論そんなことできるはずがない。

 最近では盈は、徴用を受けた村人の、重い傷や病気を見て回っていた。野草から薬を作れる者、看病してくれる者、多くを指揮して今日も村人の世話に当たる。

 帰ってきたばかりで盈は激務に追われている。病人けが人の一人一人を見るのはまこと大変なことだ。じっとしてても頭の中でそればかりが渦巻いて、休む日がない。

 ただこれでも十七歳、盈のできることはまだたかが知れている。この青二才め、生意気に指揮しやがってふてぶてしいな、身の程を知れ。と言う人がいたらぜひ訪れて欲しい。盈がその者を信頼し、多くのものを担当させてくれるだろうから。だから不幸なことに、盈を生意気呼ばわりする人は一人もいない。ただそれだから盈は少し気持ちが軽かった。

 盈は志摩盈の孫息子なのだから。このようなことができなければ、おじいさまの子孫としての体裁はないに等しい。有名無実を言われないために、働かなくてはならない。

 そして何よりも、聖剣様と交渉し、村と村人を解放した男である。盈を無下に扱う村人など一人もいない。

 だがいまだこの国の都は、御佩刀教団によって陣取られている。いまだに都の信者は紫色の衣を纏い、布教に務めている。よくないことであった。いまだ都の……いや、国の統治権は聖剣様にある。これをどうしたものだろうか。

 村人の中には、早く出ていって欲しいと言う者も多い。公に口には出せないが、盈はそれを知っていた。

 そのことについて近々に決着をつけなくてはならない。でもどうやってか。それについて多くを考える日々が何日も続いた。

 心の安まる暇がない。正直言うと盈は、地獄から帰ってきたのだから、日中でも休み明かしたいところであった。彼にとってみれば、一生分の労働をしたくらいに思っている。

 聖剣の力で傷は癒えたが、あの熱傷の苦しみを思い出すだけで、苦痛がじわっと蘇ってくる。この感覚はきっと生涯忘れられない。忘れがたいから地獄の痛みなのだろうけれど、これは決して笑い話ではないわけで。

 盈がこの世に帰還してから数日が経ったある日のことだ。御佩刀教団の人間が馬に跨がって再びこの村を訪れた。

 村人は彼らを見て怖れ、それを盈に伝達した。報告を受けて盈が行く際、彼はわずかばかりだが笑顔になっていた。

「何の用だよ……といっても、言いたいことはわかる」

 もう盈にもわかっていたことだ。

「シノギのところへ、つれて行ってくれ」

 会話は必要最低限に済まされ、例のごとく馬に乗せられ、盈は再び都へ向かうこととなる。

 馬の乱暴な走りに盈はもう慣れた。聖剣様のいる牙城へと、厳かに連れて行かれた。

 聖剣様の間に例のごとく案内され、これで何度目になるか皆々変わらず見慣れぬ様相で、聖剣様の御前で跪いた。

 幕が開かれて、聖剣様が現れる。

 ――たびたび呼びつけてすまない、盈。

「気にするな、俺もやることがあって来たんだ」

 部屋の隅に暗幕が掛けられていた。その暗幕が丁寧に取り払われる。そこに木戸があった。それが開かれるなり、シノギとムシャが歩いて入ってきた。

 ムシャはその両手に、鞘に収められた一本の太刀を持つ。

 それが何の太刀なのかは、盈はすでに中身を察していた。やはり呼びつけた理由は考えた通りだった。

 そう、これは斬鉄剣だ。

 空気が重々しい中で、平信徒一同が沈黙していた。

 シノギは盈と対面するなり、こう言った。

「俺は帰らねばならない、元いた世界、日本に。だが、その前に教えてくれ。盈……いや、先生がもっとも教えたかったことを」

 盈は自ら用意してきた刀を取り、その鞘から引き抜く。説明するに及ばず、これはおじいさまの作った刀だ。

 それを認めてシノギは柄を握り、斬鉄剣を抜き取った。

 何を狼藉のようなことを始めようとするのか。これは真剣の勝負である。

 だが平信徒たちはわかっていない。なぜここで、まさに血戦とも呼べそうな勝負を、なぜ始めようとするのか、まるでわかっていない。

 だがいずれこうなることは、シノギと言葉を交わしていたあのときのことを思えば、当然の理だった。盈は承知していた。暗黙の了解が取り込められていたと言ってもいい。

 盈はいまからシノギと一戦を交えることになる。

 シノギは斬鉄剣の士として、ここで一戦し。

 盈は斬鉄の剣士として、ここで一戦する。

 同じ勝負であれ、その意図はまったく別物である。その空気を読めていたのは、おそらく聖剣様とシノギと、ムシャだけであろう。

 これは当たり前なことだが、盈が負ければ勝負のすべてが無駄になる。それだけは避けたい。

 盈はを命懸けで教え込まなければなるまい。

 力を持つことと、力があることが同義ではないこと。これを教え込むために、戦うのだ。

 ふたつが意味することを誰もが混同している。それをここにいる者全員に教える。

 斬鉄剣がいかに優れた刀剣であるか。刀など容易く斬る強さを持つ、その程度に捉えておいて差し支えない。

 戦いの火蓋を切られる瞬間は、まさに迫ってきていた。

 これまで直接には教え込めてはいなかった。

 すべての答えをいまここに結審する。

 そう。それがシノギの目的にして、盈の目的だ。

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